第16話 生きるというのは

「私は心や感情というものが体に与える影響は大きいと思っているのだよ。だが、ほとんどの人はそれを過小評価している。自分たちが自覚しているのにもかかわらずな」


 おそらく生野さんは心と体の関係を学問として学んだことはないだろう。しかし経験からそうであろうことは分かっているのだ。経験から発せられる言葉には重みがあり、たとえ相反する意見であってもそう思い込ませてしまう。それほど経験からの言葉は重厚感があるのだ。本を読んだり、人の話を聞きかじった程度の知識を話されても心に響かないのはそのためだ。


「自覚していてもですか?」


 久しぶりに市ヶ谷さんが口を開いた気がする。もともと積極的な方ではないが、これから生野さんが話すことは市ヶ谷さんの今までの行動を否定してしまうかもしれないのに随分と冷静だった。


「そうだ。私がそうだったのだよ。話を聞いていたかもしれないが、私はもともと農家の出だ。ほぼ毎日農作業でいくら食べていくためとはいえ次第に飽きがきて、仕事が嫌になってくる。農作業をしていても豊かにはならず、貧しくなるばかりだった。

そうなるにつれて心も次第に荒んでくる。仕事も適当になってくる。適当になれば作物が育たない。結果的に自分を苦しめることに繋がっていく」


 確かにそうだ。私も生死のかかる緊張感の中でも、同じ症例が続いたりすると起こりやすい。それは一瞬だが、その一瞬でも命取りになる場合もあるので気をつけている。


「しかしそれだけではないのだよ。そういうことが続いていくとある変化が起きる」


「ある変化?」


 私と市ヶ谷さんは変化という言葉に勢い良く反応した。


「体の不調だよ。誰にでも必ず起きる。まず、体のどこかが痛くなってくる。仕事の関係で痛む場所は違うが反応が起きてくる。まあ、ここで多くの人は病院や薬局へ行き、湿布やモーラステープなどで治療する。しばらく治療すると治ってくる。が、これは大きな間違いだ。治るがまた再発する。これが何度も続いていく。これがただの肉体労働で起きているならば大きな問題にはなりにくい。問題は心が原因で痛くなっていることに気がつかないことが問題なのだ」


 確かに聞いたことがある。心の状態で病むのは精神だけではなくて、肉体にも及ぶことがあるのだ。胃潰瘍や過敏性腸症候群などがいい例だ。うつ病やガンになるリスクも高くなる。治療をしても根本的な原因を探って取り除かなければ再発リスクが高くなる。


 生野さんは経験からこのことを知っていたのだろうか?病院で会う人たちからそう考えるようになったのだろうか?

話の続きをもっと聞きたくなった。


「私たちが生きていくには仕事をしてお金を稼がなければいけない。だから仕事をすることを目的にしてしまい、自分が何をしたいか、得意分野や好きなことを仕事にしたいということを後回しにしてしまうか、最初から諦めてしまう。最近はそうでもなくなっているらしいが、それでも多くの人はまだそうではない。


 割り切ることも必要なのだが、あまりにも自分のことを知らなさすぎて、本当に自分があう仕事を選択していないのだ。

私がここに入院して、たくさんの人と話してきたが、あまりにもそういう人が多いことに驚いたよ」


 私は両親が医者だった関係で医者の道を選んだ。そもそも医者になるために得意なことや好きなことはなかったと思う。特に器用だったわけではないし、勉強も得意だったわけではなく、好きでもなかったのに都内の難関の医大に受かってしまった。そして他の学部の試験には落ちてしまうという学生だったから消去法で医者になる道を選んだだけだったからだ。


 医者の仕事の素晴らしさは両親を見ていて理解していたから抵抗はなかったが、自分でも医者を選択するとは思わなかった。医療系なら薬剤師や麻酔科医、臨床工学技士など他にも道はあったのに外科を選択し、今は救急救命科で分野にかかわらずオールマイティに医療行為をしている。だから生野さんの言葉に私は自分のことではないかと思い、一瞬ドキッとした。


「この歳になると寂しくて話好きになるのか色々と聞いてしまうのだよ。相手が失礼と感じない程度にだがな。この病院にくる人がその傾向にあるのか、どこもそうなのかは私は知らないが、そういう人は一目でわかるようになったよ」


 この発言で私はまたもやドキッとした。動揺しているのがバレなければ良いが・・・どうしても怖いもの見たさ、怖いもの聞きたさとここでは言うべきだろうか。私は自分のことを聞かずにはいられなかった。


「生野さんから見て、私はどうですか?」


「四条さんはよく分からないな。医者として充実しているが、それだけではないような気がするな。さっき久しぶりに会った時は後ろ向きというか気持ちが落ちているような気がしたが、今はそうではないし。仕事が嫌いとか辞めたいとか、合っていないというのは感じないな」


 やはりこの人は観察力が鋭い。だが医者があっていないと言われなかったことが何より救いだ。自分のことは自分が一番わかっていると思いがちだが、実際そうでないことは自覚していた。


 しかし生野さんの「それだけではないような気がする」という言葉が妙に引っかかっていた。


 さっきの言葉が引っかかったままだが、このまま黙っていると変に不安にさせてしまうと思い、正直に返答をしようと思っていたが、最初の言葉がなぜか思うように声が出なかった。


「あ…… たっ…… ています…… 私は医者として充実しています。もっと患者さんを救いたいと思っていますが、入院してからは気持ちが落ちていました」


「そうだろうな…… いつもの四条さんとは雰囲気が違っていたからな」


「そんなに違って見えましたか?」


「ああ。昔の私のようだったしな。だからそういうのには敏感なのだ。


 話が少しそれてしまったが、病気とか怪我というのは本当の自分に戻すための体の反応なのかもしれないということだ。人間は脳が発達していく過程で生き残る方を最優先にしたがる。それは当然のことだが、それを理性で押さえつけて最優先にしたがるということが問題だと思っているよ。


 つまり、生きていくのに必要だからという思いが、いつの間にか思い込みに変わり、そうでないといけないように他の考え方と行動を頑なに閉じてしまう。それしかないと思い込んでしまうのだ。他の可能性がたくさんあるというのにな。


 だが本能というか、命というか、魂とでもいうのか、本来の自分、これも曖昧なのだが、素の自分を思い出させるために病気というものを自分で生み出して強制的に止めてしまうことがあるのではないかということだ。病気や怪我でなければいつまでも続けてしまうようになってしまっているからな。病気や怪我でなければ、自殺や自殺未遂をしてでも止めてしまうかもしれない。この先も生きるために逆のことをしてしまうように」


 生野さんは続けざまに話した。


「生きるというのは本来の命、魂のままに行動していくことなのかもしれないな」


 生野さん自身も自戒しているような、声のトーンを徐々に落としていくように呟いたことが、一つの真理なのかもしれない。


 市ヶ谷さんはずっと黙ったままだ。


 だが、それは生野さんの言葉を頭の中で反芻させているからかもしれない。それがなぜわかるかというと、生野さんの目を見て話を聞いては空を見上げて考え込んでいる節があるからだ。私は市ヶ谷さんが少し前向きに捉えていることが感じ取れた。


 人は上を向くときは前向きかポジティブなことを考えることしかできないからだ。逆に下を向くとマイナスな面を引き出してしまい、ネガティブな思考が多くなる。上を向きながらネガティブなことも考えられるが、大抵は深くは考え込めない。よくできた本能だと思う。行動は思考や感情には嘘をつけないのだ。訓練次第ではできるが、無意識からの行動は本人にも気がつかない。


 もしそれができてしまうなら、他人からはそれが不自然に見える。そういう人間はどこか冷たく、ロボットのようであり、死んだ魚の目をしていることが多い。まあ、私はそういう人を見たことがないから、似たような人を想像してしまう。

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