第9話 手紙

 私はしばらく結衣さんが落ち着くまで抱きしめていた。赤橋を失った悲しみを共有するように。親友と身内で想いの度合いが違うので、私は比較的早く落ち着いたが、結衣さんはまだ泣き続けていた。


「生野さん……」


 落ち着きを取り戻した結衣さんが私の名前を呼んだ。そして私は抱きしめていた手をほどいて、少し距離をとった。


「生野さん、実は私は兄が帰ってこないのだということは、お二人が戦地に行ったときになんとなく分かっていました」


「それはどういうことですか?」


「はい。兄は戦地へ出発する前に、私に二通の手紙を渡してきました」


「どうりで。赤橋は出陣前に急にいなくなったので変だなとは思っていましたが、結衣さんのところへ行っていたのですね」


「はい。一通は家族に宛てて。そしてもう一通は私に宛てて」


「そうですか……」


「私は自分宛てに渡された手紙をお二人が出発し、お見送りをした後、すぐに開けて読みました」


「差し支えなければ少しだけ教えていただけませんか?」


「もちろんです。生野さんにも関係することですから」


「俺に?」


「手紙にはこう綴ってありました」


 結衣さんは大事そうに上着の中にしまっていた手紙を取り出した。そして私と一緒に読めるように隣にきて、手紙の端を持ち、もう片方を持つように促した。


 手紙にはこのように書いてあった。



「結衣へ


 初めてこうやって手紙を書くことは恥ずかしいが、しっかりと読んでほしい。


 結衣は知らないかもしれないが、父は戦争が起きないように戦争反対派の代表として戦争賛成派の幹部たちと何度も交渉を重ねていた。しかし、根回しの最中に戦争反対派の人間に裏切られ、賛成派が多数になり意見を押し切られ戦争が始まってしまった。

そして反戦争を唱えていた父は軍から更迭処分された。


 このことを父から聞いたのは、俺が訓練所に入る直前だった。父は戦地での戦闘の悲惨さと過酷さを知っているから、俺に軍に入れと強制しなかった。だから俺は自由に学問を学べた。しかし時代は戦争の雰囲気が蔓延し、徴兵されることになった。


 父のことを思うと俺は戦争に命をかけるつもりは一切ない。


 だが、結衣や家族、日本にいる人のことを考えれば負けるつもりもない。だから俺が命をかけるのは結衣や家族のため、そして親友の生野のためだけだ。


 俺はそのために戦地へ行く。必然的に人を殺すことになるが、俺はその罪を全て背負って生きていく。もし殺されても敵を恨まない。もし恨むとすれば戦争を始めることを決めたやつだ。


 初めて手紙を書く内容がこんなことですまない。


 いくら俺でも戦地へ行くのは怖い。だけど怖さを和らげてくれるのは生野が一緒にいてくれるからだ。あいつとなら何でもできて、生きて帰れると思っている。俺がここまで信頼できるのはあいつだけだ。だからあいつと約束した。一緒に生きて日本へ帰ると。


 そして、これは書きづらいが書いておかないといけないことだからきちんと書いておく。


 もしどちらかが隊の仲間に迷惑をかけるような重傷を負ったとき、死にそうになったら敵の手ではなく、どちらかの手でとどめを刺すこと。


 俺が生野にとどめを刺す立場になれば、あいつの全てを背負って生きていく。責任を持って生野のご家族に戦死したこと、最期のこと、約束のことを伝え、俺が最後にとどめを刺したことを伝える。そのことで恨まれ、殺されてもいいと思っている。


 逆に生野が俺にとどめを刺す立場になった時も、お前や家族の元に行くはずだ。あいつのことだから正直に伝えてくれるはずだ。そのためにお互いの住所を教えあった。両方とも死なない限り、全てを伝えに行くために。


 だからお願いがある。


 もしそうなったとしてもあいつを恨まないでほしい。許してあげてほしい。


 戦地の過酷な状況で生き残り、生きて帰ってきた生野を支えてほしい。


 そして願わくば、生野と結婚して幸せになってほしい。生野と結衣はお似合いだと思う。


 これは訓練所で結衣に紹介した後に思ったことだ。


 お互いの立場などどうでもいい。戦争で日本が勝っても父のことで軍から処分されるから家柄のことなど関係なくなる。日本が負けても同じことだ。


 だからお前の好きなように、自分の心に素直に生きていけ。それが俺の願いだ。


 結衣、お前らしく、優しく、強く生きていけ」


 手紙を読み終えた後、私は膝から崩れ落ちるようにひざまづいた。


「赤橋…… お前ってやつは…… 最後の…… 最後まで…… お前は親友だったよ…… 命の恩人だよ……

 だから…… だから…… 一緒に生きて帰ってきたかったよ……」


「生野さん、私は兄の命を奪ったあなたを恨みません。憎みもしません。あなたも兄と同じように全て話して恨まれても、殺されてもいいと思ってここに来たのでしょう?」


「はい…… 赤橋も同じことを思っていたなんて……」


「やっぱり二人は似た者同士ですね。兄が仲良くしていた理由がわかりました。家柄のこともあり、兄は長男でいつも周りには大人がいました。だから人を見る目が他の人より優れていて、嘘をつく人、本心を言わない人、表面だけいい顔をしている人、何も考えずについていけばいいと思っている人などを見抜く目を持っていました。


 だからか兄は周りの人とうまくやっていけず、いつも寂しかったのだと思います。私をいつも可愛がって守ってくれたのは寂しさを埋める部分も少なからずあったと思います。でもそんな兄をいつも尊敬していました。自慢の兄でした」


「赤橋はいつも周りに気配りできて、みんなに慕われていました」


「きっと死を意識した仲間と思っていたのかもしれませんね」


「そうかもしれません」


「でも、私は生野さんがいたから周りとうまくやっていけたのではないかと思っています。兄は本来、一人でいることを好んでいました。戦争が世界中で起きている中で生きるということは何なのかをいつも考えていました。今はもう焼けてしまいましたけど、兄の部屋には哲学の本や医学書がたくさんありました。それに生きていることや、生きる意味、死とは何かを紙にまとめていました」


「そんなこと訓練所では一切していなかったです。話もしなかった。俺が知る赤橋は、いつも笑っていて、苦しいときも励ましてくれたり、率先して自分から進んで行く男気溢れた男でした」


「そうでしたか。兄らしいです。そいういう部分も持っているのが兄なんですよね。そういえば覚えていますか? 兄が生野さんを私に紹介した時のこと」


「はい。はっきりと覚えています」


「あの時、生野さんを紹介する前に、兄が照れくさそうに話かけて来て。いつもハキハキ話す兄がしどろもどろになって、なかなか話そうとしないんです。ようやく口を開いたらお前に紹介したいやつがいるって言ったんですよ」


「遠くから見ていたからわからなかったですけど、そんな風になってたんですね。珍しい」


「そうなんです。ふふふ。兄のあんな感じは初めて見ました。生野さんがこちらに来るまで、兄は生野さんのことを面白いやつで、何でも話せる親友なんだと嬉しそうに話していました。先ほども言いましたが、兄は一人でいることを好む人です。そんな兄が親友と呼んで、いつも私に男の人が来ないようにしていた兄が、男の人を私に紹介するなんてありえないと思っていました。だから生野さんに会いたいと言ったんです」


「そうだったのですか…… 赤橋は作戦を練ると言いながら普通に話していたことが意外でした」


「兄もどうしていいか分からなかったのかもしれませんね。だからいつも通りまっすぐに私に話したんでしょうね。でも私は生野さんに会って、話をしていくに連れて、どんどん好きになっていったんですよ。もっと話したいって。兄が紹介したというだけではなくて、生野さん自身に興味を持ったんです」


「結衣さん…… 俺も同じです。話をしていくにつれ、俺も結衣さんのことを好きになっていきました」


「生野さん…… 嬉しいです」


「だけど! 俺はお兄さんを……」


「生野さん。私は兄が生野さんのことを守って命を落とすのではないかと薄々感じていました。だから二人とも帰ってくれば良いと思っていましたし、たとえどちらかしか帰ってこなくても覚悟は出来ていました。だから思い詰めないでください。そして、私は兄の手紙に書いてあったからというわけではなく、生野さんが帰ってきたならば一生そばにいたいと思っていました」


「結衣さん…… ありがとうございます。俺も同じ気持ちです」


「それなら嬉しいです。私の家族は戦争で全て失われてしまいました。ですが、今日から新しい家族になりますね」


「はい。俺も嬉しいです。ご家族の分まで、お兄さんの分まで必死で一緒に生きていきましょう」


「生野さん。いえ、真一さん。これからよろしくお願いいたします」


「結衣さん、こちらこそこれからよろしくお願いいたします」


 赤橋の最期を伝えたこの日、赤橋が大切に思っていた結衣さんと結婚し、家族になった。

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