第8話 想い人との再会

 あの後ろ姿は……


 見慣れた背中に私はようやく安心したが、すぐさま帰りたい気持ちに駆られた。


 赤橋の実家は空襲の被害で燃え尽きていたが、敷地が広すぎて二つの意味で言葉が出なかった。私は驚かせないようにそっと結衣さんの名前を呼んだ。


「結衣…… さんですか?」


 一瞬、動きが止まったその女性が振り返った。


「生野さん?」


 その女性はやはり結衣さんだった。最後に会った時よりだいぶ痩せた状態を見て、肉体的にも精神的にも辛い日々を過ごしていたのは明白だった。私は戦地の不利な状況から日本の敗北は予想していたが、ここまで国内で貧窮しているとは想像以上だった。

でも結衣さんが生きていることが何より救いだった。もしご家族全員が亡くなっていたら、赤橋の最期を誰に伝えていいのかわからず、どうにもならなかったと思う。


 結衣さんは私に向かって走り出し、抱きついてきた。


「生野さん、生きて帰ってきてくれてありがとうございます。お帰りなさい」


「結衣さん、ただいま。戦地から帰ってまいりました。ただ……」


 私は結衣さんに会えて言葉を交わせたことで緊張の糸が切れ、泣きそうになった。


「結衣さん、申し訳ありません。俺は・・・お兄さんと一緒に帰ってくることができませんでした」


「生野さん、分かっています。戦地からの船が何度も日本に到着しても兄はここに戻らなかったので覚悟していました」


 結衣さんは全てを覚悟していたのだろう。落ち着いた様子だったが顔を下に向けた。


「お兄さんは、俺をかばって銃撃にあいました。銃撃直後はまだ意識があり、話すことができました」


「そうでしたか……」


 お互いに泣くのを必死でこらえ、震えながら話をしていた。


「お兄さんとは戦地に行く前夜、約束をしました。必ず生きて日本へ帰ってくること、お互いのどちらかが周りに迷惑をかけるほどの重傷だったり、死にそうな状態であればどちらかが止めを刺して楽にするということ、です」


「はい……」


「まだお兄さんの意識があったとき、お兄さんは体の感覚がないということを告げました。そして俺の手でとどめを刺して欲しいと言われました。私は約束を交わしながらも中々できませんでした。唯一の親友であるお兄さんの命を奪うことに抵抗がありました」


「はい……」


「でも、どんどん意識がなくなって言葉が途切れ途切れになっていくお兄さんを見て、楽にしてあげようと思いました」


「はい……」


「私は自分が持っていたナイフでお兄さんの喉元に刃先を突き立てました。お兄さんは最後にありがとうと、私といて楽しかったと、生きて日本に帰れと、そう言いました。そして私はナイフを喉に刺して、最期を看取りました」


「はい……」


「お兄さんの…… 命を…… 奪って…… しまい…… 申し…… 訳…… ありま…… せんで…… した……」


 最後まで泣かずに伝えようとしていたのに、限界だった。ここで平静を保ったまま全てを伝えきれるような関係ではない。私はそんな冷酷で非情な人間でないことを改めて思った。私はまだ人として壊れていなかった。


「い…… い…… え……」


 結衣さんも涙をこらえ切れずにお互い声を出して泣いていた。


「生野…… さん…… は…… 悪く…… ない…… です。 兄と…… の…… 最後の…… 約…… 束を…… 果たして…… いただき…… あり…… がとう…… ござい…… ます……」


「お兄…… さん…… を…… 生き…… て…… 帰せ…… ず…… 申し…… 訳…… ありま…… せんでした…… 最…… 後に…… お兄さん…… の…… 髪を…… 形…… 見にと…… 思い…… この…… 袋に……」


 私は結衣さんに赤橋の髪の毛を入れた小さな布袋を渡した。


「兄…… の…… 確かに…… この…… 髪の毛は…… 兄…… ですね…… ありがとう…… ございます……」


 私はようやく赤橋の形見を渡すことができた。一つの目的を果たした気がする。しかしこの後、結衣さんから驚くようなことを聞かされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る