第5話 男と男の約束
あの悲惨な地へ、敗北することが確定している場所への出兵の命令が出た。
私は自分の運命を呪った。そして仲間と死を覚悟した。出兵前の夜、月は出ずに辺りは暗闇で不思議と外は静まりかえっていた。訓練所内の部屋はどこも静かで明日戦地へ行く仲間はそれぞれの思いを抱えているのか、静かだった。私たちの部屋も例外ではなく灯りも消していた。暗闇しかない部屋で私は赤橋に約束した。
「なあ、赤橋」
「なんだ、生野」
「明日、俺たちは死ぬことがほぼ確実な場所に行く。だけど必ず生きて帰ってこような」
「ああ。もちろんだ」
「戦争で勝とうが負けようが、そんなことはどちらでも構わない。俺はこの訓練所での半年、今まで生きてきた中で一番濃い時間を過ごせた。それは赤橋、お前がいてくれたおかげだ。そして妹の結衣さんと引き合わせてくれたことも。だから俺はみんなで、赤橋と一緒に生きて日本の土を踏みたい。そして一緒にこの関係を保ったまま年をとっていきたい」
「俺も同じだ。生野、お前と生きて帰って、友情をもっと今まで以上に深めたい。それに妹のためにも生きて帰ってくる。妹が戦地にいかなくても済むように。そして、結衣とお前を結婚させるためにな」
「結婚ってお前。赤橋の妹なら親が縁談を進めているだろ?」
「そんなことは関係ない。一家を継ぐのは俺だ。そのくらいのわがままは通してみせる。
ああ、家柄のことなんて気にしなくて良い。可愛い妹を任せられるのは生野だけだからな。俺の分まで幸せにしてやってくれ」
「なんだよ、それ。お前も一緒に幸せになるんだよ」
「ははは! そうだな…… 実はな、俺の許嫁もいいやつでな親が決めたとはいえ気に入っているんだ。だからその人のためにも生きて帰って一緒に幸せになる」
「そうだろ。だからこの約束は絶対だ。男と男のな」
「わかった。男と男の約束だ」
そう言いながら私たちは向き合って正座しながら握手した。
「男と男の約束っていいですね」
私は今までの話を聞きながら生野さんと赤橋さんの友情以上の絆が羨ましかったし、素敵だと思った。
「ああ、そうだな。でもその約束を果たすことは出来なかった」
生野さんは泣きそうになるのをこらえながらさっきの続きを話し始めた。
「赤橋、もし戦地で俺が皆に迷惑をかけるような怪我をしたり、死にそうになったら遠慮なく置いて先に行け。その時はお前の手で殺してくれ。俺は敵に殺されるのは絶対に嫌だ。お前の手でとどめを刺してくれ」
生野。お前…… わかった。だがそれは俺も同じだ。だからその時がきたらお前も同じようにしてくれ」
「赤橋、わかった」
「だけどな、生野に重荷を背負わせるつもりはないからな。必ず生きて帰ってくる。たとえ俺が出来なくても、お前を日本に返せるような手助けは惜しみなくする」
「赤…… 橋…… ああ。俺もだ」
そして戦地に到着した。だが、島が近づくにつれて悲惨な状態だということがすぐに分かった。死を覚悟して戦地から上官の指示に従って進んだ。幾度も幾度も敵の銃撃に耐えながら、応戦しながら進んで行った。
敵を何人も殺した。この手で。数えきれないくらい。
でもそれ以上に味方を殺された。一緒に訓練した仲間も大勢殺された。そこには憎しみや恐怖、自分の命が奪われるかもしれないことなど、どうでもよくなってくる。麻痺してしまう。でもそうじゃない人もいる。恐怖に蝕まれ物音に敏感になってパニックになってしまう人もいる。
私は最初に人を撃ち殺した時はパニックになったが、赤橋に止められてからはそうじゃなくなった。赤橋は流石に覚悟を決めていたのか、いつもと変わらなかった。いや、心の奥底ではみんなと同じだったと思う。でも血筋の影響もあるのかもしれないと思った。
先に進んだ隊との合流ポイントに着くたびにどんどん仲間がいなくなった。そしてとうとう、起きてほしくないことが起きてしまった。
「あれは、終戦一年前くらいだったか。戦闘と飢餓と疫病で日に日に仲間が死んでいった。それでも私と赤橋は生き残っていた。どんなに過酷な状況でも生きて帰るという約束が私たちの心の支えだった。ただ戦況が不利になっていくにつれ、積極的な攻撃から防衛的な攻撃へと変わっていった」
生野さんの顔が険しくなってきたことに私は気づいた。私は話を遮らないようにゆっくりと姿勢を正した。
「生野、司令官がアイタペを奪還することを決められた」
「そうか。ウェワクでは5万人以上の兵士を養えるだけの食料がないからな。それに敵国もアイタペの方角へ向かっていったしな」
「俺らはまだ奇跡的にも生きている。あれだけの攻撃と病気にも負けなかった。この作戦を戦い抜いてこの窮地を乗り切るぞ」
「ああ、もちろんだ。やるしかない。生きて日本へ帰るために。たくさんの仲間の死を見てきた。たくさんの屍の上を歩いてきた。もしかしたらこの先俺らもそうなるかもしれない。でもどちらかが生きて帰れるなら、俺の持ち物をなんでもいいから形見として日本へ持ち帰ってくれ。それが俺にとっての日本へ帰るということになるから」
「そんな不吉なこと言うな! たとえ腕をなくしても、足をなくしても生きて帰るんだ! 必ずな!」
「悪かった。お前の言葉と声で気合いが入った!」
「俺こそ大きな声を出して悪かった。だが俺は他の仲間の誰よりもお前と一緒に日本の地をまた踏みたいからな」
「そろそろ集合がかかる頃合いだな。気合いれていくぞ!」
「おお!」
そういって司令官の指示のもと私たちはアイタペに向かって進んでいった。
「空からの攻撃だ、散れ、散れー!」
「砲射で前に進めません!」
「後ろに退却! 退却しろー!」
もはや怒号と銃弾しか飛び交っていなかった。容易に進めるとは思っていなかったが、生きることはもとより、死ぬことしかできないかもしれない状況だった。そしてあの時見た光景はまさに地獄だった。
食べるものも尽きて、昆虫や植物など食べられるものはなんでも食べて生き延びた。だが、人は極限状態になると何をするか分からない。人が人を襲い、その肉を食べた仲間もいる。公に処刑されたものの他にも多くいた。
でも誰も責めることはできない。それほど過酷すぎて今まで生きてきて培った道徳観や倫理観など簡単に壊れていく。戦争は人を壊していく。外側だけではなく内側からも。
それでも私たちは何度も諦めかけながらも正気を保ち続け、生き残ってウェワクへ戻った。
ウェワクへ戻っても安全とは言えなかった。徐々に追い込まれ投降する部隊もいた。
だけど私たちは戦った。投降しても捕虜として拷問を受けたり、処刑されることもあるからだ。
毎日生き残るために必死だった。でもあの日、私の心は折れてしまった。
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