第4話 ある女性との出会い
時折吹く春を先取りするかのような暖かくて優しい風が私たちを包み込んだ。見守ることしかできなかった私は、生野さんの気持ちが落ち着くのを待つ間、座っているところから中庭を見回した。
ん…… また頭が少し痛くなってきた。
話を聞いたことで感情が増して頭に負担をかけたのだろうか。目の前が一瞬暗くなったあと、すぐに眩しい光を感じて、地面に目をそらした。数回瞬きをした後、眩しい状態から元の状態に戻ったことに安堵した。
頭を上げようとした瞬間、目の前に見慣れない小さな足が見えた。白い靴が綺麗だった。でも外で履くというより室内で履くような靴だ。少し不思議に思ったが、そのままゆっくりと顔を上げた。
目の前に髪が肩下まである女の子が立っていた。五歳くらいだろうか。女の子は目がぱっちりし、口角が上がっていてお人形のようなとても可愛い子だった。
「あれ? こんな子さっきまでいたっけな?」
私は不思議に思いながらも女の子から目が離せなくなっていたことに気がついた。我ながら珍しいと思ったが、声をかけようかかけまいか迷っていた。
「あの人の話をもっと聞いてあげて…… それがあなたのためにもなるから」
迷っている私にしびれを切らしたのか、ただこの年ごろの子供の気まぐれなタイミングで話しかけてきたのかははっきりしないが、随分大人びた言葉をかけてきたため私の頭は混乱した。
「ねえ……」
私が話しかけようとした時にはすでにいなくなっていた。煙に巻くようにという言葉がぴったりなように消えたのだ。
ただ私はその声をどこかで聞いたような懐かしい感じがした。
またもや名前を聞くことができなかった。まあ、名前を聞いたところでどうこうというわけではないのだが、私の中で何かモヤモヤを晴らさなければスッキリしなかった。あの不思議な女の子はどこから現れて、どこへ消えたのだろうか。病室前の声に似ていたような気もしたし、私に何か用があるのかどうかも知りたい。考えすぎだと思うが私に関係する何かがあるのだと、ここはひとまずそう捉えて置いて、生野さんの話を聞くことにしよう。そろそろ落ち着いてきたかもしれないし。
「ああ、すまないな。私の唯一の心残りで後悔していることだったから。七十年以上経っても毎日のように思っているよ」
どんな言葉をかけようか迷っていたから、ちょうど良いタイミングで生野さんが話をしてくれたため、自分から話しかけることはなくなったことに胸をおろした。
私は顔を生野さんの方に向けて、微笑みかけた。それが正しかったかはわからないけれど、生野さんの気持ちを汲み取って、気持ちを少しでも上げられればと思ったからだ。
「やっぱり四条さんはあの人に似ているなあ。」
「お会いした時もそのことをおっしゃっていましたよね。どなたなのですか?」
「ああ、そうか。まだ話していなかったな。あの人というのは、私が初めて恋をした女性だ」
そう呟きながら生野さんは空を見上げた。私もつられて空を見上げてしまったが、雲ひとつない空を見て、このまま生野さんの話を聞こうと思った。
「私の初恋の人は従軍看護師の養成施設の庭で最初に会った。兵士の養成所と従軍看護師の庭は同じ敷地内にあってな、訓練中にその人を初めて見かけた時、思わず立ちつくしてしまった。そのせいで上官に怒鳴られて罰を食らったがな。ははは!」
これまでとは打って変わって明るい声色に戻った生野さんに、私も続きが気になってそわそわしてきた。普段は隠している私の乙女心が刺激されて楽しくなってきて、私にもそういった面がまだあったことに安心した。女子はいつだって恋話は好きなのだ。
「『ハートを射抜かれる』とは、あのことをいうもんだと二十歳だった私は初めて経験した。訓練所へ入る前は毎日畑と家の往復で、同い年くらいの女の子に会うなんていうことはそうそうなかったからな」
私はそんなことはないだろうと思った。いくら田舎とはいえ若い女の子はいただろうし、単に生野さんの好みのタイプに当てはまる女の子がいなかったから忘れているだけかもしれない。もしくは恋をするような余裕が本人になかったのだろう。
「それでその日の晩に思いきって赤橋に相談してみた。するとな……」
「すると?」
「それがおもしろおかしいのなんて。まさかな…… という感じで拍子抜けだったが、直接話すチャンスが身近にあることが嬉しかった」
もったいぶる生野さんに少しイライラしてしまった。我ながら大人気ないと思ったが、少し気を落ち着けてから尋ねてみた。
「どんな風に赤橋さんに聞いたのですか?」
「男は正直にまっすぐに聞くのが良いと思い、『なあ、赤橋。あの訓練していた時に俺が怒られたの覚えているか?』とまず聞いてみた」
「ああ、覚えているよ。お前が珍しいな。普段から訓練に真面目に取り組んでいるのに急に立ちつくして、腹を壊したんじゃないかって思っていたよ。すぐに動いて何事もなかったかのように動いていたから無用な心配だったけど。あの時どうしたんだ?」
赤橋はいつも全体を見通す目があって、いつも周りを助けていた。その目で私の行動も全て見ていたよ。だから思いきって話を続けた。
「隣に従軍看護婦の建物があるだろ?そこの庭で可愛い女の子を見かけたんだ。そうしたら急に体が動かなくなったんだよ! あんなこと初めてでさ!」
「お! お前もそういうことを感じるんだなー いやさ、ここで出会ってから全然そういうこと話さないし、そぶりも見せなかったから女の子に興味がないのかと思ってたよ。なんだか今までよりもっと近くなったな! で、お前を立ちっぱにした女の子ってどんな子だ?」
「髪型はみんな同じだからなー 他の特徴っていうと…… 顔が小さくて、痩せすぎてもなくて…… 色白で、背は俺の肩くらいかなー 遠くからだから分からないけど」
「それで、それで? 他には?」
「あとは、そうだなー あ! 右頬の下にほくろがあったな、確か」
「ああ、それ俺の妹だ。お前良い趣味しているよ!」
「えー!」
まさかの発言に私は中庭中に響くような声を出して驚いた。
私はそんな偶然があるのかと不思議に思いつつも、なんだかドラマチックな予感がしてきたので、興奮状態をすぐに抑えて続きを聞くことにした。
「ははは! あの時の私の同じ反応だな。私も同じように驚いたよ。まさか好みの女性を見かけて、それが赤橋の妹だったのだからな。でもこれで接点ができたことをすぐに喜んだよ」
そう話続ける生野さんは思春期の男の子のようなテンションで話を続けた。
「それ本当なのか! まさかお前の妹だったとは。なんだか悪いような良いような複雑な感じがして、何て言って良いか分からなかくなってきたよ」
「いや、良いに決まってるだろ!他ならぬ生野だからな。俺も安心して妹を紹介できるよ」
「赤橋! 本当か! 助かる! 嬉しいよ!」
「訓練の時には見せないような興奮状態だな、お前。でも、あくまで紹介だけだからな。そのあとどうなるかはお前ら二人次第だ。それにある程度の自由は許されているけど、どうやってあっちの施設にいる妹をお前と引き合わせるかだ。それに・・・」
「それに?」
「ああ、それは後になって考えれば良いことだから、まずは妹を紹介する作戦を練ってみるよ。俺は普通に妹の様子を見にきたっていえばあっちの施設にもいけるし、庭で話していてもおかしくないからな。じゃあ、明日の自由時間に妹に会ってくるよ」
「ありがとうな」
「どういたしまして。俺も面白くなってきたし応援したくなってきたよ」
「人で面白がるな。ははは! そういう赤橋、お前はどうなんだ?好きな女の子はいないのか?」
「ああ、俺は今はいないな」
「そうなのか。お前はモテるから、その気になればたくさんの女の子から選び放題だしな」
「あはは! 全然。それに色々と大変なんだぞ、こっちも。断るにしても傷つけないように配慮するし、付き合えば付き合った子がいじわるされないか目を配ってなきゃいけないし。過去にそれで少し大変な目にあったしな」
「モテる側にも苦労があるんだな」
「ああ。そんなもんだよ、普通」
「普通と言われてもなあ。そんな経験ないから気持ちはわからないな」
「ははは! そういう正直な気持ちを言うところが好きだよ」
「まあ、それしか取り柄がないからな」
「そういう生野だから応援したくなるんだよ。それに俺はいつ戦争が終わるか分からないけれど、終わったら親が決めた許嫁の人と結婚することになっているしな」
「え! そうなのか?」
「ああ。一応これでも戦国時代から続く武家の家系で、それが今は軍人の家系でもあるからな。家柄とかに厳しいんだ。それに男兄弟もいないから後を継ぐのは本家では俺だけだ。だから同じような身分の家柄の人と政略的な結婚が慣習らしい」
ああ、そうだった。一緒に話していると気づかないが、赤橋は結構良い家の出身なのだ。そのことを感じさせない、いや麻痺してしまうほど私と馴染んで仲良く話をしている。これは家柄とかそういう話ではなくて、ただ単純に赤橋という男の魅力なのだ。それなのになぜ幹部候補の軍の施設のエリートコースではなくこの施設にいるのだろうか。この時の私は深く考えもしなかった。
翌日の朝礼前に赤橋に話しかけられた。
「今日の自由時間に妹に話をしに行くな。その時、なるべくあっちの施設に近いところで他の奴らとキャッチボールでもなんでも良いからしていてくれ。なるべくカッコよく見えるような感じで頼むな。で、俺が呼ぶから来てくれ」
「ああ、わかった。よろしくな」
そして朝礼前の打ち合わせ通りにことは進んだ。
「おーい、生野。こっち来いよ」
「おー 赤橋。今行く!」
我ながら何も知らない体で赤橋とその妹のところに行くのは白々しかった。が、どうしても妹と話したかった。人間の本能をこの時ばかりは自覚せざるを得なかった。
「赤橋、その子は……」
「生野、俺の妹の結衣だ。結衣は俺と同じ時期に従軍看護婦になるためにここに入所したんだ」
「結衣さん、初めまして。兄にはいつもお世話になっています」
「初めまして。生野さん。こちらこそ兄がお世話になっています。兄と仲良くしていただいてありがとうございます」
想像通りの優しく、おっとりした声色で私は日々の訓練の疲れが一気に癒された。
「いえいえ! 俺の方も仲良くしてくれてありがたいです。一緒の部屋になったその日からすぐに仲良くなりました。勉学も運動も完璧なお兄さんがいて鼻が高いんじゃないですか?」
「はい! 自慢の兄です!」
この一言で私は結衣さんのことが好きになった。
「兄はいつも見守ってくれて、優しく、勉強も教えてくれたり。でもやんちゃだからすぐに喧嘩したりして、いつも傷だらけなのは玉に傷なのですけどね」
「喧嘩っ早いですよね。俺も一度なんかの拍子で喧嘩になったことがありますけど、強すぎて歯が立ちませんでしたよ」
「お兄ちゃんは全く……」
呆れ果てたけどいつも変わらない様子の兄の近況を聞いた結衣さんは可愛かった。
「生野、それを言うなよ。お互い互角だったじゃないか」
「ははは! ごめんごめん。つい」
「へー 兄と互角だなんてすごいですね!」
結衣さんに褒められて私は浮かれていた。
「兄はいつも私を守ってくれて、近寄ってくる男の人とか全てに喧嘩をふっかけて追い払ってましたけど、誰も互角にできる人なんていませんでしたよ。お強いのですね! それに、そんな兄が初めて男の人を私に紹介するなんて、生野さんは素敵な方なのですね」
「赤橋、お前そうだったのか! 妹思いのお前、かっこいいぞ!」
「生野、お前からかうなよ! 結構恥ずかしいんだぞ」
恥ずかしがっている赤橋を初めて見て、普段とは違う一面を見れて嬉しかった。そんなたわいもない話を三人でしていたら、自由時間がいつの間にか終わってしまった。
この日から毎日ではないが、自由時間に話せるときがあれば三人で話したり、結衣さんの友達も交えて話す時間が辛い訓練の息抜きと癒しになった。
このまま戦争が終わってくれないだろうか。
私はあれから毎日そう思い続け、願ってきた。だが時代の波は止まってくれず、日本にとって悪い流れに飲み込まれてしまった。
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