2-1. 軌跡による立証:少女を想う青年は、ひたすらに願う


 プレアデス機関が軋んだ歯車の音を響かせる。それを掻き消すようにして、エドはマリィの刃を受けた。

 斬撃の応酬は三度。視線の交錯は刹那。そして四度目で、マリィの持つ剣が駆動音を鳴らす。


形態変化:type 両刃Armis change: Claymore


 組み変わった刃は大剣を為し、マリィがさらに一歩踏み込んだ。重い斬撃にリズムが崩れる。


 エドは顔を歪めた。短剣の刃を滑らせ、一度目をなんとか引き剥がす。返すマリィの二度目の刃、大ぶりゆえに動きが僅かに遅くなったそれに飛び乗り、エドは跳躍した。


 視界が変わる。群れ成すカラスの向こうで、テオドルスが薄く笑って指を鳴らした。


戯盤進行:type 兵士Latrones change: Pedes


 指示をうたう合成音と共に、白鴉が一斉に体を震わせる。何かが来る。それを承知でエドは短剣を握った腕を振るう。


 手近な鴉を叩き落とす。残る白鴉の翼から羽が放たれた。身をひねったエドは、鋼鉄の刃のごとき羽の一部を短剣でさばく。腕を掠める羽は無視する。そうして、つま先で目的の鴉の体躯たいくを蹴り上げ、短剣の刃を刺した。


 エドの短剣が、ほのかな青の燐光を放つ。


解析Analyse――改変完了overwrite


 仮面が合成音を吐き出すと同時に、エドは短剣を引き抜いた。か細い鳴き声を上げる鴉をマリィの方に投げつければ、周囲の鴉が一斉にそれを追う。


 重力に任され落ちるまま、エドは短く命じた。


『爆破せよ』


 数十羽の鴉が一斉に爆ぜた。爆風と白煙が一帯に立ち込める中、エドは軽やかな足音を立てて着地する。


 地面に座り込んだままのヒルが、青白い顔を向けた。


「だ、大丈夫かい……!? 腕が、」

「マリィ先輩の様子はどうですか」


 無造作に引きちぎったシャツの裾で、血を流す腕を強く押さえる。エドの問いかけに一旦は口をつぐんだヒルだったが、気合を入れ直すように頬を叩いた。


「動きは、鈍ってると思う。体調が万全じゃないのは確かだ。そもそも、ここに来るまでも辛そうにしてたんだから」

「あと何回戦えそうかまでは?」

「分からない。というか、ここまで動けてるのが信じられない」


 エドは軽く顎を引いて頷いた。薄まりつつある白煙の向こうで、二つの人影と鴉の影が揺らめく。


 既に、二度の交戦を終えていた。鴉の数は着実に減りつつある。群れの規模にして残り五、六群。マリィの体調は万全でなく、テオドルスも未だにエドの手の内に気づいていない。


 勝てるか。甘い期待に満ちた問いかけを即座に否定し、エドは止血用の布切れを投げ捨てた。


「ヒル先生、引き続きマリィ先輩の観察を」


 短く指示を出して短剣を構え直す。


 視界が晴れた。爆風をしのいだテオドルスの盾が、ばらりと崩れて鴉の形に戻る。コートの裾を焦げつかせたマリィはしかし、興奮したように笑った。


「あぁもう、さっきから何なんだよな! 鴉がばーんって弾けてさ! かっけえから良いんだけど!」

「阿呆、良いわけあるか」テオドルスはうんざりと溜息をついた。「手品の種を見破らねぇと、こっちがジリ貧だぞ……っと……!?」


 テオドルスの言葉が終わらぬ間に、エドは三度目の交戦を仕掛けた。白鴉を捉え損ね、再びマリィとの乱戦にもつれ込む。


 マリィの顔には変わらず笑みがあった。だが、その動きはヒルの指摘の通り鈍い。彼女がじりと後ずさる。刃の返しが甘くなる。機を逃さず、エドは短剣を差し入れ、彼女の剣を直上に弾いた。


 がら空きのマリィの胸元に、エドは短く息を吐いて刃を向ける。一羽の白鴉が彼女を守るように割って入った。短剣が機械仕掛けの体を貫く。だが、手応えは妙に軽く、崩壊しつつある鴉の目が不自然にまたたいた。


 今までと何かが違う。嫌な予感にかられ、エドは刃を引いて後退する。鴉が呆気なく崩れる。その向こうで、テオドルスが何かに勘付いたように叫んだ。


「あぁそうかい、そういうことかよ! マリィ、つなぐぞ!」

「よしきた!」


 マリィの合図と同時に、テオドルスの肩に白鴉が止まる。鳴き声と共に、彼の周囲に青白い光と共にキーボードが出現した。


 軽やかな足音と共に、マリィがエドへ肉薄した。エドは短剣の刃を滑らせ初撃を退ける。続く二度目を身をかがめて避けて足払いを狙うが、彼女はそれを最小限の動きでかわす。直後、エドの頭上で刃の駆動音が響き、彼は顔を跳ね上げた。


 響くはずの合成音はない。コンマ三秒というありえない速さで組み変わった細剣が、エドの頭頂めざして振り下ろされる。


 エドはかろうじて地面を転がって凶刃きょうじんを避けた。白鴉の追撃はない。代わりに、テオドルスの指先が仮想のキーボードの上でせわしなく動く。彼がマリィに代わって剣を制御しているのだ。エドはそれに気づいたが、マリィの猛攻はそれ以上を考えさせる余裕を与えない。


 振り下ろされる度に彼女の剣の形が変わる。大剣から細剣へ、細剣から刃が分岐した奇妙な形の剣へ。さらに組み代わって両刃の剣へ。戦い方が全く異なる刃を全て使いこなし、マリィはエドへと迫る。


 ぎち、とエドの脳内で嫌な音が響いた。熱を帯びた鋭い痛みが脳に走り、エドの視界が僅かにぶれる。斬撃を返す刃が空滑りした。


 マリィが空色の目を鋭く光らせた。踏み込むと同時に、両刃の剣がエドの短剣を掬い上げ、弾き飛ばした。返す刃は組み代わって細剣と成り、エドの右腕を貫かんとする。エドは無理矢理に身を捻って避けた。重心が崩れる。そして、それを待っていたかのように銃声が響く。


 テオドルスの放った銃弾が、エドの左腕を貫いた。呻き声を上げながらエドは床に倒れる。鮮血で濡れる床に、短剣が突き立った。手を伸ばせば届く距離だが、ひどく遠い。


 ヒルの悲鳴が聞こえる。それをマリィが脅して黙らせる声も。エドのすぐ耳元で、再び銃声が響いた。仮面の片側が破壊され、視界が開く。


「よくやるぜ、本当に」油断なく銃口を突きつけながら、テオドルスが呆れかえった表情をした。「鴉にハッキングしてんのは分かってたけどさぁ……お前、自分の脳神経と繋いで処理してやがったな?」

「っは……、馴れれば処理速度は早いですよ」

「えげつねぇの間違いだろうが。誰だよ、そんな機能つけたやつ。教授ドクか?」

「俺の案です。悪くないと思ったんですけどね」


 神経が焼き切れ、鼻から血がこぼれる。それを左手でぬぐって肩をすくめれば、テオドルスがあからさまに顔をしかめた。


「……そこまでするかね、エドよ?」

「しますよ。そうでなきゃ、あんたには勝てない」

「何をしたって、俺には勝てねぇよ」

「そうですか? その割にはずいぶんと余裕で……っ!?」


 挑発を口に仕掛けたエドは、再び低く呻いた。太腿をかすめた弾丸が肉を抉って赤を散らす。白煙たなびく銃口の先が、再びエドの眉間に定められた。


「いっそ懐かしいよ」テオドルスは表情一つ変えぬまま、エドを見下ろした。「いつぞやの時間でも、お前はラナちゃんを守ろうとしてた。力が無いなりにな。けど、それだって結局は報われなかった」

「っ……それは、あんたが邪魔したからでしょう……」

「そうさ、だからあえて繰り返してやるよ。非合理だ、エド。お前の行動は」


 ひどく冷たい声は、短剣へと伸ばしかけていたエドの指先を止めた。


 照明を背にしたテオドルスの体は黒々としている。呼吸をするたびに押し寄せる激痛と、凍えるようにして薄れていく指先の感覚。星喰らう獣エクリプスシステムで酷使された脳が鈍く痛み、ありもしない幻影をちらつかせた。


 黒い人影、閉ざされた部屋、無限に続く痛みを与えるのは父親で、それにうずくまって、耐えて、信じたいと願って、けれどそれさえも無意味なことなのだと悟るのは無力な子どもだ。自分自身だ。


 テオドルスが深緑色モスグリーンの目を暗く光らせた。


「合理的に考えろ、エド。好いた子の願いを守りたいってのは分かるさ。けどな、報われない想いには何の意味もねぇだろ。だったら、過去を繰り返した方がよっぽどいいだろうが。今のままじゃ、お前は永遠にラナちゃんを失う。だが、今までの世界ならお前はあの子の近くにいられる」


 そばにいてほしいのだと、泣きわめいた幼い願いのとおりに。


 胸が軋むように痛んで、エドは浅く息を吐いた。視界がいっそう強くくらんで、こらえきれずに目を閉じる。暗い世界だった。冷たい世界でもあった。そんなことは分かりきっていた。


 自分のそばに、ラナはいない。決定的な別れはついさっき訪れたばかりだ。彼女がどうやってアランに勝とうとしているのかは分からない。だがきっと、ろくな方法じゃない。だからこそ、手放したくなかった。あの三秒間を永遠にしてしまいたかった。


 そうだ、自分は女々しい。女々しくも彼女にしがみついてる。

 けれど、幼い願いを抱く度に思い出すのだ。


 エドはスープが好きなのね、と何も知らなかった彼女が浮かべた無邪気な笑みを。信じるのが怖くて、それでも信じたいのだと決然と言い放った彼女の声を。泣き出す寸前の笑顔で、自分は悪い女だからと冗談めかした彼女の黒灰色の目を。


 一生忘れないだろう、そして二度と来ないであろう、あの夜を思い出して。


 重いまぶたを上げ、エドは笑う。


「その程度の合理性なら、くそくらえだな」


 テオドルスの眉が神経質に動いた。あぁまったく、目の前の男はその程度の反応しかできないのだ。それがエドにとってはおかしく、同時に腹立たしい。


 震える指先に力を込めながら、エドはテオドルスを冷ややかに睨む。


「そんなもので満足できるはずがないでしょう。俺が好きになったのは、間違っても後悔しても、前を向くことをやめない彼女なんだから。だからこそ、俺は守ると決めたんだから」

「……青いねぇ。未来の失敗を、ちっとも考慮してねぇところがさ」

「失敗なんて必ずしますよ。そこからどう巻き返すかでしょう? 未来を恐れるあんたには、少しも理解できないことでしょうがね……!」


 エドは手近にあった短剣を掴んで投げつけた。なんのひねりもない一投は、実にわかりやすい軌道を描く。だからこそ、テオドルスは体をほんの少しずらしただけだった。たったそれだけで、短剣の攻撃は無効化される。


 それがただの短剣であるならば。


接続解除ブレイク


 エドが低く呟く。ぶつと脳内で接続が切れる音がした。そして短剣は、調という本来の機能を取り戻す。


 刃がテオドルスの手の甲の皮膚を薄く裂き、肉を抉った時と同じだけの激痛を与えた。苦悶に呻いたテオドルスの手から銃が離れ、床を転がる。それを追いかけてエドが手をのばす。悪態をつきながらテオドルスが動く。鮮血がこぼれる。


 先に銃身を掴んだのはテオドルスだ。


「っ、お前は本当に生意気だよ!」


 顔を歪め、テオドルスが迷いなくエドの頭めがけて引き金を引いた。弾丸が放たれる。エドは避ける術をもたなかった。だが、諦める気にもならなかった。とっさに腕をかざす。視線はそらさない。なにか手立てはないかと考え続ける。


 だからこそ見えた。


 自分と銃弾の間に、四つの黒石が割って入る。陣を結んだ石が光を放ち、半透明の結界を形成される。銃弾が澄んだ音を立てて弾かれた。結界は瞬く間に消失したが、黒石は地面に落ちる寸前でさらに陣を組み換える。


『盲信のつわもの 誇りをし命をなげうつ』


 朗々とした声と共に、小石自体が黒の燐光を放つ。テオドルスが舌打ちして飛び退いた。エドは嫌な予感に顔を引きつらせる。


 石が爆発し、白煙伴う風が立ち上った。寸前で身を伏せてやり過ごしたエドは、何度か頭を振って部屋の入口へ目をやった。

 マリィから解放されたヒルが、途方に暮れたような顔をしている。そしてその隣、祭祀服カソックを着込んで涼しい顔をする男を、エドは睨みつけた。


「もう少しやり方があるだろ。ヴィンス」

「た、助けてやったのだから、礼の一つくらいは言え」


 ヴィンスは悪びれもせずに言いながら、エドのすぐそばで立ち止まった。じろじろとエドを見やりながら、小さく鼻を鳴らす。


「け、見学か、続行か?」

「続行に決まってるだろ」

「そ、そうか」黒髪の隙間から深緑色の目を僅かに覗かせ、ヴィンスが肩をすくめた。「せ、精々、足を引っ張らないように」

「――おうおう、相変わらず余裕の発言じゃねぇの。腹立つくらいにいつもと変わんねぇな、我が兄上殿は」


 煙が晴れた先で、唇の端から垂れた血を拭ったテオドルスが皮肉る。顔には笑みがあった。その周囲には白鴉が再び集まっていた。そして深緑色の目は剣呑に細められていた。


 その視線を受け止め、なれど泰然たいぜんと構えたままヴィンスは静かに返す。


「よ、余裕? な、なにを馬鹿な。お、俺がお前に勝利するのは事実の話だ、テオドルス」

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