1-3. 奇跡なき世界:病抱えし剣士は信ずるゆえに刃を向ける
ラナはアランの眼差しを真っ直ぐに受け止めた。胸元の懐古時計を握って手の震えをごまかし、挑むように笑う。
「あいかわらず、気障で気取った台詞だね。元気そうで安心したよ、アラン」
「当然のことだ、ラトラナジュ」アランは慈愛に満ちた眼差しで頷いた。「君を救うために俺はいるのだから」
「ハッ、笑わせないでよ。そんなものはお断りだって、言ってるだろ……!」
ラナは輝石を掴んだ左手を跳ね上げた。
『冠するは
『
仮面の明滅と駆動音。地面を蹴ったエドは難なく踊り場に辿り着き、輝石を掴もうとしていたアランへと短剣の刃を振るう。
微笑を崩さず、アランは数歩下がって刃を避けた。その左手に光で編まれた鎖が絡み、彼は形の良い眉を軽く上げる。
「おや、愛しの君は随分と熱烈だ」
「いやいや、その余裕はどこから来んだよな……!?」
焦りとも呆れともつかぬテオドルスの声に、エドはすんでのところで追撃を止めた。踏み込んだ足でそのまま跳躍する。紙一重の差で、テオドルスの放った銃弾の一発目を
それを、雪華煌めく盾が防いだ。
「エド、行って!」
金剛石を打ったラナが叫ぶ。同時に、エドは宙空に形成された魔術の盾を踏んでテオドルスの方へ飛び出した。短剣の刃が拳銃を捉え、弾き飛ばす。さらに返す刃がテオドルスの頬を薄く裂き、彼は顔を歪めて指を鳴らした。
『
『
響く合成音は同時、だが事象の展開はテオドルスの方が僅かに早い。白い
ここまで、時間にして十秒足らず。それを逃さず、ラナはアランに向かって真珠を放つ。
『冠するは風
疾風の刃が放たれた。未だ鎖の拘束は健在で、テオドルスの援護もない。
されどアランは、微かに首を傾け、掴んだ真珠に口づける。
『冠するは風 無垢の輝きを以て荒海を裂け』
ラナと一言一句違わぬ詠唱が紡がれた。
『っ、冠するは守護――!』
すんでのところで、ラナは
「やるのならば徹底的にしなさい、ラトラナジュ」
例えば、こんな風に。唇の端を微かに釣り上げ、アランがエドの方に向かって輝石を弾く。
『冠するは楔 万世の輝きを以って繋がれた罪人を貫け』
「っ、エド……!」
詠唱が紡がれ、先端に無数の刃を繋いだ鎖が放たれた。拘束ではなく明確な殺意を持ったそれに、ラナが思わず切羽詰まった声を上げる。振り返ったエドの手が仮面のこめかみへと伸びる。
「そうはさせねぇぜ?」
盾の向こうでテオドルスが笑い、再び指を鳴らした。
『
合成音。舞い降りた新たな白鴉が
踊り場が軋み、音を立てて崩れた。一拍遅れて、細かな破片と共にエドがラナの方まで後退する。だが、仮面の外れた横顔には血が滲み、苦り切った表情が浮かんでいた。
二つ分の足音が響く。崩れた踊り場を背に、アランとテオドルスが近づいてくるのが見える。
男たちのゆったりとした足取りに、ラナは顔を歪めた。指先で宝石を掴む。
『冠するは煙 儚き幻にて万象を
指先で煙水晶が弾け、顕れた黒霧がラナ達の姿を世界から隠す。
*****
「あぁもう! 覚悟はしてたけど、まさかここまでなんてね!」
目くらましのために展開した黒霧の中で、開口一番にラナは腰に手をあて嘆息した。それにエドがほんの少しだけ目を丸くし、次いで小さく笑う。
ラナはじろりとエドを見やった。
「何がおかしいんだい、エド?」
「いや、元気だなと思って」
「なにそれ」
「安心したってことだよ。てっきり落ち込んでるかと思ったから」
「実力差があるのは、百も承知だよ」ラナは腕を組み、大きく息を吐いた。「だからこそ、上手くやらなきゃ」
少なくとも、アランが確率操作を使う素振りはない。代償が大きいせいだろうが、それが分かっただけでも収穫だった。とはいえ、彼の行使する輝石の魔術が厄介であることに変わりはないのだが。
ならば、どうすべきか。考えを巡らせるラナの視界の端で、エドが表情を緩めた。
「……頼もしいな、君は」
「頼もしい、なんて」
妙に気恥ずかしい気持ちになり、ラナは一つ咳払いした。「とにかく」と続けながら、辺りを見回す。
「ヒル先生とマリィさんは予定どおりに行動してるはずだよ。問題はエメリ教授と連絡がつかなくなったことなんだけど、なにか心当たりはあるかい?」
すぐ近くの床に止まった黒鴉へ目を向けつつラナが尋ねれば、エドが表情を引き締めて頷いた。
「白鴉が原因だろうね。仮面も強制的に解除させられたから。
「対抗できそう?」
「出来る。
近づいてきた鴉の尾を引いたエドは、出てきたコードを手早く自身の金属片に
エドの指先がキーボードの上で踊った。画面に白文字を連ねながら、彼は黒灰色の目を細める。
「……ん、これくらいなら予想の範囲内だ。上書きする」
「上書き?」
「プログラムの改変だよ。妨害されるんなら、アイツが手出しできないように変更をかければいい」
こともなげに言いながらも、エドの手は止まらない。ラナは幼馴染をまじまじと見つめ、ほうと息を吐いた。
「もしかしなくても、エドってすごかったり……?」
「そこは素直に褒めてくれると嬉しいんだけど」大げさにムッとした声を出したエドは、そこで少しばかり声を緩めた。「まぁ、どうだろうな。結局はこれも、テオドルス先輩から教えてもらったことだし。そういう意味では、俺は普通だろうね」
「……そっか」
幼馴染の目によぎった郷愁と憧れに気づかぬ振りをして、ラナはそっと頷いた。それを指摘されることを彼は望まないだろう。
謝るだとか、互いのために後悔するだとか、そんな関係はあの夜に置いてきた。自分も、彼も。
黒霧が大きく揺れる。魔術の崩壊を肌で感じ、ラナはわざとらしく息を吐いた。
「相変わらず早いな、アランは。もう少しだけ休憩させてくれてもいいのに」
「嫌なら、今からでも俺に乗り換えてくれてもいいけど?」
「ありがと」
エドの軽口に、ラナは微笑んだ。
「でも大丈夫。あの人に勝って認めてもらうって、ちゃんと決めたから」
「相変わらず、断り方が下手だな」
「ふふ、悪い女だろ?」ラナは軽やかに茶化し、エドを
「三秒」
「三秒なんて、」
息を飲む間に、彼のぬくもりが頬に触れる。骨ばった手がラナの背中を掻き抱く。何かをこらえるような静かな呼吸が一つ落とされる。
そして宣言通りの三秒後、ラナの体は解放された。そろりとラナが顔を上げれば、エドは何事もなかったかのように微笑む。
「行こうか」
優しくも、きっぱりとした声だった。ラナは今更湧き上がった感傷を飲み込んで、エドの目を見て力強く頷く。
「うん。ありがと、エド」
*****
壁に設けられた窓からのぞむ時計台の一階は、ラナによって喚び出された黒霧に包まれている。塔の中をぐるりと回るようにして設けられた階段を登りながら、マリィは荒く息をついた。
自分の足音がうるさい。心臓の音も。さらしの上から胸元を掴めど、マシになるはずもない。戦ってもいないのに不調を訴える体には苦笑いするしかなかった。それでも足を止めるなどという選択肢は浮かばない。
眼下では、ラナが戦っている。彼女を突き動かすのは覚悟だろう。そしてそれを言うなら、マリィにだって覚悟があった。腹なんて、とうの昔にくくったのだ。それが正しいだとか、正しくないだとか、そんなこと関係なく。
後ろを追いかけてくるヒルが息も絶え絶えに問いを飛ばした。
「大丈夫かい、マリィさん……! 体調が悪いとかは……!?」
「っ、だいじょーぶに決まってんだろっ!」マリィはちらと振り返り、重い体に鞭打って無理矢理に笑った。「てかヒル先生も、ちゃんと着いてきてんじゃん! 体力無いって言う割にはさ!」
「や、まぁ、ラナちゃんたちが
階段を登りきったところで、ヒルが声を大きくした。暗がりから鴉の羽ばたきが響く。不自然に乱れる呼吸を無理矢理に吐き出して、マリィは剣の柄へ手を伸ばした。
『
駆動音と共に鞘から刃を抜く。振り向きざま、大剣の一閃が目前に迫った白鴉を数羽まとめて撃墜した。さらに踏み込み、白コートを翻しながら刃を踊らせる。二度目の鴉の大群を叩き落としながら、マリィはヒルを背中に庇った。
「でかいのかますぞ! ヒル先生、次の一発撃ったら走れよ!」
「そ、そんな無茶苦茶な!?」
ヒルの情けない声を無視して、マリィは三度目の鴉の大群を払った刃を床に突き立てる。白鴉の群れがけたたましい鳴き声を上げながら近づく。
『
刃が組み変わり、小ぶりな両刃の剣と為った。それは周囲の空気を揺らめかせながら鳴動し、刹那の間に熱を帯びて純白に輝く。
「道、開けろよ……っ!」
鴉を十分に引きつけたところで、マリィは引き抜いた刃を大ぶりに振るった。放たれた不可視の灼熱の刃が、残った白鴉をまとめて破壊する。その結果を深く観察する余裕もなく、マリィとヒルは慌ただしく廊下を進んだ。白鴉の出どころであろう部屋に飛び込む。
真っ暗な部屋は、青白い光で照らされる。光源は巨大な機械だった。幾つもの歯車が組み合わさって覆われた機体の表面に、青白い光が縦横無尽に走る。鼓動のように明滅する光は、機体中心に描かれた『pleiades』の文字を照らし出していた。
ここが目的の部屋だ。ならば。マリィが我知らず唾を飲み込んだところで、部屋の明かりが一斉に点けられた。眩しさにマリィが腕を目元にかざす。
耳
「まぁ、こんなこったろうとは思ったぜ。お前ら二人が来るのは若干の予想外だったけどさ」
マリィは一つ息を吐き、腕を下ろした。
プレアデス機関を背に、白鴉を従えたテオドルスがゆったりと
隠す気がないのは、タカをくくっているからなのだろう。あるいは、彼自身の甘さなのかもしれない。ここに来るまで、マリィの武器だけは機能したのだから。
「……本当に、そういうとこが放っておけないんだよな」
「マリィ、さん?」
ぽそと呟けば、鞄を両腕に抱えたヒルが不安げに声を上げる。人の良い医者にマリィは微笑んだ。
そして彼女は、剣の切っ先をヒルの持つ鞄に突き立てる。
「え、えええ? マリィさん?」
「悪ぃな、ヒル先生。でも決めたんだ」
目を丸くしたヒルが、鞄を取り落した。彼に怪我はない。けれど鈍い音を立てて床に落ちた鞄からは――正確に言えば、中のパソコンからは薄い煙が上がっている。
「……いや、えーと、マリィさん?」テオドルスも戸惑ったような声を上げた。「お前らは、そこのパソコンを使ってプレアデスを止めに来たんだろ? そうだよな?」
「そうだよ、テオ。それがエメリ教授の計画だった。でも、私がやりたいことじゃない」
マリィは剣を鞘に納めながら、テオドルスの方へ歩き始めた。怪訝な顔をしながら身構える彼の、数歩先で立ち止まる。そういう反応をするなら、はじめから自分たちを本気で止めればいいのに。胸中で呆れながら、マリィは武器をテオドルスの方へ投げてよこした。
受け取ったテオドルスの、顔色が変わった。
「……お前、まさかラナちゃん達を裏切るのか」
「ぶっは。なんでそれを言うのかなぁ、テオ」
マリィはあっけからんと笑った。
「言ったじゃんか。お前が困った時には、真っ先に駆けつけてあげるからな、って」
「困ってねぇよ、別に」
「嘘だね、テオは困ってる」
「俺につくってのが、どういうことか分かってんのか?」
「分かってるに決まってんだろ、テオ」マリィは一段声を落とした。「それよりお前の方こそ、とっとと腹くくれよ。悪事の覚悟は決めれても、たかが女一人との人生の覚悟は決められないってか?」
テオドルスはしばらく顔をしかめていた。だが、マリィが視線をそらさずにいれば、彼は
「……だーもー、めんどくせぇ! なんなんだよ! 俺のこれまでの気遣い、全部台無しじゃねぇか!」
「え、テオ君ったら、気遣いしてくれてたのか?」
「そういうところ! そういうところだよ、マリィさん!?」
テオドルスはひとしきり叫んだ後、大きく溜息をついた。ゆっくりと瞬きし、真剣な表情でマリィの方へ剣を差し出す。
「良いんだな? 俺は凡人なんだから、かっこよく守ってやることなんで出来ねぇぞ?」
「いいよ、それで」マリィは笑った。「ヒロインで彼氏なテオドルス君を守るのが、最強彼女の役目なんだからさ」
剣を掴む。同時に、彼女は振り向きざまに鞘に収まったままの剣を頭上にかざした。
短剣の刃を受け、鈍い衝撃が伝わる。それを無視して腕を振り抜けば、襲撃者は弾かれたように後退し、ヒルのすぐそばに降り立つ。
獣を模した仮面をつけた青年だった。自分と同い年ほどの、けれどどこか弟めいた感じがしてならない彼に向かって、マリィは苦笑しつつ剣の切っ先を向ける。
「てわけだからさ、エド坊。私はテオの味方っつーことで頼むな」
果たしてエドが、どこまで話を聞いていたのかは定かではなかった。それでも彼は、さして驚いた様子もなく肩をすくめる。
「別にいいですよ、そんな気はしてましたし」
「だってよ、テオ? いやぁ、良い後輩じゃん?」
「……いやいや、お前ら本当にどうかしてるぞ」
「どうかしてる原因の人間に言われたくないですね」
テオドルスへ冷ややかに返し、エドがゆったりと身構えた。空気が変わる。手加減なしでやるつもりなのは明白だが、その潔さがいっそマリィには心地良かった。
鈍く痛む心臓を無視して、マリィは剣を鞘から抜く。テオドルスの統べる白鴉が舞い上がる。
それらにしかし、エドは臆すること無く、くるりと回した短剣の切っ先を地面に向けた。
「申し訳ないですが、俺も好きな子の行く道を邪魔されるわけにはいかないので」
晴れ晴れとした微笑と共に前置きし、エドは彼自身の声で静かに言葉を紡ぐ。
『
*****
展開した黒霧は、光まとう風によって引き裂かれた。ラナは身構える。黒霧の残骸と巻き上げられた粉塵で視界が利かない。けれど背後で、小さな笑い声がする。
「薄情なことだ。こんな危険な場所に、君一人を残して行くなんて」
ラナはとっさに飛び退き、伸ばされた腕から逃れた。粉塵の向こうから現れたアランはしかし、さして残念でもなさそうに手をひらりと振る。
「守りに関しては一級品だ、君の魔術は。なかなかどうして、手間取ってしまったよ」
「そりゃどうも。こっちとしては、もう少しだけ足止めできる予定だったんだけど」
「愛しの君を待たせるわけにはいかないさ」アランはにこりと微笑んだまま、その目を細めた。「それで、君はあと幾つ石を持っている?」
腰元の袋に伸ばしていた手を止め、ラナは頬を引きつらせた。
「ねぇそれ、すごく嫌味っぽい質問だね?」
「ちょっとした教育だよ、ラトラナジュ。媒体を使って魔術を発動させるなら、残数を把握しておく必要がある。特に若い魔術師は失念しがちでね」
穏やかに言いながら、アランは
「君が今まで使った石は六個。さぁ、あと何回魔術が撃てるかな」
他人事のように問いかけ、アランは詠唱を紡いだ。その指先で輝石が砕け、ことごとくが無数の色なき刃の破片となってラナへと向かう。
彼女は一歩後ずさりながら、指先に当たったそれを掴んだ。袋がぐっと軽くなる。当然だ。今掴んでいる物を除けば、残る宝石は一種類しかない。
そしてだからこそ、ラナは輝石ではなく、白色に塗装された立方体を掲げる。
『
ラナの指先で、立方体が微かな機械の駆動音を発した。瞬間、彼女の足元から水晶の柱が幾本も立ち上がり、全ての刃を弾き返す。
透明な氷のごとき壁の向こうで、アランが微かに眉をひそめる。それを見やって、ラナは挑戦的に笑った。
「石の心配は不要だよ。さぁアラン、二回戦を始めようじゃないか」
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