# Snake eyes


 共喰いによる教会の襲撃から七日後、三機関会議トライアドで共喰いの運用が正式に決まった。


 それから幾分も経たずして、会場となった時計台の片隅でヒルが赤毛の頭を抱える。


「ああもう、だから上手くいきっこないって言ったじゃないか! エメリ教授の代わりなんて!」

「ねぇちょっと、メソメソしないでよ! 男でしょ!」


 シェリルが腰に手を当てて目くじらを立てる。会議が終わってから合流したとはいえ、彼女の声音にはいささかの配慮もない。


 実に彼女らしい物言いだが、今日のロウガには神経を逆撫さかなでするものでしかなかった。彼の手が知らず知らずに懐の煙草へ伸びたところで、じろりとシェリルの視線が突き刺さる。


「ここ禁煙でしょ」


 ロウガは舌打ちした。


「じゃあ喫煙室に行くとするかね」

「ちょっと刑事さん」


 ぶらりと歩き出したロウガの背後から、シェリル達の足音が聞こえる。


「ねぇ刑事さんってば。煙草なんか吸ってる場合じゃないでしょ? 次の策を考えなくちゃ」

「わぁってるさ、嬢ちゃん。考えてるとも」

「私には自棄ヤケになってるようにも見えるけど?」

「ま、まぁまぁ、二人とも……部外者の僕が言うのもなんだけどさ、さっきの会議では随分と手違いが生じたんだろう? 決して君たちのせいってわけじゃあない」


 鬱陶しい声を無視して、ロウガは人もまばらな時計台の階段を降りる。先程の三機関会議を思い出し、彼は暗澹あんたんたる気持ちになった。


 三機関会議は科学都市サブリエの長であるカディル伯爵、魔術を担う魔術協会ソサリエ、そして科学を司る学術機関アカデミアから成る。懐古症候群トロイメライへの対処は各機関に委ねられているが、過去の記録を遡れば重要な施策については決をとって実行に移されていた。


 ならばとロウガ達が実行したのが、共喰いの採択を否決する策だ。ロウガ自身に議決権はないが、魔術協会の長のヴィンスがいる。学術機関の座は長らく不在だったが、元教授だったエメリを引きずり出せばいい。それで二対一だ。思いついたのはシェリルだったが、なるほど、それは名案だとロウガも膝を叩いた。


 計算違いが生じたのは、その後だ。まず第一に、エメリ元教授はカビ臭い会議への出席を拒否し、代役としてヒルを会議に放り込んだ。それでも彼はよくやった方だ。エメリと名を呼ばれる度に、引きつった笑みを浮かべてくれたのだから。


 決定的だったのは、第二の計算違いの方だ。

 共喰い運用についての議決をとった。その場で、ヴィンスは共喰い肯定に票を入れ、二対一でロウガ達は破れた。


「……そうさ、俺たちのせいじゃあない」階段を降りきって、ロウガは苦々しく呟いた。「どっちかってと、土壇場で俺たちを裏切りやがった神父のせいってわけだわな」


 シェリルが溜息をついた。


「診療所で話した時もそうだったけれど。あの人、なんであんなに共喰いに固執するのかしら」

「知らん。なにか深遠なお考えでもあるんだろうさ。あるいはアラン・スミシーを殺すか否かってのを議題に上げれば肯定したのかもしれんがね」


 嫌悪感からロウガが吐き捨てれば、シェリルとヒルが顔を見合わせる。物いいたげな沈黙は忌々しい。ロウガは乱暴に喫煙室の扉を開けた。


 そして彼は立ち尽くす。

 白煙けぶる狭い部屋の奥、テーブルに体を預けて煙草をふかしていた薄金色の髪の男が笑んだ。


「おや、奇遇だな。刑事殿」

「アラン・スミシー……」ロウガは急速に乾いていく喉をなんとか動かした。「てめぇ、なんでここに……」

「ここは煙草をたしなむための部屋だ。まして三機関会議も無事に終了したのだから、一服したところで文句は言われまい」

「……カディル伯爵から結果を聞いたのか」

「そうだとも。ただの一般人が会議に出席することはできないだろう? 俺は君たちと違って、礼儀をわきまえているのでね」テーブルの上の籠から遊戯用のサイコロを掴み、アランは薄く笑んだ。「ところで刑事殿は煙草を吸わなくていいのか? それとも、またライターでも忘れたか」

「訳の分からねぇことを言うもんじゃねぇぞ」


 ロウガは低く呻いて、拳銃を突きつけた。シェリルとヒルが揃って息を飲む音が聞こえる。アランは冷笑した。


「刑事殿は随分とお怒りのようだ」

「怒るなんてもんじゃねぇ」ロウガは呻いた。「お前さん、自分が何をしたか分かってんだろう? あんたはカディル伯爵と共喰いを創った。教会を襲撃し、その後も断続的に診療所へ共喰いを差し向けている」

「勘違いしてもらっては困るな。共喰いを創りたいと言い出したのはカディル伯爵の方だ。もちろん、教会の襲撃については不幸な事故だったが」紫煙を揺らし、アランは薄く笑んだ。「相対的に見れば、共喰いは君たちに益をもたらす。懐古症候群による驚異から市民を守ることができるのだから」


 アランの振った三つのサイコロが、揃って六の目を示す。彼はつまらなさそうに賽を手のひらに収めた。

 ロウガは奥歯を噛む。


「三十五だ」呻くようにロウガは呟いた。「この数字に覚えはあるか? ここ最近、サブリエで行方不明になっている人数だ。そして共喰いが目撃された回数でもある」

「なんと、それは素晴らしい偶然だな」

「ふざけんな! てめぇ、何が狙いだ。それだけの人間を殺して、一体何を企んでいる!?」

「ラトラナジュを守る。それ以外に何の理由が?」

「んなことをしなくても、お前には彼女を守る力があるだろうが!」

「あぁ、まったくもって笑えもしない冗談だ」アランは金の目を冷ややかに細めた。「奪う側のお前たちが、それを言うのか」


 放たれたサイコロがばらりと音を立て、五のゾロ目を出す。さいは何度も振られた。四、三、二。乾いた音を立ててテーブルに転がる遊具がすべてゾロ目を示す。


 ロウガの背筋が凍った。本能的に引き金にかかった指へ力を込める。銃声。放たれた弾丸はしかし、天井に穴を穿うがつに終わる。


「駄目よ」


 銃を持った腕に取り付いたシェリルが、青い顔でロウガを睨んだ。


「駄目だわ、刑事さん。撃っては駄目」

「っ、シェリル」ロウガは思わず少女を睨みつけた。「邪魔をするもんじゃねぇ! もとより、この男は殺すつもりだったんだ! 大人しく女は引っ込んで、」

「だから駄目なのよ! 気持ちは分かるわ! でも刑事さん、今全然冷静じゃないでしょう! 撃ったら後悔するわよ!」


 シェリルの一喝がロウガを思い切り引っ叩いた。彼女の揺れる瞳に、間抜けな自分の姿が映る。

 白々しくアランが笑った。


「あぁまったくお涙頂戴の陳腐な題目だ。美しいばかりの論理を並び立て、同じ口で俺を殺す算段を話す。そしていずれは、ラトラナジュの死を望むのだろう」

「そんなこと、しないわ」

「皮肉なものだ、小娘。よもやお前の口から、そんな言葉を聞く日が来るとは」


 おもむろにアランがサイコロを地面に落とした。空いた手が装飾腕輪レースブレスレットから宝石を一つ外す。


 ロウガは無駄と知りつつシェリルを自分の方へ抱き寄せた。床の上に転がったサイコロが示すは一のゾロ目。無機質な蛇の目に、ロウガは己の失態を痛感する。


 しかしそこで、アランがロウガの背後を見やって動きを止めた。


「あぁ、ラトラナジュ」


 何かの救いを得たようにアランが呟く。ロウガは驚いて振り返った。

 怯えた目をしたヒルが入り口に立つ。彼が掲げた携帯端末の画面で、ラナが口を開いた。


「ロウガさん達に手を出さないで。彼らは学術機関でも魔術協会でもないだろ」

「愛しい人。君がそれを望むのならば、勿論のことだ」


 アランは無造作に宝石を手放した。輝石が床に当たって乾いた音を立てる中、ロウガ達の横まで歩み寄った彼は両手を広げて顔をほころばせる。


「それにしても待ちわびたよ。この七日間、君を想わない日は一日たりともなかった。それで、どうかな? 君の中で結論は出たか? 俺を選ぶか、否か」


 ラナは一度口を閉じた。目を伏せ、それでも一つ頷く。


「おかげさまで、結論は出たよ」

「素晴らしい」

「でも、そうだね。答えはあんたに会って、直接伝えたいかな」


 少女の申し出に、アランは笑みを浮かべた。


「俺は一向にかまわないさ。そうであるというなら、今すぐにでも君の元を訪ねて、」

「いいえ、アラン。待ち合わせをしよう。二日後の午後三時に、広場の大木の前で」


 アランの金の目が僅かに陰った。流れるように紡がれていた返答が不自然に途切れる。

 ラナは落ち着きを払って言葉を連ねた。


「私は必ず広場に行くよ。だから、それまでは誰にも手を出さないで。ロウガさん達もこのまま解放して。もしも一人でも傷つけたなら、私は絶対にあんたを許さない」

「……随分と可愛らしい願いじゃあないか」

「そう思ってくれたのなら良かった。私はあんたに、ねだっているんだもの」ラナは小さく笑った。「それで? 返答を聞かせてもらえるかい、輝石の魔術師さん」


 アランはしばし瞑目めいもくした。ロウガからすれば、随分と手ぬるい説得だった。こんな幼稚な言葉で、この男が折れるはずがない。ロウガは苦々しく思う。


 だが現実には、アランは肩をすくめただけだった。再び目を開いた彼は、常と変わらぬ笑みを浮かべる。


「構わないさ、ラトラナジュ。俺の全ては君のためにあるのだから」


 ラナがゆっくりと一つ頷く。それを合図に、アランはゆったりと入り口へ歩を進めて部屋を後にした。


 深々と溜息をつき、ヒルがその場に座り込んだ。


「はぁ……これ、なんとかなったってことでいいんだよね……?」


 画面の向こうで、ラナは申し訳無さそうに頭を下げた。


「ごめんね、ヒル先生。こんなことに巻き込んでしまって……でも、おかげで助かった」

「いや、いいんだ。どう考えても、僕に電話をかけるのが正解だったとは思うし……」


 ヒルは身震いした。


「ううう、それにしても、あれがアラン・スミシーかい? 随分不吉な名前だとは思ってたけどさ……本物も得体が知れなさすぎるじゃないか……」

「これしきで情けない声を出してどうするのかね、ヒル・バートン」

「そこはねぎらいの言葉をかけるべきだと思うんですけど、エメリ教授せんせい


 画面の向こうから、エメリの冷ややかな声とエドの遠慮がちな声が飛んでくる。姿は見えないが、ラナの傍に二人がいるのだろう。


 急に現実が戻ってきた感覚がして、ロウガは体中の力を抜いた。腕の中のシェリルと目があう。ロウガと同じく落ち着きを取り戻したらしい彼女は、ぐっと眉根を寄せ、ロウガの頬を思い切り叩いた。


「痛っ……!?」

「自業自得よ。勝手に頭ヘ血をのぼらせて、勝手に馬鹿やろうとしたんだから」


 背を向けたシェリルに、ロウガは痛む頬をさすって苦笑いする。まったくもって、返す言葉がない。

 エメリが嬉々とした声で言った。


「さぁ凡人ども。のんびりと感傷に浸っている余裕はない。一刻も早く診療所に戻ってきたまえ。やることは山のようにある」

「やることって、なんだね? 教授さんよ」

「その頭に詰まってるのはヤニだけかね、能無しの刑事よ」エメリは声音に嘲笑を滲ませた。「無論、我々がアラン・スミシーを止めるのだ。そのためには、貴様ら全員にキリキリと働いてもらわねばな」


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