7-1. 覚悟を決めろ

 教会が焼失して二日が経ち、マリィは小さな診療所の屋上にいた。


 快晴の下、大きく伸びをする。そうすれば、照りつける真夏の太陽にげんなりしたテオドルスの声が足元から響いた。


「いやお前……よくこんなところに長居できるな……」

「んー? 天気いいじゃん。気持ちいいだろ」

「天気が良いにも程があんだろ……焼ける……死ぬ……」


 パソコンを抱え、テオドルスがしおしおと項垂れる。「情けないやつだなー」と茶化しながら、マリィは剣を鞘に収めたまま素振りを始めた。


「そんなに嫌なら、中に入ってればいいじゃん」

「それも無理……あんな葬式みたいな空気のとこにいられっかよ……」

「テオ君ったら我儘なんだからー」

「うるせぇ。それを言ったらマリィ、お前はどうなんだよ」

「どう、ってのは?」

「自分が共喰いの一件に巻き込んだせいで、とか思ってるんじゃねぇだろうな?」


 振り下ろした剣の切っ先が僅かにぶれた。心なしか鋭くなったテオドルスの視線に、マリィは苦笑いする。


「テオって、そういうとこだけは鋭いよな」

「だてにマリィさんの幼馴染をしてるわけじゃないので」

「なんだそれ」

「いつかの仕返しだよ」


 事も無げに言いつつも、テオドルスの深緑色モスグリーンの目はじっとマリィに注がれている。

 夏にしては涼しい風が吹いた。マリィは髪を遊ばせながら、剣の柄に視線を落とす。


「後悔してないって言ったら、嘘かな」

「ほれみろ」

「はは。でも、言い出した張本人だからこそ、つけなきゃいけないケジメってもんがあるだろ?」

「だからこうやって、診療所を共喰いから守ってるってか?」

「そ。エド坊もラナちゃんも、それどころじゃないだろうしな」

「……お前も、あんまり体は丈夫じゃねぇだろ」


 ぼそりと呟くテオドルスに、マリィは目元を緩めた。この幼馴染は、本当に心配性で、優しい。詰めが甘いところが玉にきずだけれど。

 そういうところが好きなんだよなぁ、と思いながら、マリィは己の胸を軽く叩いて口を開いた。


「大丈夫大丈夫。私の心臓は特別製だからさ。それに、エド坊達だけじゃなくて、テオを守るってのも私の役目だし」

「いや、あの、マリィさん……? そこは一応俺がお前を助ける……みたいな台詞を言うところなのでは……?」

「え? だってお前、戦えねーじゃん」


 テオが複雑な顔をして頭を抱えた。


「……いやまぁそうだけど……そうだけどさぁ……? 俺にも彼氏のメンツっつーかな……?」

「なはは! 私がヒーローで最強彼女ってことでいいだろ! ヒロインで彼氏なテオドルス君は大船に乗ったつもりでいてくれたまえ! お前が困った時には、真っ先に駆けつけてあげるからなー!」


 マリィは明るく言い切って立ち上がった。屋上から町並みを見下ろす。遠く、人ならざるモノの影があった。テオドルスも気づいたのか、パソコンを開きながら面倒くさそうに呻く。


「まぁた共喰いかよ。少しは休ませろっての」

「そういう話を聞いてくれりゃ楽なんだけどなー。あ、でも共喰いの制御方法が分かったってんなら、ちょっとは話が通じるのか?」

「通じねぇだろ。アレは特定の音で行動に指向性をもたせてるだけなんだから」

「そっかー、それは残念」


 マリィは呵々かかと笑って剣を抜いた。機械合成された女性の声と共に、細身の刃が組み変わり幅広の刃を持つ大剣クレイモアとなる。

 それを担ぎ、マリィは両足に力を込めた。


「それじゃ、いつものとおりにサポートよろしく。テオ」

「おうおう、無理はすんなよ」

「分かってるって」


 軽く笑い、マリィは白コートをひるがえして屋上を蹴った。


 *****


  マリィが共喰いを迎え撃つ。にわかに騒がしくなった外の音が、エメリの書斎に陰鬱に響いた。


 ラナはそろりと部屋を見回す。集まった面子は実に奇妙な取り合わせだ。傍観を決め込んでデスクトップのキーボードを叩くエメリの他に、エド、アイシャ、ヴィンス。そしてラナ達を心配して訪ねてきたシェリル。


 一様に浮かない顔をするラナ達の中心で、これまた浮かない顔をしたロウガが安い煙草を揺らしながら部屋の真ん中を行きつ戻りつする。


「最悪ってぇやつだねェ。あぁもう全く本当に」


 ラナは顔を曇らせた。まさに、ロウガの一言に尽きる。魔術協会ソサリエの建物は消失した。その日を境に、共喰いがヒルの診療所を執拗しつように襲うようになった。今はマリィ達のおかげで被害はないが、それもいつまで続くか分からない。


 ラナは息をついて壁に寄りかかった。隣に立つシェリルが顔を曇らせる。


「ねぇ、ラナ。大丈夫?」

「……大丈夫、だよ。たぶん」眉をひそめるシェリルに向かって、ラナは慌てて笑みを浮かべた。「それよりも来てくれてありがとう。お店の方はいいのかい?」

「お店なんて、どうとでもなるわよ! あんたとアイシャに比べたら、少しだって大切じゃないわ。仕事が遅い刑事さんにしては珍しく、私にとっとと連絡してくれたしね」


 シェリルが冗談めかして肩をすくめる。ロウガが居心地悪そうに咳払いし、「いずれにせよ、だ」と切り出した。


「共喰いを使って教会を襲ったのは、カディル伯爵とアラン・スミシーだ。まずもって、それが事実としてある」

「その点について、魔術協会の人間に意見を聞きたいところだな」未だ本調子ではないエドが、疲れの滲む声で問いかけた。「教会は共喰いに襲われた。あれの原因はなんだったんだ?」


 アイシャがふるりと体を震わせた。


「分からない、ですにゃ……。気づいたら教会が燃えてて……共喰いが、いて……」アイシャの傷だらけの手が、ニャン太の灰色の体躯に沈んだ。「カディル伯爵が、いたんですにゃ。いつの間にか」

「なぁ、お嬢ちゃん。答えにくかったらいいんだが……嬢ちゃんの姓はカディルだよな?」

「そ、れは……」

「あ、アイシャ・カディルはカディル伯爵の失敗作だ」


 唇を引き結んだアイシャの代わりに、椅子に腰掛けたヴィンスが口を開いた。


「く、詳しいことはエドナにでも聞け。ど、どうせ、小娘は何も覚えてないだろう」

「おいおい、神父さん。そいつぁ、あんまりな言い方じゃないかね?」

「そ、そこの小娘の血縁関係など、どうでもいいことだろう。ろ、ロウガ・ヨゼフ刑事。い、いずれにせよ我ら魔術協会は被害者なのだ。そ、それをいたわり、犯人を断罪するのが君たちの唯一できる仕事じゃないか」


 ヴィンスが携帯端末の背を忙しなく叩きながらぼやく。ロウガが顔をしかめた。


「お言葉だがねぇ、神父さん。あんたらの行動だって腑に落ちねぇところがあるんだぞ。あんなに山程の共喰いが来てたのに、なんで通報の一つもよこさなかったんだ?」

「と、共喰いの保護は、我らの使命だ」

「はぁ? あんたらは共喰いに襲われたんだろう? なら、それを守る道理なんてねぇだろうがよ」

「か、カディルに従えと、指示があった」ヴィンスは淡々と繰り返した。「そ、それに従い共喰いを教会に受け入れたが、直後にそれが暴走した」

「プレアデスからの指示か。それは」


 エドが吐き捨てた。ヴィンスは僅かに顔を上げ、黒髪の奥から厳しい視線を送る。


「か、軽々しく、その名を口にするなよ。え、エドワード・リンネウス」

「敬愛する神だからか? 笑わせてくれるなよ」エドは冷ややかに応じた。「共喰いの肩を持つなんて、少し考えればおかしいって分かるはずだろう。何も考えずに従うからこうなるんだ」

「ぷ、プレアデス機関が間違えることなどありえない」ヴィンスは深緑色の目を苛烈に光らせ立ち上がった。「ふ、不確定因子があったとすれば、アラン・スミシーだろう! あ、あの男が現れ、共喰いを操って我らを襲撃した! な、なれば我々がすべきは、こんなところで呑気に話すことではない! あ、あの男を排除することじゃないか!?」


 熱を帯びたヴィンスの声に、一同は黙り込んだ。沈黙は重く、エメリが淡々と叩くキーボードの音だけが響く。

 ややあって、ロウガが乱暴に息をつきながら呟いた。


「まぁ、そうだわな」


 何気ない一言はやけに冷たく、氷塊となってごろりとラナの腹底に転がる。


 ロウガの言葉を皮切りに、エドとヴィンスがぽつぽつと話を始めた。アラン・スミシーを殺す算段を。そう、殺すのだ。説得はできない。魔術協会も学術機関アカデミアも不要。そう言ってのけたアランの決意の固さは、何よりもラナが感じたことだ。不要というのならば、彼は確実に排除しに来る。だから彼を止めるしか無い。


 その息の根を止めて。殺すことで。


 殺す、なんて。


「……いや、だ」


 ラナはぽつと呟いた。周囲の視線が一斉に突き刺さる。それでも、一度動き出した口は止まらなかった。


「いやだ……殺したくない。彼を、傷つけたくない」

「ラナ……」

「わかってるよ! 皆の気持ちは……! でも……っ!」


 たしなめるようなシェリルの声に、ラナは喉を震わせた。


「でも……、本当にそれしかないのかい? アランを殺すしかないの?」

「分かってくれ、ラナ」エドが厳しい声で言った。「殺すつもりでやらなきゃ、こっちが殺される。あれがそういう男だって、君なら分かるだろ」

「それは……っ、そうかもしれないけど……っ!」

「ラナ、いい加減に目を覚ましなさい」


 シェリルがラナの両腕を掴んだ。案じるような目がラナを覗き込む。


「あんたの人の良さは知ってるわ。自分と親しい人間が殺されるって、それに平気でいられるわけがないのも分かってる。でもね、部外者の私から見ても、あの男は危険よ。これ以上、関わらない方がいい」

「でも」

「ラナ、あんたは普通の人間なのよ!」シェリルは少しばかり声を大きくした。「ねぇ、ちっとも特別なんかじゃないの! 無理をして、傷つく必要なんてどこにもないわ! 背伸びなんてする必要ないの! 今回のことだって、別にあんたが頑張らなくてもいいのよ!」

「っ、じゃあ!」


 自分を揺さぶる親友の目に涙が浮かんでいる。そうと知りながらも、ラナはたまらず声を張り上げた。


「じゃあ、アランを見殺しにしろっていうのかい!? 今までのことを全部なかったことにして!?」

「……そうよ」ややあって、シェリルは青い顔で大きく頷いた。「そっちの方が絶対にあんたは幸せになれる」


 吸い込んだ空気が、きりりとラナの胸を軋ませた。


 誰かを殺すことを、親友に肯定させる自分が情けなかった。

 誰かを殺すことに、覚悟を決められない自分が腹立たしかった。

 部屋の空気は刺々しく、そうさせているのは他ならぬ自分だ。


 あんたは、我儘わがままだよ。夢の中の自分が、暗い顔をしてささやいた。


 あんたが選べないから、こうやって皆を困らせる。早く選びなよ。アランと共に歩みたいのなら、全てを捨てて彼の元に行けばいい。エド達と共に生きたいのなら、アランのことを忘れ去ってしまえばいい。どちらも選べないのなら、いっそ自分なんて世界から消え去ってしまうべきだ。たったそれだけの簡単なことじゃないか。


 それだけで、幸せになれるのだ。きっと。

 それが、選ぶべき幸せの結末で。


「違う」ラナは弱々しく首を振った。「違うよ……ごめん……ごめんなさい……でも私は、やっぱり殺したくない……」

「…………」

「おかしいって分かってる。一番弱い私が、こんなことを言う権利がないことも。でも、私は彼のことを諦められない……諦めたくないんだよ」


 アランの元に向かうことも、エド達と共に生きることも、二つの選択肢を諦めることも、どれも選べなかった。だって、そうすれば誰かが必ず不幸になってしまう。そんなの、選択できるわけがない。選べるはずがない。


 だって、幸せだったじゃないか。アランと、エドと……誰も彼もと、過ごしたこの世界は、とても。


 ラナは乱暴に涙をぬぐった。およそ肯定的とは言えない空気の中で、それでも一人ひとりを見渡して、ゆっくりと頭を下げる。


「馬鹿にしてくれていい。呆れてもらって構わない。それでも、お願い……お願い、します。私に力を貸して。アランを助けて、私達も助かる。その方法を探させて」


 しばし沈黙が落ちた。最初に静寂を破ったのはヴィンスだった。馬鹿らしいと呟いて部屋を出ていく。足音が、二つ、三つと続いた。


「ラナ」シェリルは気遣いと柔らかな否定を滲ませて呟いた。「私、アイシャの様子を見てくるわ。その話は……あんたがもう少し休んで、落ち着いてからにしましょう」


 そしてまた、彼女も、去る。


 部屋は静かになった。ラナが顔を上げた時、目の前には誰もいなかった。傍らにはエドの姿があったが、彼もまた、憂いを帯びた目を何度も瞬いている。


 ラナは静かに息を吐いた。ゆるりと首を振り、安心させるように微笑んで、エドの腕を軽く叩く。


「そんな顔しないで、エド」

「ラナ……でも……」

「皆を説得できるように、ちゃんと話を考えなくちゃね。悪いけど、エドも付き合って」


 物言いたげな顔をするエドに気づかぬふりをして、半ば無理矢理に彼を部屋の外に出した。


 彼が振り返る。その前に、ラナは一度だけ扉を閉めて、こぼれそうになる涙を鼻をすすって誤魔化した。そう、簡単にいくはずがない。そしてだからこそ、上手く行かせなくては。


 泣くのはこれきりと、ラナは強く思って顔を上げた。そこで、エメリの馬鹿にしたような声が飛んでくる。


「くだらん三文芝居だったな」


 ラナはドアノブにかけた手を止めた。キーボードを叩く老獪ろうかいの教授を睨む。


「芝居、とかじゃないんだけど」

「なんと、あれで本気だったというのか?」エメリは鼻先で笑い飛ばした。「だとすれば、なおのこと酷いものだ。情に訴える提案など、この世で最も聞くに堪えないものだというのに」

「……あぁそう、悪かったね」


 ラナは苛々とドアノブをひねる。けれどそこでふと、閃くものがあった。


 改めて、エメリの方を見やる。食えない教授だった。性格の悪さも、軽々しく命を扱う態度も、どれをとっても気に食わない。日記に綴られた彼の言動を見ても、その思考が過激であることは容易に想像がつく。


 それでも、この男は天才だ。アラン・スミシーと渡り合える程度には。


 動きを止めたラナに、エメリが迷惑そうな声を上げた。


「用が済んだのなら早く出ていきたまえ」

「……用なら、今出来たよ」

「くだらん。お前の目は節穴か? お優しい仲間は全て部屋の外だろう」

「いいえ、私はあんたに用がある」


 覚悟を決めろ。使えるものは全て使うんだ。ラナは己に言い聞かせて、エメリをまっすぐに見つめた。


「――エメリ教授、私と取引しよう」

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