Stand alone -2-


 広場に残った痕跡を辿り、行き着いた先は時計台だった。何もかもが朽ちかけた街において、異様なまでに劣化の見られない建物の内部を進み、誰に見咎められることもないまま最上階に進む。


 悪魔を真っ先に出迎えたのは巨大な機械だった。円盤を組み合わせたそれは、暗い部屋で鼓動のように基盤を明滅させている。部屋の片隅には、黒髪に深緑色の目をした祭祀男が二人。


 そしてラナは、部屋の中央でぼんやりと機械を眺めていた。


「自分から約束をしておいて破るとは、いい度胸じゃあないか。ラナ」


 悪魔の冷ややかな声に、ラナは黒灰色の髪を揺らして振り返った。両腕を組む悪魔にしかし、彼女はぎこちなく笑む。


「驚くかなと思って」

「思ってもいないことをよく言う」

「そう、だね」ラナは目を伏せた。「本当は時間が来たんだ」


 悪魔は眉をひそめた。

 そこで巨大な機械が明滅し、「肯定である」と機械じみた音声を吐き出す。


「時は来た。ゆえにラトラナジュはここに足を運び、お前をここまで導いた。全て計画通りである」

「……これはこれは驚いた」悪魔は機械を睨めつけた。「噂の人工知能が口を利くとは」

「茶化さないで」


 ラナにたしなめられ、悪魔は閉口する。一体いつから君はそちら側の人間になったのだ。実に気に入らない。

 そして、目の前の機械が――プレアデス機関が話し始めた内容も、まったくもって気に入らないものだった。


「悪魔よ、貴殿に要請するは唯一つ。世界を救っていただきたい」

「断る」

「その回答は貴殿の選択肢として存在しない」

「馬鹿なことを。悪魔は何者にも縛られない。貴様のような機械には理解できないことだろうがな」

「否定である。貴殿は契約に縛られる。そして当機関はそのことを熟知している。人間よりも、悪魔よりも」

「はっ、随分と大言壮語を叩く」


 馬鹿らしい。悪魔はやれやれと首を振った。とんだ茶番だった。部屋の片隅でじっと動かぬ祭祀服の守り人たちを睥睨する。悪魔と先ほど相対した男は真っ向から彼の視線を受けて立ち、もう片方の男は居心地悪そうに目をそらした。

 意思の統制もとれないとは、随分とお粗末なものだ。そんな冷ややかな悪魔の視線もよそに、プレアデスは淡々と言葉を応じた。


「訂正を要求する。これは奢りではなく事実である。魔術の理を学習し、科学によって人智を超えた力をも再現して世界を救う。この概念コンセプトに沿って、当機関は三つの計画を策定し、既に二つを実行に移している。第一計画は時計台の設立。第二計画はクローン技術を用いた魔術師の生産。第三計画は世界を救う力をもった悪魔の作成」

「悪魔を作るなど、実に愚かな考えだよ。そもそも我々は、存在からしてお前達とは違、」

「先の二つの計画に比べれば容易である。当機関が悪魔を召喚し、願いを捧げて契約すればいい」


 悪魔はぴたりと口を閉ざした。プレアデスは基盤をゆったりと明滅させる。


「人間が願いと共に悪魔へ供物を捧げ、悪魔は願いと供物を喰らって人間に力を与える。契約とは本来そういうものだろう? 未契約の悪魔殿」

「……まさか、お前が俺を喚んだのか」

「肯定である」


 温度のない回答に、悪魔の肌があわ立った。


「ありえない」

「否定である。魔術師側から提供された資料を読む限り、定められた手順を踏めば人間でなくとも悪魔召喚は可能である。そしてそれは、貴殿の存在により実証された」

「お前には願いがない」

「否定である。当機関の存在意義は人類を存続させること。これは当機関の本体と引き換えにしてでも達成すべき願いミッションである」

「例えそうであったとしても」悪魔は語気を強めた。「お前には捧げるべき供物がないだろう」


 供物とは代償だ。人間が真に大切と願うもの。それを引き換えにしてでも願いを叶えたいという矛盾した意思が悪魔を強く縛るのだ。

 けれどどうだ。この機械にはそれがない。強いて言うならば人類そのものだろうが、それではかの機関の存在意義と矛盾する。


 解決の糸口を見たかのようだった。あぁそうだ。ゆえにお前は俺と契約など出来ない。瞬きの間に落ち着きを取り戻し、悪魔は傲岸不遜に言い放とうとする。

 それはしかし、ずっと黙り込んでいた彼女の声で遮られた。


「供物は、私だよ」


 静かに言って、ラナが一歩進み出る。悪魔の顔から血の気が引いた。一体何を言っているのか、愚かにも理解できなかった。


 歯車の軋む音が時計台中に響く。遠く雨音が聞こえる。そうしてやっと、悪魔は唇をわななかせた。


「……ありえない」

「否定する」プレアデス機関は応じた。「かの娘が供物である」

「お前とラナの間に、なんの関係があるというんだ。そもそも彼女は、お前が守るべきと定めた人間だろう!」

「その言葉の通りである」


 プレアデスは静かに脈動し、青白い光をラナの黒灰色の髪にふりかけた。


「彼女は人間である。同時に、数が激減した魔術師の家系でもある。現時点でこれほどに希少価値の高い人類の個体はいない。ゆえに当機関はこの娘を供物として貴殿に捧げる。そしてこれが重要な個体であると、貴殿自身も認識している」


 部屋の隅でじっとしていた祭祀服の男が動いた。恭しく捧げ持った短剣をラナへ差し出す。

 彼女は小さく頷いてそれを受け取った。迷いなどない。そうであるがゆえに、悪魔は愕然とする。


 全ては仕組まれていたのだ。彼女と自分の出会いは偶然ではなかった。悪魔が一人の娘に執着するよう仕向けられたのだ。動機は違えど、プレアデスと悪魔の間で、供物の対象が一致するように。


「……ふざけるなよ」


 悪魔はぎりと歯を鳴らした。足早にラナへ歩み寄る。見下ろした先で、彼女がびくと体を震わせた。


「君は、それでいいのか。ラナ」悪魔は詰問する。「分かっているのか? 君は死ぬんだぞ。こんな馬鹿げた理論につきあわされて」

「……いい、よ」

「良くないだろう! ならばなぜ、そんなに体を震わせている!?」

「いいんだよ!」


 ラナは短剣の柄を握りしめ、頭を激しく振った。


「だって、最初からこうするって決まってたんだもの……! 私なんかの命で、この世界が救われるなら、それで……!」

「救われるはずがないだろう!」


 悪魔はラナの体を両手で掴んだ。涙をたたえた彼女の黒灰色の目。そこに映る己はみっともないほどに顔を歪めている。


「言ったはずだ、ラナ。人間一人の命で救えるほど、この世界は安くない。君が、君一人を犠牲にしたところで、何一つ変わらない」

「……変わるよ」ラナは蒼白な顔で呟いた。「変わる。プレアデスがそう結論を出して、」

「ならば、どうして俺に願わない!?」


 悪魔はラナの体を揺さぶった。見開かれた彼女の目から何かが溢れる。その唇が引き結ばれる。それでも悪魔は、言わざるをえなかった。すがるように言うしかなかった。


「世界を救えと、俺に願え。同じことだ。君と俺で契約を結ぶ。君は生き、俺が世界を救う。それでいいじゃないか」

「……願い」

「そうだ。世界を救いたくないならば、ここから逃がせと命じるのでもいい。こいつらを破壊するだけの力を望むのでも。世界のことなど忘れたいと言うならば、それさえも叶えようじゃないか。君だけの箱庭を贈ろう。それだって俺には造作ない」


 だから、どうか。言葉にならぬ想いに悪魔の胸が軋む。彼の存在が悲鳴を上げていた。願うのは人間であって悪魔ではない。彼を規定する根源が崩れ落ちようとしている。そうと分かれど、止めることなど出来なかった。


 ラナが顔を俯ける。沈黙は永遠のようにも思われた。


「なら、ね。名無しの悪魔さん」


 ややあって、ラナが静かに身をよじる。そうして悪魔の拘束から逃れた彼女は、片足一つ分だけ後ずさって悪魔を見上げた。


 その顔に浮かぶ微笑みに、やっと彼女は願いを告げてくれるのだと、悪魔は安堵して。


「名前を、呼んで」


 告げられたささやかな願いに、悪魔の思考が止まる。呼吸が止まる。そうして薄く開かれた唇から、たった一つの言葉が溢れる。


「……ラナ」

「……うん」


 ラナは目を細めた。嬉しげに。けれど寂しげに。


「     」


 何かを呟いて、彼女は己の胸元に短剣を突き立てる。


 鮮血が散った。彼女の体が傾いで崩れた。それを悪魔は見守ることしか出来なかった。

 生ぬるい液体が悪魔の頬にかかり、生臭い臭いが鼻腔に絡みつく。


「――我らが至高の供物は捧げられた」


 形ばかりのプレアデス機関の声が、ざらりと悪魔の耳を揺らす。


「約定通り、当機関は貴殿との契約を望む。我が願うは人類の救済。汝が成すべきは――」


 聞き慣れた契約の声が通り過ぎていく。忌々しいそれが悪魔の魂に絡みつき縛ろうとする。そう、たしかに契約は成立したのだ。たとえどれほど歪で不条理に見えても、人工知能は憎らしいほどに正しく手順を踏んでいる。そして悪魔はそれに従わねばならない。そういう生き物だ。そういう存在だ。それこそが絶対のルールで。


 そこで、悪魔の目が留まった。

 見覚えのある小さなガラス玉が、血溜まりに沈んでいる。


 綺麗だねぇ。夕焼けに染まる世界で、そう言って微笑む彼女が浮かんで消えた。


「……あぁ」


 悪魔は呻いて、ふらりとラナの元へ向かった。


 部屋中に響く無機質な誓約の声が彼の足を鈍らせる。けれどそれを無視して、気づかぬふりをして、己の意思の力だけで悪魔は倒れ込むように少女のもとへ辿り着く。


 血で汚れるのにも構わず抱き起こした。赤に染まった手で彼女の頬を撫でた。胸が、ひどく軋む。それでも悪魔は笑む。


「愚かだな、君は。ちゃんと供物を用意していたじゃないか」


 乾いた声で言って、悪魔は彼女の手にガラス玉を握らせた。供物ではないと、彼女ならすぐに否定しただろう。けれどそんなことは、今の悪魔にはどうでもいいことだった。


 歪でも不条理でも、手順を踏めば契は結べる。ならば。


 悪魔は願う。彼女の身体を抱きしめる。口づけ一つで幸せな結末を迎えられると、他愛もない夢をかたる彼女の声を思い出す。


「汝が願いは生きること。捧げられし供物はガラス玉。我は汝の全てを喰らい、契を結ぶ」


 体中が悲鳴を上げた。悪魔の周囲の空気が軋む。相容れぬ二つの契約が悪魔の身を裂こうとする。それをしかしねじ伏せて、悪魔は熱を失う彼女の唇へ口づけた。


 ガラス玉が月白の光を放つ。二人を中心に風が起こり、燐光を巻き上げ吹き荒れる。


「――契約の破棄を確認」


 時計台の鐘が鳴り始める中、プレアデス機関が歯車を鳴らして声を吐き出す。


「西暦2078年9月23日15時00分、供物に輝石の魔術の発現を確認。同日15時01分 計画の修正を許可。当機関による契約を断念。同日15時02分。悪魔の力の発現を確認。当初予定通りのため、これより人類救済計画を最終段階へ、」

「わめくな。機械風情が」


 光の渦の中心で悪魔は低く呻いた。


 悪魔としての力が満ちているのを彼は感じた。それをそのまま、彼女のために行使する。周囲の空気が歪み、悪魔と少女を次なる世界へ連れ去ろうとする。


 そうしながら悪魔はゆっくりと顔を上げた。


「プレアデスよ。覚えておくがいい。俺はお前を、断じて許さない」


 星の名を冠する神。それを見据える悪魔の双眸が、黒灰色から金色に変わる。

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