# 強襲

「エメリ・ヴィンチって……」ロウガは呆然と呟いた。「そいつぁ本当ですかい? いやだが……まさか……偶然にも程がある……」


 ヴィンスは思い出すのも不愉快なのか口をつぐんでいる。それをじっと見つめながら、アランは顎に手を当てた。


 この神父の言うことが真実ならば、人工知能は奪われた。そして妙な薬によって懐古症候群トロイメライの数が増えている。そのどちらもに関わっているのがエメリ・ヴィンチだ。アランの仮説は呆気なく証明された。それはまだいい。考えるべきは、その先だ。


 エメリ・ヴィンチは何をしようとしているのか。


 偶然とは思えない。そう呟いたのはヴィンスだった。


「と、懐古症候群の数を増やす薬と、懐古症候群の数を抑えるために使うプレアデス機関。そ、そのどちらもがエメリ・ヴィンチの手元にある」

「そうか」ロウガはハッとしたように顔を上げた。「つまり、エメリは懐古症候群の数を増やしたいがために、プレアデス機関をあんたたちから奪った。そうとも考えられるわけだ」

「じゅ、十分にありうる話だろうな」

「ってことは、俺達がエメリの野郎をとっ捕まえれば、万事解決ってわけじゃないかい?」


 アランは目を細めた。エメリを倒し、プレアデス機関を取り戻す。ロウガの言うことに間違いはない。だが、妙な違和感があるのは何故なのか。


 そこで何かが砕ける澄んだ音が響いた。


 ヴィンスが弾かれたように顔を上げる。アランも眉を潜めた。この音には聞き覚えがある。

 ロウガは不安げに二人を見やった。


「どうしたんですかい、二人とも……?」

「……結界が破られたな」


 アラン達を押しのけるようにして、ヴィンスが教会の外に飛び出した。彼の後を追いかけながら、ロウガは戸惑いの声を上げる。


「ちょいと魔術師さんよ! 結界ってのはどういうことで?」

「目に見えない盾のようなものだな。あらゆる攻撃を防ぎ、教会を守る。特に懐古症候群のような異能を相手にする際には有効な術だ」

「んんん? じゃあ、その結界が壊れたってことは、懐古症候群に攻撃されたってことなのか?」


 アランは目を曇らせた。常識的に考えれば是だ。だが、ヴィンスの扱う結界術はずば抜けた強度を誇る。アランの知る限り、この教会に張った結界が破られたことなど一度もない。


 三人は、そのまま表通りに出た。教会をぐるりと巡る道を足早に辿ったヴィンスは、しばらくして何かを拾い上げる。


 掌に収まるくらいの、黒い小石だ。表面に文字が刻まれている。ヴィンスの結界術に用いられる触媒に違いなかった。


 それが、真っ二つに割れている。ロウガがくしゃくしゃになったハンカチで額を拭きながら呟いた。


「……割れてるな」


 夜霧の中から足音が響いた。


 アラン達は顔を上げる。足音は規則正しく、杖で地面を鳴らす音が混じる。急ぐでもなく勿体ぶるでもなく、一人の男がゆらりと姿を現した。


 白髪に鷲鼻。眼鏡の奥で油断なく光る青鈍色アイアンブルーの目。その肩に止まるは一羽のカラス


「こんばんは、諸君」杖で地面を叩いた男は、唇の端を吊り上げた。「おやおや、揃いも揃って呆けた顔をしているが、大丈夫かね?」


 ロウガが尻込みしながら、男を見つめた。


「エメリ……ヴィンチ……なんであんたがここに」

「陳腐な質問だ」エメリの目が馬鹿にしたように光った。「なぜかと問われれば用があるからに決まっているだろう? ちょうど君たちと同じように」

「くっ……」

「だが、まぁ、ちょうどよかったんじゃないかね。君たちは私に用がある。そして私は君たちに用がある。双方ともに利益しかない。素晴らしく機能的な関係性だ」

「御託は結構だ。エメリ・ヴィンチ」


 アランはゆったりと身構えながら、老いた教授を見やった。


「用があるというのならば、そちらから話してもらおうか?」

「そう警戒せずとも」エメリは肩をすくめる。「アラン・スミシー、君に二つほど提案があってね。なに、さして難しい要求じゃあない。君が一つ頷いてくれれば、それで私も立ち去ろう」

「手短に」

「ラトラナジュ・ルーウィの所持する懐古時計を貰い受けたい」

「断る」

「そうか」


 エメリは気を悪くした風もなく、身体を僅かに傾けた。


「ならば、アラン・スミシー。君は我々の成すことを黙って傍観していてくれたまえ」


 かんっ、とエメリの杖が地面を叩いた。肩の上の鴉が鋭い鳴き声を上げる。

 夜霧がうごめいた。ぽつぽつと、アラン達を囲むように人影が現れる。それは文字通りの影だった。人の形は成している。けれど顔はなく、頭から爪先まで漆黒で覆われている。


 悲鳴を上げるロウガを、ヴィンスが後ろに追いやった。


「な、なんだってんだ、これは……!?」

「と、懐古症候群――いや、この数からするに共感者か。そ、それにしては随分統率がとれているようだが」

「薬でもキメているんだろうさ、神父殿。そこの教授がやりそうなことだ」

「……や、厄介事を」吐き捨てるように呟いたヴィンスは、おもむろに携帯端末を取り出し顔を曇らせた。「しゅ、周到なことだな。う、裏手にもこいつらがいるらしい」

「呑気に話してる場合じゃないだろうが!?」


 ロウガのひっくり返った声を皮切りに人影が動き出す。

 アランは一歩前へ踏み出した。懐から取り出した橄欖石オリビンに口づけ、指先で擦る。


『冠するは太陽 恐れを退け宵闇を散らせ』


 微かな音と共に黄緑色の石が砕けた。


 光をまとった風が吹き荒れ、それに触れた傍から人影が消滅していく。ロウガの怯えきった声とヴィンスの詠唱。背後で響くそれに頓着することなく、アランは素早くエメリとの距離を詰めた。


 エメリが目を細める。


「ふむ、なかなか興味深い現象だな。光る風――いや、本体は光そのものか。強い光源で影を消滅させるといったところかね?」

「教授は随分と余裕がおありのようだ」アランは失笑し、電気石トルマリンに口づける。「身一つで俺の前に現れるということの意味が分かっているのか?」


 アランの詠唱と共に、稲妻が放たれる。分岐した紫紺の光はエメリの姿を捉え、そして次の瞬間、男の姿がかき消えた。


 幻影。アランが眉をひそめる間にもエメリの声が周囲に木霊する。


「君こそ余裕と油断の区別がついていないようだが、大丈夫かね?」


 騒々しい羽ばたきの音が響いた。アランは舌打ちし、羽織った上着を脱ぎ捨てながら後退する。


 一拍遅れて、上着が細切れになった。アランの目に映ったのは無数の黒い羽だ。いや、鋭さという一点だけで見れば、刃そのものか。


 教会の入り口を守るように結界を張っていたヴィンスが鼻を鳴らす。


「じ、実体があるぞ。あ、あの鴉には」

「そのようだな。それにあのエメリ・ヴィンチも幻影らしい」

「ま、まったく。た、たかが学術機関アカデミアの男に手も足も出ないとは」ヴィンスが顔をしかめた。「お、お前といい、ここの刑事といい、てんで使い物にならない」

「そいつぁ、あんまりな言い方じゃないかい!? 神父さんよ!」


 ヴィンスの背後で、ロウガが首をすくめながら反論する。


「俺はあんたたちと違って懐古症候群とやりあった経験はないんだからよ!」

「そ、その腰についている拳銃は飾りか? う、撃てばいいじゃないか」

「一般市民相手に拳銃撃ったら逮捕だっての!」

「騒がしいぞ」


 アランは吐き捨て、近づいてきた人影へ楔石スフェーンを放った。十数の影は一斉に動きを止め、アランの合図と共に砕けた輝石の欠片に貫かれる。


 星のような煌めきの最中、アランの耳が再び羽音を拾った。迷いなく、彼はヴィンス達を盾にするようにして身をかわす。


 ヴィンスが悪態をつき、小石を放った。


『悠久のとりで 王去りし後もそのを護る』


 宙空の石が陣を結び、さらなる結界を産む。それに阻まれる黒翼を一瞥して、アランは周囲を見渡した。


 懐古症候群が由来と思しき黒い人影。先の見通せぬ夜霧。鴉を肩に止まらせたエメリは、変わらず薄く笑みを浮かべている。あれが本体か。いや、そうは思えない。残る輝石の数は三つ。装飾腕輪レースブレスレットは無いが、魔術の発動に今の所問題はない。この状況で、次に打つべき手はどれか。


「魔術師の旦那!」


 いちいち上がるロウガの悲鳴は鬱陶しい以外の何者でもなかった。アランは息をつき、背後を振り返る。

 襲いかかる人影に、彼は金の目を剣呑に眇めた。真珠と橄欖石を合わせて掴む。


『清廉なる風は曇天を裂き』二つの輝石に口づけ、アランは指先を動かした。『無垢の光によりて一切を討ち祓え』


 二つの輝石が砕け、混じり合う。


 轟音と共に疾風が起こった。近づいてきた人影ごと、辺りの霧を吹き飛ばす。エメリの姿が揺らいで消える。露わになった人影を、飛び交う数羽の鴉を、煌めく橄欖石の欠片が矢の如く撃ち抜く。


 全てが終わるのに一分とかからなかった。疾風と光が効力を失って掻き消えれば、後に残るのは静かな夜だけだ。霧一つ無い通りに人の気配はない。


 ロウガがそろりと呟いた。


「終わった……ってことでいいんだよな……?」

「……いや」


 妙だ。アランは眉をひそめる。エメリがここにいないのは間違いない。ならば、どこにいる。学術機関か。そうだとするなら、何故ここに姿を現したような偽装を行ったのか。


「う、裏手の方もなんとかなったようだ」

「神父殿」アランはちらとヴィンスを見やった。「その裏手にエメリ・ヴィンチがいるかどうか確認できるか?」


 ヴィンスが眉を潜め、携帯端末を叩いて耳に当てる。


「え、エドナ。ひ、一つ訊きたいことがあ、」

「まぁ! まぁまぁまぁ! 神父様! 直接電話いただけるなんて光栄だわ!」

「……え、エドナ・マレフィカ」


 興奮しきった電話口の女の声に咳払いをしてから、ヴィンスは続ける。


「先程、やりあっていた懐古症候群が消滅したという報告だったな」

「えぇ。きっかり一分前くらいかしら。霧も晴れて、人影も消えて、って感じよ」

「そ、その時にエメリ・ヴィンチの姿は見かけたか?」

「エメリ? まさか! もし見かけていたら、とっくの昔に捕まえてるわ。えぇもちろん、私の愛する神父様のために!」


 ヴィンスがちらと視線を送る。アランは目を曇らせた。胸騒ぎがする。


 ラトラナジュ・ルーウィの所持する懐古時計を貰い受けたい。不意に蘇ったエメリの言葉に、アランは顔をこわばらせた。己の迂闊さを呪いながら、大股で歩き出す。


「――そういうことか」

「え、おい。魔術師さんよ、どこに行、」

「陽動だ」ロウガに向かって、アランは吐き捨てた。「エメリ・ヴィンチの目的は、初めからここじゃない」


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