# 暗夜


 アランの声に、ヴィンスが渋い顔をした。


「……あ、アラン・スミシーだったか」

「おや、これは名前を知っていただけて光栄だ。初対面のはずだがね」

「ら、ラトラナジュ・ルーウィの養父だろう。そ、それくらいの情報を得ることなど造作ない」早口に言って、ヴィンスはロウガの方をちらと見やった。「そ、そちらがロウガ・ヨゼフ刑事だな」

「あ……あぁ」ロウガは申し訳無さそうに眉尻を下げた。「すまないなぁ、お兄さん。こんな夜更けに、約束もなしに」

「か、構わない。そ、そろそろだろうとは思っていたさ」


 ヴィンスは迷うこと無く教会の扉を開けた。アラン達が中に入ろうとすれば、両腕を組んだヴィンスが進路を阻む。話は聞くが、中に入れる気は毛頭ないらしい。

 アランは薄く笑んだ。ヴィンスが顎を引いて二人を睨む。


「そ、それで? い、一体ここに何をしに来た」

「先程の話を聞いていたなら、察しはつくだろうと思うが……だが、そうだな。あえて単刀直入に訊こうか」アランは穏やかに切り出した。「プレアデス機関はどこにある?」

「……や、やはりそれか」

「おいおい、魔術師さん」


 ヴィンスがため息をつく中、ロウガがアランの方を見やった。


「プレアデス機関ってのは、さっきの時計台の人工知能のことだろう? なんで、その行方をこのお兄さんに聞いてるんだ?」

「答えはいたって明快だな、刑事殿。プレアデス機関は元々、魔術協会ソサリエによって管理されていたからさ」

「は……?」

「魔術協会は懐古症候群を狩る。その際に利用されていたのがプレアデスだ。かの人工知能は懐古症候群の発生と推移を観測し、そのデータを元に魔術協会は狩るべき患者を見定めていた」

「ず、随分と詳しいじゃないか」ヴィンスがつま先で地面を叩きながらアランを見上げた。「い、一応は機密事項のはずなんだがな」


 アランは肩をすくめる。


「それくらいの情報を得ることなど造作ない、というものさ。神父殿ファーザー

「…………」

「あぁ勿論、確証はない。アイシャ・カディルは懐古症候群を予言できると豪語していたからな。彼女がもしもプレアデスを使用していたのならば、俺の目論見は外れるわけだが」

「あ、あの娘は予言などできん。た、ただの嘘だ」


 ヴィンスは吐き捨てるように呟いて、唇を引き結んだ。

 夜闇を風が揺らす。遠く、時計台の鐘の音が響き始める。屋根の上の風見鶏が軋んだ音を立て、鳥の羽ばたく音が束の間の沈黙を重苦しく混ぜた。


 そしてヴィンスは、観念したように肩で大きく息をする。


「お、仰るとおりだよ。わ、我々はプレアデスを奪われた。ゆ、ゆえに懐古症候群を予測できなくなり、狩ることもできなくなった」

「……おいおい、奪われたってまさか」


 ロウガの声に、ヴィンスは重々しく頷く。黒髪が動き、前髪の隙間から深緑色モスグリーンの目が覗いた。


「あ、学術機関アカデミアの、エメリ・ヴィンチだ」



 *****



 友達、だって。そう呟いて、アイシャは一人ベッドの上で頬を真っ赤にした。


 教会の夜は静かだ。昼間だって静かには違いないのだが、街の音が消えて陰鬱な鐘の音ばかり響く夜は、アイシャが特に苦手な時間だった。


 けれど今日は違う。ラナが自分のことを友達だと言ってくれた。アイシャは己の頬に手を添え、ベッドにぱたりと身を沈めた。そのまま相貌を崩す。


 友達。たった一言がしかし、彼女の体をひだまりのようにぽかぽかと温めてくれる。そうだ、自分と彼女は友達なのだ。やっとできた、大切な。


「馬鹿みたいねぇ」


 からかうような声音に、アイシャは弾かれたように身を起こした。開け放たれた自室の入り口、そこに寄り掛かっていたのは女だ。


 スーツの上からでも分かる豊満な胸、誘うように開かれたシャツの襟、艷やかな金髪は、珍しく結い上げられている。


 女は――エドナは、眼鏡の奥で榛色ヘーゼルナッツの瞳を輝かせた。


「なによ……」アイシャはぎゅっとシーツを握りしめ、エドナを睨みつけた。「アイシャの部屋に、何の用なの。神父様はここにはいないわよ」

「あらやだ。別にあなたに聞かずとも、神父様の居場所くらいお見通しだわ」


 迷うこと無く部屋に入ったエドナは、ぐるりと辺りを見回して眉をひそめる。


「相変わらず辛気臭い部屋ねぇ。換気くらいしたらどう?」

「勝手に入ってこないで」

「サブリエの地図なんか壁に貼っちゃって。随分ボロボロじゃない。まずはインテリアをしっかり考えるべきね。そうそう、あなたは確か猫の人形が好きだったでしょ? それでも置いたら、可愛らしくなるんじゃなくて?」

「好きじゃない」アイシャは噛み付くように返した。「アイシャは、人形なんて好きじゃないの。分かってるくせに」


 エドナは柳眉をゆっくりと上げた。その目に浮かんだ馬鹿にしたような光に、アイシャは唇を噛む。


「やぁねぇ。ただの冗談よ」肩をすくめたエドナは、ピンヒールで床を鳴らした。「そうね。私の弟子があんまりにも可愛いから、からかってみたくなっただけ」

「嘘つき。エドナは神父様のことだけが大切なのだわ」

「よく分かってるじゃない。そうよ、大切と可愛いは違うの。雲泥の差だわ」エドナは机に浅く腰掛けると、意味ありげにアイシャを見やった。「少なくとも、嘘つきの女の子は一生かかっても誰かの大切にはなれないわよねぇ。なんだっけ、懐古症候群の予言が出来る、だったかしら。それに、キセキの魔女は特別、とも言ってたっけ?」


 嘲笑めいたエドナの言葉に、アイシャは目をそらした。エドナのことだ。きっと得意の悪魔を使ってアイシャの言葉を盗み聞きしたんだろう。そうと分かっていても、気持ちが沈んでいくのを抑えられない。


 アイシャはすごいな、って思って。そんなラナの言葉が蘇って、アイシャの胸がつきりと痛む。視界の端で、エドナがすいと目を細めた。


「本当のこと、言ってしまえば楽になるのにねぇ」

「……言えるわけない」

「ふふ、まぁそれもそうね。ラトラナジュって子は、懐古症候群の予言ができて、特別な存在であるキセキの魔女様のことを気に入ってるんでしょうしね」


 アイシャは唇を噛んだ。


 エドナの――師匠の言葉はきっと、間違ってない。だって、ずっとそうだった。キセキの魔女を自称すれば、教会に人が訪れるようになった。懐古症候群が予言できるとかたったからこそ、ラナは自分のことを頼りにしてくれた。


 キセキの魔女ではなく、懐古症候群も予言できない。そう白状すれば、ラナはきっと離れていってしまう。ヴィンスやエドナのように。そう考えただけで、アイシャの息は止まりそうになって。


 そこで、夜の静寂に硝子の砕けたような澄んだ音が響き渡る。


 アイシャは顔を跳ね上げた。今の音は、教会に張られた結界が壊れた音に違いなかった。けれど何故だ。ヴィンスの結界は強力で、これまで誰にも破られたことはなかったというのに。


 エドナの榛色の目が細まる。机から腰を上げた彼女は、紅で彩られた己の唇を指先でなぞって呟いた。


「……今日は随分と騒がしい夜になりそうね」

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