# 追想

 壁にはめられたデジタル時計が午前零時を回ろうとしている。それを横目に、アランは手早く身支度を整え外に出た。眠っているラナを起こさぬよう、物音を立てずに扉を閉め階段を下りる。


 折よく車の排気音が夜闇を裂いた。年季のはいった小型車はくすんだライトを地面に投げかけ、アランの隣で止まる。


 彼は鼻先で笑った。


「随分と小汚い車だな、刑事殿」

「おいおいおい……」窓から顔をのぞかせたロウガはげんなりと息をつく。「真夜中に呼び出しておいて、そいつぁひどいんじゃないか? お前さん」

「善良な市民を助けるのが君たちの仕事だろう」


 アランは後部座席に身体を滑り込ませた。足を組んでオンボロの座席に背を預ければ、ロウガが「なぁ」とぼやく。


「あの嬢ちゃんには、言ってないのかい」

「刑事殿は毎度それを訊く」アランは煙草に火をつけ、バックミラーを見やった。「ラトラナジュには話していないさ。今回の捜査のことは何も。そうすべきと言ったのは他ならぬ刑事殿だろう。年端も行かぬ一般人を巻き込むのは良心が咎める、だったか」

「あぁいや、そりゃそうなんだがねェ……」

「なんだ、その口ぶりは。まさかラトラナジュに伝えるべきとでも言うんじゃないだろうな」

「だぁもう、分かった分かった! 俺が間違ってた!」


 ロウガは髪をぐしゃりと搔いた後、運転席へ身体を向けた。いささか乱暴に煙草を取りして咥えてから、車を発進させる。


「それで? 今日の成果はどうなんだ、刑事殿」

「どうもこうもねェさ」


 煙草をふかしながら、ロウガはぶっきらぼうに返した。


「エメリ・ヴィンチが懐古症候群トロイメライに関与してるのは違いない。ラトラナジュの嬢ちゃんが出会ったエドワード・リンネウス、シェリルが薬を盗み取ったテオドルス・ヤンセン。どっちも学術機関アカデミアの所属で、エメリ・ヴィンチの研究室に所属してるときた。どの程度関与しているかは別としても、エメリが一枚噛んでると考えるのが妥当だろうさ」

「薬の解析結果は出たのか。かれこれ二週間経っているだろう」

「そいつがなぁ……」ロウガが白煙を深々と吐き出した。「同僚が言うには、薬の解析はいつも学術機関に委託してるんだそうだ。だが今回は他ならぬ学術機関を疑ってるから頼むわけにはいかねぇ。かといって、うちの機械は古い上に精度もよくねぇから、随分解析に時間を食ってる」

「要するに無能である、と」


 バックミラー越しに見えるロウガの目が口惜しげに歪んだ。アランは肩をすくめる。


「事実だろう。エメリが怪しいと踏んだのは俺の意見だ」

「そうだがね」

「おまけに、シェリル・リヴィからも娼館内部の情報提供を渋られているそうじゃないか」

「……あの年頃のお嬢さんが考えてることはよく分からん」


 ロウガは呻くように呟いて黙り込んだ。ぽつぽつと路端に街灯が現れては、車内の暗闇と白煙を照らして行き過ぎていく。


 煙草をくゆらせながら、アランは宙を見やった。養父とうさんの手は、いつだって冷たいね。そう言って微笑んだラナを思い出す。それは図らずも前回の彼女と同じ言葉で、彼の胸を密やかに揺らした。


 世界を繰り返して、もう随分になる。その中には今回と同じような親子の関係の時もあったし、前回のような見知らぬ他人同士の時もあった。関係性などアランにとってはさして重要な問題ではない。大切なのは、彼女が幸せに生を終えられるかどうか。たったそれだけだった。些細なことだ。だというのに難しい。


 彼女はいつでも世界を愛し、大切な何かを守るために命を賭して戦うのだった。

 そして世界は彼女の優しさを食いつぶし、その命を奪い去る。


 夜闇に白煙がゆらりと揺れる。目を閉じたアランの瞼の裏に、いつかの日の黄昏色が滲んだ。荒れ果てた世界の外れで、ガラス玉を透かして覗いた夕焼け。綺麗だねぇ、と微笑んだ彼女と、馬鹿らしい、と返した自分と。


「――着いたぞ」


 ロウガの声に、アランは静かに目を開けた。随分と短くなった手の中の煙草に肩をすくめ、灰皿に落しつけて火を消す。


 車外に出れば、ひやりとした空気が肌を撫でた。少し霧がかった空気の中に、教会の三角屋根と風見鶏がぼんやりと見える。


「なぁ、一体なんだって魔術協会ソサリエになんか来たんだ?」


 くたびれた灰色のコートの襟を寄せながら、ロウガはアランに問うた。辺りをきょろきょろと見渡し、どこからともなく聞こえたカラスの鳴き声に首をすくませる。


「念の為に訊くがね」ロウガはしきりに額の汗をぬぐった。「俺達は懐古症候群が増えてる原因を探りに来た……ってことでいいんだよな?」

「勿論、そうだとも」

「……やや、でもなぁ……とてもじゃないが、人が住んでる感じも、まして手がかりがあるような感じもしないがねぇ……」


 アランは迷わず教会の入り口へ向かった。慌てて追いかけてくるロウガへ向かって口を開く。


「刑事殿は報道番組をよく見る方か?」

「あん? そりゃあ、まぁ人並みには見るが……」

「ならば、今日の夕方の報道番組は? エメリ・ヴィンチがインタビューに答えている番組だ」

「あぁ、それなら見たよ。時計台の人工知能の話だろう。プレアデス機関、だったか? アレに時間管理以外の役割があるかもしれない、って話は悪くなかったがねぇ……」アランの隣に並んだロウガは、気の毒そうに顔をしかめた。「いやぁ、あれはリポーターが随分と可哀想だった。始終、エメリに責められっぱなしだったしな。俺ぁ、心配で心配で、一時たりとも目が離せなかったよ。お前さんもそうは思わなかっ、」

「今回の事件の肝は『懐古症候群が増加している』という現象をどう解釈するかだ」


 ロウガの世間話を遮って、アランは立ち止まった。閉ざされた教会の扉を叩き、返事を待つ間にロウガの方を見やる。


「一定数に保たれているべき事象の数が、突然増えたとする。その場合に、本来考えなければならない可能性は二つだ。一つは数が強制的に増やされている。もう一つは排除機構が働いていない」

「今回は数が増やされてるんだろ。それを疑っての薬じゃあないか」

「一つ原因が見つかると、それが全てだと思いこんでしまうのが人間の悪い癖だ」


 顔をしかめるロウガを、アランは鼻で笑った。


「いいか? 本来ならば懐古症候群を狩るのは魔術師の役目だ。人々の生活に影響が出る前に懐古症候群を始末し、被害を最小に抑える。ゆえに、魔術師がきっちり仕事をしていれば懐古症候群の数は一定に保たれる」

「……その逆で、魔術師がサボれば懐古症候群の数が増えるってことかい?」

「そういうことさ。さて、ここで問題だ。科学都市サブリエにおいて、魔術師が多く所属している組織といえば?」

「魔術協会だが」言って、ロウガが声を潜めた。「おいおい、ちょっと待てよ。じゃあ何かい、あんたは魔術協会と学術機関が結託して懐古症候群を増やしてるとでも?」

「刑事殿の冗談にしては、なかなかの出来栄えだが」


 アランが肩をすくめたところで、教会の扉が内側から開いた。

 祭祀服カソックをだらしなくまとった青年が顔を覗かせる。目元を隠すほどに伸ばされた前髪が揺れた。けれどその表情に驚きはない。

 若き神父を見下ろし、アランは微笑を浮かべた。


「状況はもう少し悪いんじゃないのか、神父殿ファーザー?」


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