2-1. 犯人は皆そう言うわ
内緒話の出来る場所。そんなシェリルの要求に従って、ラナ達が訪れたのは天秤屋という名のアンティーク店だった。
ラナ達がいるのは、店の奥に設けられた小さな部屋である。塗装の剥げかかった人形劇の舞台、盤面が割れた掛け時計、埃まみれの烏の剥製。床の上から窓辺の小さな縁まで、あちこちに積み上げられた雑多な品が、ソファに座ったラナ達をじっと見つめている。
その中で、ラナは頓狂な声を上げた。
「おとり、捜査……?」
「そういうことさぁな」
唖然とするラナの前で、ロウガ・ヨゼフと名乗った刑事はぼりぼりと頭を掻いた。
「最近、
「馬鹿げてる」
間髪入れずにラナが呟けば、隣に座ったアランが小さく吹き出した。
シェリルがむっとしたようにアランを睨めば、彼はひょいと肩をすくめてみせる。
「すまないな。全くもって、うちの娘の意見が的を得ていたもので」
「……娘?」
胡乱げな顔をするシェリルに、ラナは慌ててアランの腕を引いた。
「ちょっと、アラン! こういうところでは、その呼び方をしないでって言ってるだろ」
「おや。これは失礼。ラトラナジュ」
「それと」アランの手を掴んで、ラナは言葉を続ける。「煙草も吸わないで。匂いがつく」
胸ポケットへ伸ばしていた手を止め、アランはにこりと微笑んだ。胡散臭い笑みを一睨みし、ラナは再びロウガの方に向き直る。
冴えない刑事は、バツの悪そうな顔をして、そそくさと煙草の箱を後ろ手に隠したところだった。
全く、どいつもこいつも。心の中でぼやき、ラナは一つ咳払いをする。
「いいかい? まずもって、懐古症候群というのは病気だろ。それが増えてたからって、なんも事件性はないじゃないか」
「そりゃあ、お嬢さん。一見すればそうかもしれないがねぇ」
ロウガは首をすくめながら言葉を続けた。
「誰かが意図的に増やしてるんじゃないかって話になってるんだよ。実際、懐古症候群の患者周囲で、不審な人の動きがあったケースもある。そうなりゃあ、調べてみる価値はあるってもんじゃないかい?」
「そんなの、勝手にあんたらでやればいいじゃないか。シェリルに懐古症候群のフリをさせるなんて。何かあったらどうするつもりだったんだい?」
「ややっ、まぁ、それはなぁ……なんとか…」
「なんとか? さっきだって、私達がいなければ何もできなかったくせに」
ラナが冷たく言い放てば、ロウガの目が泳いだ。もごもごと反論を口の中にしまい込んだあたり、図星だったらしい。
低い振動音が聞こえたのはその時だった。ロウガがぱっと己の上着に手を伸ばし、携帯端末を引っ張り出す。
「いやー……いやいやいや、すまないねぇ! ちょっとばかし席を外させてもらうよ!」
白々しい声を上げたロウガは、くたびれた外套を小脇に抱え、あたふたと部屋を飛び出す。
タイミングを図ったようにアランも腰を上げた。
「俺も少し休憩してこよう」そう言った後で、アランはひょいと身をかがめラナの耳元で囁いた。「くれぐれも無茶はしないように」
煙草と香水が微かに香った。それにラナが眉を潜める間にも、アランはひらりと片手を振って部屋を出ていってしまった。
残されたのは、シェリルとラナの二人きりだ。
「随分と仲がいいじゃない」
シェリルが不機嫌そうに口を開く。それにラナは苦笑いした。
「そんなことない。普通だよ」
「普通? ふーん……まぁいいわ。とりあえず今はそうしておいてあげる」
「今はって……」
「それで、内緒話の件だけれど」シェリルはじっとラナを見つめた。「結局、あなたは何なのかしら?」
ラナはぱちりと目を瞬かせた。
「……え、ちょっと待って。シェリル。内緒話っていうのは、君のことじゃないのかい?」
「私の話は、さっきの刑事さんの話で全部だもの。懐古症候群を広めてる犯人を見つけたかった。そいつをおびき寄せるために、私が懐古症候群のフリをしてた。で、引っかかってきたのがアンタだった」
一息に言って、シェリルは優雅に足を組んだ。顎を引いて、ラナを強気に見つめる。
「正直に言って、私はあんたが犯人なんじゃないか、って疑ってる」
「犯人なんかじゃない」
「あら。犯人は皆そう言うわ」
「魔術師だよ」
馬鹿にしたように笑うシェリルに、ラナは躍起になって身を乗り出した。
「私達は魔術師だ。娼館に紛れ込んだ懐古症候群を探してた」
「ふうん」
「さっきの戦い、見てただろ。私もアランも魔術を使ったんだから……魔術師だ、ってところには同意してもらえると思うけど?」
「あんたのはイマイチだったけどね」
「それでも私は君をコウモリ野郎から助けてやった」ラナはシェリルをきっと睨みつけながら、胸元の懐古時計を握った。「それに、私は懐古症候群を治せるもの。この時計を使って」
「懐古症候群を? 治す?」シェリルが白々しく眉を上げた。「そんなちんけな時計で?」
「君の信じられないって気持ちはよく分かるよ。私も今まさにそんな気持ちだから。懐古症候群が仕組まれてるって話を聞いてね」
乱暴にソファへ背を預けながら、ラナは何度か首を振る。シェリルは何事かを考えるように口元へ手を当てていた。けれど、これ以上何を考えることがあるのだろう。強情な彼女にラナはきゅっと眉根を寄せ、息をつく。
「百歩譲って」少しばかりの沈黙の後、ラナは努めて冷静に切り出した。「懐古症候群の患者が意図的に増やされていたとする。それでもやっぱり、君が関わることに私は反対だよ。懐古症候群は危険だ。それに、あの刑事さんがシェリルを守れるとは思えない」
「それでも私は何とかしたいのよ。懐古症候群を」
「なんでだい? 君は懐古症候群じゃないんだろ」
「そうよ。私は懐古症候群じゃない」
力強く言い切った後、シェリルは目を伏せた。線の細い肩が微かに震える。
「……でもね。冷たくて暗くて悲しいのよ。だからこそ、助けてもらった時は暖かくて明るくて嬉しいの」
「なんだい、それは」
まるで何かを見てきたかのような言葉に、ラナは思わず首を傾げた。そうすれば、シェリルは我に返ったように目を瞬かせ、次いで肩をすくめる。
「さぁ。なんとなく、そんな気がするってだけ」
「なんとなくって……」
「理由なんてどうだっていいでしょ。残念だけど、私は一歩も引く気がないんだから」
つんとそっぽを向くシェリルに、ラナは天を仰いだ。
放っておくのは簡単だ。けれど。
ラナはちらとシェリルを見やる。彼女の横顔は、いつもと変わらず自信ありげだった。それでも、目の下にはうっすらと隈があるし、どこか緊張しているようにも見える。
ラナは息をついた。どれだけ強情でも、例え一ヶ月間ほどの短い付き合いだったとしても、やっぱり彼女は放っておけない。
「……分かったよ、シェリル」
「分かったって、何が」
「私があんたを守る」シェリルが不満を口にする前に、ラナは声を一段大きくして付け足した。「少なくとも、あんたには娼館で世話になった恩があるんだから」
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