2-2. あんたに頼みたい事がある

 アランが店の表に顔を出せば、ロウガは悲壮な顔でカウンターに佇んでいた。


「どうかしたのか、刑事殿?」

「とんでもないものを掴まされた」

「この短時間で?」


 ロウガが、ボロボロの財布を逆さにして振る。だがそこから落ちるのは埃ばかりだ。そしてカウンターを挟んだ奥では、天秤屋の店主が嬉々とした顔で何かを包んでいる。

 ロウガは途方に暮れたようにカウンターへ財布を落とした。


「一体なんなんですかい、この店主は……? 世間話してただけだってのに、いつの間にかレコーダーを買わされてる……しかもオンボロだってのに……しかも俺の給料全額分なのに……」

「やだなぁっ! 僕は正しく商売しただけだよっ!」


 カウンターの向こうで、作業着姿の店主が抗議の声を上げた。椅子を軋ませて顔を上げる。

 猫背気味の背に、がっしりとした体躯だ。薄汚れたカーキ色の袖口はめくりあげられ、逞しい腕が覗いている。

 その彼――天秤屋の店主は、掌に収まるくらいの長方形の機械に頬ずりした。


「テープレコーダーだよっ。それもちゃんと動作して、カセットテープ付きっ。何もかもがネット回線で繋がったこの時代に、ネットから切り離されてるってのは驚くべきプライバシー確保じゃないかっ。何よりこの丸みを帯びたフォルムっ。ボタンを押した時の部品の擦れ合う細やかな音っ。男を知らない、恥ずかしがり屋な女の子さんっ」


 実に、たまんないよねっ。嵐のような熱弁を奮って、店主は再びカウンターの奥に引っ込む。

 ロウガは諦めたように肩を落とした。くたびれた外套から煙草の箱を取り出し、のろのろと火をつけ口に咥え――そこで、アランへ疲れ切った視線を向けた。


「なんだよ、笑うなよ。お兄さん」

「くはっ、これは失礼」ロウガに倣って煙草を取り出しながら、アランはカウンターに背を預ける。「実に無様な顔をしていたから、ついな」

「無様って……ちょっとはこっちの身になってもいいんじゃあないのかい……」

「生憎と、愚者に共感できるほどの優しさは持ち合わせていない」

「ったく……」


 少しばかりの沈黙が落ちた。どちらからともなく白煙を吐き出す。そうしてロウガが、ぼんやりと切り出す。


「あんた……は魔術師なんだよな」

「そうだな、まさしく」

「なら、魔術協会ソサリエの関係者なのかい?」

「どうしてそんなことを?」


 アランが尋ねれば、ロウガは頭を掻いた。何かを思案するように視線を空へ浮かせ、煙草へ口づける。


「あんまり、関わるなって言われてるんだよ。公平性を期すために」

「ほう? 公平性とはまた妙なことを言う」

「それについて教えてやってもいいんだがね」ロウガがアランへ視線を向けた。「その前に、あんたが俺の質問に答えるのが先じゃあないかい」


 冴えない刑事だとは思っていたが、頭が回らないわけではないらしい。アランは薄く笑み、カウンターの隅に置かれた灰皿へ手を伸ばした。


「関係ないさ。俺とラトラナジュは確かに魔術師だが、魔術協会には所属していない」


 今回は、と心の中で付け足して、アランは煙草の灰を小皿へ落とす。

 ロウガの目が疑り深そうな色を宿した。


「そいつを証明できるもんは?」

「あんたが信用するか否か。それだけだな」煙草をくゆらせながら、アランは店主の方へ目を向けた。「あるいは、そこの店主殿マスターの証言を聞いてもらっても構わないが」

「アランの言っていることは本当さっ」


 ロウガの視線に、店主が空箱片手に大きく頷いた。


「アラン達はサブリエに来てからずっと、この店を使ってくれててねっ」

「ずっと……ってぇと、具体的にはどれくらいになるんですかい?」

「んんー? そうだねっ……あれは確か、魚の涙が豊作だった年のことだから……?」

「十年前だろう、店主殿」

「あぁ、そうそう、それだ!」


 アランの助け舟に、店主はにこにこと首を何度も縦に動かした。


「いやぁ、懐かしいねぇっ! ラナちゃんも随分小さかったしねっ! それになんだか、アランからは血の臭いがぷんぷんしてたよっ」


 ロウガの表情がこわばった。アランは笑って、店主をたしなめる。


「妙なことを言うのはやめてくれ、店主殿。少しばかり事情があっただけのことだ」

「事情ってのは?」

「俺達は故郷を追われてたのさ」アランは肩をすくめた。「純血の魔術師は、それだけで価値がある」


 ロウガは無言で続きを促した。煙を吐いたアランは目を細め、仕方なく話を続ける。


「サブリエから北に上がったところに、クラシオンという街がある。どこにでもあるような田舎街だが、ちょっと変わった風習があってな」

「変わった風習、ってぇのは?」

「クラシオンは代々、リンネウス家という純血の魔術師が治めていたのさ」

「純血かいっ? そりゃまた珍しいっ」アランの言葉に、店主が目を瞬かせた。「てっきり、僕はカディル伯爵のところしか残ってないとばかり思ってたよっ」

「カディル伯爵……あぁ、あのハゲの男かい」


 苦い顔をしたロウガに、店主は首を傾けた。


「なんだいなんだい、刑事さんっ。この都市の市長様に会ったことがあるのかいっ?」

「なぁに、ただの仕事さ。時計台で行われる美術展の挨拶に出るから、護衛してくれってえ話だった。刑事が一介の市長のお守りをするってえのも妙な話だがねぇ……」

「それだけ純血というのは貴重なことなんだよっ。だからこそ、そういう家系は血を絶やさないための黒い噂が絶えないんだけどねっ」


 店主がにこにこと言い放てば、煙草に口をつけたロウガは顔をしかめた。その視線が再びアランに向けられる。


「なに、大したことはない」立ち昇る白煙を目で追いながら、アランは穏やかに続けた。「当時のリンネウス家には、魔術も使えぬ息子が一人。プライドの高い当主はこれが許せなかった。魔術を使えぬ魔術師など必要ない。されども血を絶やすわけにもいかない。そんな折、ラトラナジュという名の孤児が魔術の才を持っているという噂が当主の耳に入った。生物としての雄と雌。これらが揃えば何が出来るか、考えるのは容易だろう?」


 ロウガは吐き捨てるように呟いた。


「……拉致って子でも孕ませようってか」

「流石は刑事殿」にやっと笑い、アランは煙草に口づける。「まぁ、そうなる前に彼女を追いかけてきた蝿どもは全て殺したがね」


 冬の森、飛び交う松明、男たちの声。十年前を思い出し、アランは目を細める。


 ラナを捕らえた男たちは、ご丁寧にもアランを家から引きずり出した。眼前で養父が殺されれば、幼い子供の心が容易く壊れると思ったのだろう。


 全くもって下等で、愚かで、浅はかな考えだ。けれど同時にそれは正しかったとも言える。少なくとも前回の世界では、養父の殺された事件がラナの心に影を落としていた。


 そうであるからこそ、今回は全て自分が殺した。


 脳裏をよぎった回想を語ることなく、アランは煙草の先を灰皿に押し付けた。


「――と、長くなったがね。店主殿に初めて会った時に、俺から血の臭いがしたのはそういう訳だ」

「…………」

「なにぶん、あの頃は色々と余裕がなくてな。是非とも同情して頂きたいところだが」


 ロウガは煙草を指に挟んだまま黙りこくっている。重い空気に耐えきれなくなったのか、「それにしてもっ、」と店主が白々しく声を上げた。


「ラナちゃんは気丈だねっ。目の前で何人も人が死んでるんだろうっ。僕だったら、卒倒しちゃうよっ」

「下手くそな冗談だな」アランは鼻を鳴らした。「うちの娘は君よりも余程心が強いのさ、店主殿」

「いやいや、この辺りは案外わかんないよっ、アランっ? 時々君は人間離れした思考をするからねっ?」

「……分かった」


 そこで、ロウガがぼそと呟いた。アランと店主が視線を向ければ、くたびれた様子の刑事は頭を掻き、深々と息を吐く。


「その件については、もう聞きませんや。とにかくあんたは十年前に故郷からサブリエに逃げてきた。それ以降は、魔術協会の人間とは接触してない。そういうことですな?」


 アランは微笑み、一つ頷く。


「そういうことだ。信頼していただけて何より」

「ならば、あんたに頼みたい事がある」

「さっきの公平性の話か?」


 ロウガは頷いた。ちびた煙草を口に咥え、カウンターに片手をついて身を乗り出す。


「さっきも言った通り、俺達は懐古症候群の患者が意図的に増やされてるんじゃあねぇかって疑ってる。そしてこの都市で、懐古症候群の対処に当たってる機関は三つだ。俺たち警察と、魔術協会、そして学術機関アカデミア

「なるほど」アランは首肯した。「つまり、その中に裏切り者がいると」

「正確に言えば、警察を除くどちらか二つだがな」


 ロウガは言い切り、カウンターを指の背で叩いた。


「見たところ、あんたは懐古症候群に詳しそうだ。だからこそ頼む。俺たちと一緒に、犯人探しをしてくれないか?」

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