[load.preiades(114104:114106)] Il suono dei cuori spezzati (era ne voi ne me).

EP3 : AL2O3 ただ、君を想う

# キセキは、どこから生まれると思う?

「キセキは、どこから生まれると思う?」


 アランは静かに問いかけた。


 娼館一番の大きな部屋だ。部屋の半分を占拠するベッドは綺麗に整えられたままであり、シーツの白が日暮れの薄暗闇に沈む。


 ベッドの反対側にあるのは開け放たれた窓だ。そこから入ってくるのは、夕焼け色の光と、帰宅を急ぐ車の音。時折響くクラクションの音が、夜を目前にした気怠い空気をかき混ぜる。街の雑味と埃とを孕んだ風がゆるりと吹いた。


 何一つ変わらない世界の中で、踊り子のような服を着た少女が振り返る。黒灰色の髪と瞳。アランにとって特別な色をまとった彼女が、困ったように頬を掻いた。


「奇跡なんて……神様の思し召し次第じゃないのか」女性にしては中性的な声音と言葉遣いのまま、彼女は肩をすくめる。「交通事故で死ぬ人もいれば、奇跡的に助かる人もいる。そこに理由も何もないだろう?」

「そっちの奇跡じゃない」

「おや、そうなのかい?」

「こっちだ」


 肘掛けに頬杖をついたまま、アランはひらりと左手を振った。鎖を連ねて作られた装飾腕輪レースブレスレットが微かに鳴る。腕輪に嵌った宝石の数は七つ。茜色の光を弾いて輝く石に、彼女が眩しそうに目を瞬かせる。


 その仕草に目を細め、アランは口を開く。


「輝石はどこから来ると思うかね、ラトラナジュ」


 いつもの通りに名前を呼ぶ。そうすれば、曖昧に笑った少女が――ラナが困ったように目元を下げる。


 決まりきった反応だ。けれど不快な気持ちは決して無く、アランは彼女との会話を重ねた。輝石の生まれを話し、ルビーの石言葉について語る。土より生まれたルビーがいかに美しいか。あるいは彼女自身がいかに美しいか。


 アランにとっては、馴染みのあるやり取りだった。だが、飽くことはない。これまでもそうだった。そして、今回もそうだ。


 幾度となく迎えた終わりに比べれば、この日常は輝石そのものだ。

 輝いて、美しい。けれど、ふとした拍子に呆気なく壊れてしまう。

 だからこそ、自分が守らねばならない。壊れてしまった世界と同じ数だけ繰り返した結論。それに今回も至ったところで、アランの耳に床の軋む音が届いた。


 ゆるりと見上げれば、いつの間にかラナが近くまで来ていた。その右手には蒸留酒の入ったグラスがある。


「……それで? アランは、どちらがお望みだい?」


 酒か、あるいは自分か。言外に問うて、ラナは黒灰色の瞳を悪戯っぽく光らせる。

 アランは肩をすくめた。


「……どちらでもない」

「へぇ?」

「分かっているだろう? 俺は君とおしゃべりを楽しみにきた。それだけだ」

「アラン……」決まりきった文句を吐けば、彼女はアランのシャツをくしゃりと握った。窓際にグラスを置く。眉根をぎゅっと寄せ、顔を俯ける。彼女の黒灰色の髪が、その横顔を隠した。「あんたはいつもそう言う……正直、自信を無くしてしまいそうだよ。やっと、この娼館で人気が出てきたって思ってたのに」

「愛しいからこそ、壊したくないものさ。そこが輝石と君の、一番の違いだ」

「……あんたは口ばかり達者だな」

「可愛らしい挑発だ」


 そう言いながらアランは左手を伸ばし、ラナの癖毛を指先に巻きつけた。そのまま耳元に顔を近づければ、彼女が目を閉じる。


 甘い香りがアランの鼻先を掠めた。あぁまさしく君の香りだ。胸中で呟く彼の脳裏に、前回の記憶が蘇る。

 アラン・スミシーは魔術師だった。養父を亡くした彼女は娼館で暮らしていた。彼女の親友は懐古症候群トロイメライで、彼女はそれを助けたがっていた。だからこそ、彼女はアランに愛想を振りまき、その正体が魔術師であるかを見極めようとした。

 素性の知れぬ魔術師。それが前回の――彼女が養父を失った場合の世界におけるアランの立ち位置だった。






 けれど、今回は違う。





「気づいているか、ラトラナジュ」

「――もちろんだよ」


 アランは動きを止め、ラナの耳元で囁いた。そうすれば彼女が瞼を上げ、共犯者めいた笑みを浮かべて扉の方をちらと見やる。


「さっきまで廊下から聞こえてた声が無くなった」

「数は?」

「二人」そこまで言いさして、ラナは首を横に振る。「……いや三人かな。女が一人、男が二人って感じ」

「あまり娼館では見ない組み合わせだ」

「そんなことはないよ。酔狂な客は、そういう遊びもご所望だったりするし」


 付け足された一言は、実に穏やかでない情報だ。アランが思わず眉を寄せれば、彼女がことりと首をかしげる。


「どうしたんだい?」

「君もそういう客を相手にしてるんじゃないだろうな」

「……まさか」ややあって、ラナが小さく吹き出した。「娼婦はただの演技だろ。それも、私がここに潜り込んで一ヶ月しか経ってないし」

「あぁ勿論。そうだとも」アランはため息をつく。「万が一にでも君に手を出す輩がいたならば、無事に娼館からは出られなかったろうさ」


 呆れたように笑ったラナは、アランから身を離してベッドサイドへ駆けていった。


 過保護とでも思っているのだろう。引き出しから懐古時計と携帯端末を取り出す彼女を眺めながら、アランは心の中だけで呟く。まぁ今回の世界での関係性を考えれば、彼女がそう思うのも無理はないことだろうが。


 いずれにせよ、やることは変わらない。アランがそう思ったところで、顔を上げた彼女と目があった。右手に握られた端末の画面には、赤い点の灯った地図が見える。


 見つけたのだろう。懐古症候群を。視線だけでアランが問えば、彼女はやや緊張した面持ちで頷き、口を開いた。


「行こう、養父とうさん」

「――あぁ、もちろんだとも」


 アランは笑みを浮かべ、ゆったりと応じた。




 ――アラン・スミシーはラトラナジュの養父である。それが、今回の世界で彼が選んだ立ち位置だった。

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