Origin
Stand by me
世界の外れで君に出会った。
「君は、誰だ」
男は問うて、顔を上げる。
黒灰色の髪の少女が目を丸くして立っていた。服は擦り切れ、顔のあちこちが土で汚れている。じろじろと自分が眺めていても、返事はない。警戒しているのか、はたまた恐れが上回ったのか。
男は仕方なく辺りを見回した。奇妙な場所だった。辺り一面が灰色の壁で覆われている。それは天井まで弧を描くようにして続いていて、椀を半分にひっくり返したような形だった。辺りは薄暗いが、壁に空いた大小様々な穴から橙色の光が差し込んでいる。
それが壁ではなく、積み上がった鉄くずの山なのだと気づくのに数秒。
「……それはこっちのセリフなんだけど」
ぼそぼそと少女が呟いた。すいと視線を戻せば、少女は服の裾をぎゅっと握りながら、こちらを睨んでいる。
「ここ、私の家」
「家」少女の言葉を繰り返し、男は首を傾けた。以前の契約者との記憶を引っ張り出し、もう一度辺りを見回す。「これが?」
「これでも」
少女は強い口調で言い切った。男は三度辺りを見回す。薄暗い穴蔵は動物の巣とさしたる差はない。壁の構成成分から鑑みるに科学技術の方は発達していそうだが、だとすれば何故ここを家と言い張るのか。
目を細めた。文化水準、経済水準、前回の召喚終了時から今までの間の人類史。集めるべき情報を脳内で並べて息をつく。どうしてこうも面倒な手順を踏まねばならないのか。
何も言わない男に焦れたのか、「それで?」と言う少女の声が聞こえた。腕を組んだ彼女はつま先で地面を叩いている。
「あんたは結局なんなの」
「見てのとおりだが」
「知り合いに、あんたみたいな黒灰色の髪の男はいないし、ましてこんなに高そうなスーツを着てる奴がいたらぶん殴って奪い取ってる」
「そうか」
「ねぇ、ちゃんと聞いてるかい?」
「もちろん」
それにしても、自分を召喚した人間はどこに行ったのだろう。少女へ生返事をしながら、男は思う。
少なくとも、目の前の少女ではなかった。召喚された悪魔と、召喚者の間には一時的とはいえ
ならば、召喚者はどこだ。男は投げやりに問を繰り返した。全く、面倒な手間ばかりかかる。
「ねぇってば! あんたは、何者なんだい?」
少女が一段声を高くした。煩わしい声に、男は顔をしかめて、ぞんざいに返す。
「俺は悪魔だな」
「……悪魔」
少女がぴたりと動きを止めた。突拍子もない言葉だったろうに、声を上げることもしない。その眉はぎゅっと潜められている。
彼女の目に――自分と同じ黒灰色の目だ――滲むのは、警戒心と怯え。それに一匙の好奇心だ。
無知ゆえか幼さゆえか。男の――否、人間の形を模した悪魔の中で興が湧く。
「なんだ、驚かないのか」少女に向かって、悪魔は美しい笑みを浮かべてやった。「魔術という概念が文化として根付いているのか? それとも君が魔術師なのか?」
少女が気後れしたように目を伏せた。頬が少し赤いのは、恐らく自分に当てられたからだろう。人間など、単純なものだ。女も男もすべからく。誇張もなく驕りもなく淡々と吐き捨てるように思いながら、悪魔はゆるりと首をかしげてやる。
ややあって、少女がもごもごと呟いた。
「……どっちも」
「どちらも、とは?」
「魔術っていう文化もあるし、私は……魔術師じゃないけど。そういう家っていうか、」
「悪魔と契約していない、ということか」
「そんなとこ……」そこで少女はハッとしたように顔を上げた。「あ! でも私はあんたを喚んでないからな!」
「もちろん分かっているとも」
悪魔が微笑みの中に冷ややかさを混ぜれば、少女が居心地悪そうに身動ぎした。感情には敏い方らしい。動物としての最低限の危機察知能力があるのは、大変に結構なことだった。
けれど、この少女にそれ以上の価値はない。悪魔は肩をすくめ、辺りを見回しながら再び思案に暮れる。
外では、鐘の音が響いていた。
*****
人間は悪魔を召喚する。しかしながら、召喚された時点での悪魔は無力だ。
悪魔は不老不死である。力も強く、美貌と知性も備える。しかしながら、魔力はない。これは人間にも当てはまることで、悪魔を召喚するだけならば魔力は要らない。魔術師という家系は存在するが、それも代々悪魔と契約する人間が多かったという、ただそれだけのことだった。
よって召喚時の悪魔と人間には特別な力がない。
けれど、召喚された人間と悪魔の間には縁が結ばれる。
人間が願いと共に供物を捧げ、悪魔がそれを認めれば契約が成る。縁は確たるものとなり、人間は魔術を、悪魔は固有の力を手に入れる。
かくして、悪魔と魔術師が生まれる。
「さして変わらんな」
「だから言っただろ」
悪魔が期待はずれの気持ちを込めて言えば、黒灰色の髪の少女がため息をついた。
時間にして一ヶ月が過ぎていた。場所は、自分と少女が最初に出会った穴蔵である。時刻は夕刻。これまた出会った時と同じように、ところどころに空いた穴から夕日が差し込む。
「なぁ、あんたさぁ……」少女がうんざりしたように呻きながら、ドラム缶の上から腰を上げた。「いい加減出ていってくれないかい……」
「なぜ? これほどの美貌を毎日目に出来るんだ。君にとって損はないはずだが?」
彼女の発言の意図が心底分からず、悪魔はソファの上で脚を組み替え、胸に手を当てた。このソファも随分なオンボロだ。革は剥がれて中身が飛び出しているし、何より座る度に斜め後ろに傾く。
それでも完璧な角度で首を美しく傾げてみせたのだが、彼女の半眼はちりとも動かない。
「そういうところだよ」
「そういうところ、とは」
「キザ。いけ好かない。こっちのこと馬鹿にしてる」
「では是非認識を改めてくれ。非の打ち所のない美貌、素晴らしい所作、慈悲深き博識者とでも」
「あああもう! 本当に面倒くさいやつだね! あんた!」
少女がぎりりと奥歯を鳴らしながら身を翻した。大股で穴蔵の奥へと向かい、がらくたの山からカセットコンロを取り出して薬缶を置く。
「悪魔なんだろ! 召喚者と契約しなきゃいけないんだろ! だったら、とっとと探しに行きなよ! なんで私の家に入り浸ってるのさ!」
「いちいち喚くな小娘」
まったく、自分の微笑み一つで頬を赤らめていた純情な女はどこに行ってしまったのか。空々しく嘆いた悪魔は笑みを消し、欠伸混じりに返す。
「自明なことだ。廃墟も同然、人間もまばらな外を出歩いたところで、何の情報が得られる? それならば貴様から直接知識を聞き出した方がよほど合理的じゃないか」
「それで延々と拘束されるこっちの身にもなってよ!」
「日に三時間の休息と七時間の睡眠。これだけ与えてもまだ不満だと?」
少女を適当にあしらいつつ、宙を見上げた。この数ヶ月で集めた情報を整理する。
端的に言えば、この世界は滅びようとしている。
始まりは環境破壊だったのか、戦争だったのか、人口増加だったのか。もはや誰にも分からない。とにかく実に陳腐な理由が重なりに重なって、人間は自らの手で世界を壊そうとしていた。
気付いた時には遅かったと、少女は言った。何もかも見てきたような発言だが、年端も行かない彼女の発言は、大人たちの口癖をなぞっただけに過ぎなかった。それほどまでに、大人たちは疲弊していた。
この世界には科学がある。けれど、どれほど科学が発達しようとも、世界が滅びる予言の精度を上げるのが精一杯だった。
この世界には魔術がある。けれど、どれほど魔術を駆使しようとも、死に際の痛みを無くすのが精一杯だった。
ここまで並べ、さて、と悪魔は思案する。
自分はどうすべきか。正直、世界のことはどうでもよかった。この世界が滅びようが滅びまいが、悪魔の命が潰えるわけではない。契約を交わした魔術師が死ねば、悪魔は力を失い、この世界での実体も消失する。さりとて、その事自体に恐怖は感じない。次に召喚される時を待てば良いだけだ。
そうであるならば、やはり自分の好きにすべきだろう。ぶつぶつと少女が呟く文句を右から左へ聞き流しながら、悪魔は結論づける。ならば、何を成したいか。
答えは簡単だった。
「なぁ、小娘」
「なに」
「契約を結ぶか」
がしゃんと派手な音がした。ソファに背を預けたまま視線だけ動かせば、少女が「熱い!」と叫んで飛び跳ねている。
「……何をしているんだ?」
「っ、あんたが! 変なこと言うからだろ!」
「変? 君の踊りの方がよほど奇特だが」
「踊ってない!」
再び声を張り上げてから、少女が涙で潤む目を擦り、湯で濡れた服を絞る。
「もう……替えの服がまだ乾いてないのに……」
「服など、どうでも良いだろう? そんなことより喜べ。俺と契約しようじゃないか」
「はいはい。そういう冗談はいいから」
「冗談ではない」
ぱたぱたと目の前を横切っていく少女を目で追いながら、ソファから背を浮かせた。こちらを見ようともしない少女に眉を潜め、悪魔は声を一段上げて付け足す。
「合理的な思考の結果だ」
「なにが合理的なんだか」少女は片隅に打ち捨てられていたトランクケースを押し上げた。肩で蓋を押さえながら彼女は服を漁る。「召喚者がいるんだろ。その人と契約を結ぶのが一番じゃないか」
「召喚者と契約者は必ずしも一致する必要はない」
「嘘だ。縁がつながってるんだから」
「それならばとうの昔に結論が出た」苛々と指を組み、少女を睨んだ。「理由は分からないが、現状、召喚者との縁は繋がっていない。そうである以上、俺は召喚者を無理に探す必要はなく、自分の望むように契約者を探せばいい」
「屁理屈だ」
「俺が是と言えば、何だって構わないのさ。悪魔は俺なのだから」
「ふーんそう」
「小娘」
気のない返事をしながら、彼女が服を片手にトランクから体を出した。取り出したボロ同然の服を広げ、ほっとしたように笑う。
それがひどく気に入らず、思わず悪魔は口を開いた。
「おい、小娘。聞いているのか」
「だったら、私の名前を呼んで」
ようやく振り返った彼女が、目を剣呑に細めて言う。それに容易いことだと思って、そうして悪魔は返す言葉に詰まった。
そういえば自分は、この少女の名を知らない。
沈黙が落ちた。時計台の鐘の音が外から響く。ぴったり六回。それが終わったところで、少女は冷ややかに告げた。
「ラトラナジュだよ」
*****
「こんなところにいたの」
夕焼けに染まる瓦礫の隙間から、黒灰色の髪を持つ少女が顔を出した。返事も待たずに小さな穴をすり抜け、自分と同じように彼女が瓦礫の上に立つ。
彼女が擦り切れたスカートを叩けば、ぱらぱらと何かが落ちた。壊れた電化製品の錆びついたネジか、割れた電子パネルから飛び出す千切れたコードか、あるいは廃車の塗料の欠片か。
それを横目で見やって、悪魔はため息をついた。
「……いい加減、その服装はどうにかならないのか」
「どうにもなんないってば」呆れたように目をぐるりと回して、彼女が自分の方を見やった。「これしか服がないって言ってるじゃあないか。大丈夫だよ。下にズボンも履いてるし」
「ならばせめて、行動に気を遣うべきだ。その服装は瓦礫の山を登るためのものではないだろう」
「服装にいちいち用途を見出だせるほど、余裕がないんだよ。名無しの悪魔さん」
からかうような口調で言った彼女は、小さく伸びをしながら眼下を見下ろした。
灰色の街が、そこにはある。
乗り捨てられた車が並ぶ道路は、あちこちがひび割れていた。
並び立つビルは朽ち、むき出しになった鉄格子が錆びた赤に染まる。
等間隔に並ぶのは電線の下がった電柱なのか、はたまた街路樹の馴れの果てか。
数羽の烏が茜空を割いて飛ぶ。鐘の音が、どこからともなく響き始めた。
「六回鳴ったから、六時なんだよ」
彼女が口を開いた。ちらと見やれば、彼女は得意げに胸を張っている。
契約の話を持ちだしてから更に一ヶ月が経っていた。大して距離は変わっていないが、あの一件以来、彼女が自分に大して少しばかり強気に物を教える機会が増えた。
「この街で、ちゃんと機能してる唯一の時計台なんだ。これだけ街が壊れてて機能してるっていうのは、すごいことなんだよ?」
「そうか」煌めく彼女の笑みに微笑みで返し、ついで鼻先で笑い飛ばす。「まぁ理解しているが」
「え?」
少しばかり傷ついたような彼女へ笑みを向けたまま、悪魔は指折り数えた。
「流行りの人工知能とやらを利用した技術だろう? クローン技術による魔術師の量産化、終末時計による予言、科学技術の一括管理と適切な利用。人工知能がもたらしたこれまでの産物と比較すれば、随分お粗末な機能だが」
「ちょ……」
「あとはなんだったか……あぁそうそう。クローン技術で作られた魔術師は決まって黒髪で、悪魔との契約を介さずとも魔術を使用、」
「ちょっと待った!」
言われたとおりに、ぴたりと口を閉じて視線を向ければ、少女は面白いくらいに慌てていた。
「あんた、どこでそんな知識を?」
「ラジオとやらが盛んに喚いていた」
目を白黒させた彼女に向かって、つま先でラジオを蹴り上げる。がしゃんと音を立てて、ラジオが鉄くずの山の上を転がっていった。彼女が悲鳴を上げて身を乗り出す。
「あのラジオ……! 昨日直したばっかりだったのに……!」
「必要ないだろう。俺は知識を得た」
「あんたに必要なくても、私には必要なの!」
「自分たちが滅びる理由をくどくど言い訳するだけの機械に何の意味が?」
「この悪魔!」
「真実そうなのだから、否定のしようもないな」
彼女がぎりと歯を鳴らしながら顔を上げた。怒りと悔しさの混ざった黒灰色の瞳は、それでもひどく自分を惹きつける。
悪魔は頬を緩めた。身をかがめて手を伸ばし、彼女の褐色の肌を指の腹でなぞって顎を
「そう怒るなよ」笑みを浮かべて、悪魔は声を和らげた。「安心するがいい。少なくともお前の目の前にいる最上の悪魔は、お前と契約したがっているようだぞ?」
頬を膨らませて、彼女が目をそらした。
「召喚主も分からない野良悪魔の間違い、だろ」
「召喚主が何者かなど、俺にとっては些末なことだ。重要なのは貴様ら人間が何を望み、何を捧げるか。あまり深く考えるなよ、ラナ。需要と供給の一致だ。何度も言っているだろう」
「…………」
「さぁ、ラナ。君にとって一番大切な物を供物として捧げろ。そして俺に愚かな望みを告げるがいい。今日こそは契約しようじゃないか」
顔を覗き込んで、笑みを深める。少女はぐっと唇を噛んだ。何かを迷うように小さな手が服を握り、やがて一つ諦めたように息を吐いて、ポケットに手を入れる。
無言で差し出されたそれを、悪魔は嬉々として奪い取った。あぁやっと契約を結ぶことが出来る。奇妙な達成感を噛み締めながら、奪い取ったそれを見つめ、動きを止めた。
透明な玉だった。少女の手のひらに収まるくらいの小さな物だ。つるりとした表面には傷一つ無く、夕焼けを弾いて輝く。
悪魔は唖然とした。ついで額を押さえ、ため息をつく。
「……ラナ」
「なんだい?」
「これが君の供物か?」
「もちろん……昨日拾ったやつだけど」
じろと見やれば、にやにやと笑んだ彼女が得意げに付け足した。
「あぁ安心して、大丈夫。鑑定屋のお兄さんに見てもらったけど、ルビーの仲間らしいよ? これでも一応、宝石ってやつ。売れば結構な大金になるからなぁー。いやーほんと、あんたに渡すのは惜しいなぁー」
白々しい声に、悪魔は深々とため息をついて地面に座り込んだ。期待した分、虚無感も大きい。
虚無感……そう虚無感だ。まさか悪魔たる自分が、そんな感情を抱く日が来ようとは。
「なんだい、座り込んだりして」少女がくすくすと笑いながら隣に座る。「悪魔ってのも大したことないねぇ」
「……馬鹿言え。君の愚かさ加減に呆れているんだ」
「嘘だ。自分の愚かさ加減に、だろ」
呻き声だけ返せば、彼女の手が透明な玉を奪っていった。
灰色の雲の切れ間から夕日が差した。廃屋だらけの灰色の世界。それが黄昏色に染められる。黒い影さえも、優しいオレンジ色をまとう。
彼女の髪が、褐色の肌が、光を弾いて輝いた。それを横目で見やって、ため息をつく。
「ほらほら、見てみなよ? 随分綺麗な夕焼け色だよ?」
そう言って、彼女が無邪気に透明な玉を夕焼けにかざした。
ガラス玉が茜色を弾いて輝く。
夕焼けが、彼女の手の中にある。
「綺麗だねぇ」
「……馬鹿らしい」
「なんだい、素直じゃないの」
そんな物より、価値あるものは幾らでもある。そう言うのも億劫で、悪魔は口をつぐむ。
柔らかな風が吹いて、自分と彼女の黒灰色の髪を揺らしていく。
世界はどこまでも穏やかだった。
それは日の沈む直前の、最後の煌めきにも似た儚さだった。
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