# Hypothesis

「俺達は、誰かを助けるために技術を磨いているんだ。誰かを殺すためじゃない」


 エドの放った声が学術機関アカデミアの教授室に響く。しかし、安楽椅子に腰掛けた男は微動だにしなかった。

 男の白髪はいつものように丁寧に撫でつけられている。骨ばった手を組んだ彼は、黒縁の眼鏡の奥から冷ややかな視線を送る。


 さぞ自分は無様に見えていることだろう。エドは冷静に思った。学術機関を裏切り、けれどテオドルスに負けてここにいるのだから。だが、だからといって、目の前の男を――エメリ・ヴィンチを糾弾しない理由にはならない。


 エドは負けじとエメリを睨む。拘束されているエドの両手首がびりと痛んだ。


「おいおいエド……」エドを拘束しているテオドルスが、疲れ切った口調で呻く。「これ以上、教授ドクを挑発すんな。なっ? 今謝ったら許してやるから」

「許しを乞う必要がありますか?」

「いや、あのなぁ……」


 呆れたように息をつくテオドルスに代わって、エメリが揶揄するように口を開いた。


「少し見ない間に、随分と悲劇のヒーローを気取るようになったじゃないか。え?」

「俺は人として守らねばならない正義を主張しているだけです。教授ドクター

「正義」エメリは吐き捨てるように笑った。「よくもまぁ、恥ずかしげもなく口にできるものだ。正義は口にした時点で陳腐になる」

「ならば教授は外道ですか」

「それで真理が掴めるならば、随分安い代償じゃあないか」


 肩をすくめる老いた科学者に、エドは掌に爪を立てた。腹の底でぐるりと渦巻く熱を無理矢理に押さえ、「いずれにせよ、」と低い声で呟く。


「教授。あんたの目論見は阻まれた。ベルニの懐古症候群トロイメライは治療されたんだから」

「まぁ、そうだな。そちらのデータが不完全なのは残念なことだ」


 深々とため息をついたエメリは、杖をたてかけた机へ手を伸ばした。デスクトップを起動させ、マウスをかちりと動かす。


「だが、分かったこともある」


 エメリの声を合図に、天井から壁に向かって光が照射された。部屋が暗くなり、壁に映像が映る。


 右下に『2153/08/23 22:48:19』という時刻が表示されていた。映っているのは時計台の展示室だ。並び立つ絵が燃える中で、黒灰色の髪の少女がベルニの傍に跪く。


 ラナに違いなかった。祈るように目を閉じた彼女が懐古時計を掲げる。画面いっぱいに白光が溢れ、映像が途切れる。


 だが、この動画が何だというのか。エドが胡乱げな視線を向ければ、エメリが口を開いた。


「ラトラナジュ・ルーウィは懐古症候群を治療する。だが、そもそも治療とはなんだね?」

「は?」

「テオドルス」言葉を失うエドを一瞥し、エメリはテオドルスへ顎をしゃくってみせた。「そこの電子パネルに、今から私が言うことを書き留めたまえ」

「……いや、それ俺がする必要ある……? てか俺が手を離したら、こいつが自由になるじゃんか」

「自由になっても逃げるまい」


 テオドルスが息をついた。のろのろとエドの方を離れ、部屋の後方に置かれた電子パネルに向かう。


 舐めた対応だな。エドは胸中でそう吐き捨てて、後ろ手に縛られた手首をそっと動かす。拘束は緩く、何度か手を動かせば紐が外れるような感覚がある。


 ここから出ていくとすれば、教授室の入り口か、はたまたエメリの背後にある開いた窓か。二階から飛び降りる程度なら仮面がなくても問題ない。逃走経路を思案しながら、エドはさっと部屋を見稿す。


 と、エメリが椅子を軋ませた。

 エドが平静を装って視線を向ければ、この部屋の主は薄く笑みを浮かべて口を開く。


「病が治るとは、畢竟ひっきょう、細胞が正常状態に戻ることでしかない。これには必ず1日以上の時間がかかるが、動画を見る限り、ラトラナジュ・ルーウィは10分と足らずに治療を完了させている。ということは、魔術の性質として考えられる可能性は4つだ」


 エメリが指を4本立てた。


「1つは、『細胞を活性化させ、高速で治癒の過程をすすめている』。だがこれはありえない。何故ならば、懐古症候群では、脳組織の損傷が認められないことが証明されているからだ。治癒すべき物が存在していない時点で、この可能性は否定される」


 エメリは立てた指を1つ折る。


「2つ目の可能性は、『損傷部分を何らかの形で代用している』。例えば急ごしらえで義足を作るようなものだな。だがこれも、先の理由で否定できる。欠損部分が存在しなければ、代用品など作る意味もない」


 よどみなく語られる言葉に、エドは思わずたじろいだ。

 今すぐに逃げ出すべきだ。この部屋から。それが分かっているのに、嫌な予感が絡みつきエドの足を重くする。

 エメリはまた1本、指を折り曲げた。


「第3の理由として考えられるのは、『病の原因を取り除くことで、病の進行を抑える』というものだ。だが、この場合は病気の進行を抑えることができても、既に異常になった部分を治癒することはできない。よって棄却。ならば残る可能性はただ一つ」


 たった1つ、残った人差し指をくるりと回し、エメリは笑みを深める。


「――ラトラナジュ・ルーウィの魔術は『時間を巻き戻すことで、患者を正常な状態へ戻している』」

「時間を、戻す?」エドはやっとの思いで唇を歪めた。「は……はは。エメリ教授。あなたに冗談を言う才能があるとは思わなかった」

「理解しがたいことをすぐに冗談と片付けるのはやめたまえ。魔術師と変わらんぞ?」

「有り得ないと言ってるんです。時間が巻き戻るなんて、そんな」

「だが、現に起こっている。たとえ過程が不明瞭であれ、事実を否定する姿勢はいただけんな」


 笑みを消し、エメリがキーボードを叩いた。

 動画が再び表示される。


「気付かなかったかね、エドワード君。この動画の異常性に」


 ちょうどラナが魔術を使った部分で、エメリが画面をコマ送りに切り替える。


 魔術を使用している時点で、十分に異常じゃないか。馬鹿にしたようにエドが動画を眺める間にも、画面に白が少しずつ溢れていく。ベルニが、ラナが、燃え盛る炎が、順に光に呑まれて消えていった。


 今や見えているのは右下の時刻の表示だけだ。『2153/08/23 22:56:03』。

 その表示が、『2153/08/23 22:56:02』へと切り替わり、映像が途切れた。


「……ただの、誤作動でしょう」少しばかりの沈黙の後、エドは無理矢理に笑みを浮かべる。「たった1秒ずれたから、時間が巻き戻ってるっていうんですか? 大げさ過ぎる」

「今の発言のおかしさには君自身が気づいてるだろう。科学都市サブリエの時間は全て、時計台によって0.0001秒単位で管理されている。あの時計台が正常に動作している限り、時間がずれるということは有り得ない事象だ。大学の講義でも、しかと教えたはずだが」

「…………」

「他にも証拠が見たいというのであれば、いくらでも見せよう。どのデータが見たいかね。君が先日回収したラトラナジュ・ルーウィの血液データか? あるいは彼女の詠唱式から推測を立ててやろうか?」


 エメリの口調は変わらない。笑みの一つさえ浮かべていない。彼の手元に得物はなく、単純に考えるならば勝機はエドにある。

 だというのに、この這い上がるような怖気はなんだ。背中に嫌な汗が伝うのを感じながら、エドは呻くように呟いた。


「……教授……あなたは、何をしたいんだ? 何が目的で……」

「何を?」 


 エメリは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。腕を組み、エドを睥睨する。


「分かりきったことを。懐古症候群の謎を解明したい。それだけだ」

「だったら、ラナに注目する必要なんてないだろう……!」

「その答えは実にナンセンスだな、エドワード君。ラトラナジュ・ルーウィのおかげで、懐古症候群と時間の相関性が新たに示唆された。ならば、引き続き彼女を研究すれば、より興味深い知見が得られ、」


 最早、一言の我慢もできなかった。エドは一足飛びでエメリとの距離を詰める。机の横に立てかかっていた杖を掴み、その先端をエメリの喉元に向けた。


「来るな!」


 エドが鋭い声で一喝すれば、視界の端でテオドルスが苦り切った顔をして動きを止めた。

 くつりと、笑い声が聞こえる。エドが冷え切った視線を向ければ、少しばかり仰け反ったエメリが喉を鳴らして笑っていた。


「はっ! この期に及んで、私を傷つけないとはな。君は本当に正義感に溢れているじゃあないか。エドワード君」

「ラナに手を出すっていうなら、今すぐにでもあんたを殺す」

「非合理だな。そもそも、ラトラナジュ・ルーウィを守りたいのであれば、君はベルニを治療させるべきではなかった」


 エドはぐっと杖を握りしめた。耳を貸すべきではない。分かっていはいても、口が勝手に動く。


「……何が、言いたい」

「病人が善人とは限らない」


 眼鏡の奥で青鈍色アイアンブルーの目を光らせたエメリは、一段声を落とす。


「ベルニという男の性格を、君は本当に正しく理解しているのか? エドワード君。懐古症候群を治療されたあの男が、本当にラトラナジュ・ルーウィに対して感謝の念を抱くとでも?」


 エドの心臓が、何かに握りつぶされたかのように鈍く痛んだ。膨れ上がった嫌な予感に躊躇したのは一瞬。


 舌打ちと共に杖をエメリへ向かって投げつける。それが彼に当たったのか否か。確認することもせず、机を飛び越えたエドはそのまま窓の外へと身を躍らせた。

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