第6話
正直な話をすると、あれからどうやって家に帰ったのか、あんまり覚えていない。
海に近い町を引き返して、あの錆びついた無人駅に辿り着いたあたりまでは比較的はっきりしている。でもどうやって地元の駅に戻ってバスに乗ったのか、ひどく曖昧なのだ。財布の中から電車賃はしっかりなくなっていたので、どうにかして電車に乗って、バスを使って、残りは歩いて家に戻ったのだろう。
確かなのは、弁当箱を台所に戻してなんとなくスマホの電源を入れたら午後三時ちょうどだったこと。その直後にぐらりと世界が揺れて、地震速報が震度三を伝えたこと。
亀が疲れているんだ――と、ちょっとだけ思った。
でも違う。地震は大陸間のプレートがどうのこうのが原因で起きているのだ。それが『こっちの世界』の話だ。いや、えっと、確かそれ以外の原因での地震もあると思うけど、正直そんなに詳しくない。
ともかく。
私は部屋に戻って制服を脱ぎ散らかし、シャツとパンツだけの状態でベッドに飛び込んでしばらくうだうだしていた。ひどく疲れたような気分だったけど、同時になんだかすっきりしたような気もした。
潮風に当たっていたからシャワーを浴びたいな、とか、脱ぎ散らかした制服をハンガーにかけなきゃ、とか、そういうことを考えながら、けれどなにもしないで目を瞑っていたと思う。
ふと、気配がした。
お母さんの車が家の駐車場に戻って来る音だ。スマホを確認すると、まだ午後三時半。いつもお母さんが家に戻るのは午後六時半くらいだから、もしかするとなにかあったのだろうか。私は自分が学校をサボったことも忘れてベッドから抜け出し、ざっと部屋着を身に着けて一階に降りた。
「あら、学校はどうしたの?」
玄関で靴を脱ぎ終わったお母さんは、変な時間に家にいる私に対してきょとんと首を傾げた。怒るでもないし、不審そうでもない。
「うん……まあ、ちょっと、サボった。お母さんは、なんでこの時間に帰って来たの? 仕事は?」
「ふぅん。そう」と、お母さんは頷いた。それから少し考えるふうに視線を天井あたりに向け、私へ戻し、続けた。「あのね、お父さんのお兄さんの息子さん……つまりあんたの従兄だけど、事故に遭ったみたいなの。それで、おじいさんから連絡が来て、今から病院に行かなきゃいけないのよ」
「事故?」
「市内の工場で働いてたそうなんだけど、朝に何度か地震あったでしょ? それで、なんか物が落ちてきたとかで、誰かを庇って怪我したんだって」
「……へぇ」
誰かを庇った。
それは例えば、別の派遣会社でいじめられてる人とか?
「風邪ひいてるんじゃなかったら、あんたも来なさいよ。あたしもお兄さんの息子さんと会うのなんて初めてだし……っていうか、久しぶりに連絡が来たらこれだもの。あそこの家の人、ちょっとどうかしてるのよね」
やっぱり、おばあさんがいなくて男手ばかりだとああなっちゃのかしら……なんてことをお母さんは呟いていたけど、私としてはそのあたりの真理にはあまり興味が湧かなかった。
それよりも。
「……で、その、私の従兄のおじさん? 大丈夫なの?」
「命に別状はないみたいって話。でも、右足――左だったかしら? ぽっきり折れたっていうから、大変かも知れないわね」
「失業保険じゃなくて、労災だよね」
と、私は言った。
もちろんお母さんには意味不明だったらしく、不思議そうに首を傾げられてしまったけど、仮にどういう意味か問われても、私だって答えようがない。
けど……まあ、たぶんそういうことだ。
そういうことにしておこう。
ちゃんと家には戻れなかったにしても、こっちに戻って来たなら、まあいいんじゃないかなって。
世界は亀が支えてるんじゃない。
私の重みは、私が支えているのだ。
いや――だったら私が亀なのかも?
判らない。
判りたいとも思わない。
とにかく私は潮風の香りが残る制服に着替え直し、お母さんの車に乗って病院に行くことにした。本当は『答え合わせ』なんかしない方が素敵かなとも思ったけど、ひとつやふたつくらい、言うべきことがあるような気もしたのだ。
例えば、どんな?
それは秘密。病院に行って顔を合わせた従兄が本当にあの人だったかどうかも、だから内緒にしておく。
だけど確かに私の財布から電車賃は消え失せていたし、お弁当も食べ終わっていたし、空になった紅茶のペットボトルは鞄に入っていた。
そういうわけで、私たちはここで踏ん張っている。
甲羅の上の私たち モモンガ・アイリス @momonga_novels
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