第5話


 三日で名前を忘れるような無人駅で降り、電車が去って行くのを眺めてから、私たちは歩き出した。

 実を言えば無人駅を使うのは初めてで、改札がなく切符を入れておくための箱がぽつんと置いてあるだけなのには驚かされた。

 けど、同時に懐かしさみたいなものを感じるから不思議だった。

 幼い頃に同じような景色を見たような。

 木材がカビている臭いを嗅いで顔も名前もおぼろげな親戚のおばあさんの家を思い出すみたいな、そういう郷愁。なにかがきっかけでなにかを想起しているはずなのに、全てに具体性が欠けていて懐かしさだけが残る。

 ふと振り返ってみれば、どうして廃駅になっていないのか疑問なほど建物が朽ちかけているのが判った。駅名を示す看板でさえ文字より錆びの方が目立っている。あと一年くらいしたら看板が落下しているかも知れない。そしてきっと、落ちた看板は誰も直さないだろう。

 はぁ、と。

 溜息だか嘆息だかを吐き出したら、潮の香りに気付いた。海が近いんだ。

「……この世の果てみたいな場所だな」

 朽ちかけた駅を眺めながらおじさんが言った。私としても全くの同感だったけど、同時にこうも思った。

 ここが果てだとすれば、この世のいろんな場所に無数の果てがあるのだ。

 日本中を探せば似たような場所なんていくらでも見つかるはずで、世界中を探せばもっとずっとたくさんの『果て』があるだろう。

 そういうようなことを、私は言おうとした。自分ではそのつもりだった。

 できなかったのは、地面が揺れたから。

 ぐにゃり――。

 最初は自分の身体が膝から崩れそうな錯覚。それからややあって、大地が振動していることに気付く。

 家の中で黙っていれば地震は割に判りやすいけど、外を歩いているときは判り難いものだ。それなのにこうしてはっきり揺れを自覚できるということは……結構、大きい地震だ。

 震度三か、四か。

 たぶん五はない、と思う。

 私は半ば無意識で近くにいたおじさんの腕を掴み、ほとんどしがみつくようにして地震をやりすごした。揺れていたのは三十秒くらいだろうか。十秒よりは長いと思うけど、一分よりは絶対短い。

「おぉ……割と、揺れたな」

 他意のない言い方をおじさんはした。腕にしがみついている私のことなど見ていない。じゃあ何処を見ているのかといえば、駅の看板だ。例の、駅名が書かれている錆びた看板。あれが落ちずにまだ駅にへばり付いているのを、おじさんは感心したふうに眺めていた。

「まだ踏ん張ってる、ってことか。大したもんだ」

 へっ、とあまり美的でない笑い方をして、おじさんは歩き出した。腕を掴んでいた私も引き摺られるみたいに動いてしまう。

「ちょっ……いきなり動かないでくださいよ」

「そいつは悪かったな。だけど他人ってやつはいつだっていきなり動くもんだ。腕に寄りかかってるときだって例外じゃない」

「そういう言い方はむっとしますね」

「だったらマドモアゼルとか言っておけばいいか?」

「おじさんがジェントルマンだったら正解くらい判るはずですけど」

「じゃあ無理だな。俺は薄汚いおっさんだ」

 紳士じゃねーよ、とおじさんは笑う。私はそのあたりでおじさんの腕から手を離し、言われた通りに自分の足で歩き出した。


◇◇◇


 海沿いの町を歩いてみれば、本当に世界の果てみたいな場所だった。

 道行く人を見かけないのは同じなのに、バスに乗る前の静けさを『沈黙』だとか『息を潜めている』みたいに表現するなら、この町の静寂はまるで死体安置所だ。住宅街を縦断する市道のアスファルトはひび割れ放題で補修される気配もなく、左右に見える民家は大半が一階建ての平屋で、錆びた波鉄板を外壁代わりにしている家もある。たまに普通の二階建てもあったけれど、そういう家はなんだかひどく余所余所しい感じがした。

 生活感がない――のではない。

 むしろ生活感はある。

 例えば、民家と民家の間にあるちょっとした空き地に日曜大工で使ったらしき材木が置かれていて、脇にブルーシートが畳んである。それは何年も前からそこにあったわけではなく、たぶん何日か前に誰かがそうしたのだろうと判るくらい真新しい生活の痕跡だ。

 でも、その生活感の中には未来だとか潤いみたいなものがまるで見当たらない。たぶん子供が少ない町なのだ。少子化や不景気が影響しているのか。途中で見かけた児童公園は駅と同じくらい寂れきっていて、設置されている鉄棒なんて誰かが掴んだだけでぼろぼろと崩れてしまいそうだった。仮に明日から市長をやれと言われても、この町を再興させるアイデアは思いつきそうにない。

 おじさんはそんな町の中を、ペットボトルとおにぎりの入ったビニール袋を片手にふらふらと歩いて行く。ツナギの中年男性が住宅街をぶらついている様子は冷静に考えれば不審なはずなのに、どういうわけかこの町にはやたら似合っていて違和感がなかった。もしかするとブレザー姿の女子高生である私も、傍から見れば町に溶け込んでいたかも知れない。たぶんそうだ。

 だって、今の私たちは未来へ向かっていないから。

 いろいろとよく判らないけれど、そのことだけは確かだ。

 次第に潮の匂いが強くなる。おじさんは特にどうという表情も浮かべずそのまま歩いて行く。私もそれを当たり前みたいに追いかける。そうして私たちは町を通り抜け、海沿いの防波堤まで辿り着く。左右にずらりとそびえ立つコンクリートの壁。高さは三メートルくらい? 少なくとも手を伸ばしてぴょんと跳んでも届かないような高さだ。

 壁の向こうから波の音が響く。潮の香りはもうはっきりとここが海の直近だと告げている。でも、青い海は見えない。そろそろ昼時なのか、太陽は空の真ん中で他人事のように輝いていた。

「あっちだ」

 おじさんがなにかを見つけて右手方向を指差した。見れば五十メートルくらい先に、防波堤にかけられている梯子があった。昇ったところで防波堤の上に立つくらいしかやることはなさそうだったけれど、とにかく私たちは海を見に来たのだ。コンクリートの壁面を見に来たのではなく。

 私とおじさんはえっちらおっちら五十メートル分移動して、先におじさんが梯子を昇って防波堤の上に立ったのを確認してから、私も梯子を昇ってみた。梯子といってもコンクリートに埋め込まれているタイプのそれではなく、木の板で作られた梯子が防波堤にくっついている感じだ。

 鞄を抱え直し、両手両足を動かして一段ずつ昇って行く。たまに海風が吹いてスカートが煽られる。でも特に気にせず梯子を登り切った。おじさんは最後まで手を貸してくれなかったけど、防波堤の上に立った私には、そういう細かいことを考えたり感じたりしている余裕などなかった。


 海が途切れていたから。


 目を瞑って海のことを想像して欲しい。背の高い防波堤の上に立って、すぐ足元に消波ブロックが並んでいて、そこを規則的に波が叩いている。視界の右端の方に長めの桟橋があり、その先端あたりにはなんだかよく判らない球が浮かんでいた。雲の少ない春の日射しはやわらかく、穏やかな海面は光を受けてきらきらと輝いている。視線を遠くに向ければ何処までも続く水平線が見えるはずだ。ぽつりぽつりと空を泳ぐいくつかの雲も見えるだろう。

 誰だって似たような海を想像するはずだ。

 あるいはそれは砂丘であったり、港から眺める海だったりするかも知れないけど、遠くに水平線があって、空の青がグラデーションになっている光景を――たぶん、多くの人が想像できるだろう。

 でも、目の前の景色は違った。


 水平線が、ない。

 ある地点から――世界の先が途切れている。


 消波ブロックには波がぶつかっているのに、世界の端からは大量の海水がこぼれ落ちている。見えるはずの水平線はなくて、途切れた世界の向こう側がぼんやりと白っぽく揺らいでいた。

 このときの気分を、なんて言えばいいのか。

 見えている光景は明らかに異常で、自分がわけの判らない非日常へ迷い込んでいるのが明確になった。あれだけ日常なのか非日常なのかはっきりしなかったものが、今こうして。だけど嬉しいかと問われれば、激しく首を横に振る。

 この非日常から元の日常に、一体どうやって戻れるのだろう?

 そういう疑問が浮かび、脚が震えそうなくらいの恐ろしさを覚える――のが普通の反応だと思う。でも、どういうわけか「ああ、やっぱり」という気持ちが胸中を占めていた。それはなんていうか、通い慣れた道沿いの桜がいつの間にか咲いたり散ったりしているのを見るくらい、ごく自然な感慨だった。


 ――やっぱり世界はこういう形をしていたんだ。


 途切れた世界の端から大量の海水が落ちていて、この世は何処とも繋がっていなくて、私たちはそんな覚束ない大地の上に立っている。

 あれだけ大量の海水は一体何処に落ちているのだろう? それに、こんな世界でどうやってコロンブスは新大陸を発見したのか。肉眼で見える距離で海が途切れていては遠洋漁業だってできないだろう。全く理に適っていない。

 なのに、世界がこういう形をしていることに納得してしまいそうになる。

「あぁ……海だなぁ」

 と、おじさんは目を細めて断崖の海を眺めながら、幅一メートルちょっとの防波堤に座り込んだ。目の前の景色に違和感など覚えていないようで、あるがまま、当たり前のように世界の端を眺めている。

 私はむしろ立っていられなくて――うっかりすれば目眩を覚えて防波堤から落ちてしまいそうだ――おじさんがそうしているように防波堤に腰を下ろし、海風で煽られるスカートを抑えるために太股の上に鞄を乗せた。こういうのって自分がどんな状態でもできてしまうのが奇妙なものだと思う。世界の端から海水が流れ落ちるのを眺めながら、自分のパンツが見えるかどうかなんて気にしてられないはずなのに。

「ねえ、おじさん。ちょっと訊いてもいいですか?」

「なんだ?」

 いつの間にかビニール袋からおにぎりを取り出して包装を破いていたおじさんが、呆然としている私を見て眉を上げた。

「あの……端っこから海水が落ちてるじゃないですか。ああやって水が落ちていったらそのうち海水がなくなっちゃいますよね……」

「なに言ってんだ?」本当に不思議そうにおじさんは首を傾げる。「下に落ちた海水は、下から上に送られて来るんだから、そんな心配は要らないだろ。だいたい、下から海中に水が送られてくるから波が生まれるんだ」

「……そう、でしたっけ」

 いや、海の波は月の重力の仕業だったはずだ。あ、でもそれは潮の満ち引きだっけ? なんて、そんなことを思う私がいるのに、同時におじさんの言葉に頷きそうになる自分もいる。

 本当はもっとおじさんの言葉や態度に違和感を覚えて然るべきだ。でも、気を抜くと『こっち』の世界の常識が内側に滑り込んでくる。

 だって、誰に言われるでもなく私は気付いてしまった。いや、この感覚は、思い出してしまった、とでも表現するべきか。


 そう――この世界は亀が支えているのだ。


 巨大な亀の甲羅の上に、世界がある。

 誰かが言っていたような気がする。その大きな亀の寿命が近づいていて、だから最近地震が増えている、って。おじさんが言っていた「まだ踏ん張っている」のは朽ちかけた看板の話ではなく、死にかけの亀のことだ。


 甲羅の上の私たち。

 なんて不安定な――この世界。


 だけど『こっち』側から見てみれば、『あっち』の私たちだって大して変わらないんじゃないか、っていう気もする。亀の上に乗っていようが、丸い地球の上に立っていようが、自分たちの小ささは同じなのだ。どちらにいようが私は同じ悩みを抱えて、同じ重さを抱えて生きるしかない。

「……あの端っこから落ちたら、どうなるんですか?」

 と、私の口がどうでもいいような問いを浮かべる。

「さあ、どうかな。毎年何人か端から落ちたってニュースは見るけど、そいつらがどうなったのかは判らない。たまに海の水を堰き止めてヘリで『下』を見に行こうって連中もいるけど、なにかを見つけたやつはいない」

 そこまで言ってから、おじさんは一瞬だけ不可解そうな表情を見せた。その戸惑いが『あっち』の名残なのかを知る術はなかったけれど。

 でもたぶん、違和感を覚えたのだろう。

 ほんのわずかにでも。

「亀を見た人もいないんですよね」

 そのことは何故だか判った。どちらかと言えば、知っていた、という感覚に近い。それは『こっち』の世界では当たり前の知識だからだ。

「神を見たやつがいないようなもんだな。亀と神なら一文字違いだし、まあ大して変わらないだろ」

 言って、おじさんは二個目のおにぎりの包装を破いた。割とどうでもいいけど作業着姿の中年男性が防波堤に座っておにぎりをむしゃむしゃ食べている様子はやたら似合っていて、このためだけに海に来たと言われても納得してしまいそうだった。実際、世界の果てを眺めておにぎりを食べるのは……なんていうか、ちょっと特別な気分なのかも知れない。

 だからというわけじゃないけど、私は私でほとんどなにも考えず鞄の中からお弁当を取り出し、蓋を開け、箸を持った。

 白いごはん、卵焼き、冷凍のミニハンバーグがふたつ、ウインナー、昨日の夕飯の残りのほうれん草、ミニトマトとレタス、それに柴漬け。なんの変哲もない、いつも通りの、お母さんが用意したお弁当。世界の果てを眺めて食べても変わらない普段の味。

 五百グラムに満たない、私の重み。

 海の終わりから大量の水がこぼれ続けているというのに、滝みたいな音はしない。消波ブロックに波がぶつかって引いていく音と、潮風が世界を撫でる音だけが響いている。

「俺も昔は、普通のガキだった。今は底辺のおっさんだけどな」

 不意におじさんが言った。

 私は視線だけ隣に向け、箸を動かし続けた。

「高校生くらいのときは、本当になにも考えてなかったな。自分の身の回りにあるものは、あって当然だったし、いろんなものをうぜーと思ってた。仮にタイムリープしても似たようなことを思うだろうし、たぶん同じように青春ってやつを浪費するだろうな。別に後悔してるわけじゃない。それなりに楽しかったし、あの頃が存在しない人生は、まあ割と味気ないだろうからな。でも、一回くらいはこうして世界の果てでも見ておくべきだったかも知れない。そういう意味では、おまえのことがちょっと羨ましいかもな」

 へっ、とおじさんは美的でない笑い方をする。

 それは私に向けた言葉のようでもあり、おじさんが自分の内側へ向けた言葉のようでもあった。いずれにせよ私はミニハンバーグを口に放り込んでいたので返事はできなかったし、そうでなくてもリアクションは取れなかった。

 ひとつ言えるのは――わざわざ口には出さないけど――おじさんの「若い頃は」っていう話が不快じゃなかったということだ。年上の、例えば学校の先生なんかの語る「若い頃」の話は生乾きの雑巾から無理に捻り出した水滴みたいな教訓ばかりがあって、聞いているこっちとしてはうんざりさせられるのが大半だ。おじさんの話がそうじゃなかったのは、上から話しているわけじゃないからだ。ただ横からちょっと話をしてくれたからだ。正直に、偽りなく、教訓なんか捻り出すこともなく。

 もちろん、こういう大人になりたいとは思わない。

 けれど――上から目線で「若い頃」の話を垂れ流す大人になりたいとも思えない。そういうのは、嫌だ。それだけは確かなことだ。

 私は無言で箸を動かし続け、最後の柴漬けをぽりぽり音を立てながら咀嚼し、胃に落とした。食べ慣れた、食べ飽きたと言ってもいいようなお母さんのお弁当は、世界の果てで食べてもやっぱりいつもの味だった。

 そうだ、きっとそのことは重要なのだ。

 私の中の『重さ』なのだ。

 こっちの世界の亀が世界を支えているのと同じことだ。

 私たちを乗せて、ぐらつきながら、踏ん張っている。

 中身を空にした弁当箱を鞄に戻し、残っていた紅茶のペットボトルをちょっとだけ飲んで、それから、私は立ち上がった。

「おじさん、私はそろそろ帰ります」

 そうしようと思った。

 そうしなければと思ったのではなく。

 おじさんは立ち上がった私を見て、やや眩しそうに目を細める。光の加減で本当に眩しかったわけでは、たぶんないだろう。

「そうか。俺はもうちょっとここにいる」

「ちゃんと戻りますか?」

「なんだそりゃ」軽く肩をすくめ、おじさんは少しだけ笑んだ。「まあ、確かに世界の端に落っこちてみたくはあるけどな。でも、ちゃんと家に帰るさ。失業保険をもらいたいしな」

「そうですか」

 だったらそれでいい。

 本当に『良い』のかどうかは、判らないけど。

 それじゃあ、と私は言って、じゃあな、とおじさんは手を振った。

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