蒸機兄妹
もりくぼの小隊
蒸機兄妹
片田舎の小さな駅に一台の蒸気機関車が停車する。疎らに降りる乗客達の中に緑色の装飾を施した真っ赤なトランクを片手で引き摺る見目麗しき少女がひとり。
肩まで伸びた艶やかに輝く黒髪。長い睫毛に縁取られた水晶のような大きく青い瞳。陶器のように白い肌。白と赤のフリル目立つゴティックドレスを可憐に着こなす少女の姿はくたびれた片田舎の駅では一際に目立つ。現に疎らながらに人々は少女に物珍しげな視線を向ける。
彼女はそんな視線は気にもならないと澄まし顔でズルズルと小柄な身体の何倍もあろうかという大きなトランクを引き摺る。特に重そうな様子無く編み込みのブーツとスカートの下に隠れる黒のタイツに包まれた脚の歩みも軽やかだ。
駅を出ると全く舗装もされていないぬかるみだらけの道に少女は少し顔をしかめ、キョロキョロと自動車でも捕まえられないものかと辺りを見回すが、廃蒸気の臭いひとつしない田舎の清んだ空気に自動車は期待できないと肩を落とした。コルセットで固定された括れた腰に手を当てぬかるみを渡るべきか、天高い太陽を信じて道が渇くのを待とうかと思案していると何者かの視線を肌がサワリと感じた。
「……」
黒髪を指先で弄りながら細めた眼を向ける。ぬかるみの道を挟んだ木の影にシルクハットを目深に被り黒いフロックコートに身を包む老紳士が立っていた。少女が気づくと同時に足元が汚れることも気にせずにぬかるみを渡り、側まで近づくと目深に被ったシルクハットを脱ぎ親しみのあるシワ深い笑みで少女へと笑いかける。
少女は老人を見上げるとニコリとも笑わず小さな口を開く。
「……どなた?」
可愛らしくも甘い声音が空気を震わせる。小首を傾げる彼女に老紳士はその親しみのある笑みを崩さず、嗄れた声音を響かせる。
「はじめまして「ルイス・ローズ」さんですね?」
「ルイス・ローズ」と呼ばれた少女はチロと小さな赤い舌を出して片目を瞑る。
「ワタクシの名を知るあなたは「カラス顔の男」それとも「クモ女」の関係者ですの?」
訝しげなルイス・ローズの言葉にも老紳士は笑みを崩さない。少女の水晶のような瞳はギラと彼を見つめ続け、老紳士は彼女にいまだ向けられ続ける物珍しげな田舎住民の視線に肩をすくめ、笑顔のままに会釈をすると、住民はそそくさと通りすぎていった。
「フフ、ここでは目立ちますな。場所を変えても?」
「えぇ、デートの場所に選り好みはしないたちですの」
ルイス・ローズはクツと口を押さえて笑い老紳士も笑顔は絶やさない。傍らから見れば祖父と孫娘の微笑ましい一幕だ。老紳士はシルクハットを目深にかぶり直しぬかるみ道を歩いてゆく。
「ムゥ……」
ルイス・ローズは唇を尖らせてしばし考えを巡らせ、やがて意を決して大きなトランクを両手で持ち上げて頭に乗せるとなるべくぬかるみの少ない箇所を選びながらその跡に続いた。
田舎町を過ぎ、少女は長い長い麦畑の続く黄金色の景色を横目に楽しむ。鼻唄まじりに空を見上げると白い雲が雄大に風に流れるのがよく見える。廃蒸気に覆われた大都市の空などとは比べ物にはならない美しい青空だ。
このぬかるみ道さえなければ最高なのにと思いながら、酷く汚れたブーツを悲しげに一瞥した。
たどり着いた場所は町に外れた朽ち果てた教会跡だった。
「素敵な場所ですわね。お祈りでもいたしますの?」
ひび割れたステンドグラスから射し込む日の光りに照らされる埃を眺めながら不適な笑みのルイス・ローズは汚れたブーツをわざとらしく床に擦りつけ甘い声音で皮肉を返す。
「ハハ、冗談はお好きなようで……わかっているのでしょう?」
背を向けて話す老紳士は変わらぬ笑いで顔をシルクハットで覆い彼女へと振り返りシルクハットを放り投げた。
その顔には【カラスの仮面】だ。
嘴を模した口許の出っぱりに丸眼鏡のような硝子の除き穴。黒一色のデザインの中で頬からこめかみにかけて施された四つの金色に輝く歯車は更に不気味に仮面の存在を主張する。
「あら「カラス顔」の構成員でしたの」
特に驚きもないルイス・ローズはクツリと薄く笑い片手で軽々と巨大なトランクを振り回し飛んでくるシルクハットを叩き落とすようにダンと床に叩きつけるとバクリと勢いよくトランクが開く。そこから彼女に向かって飛び出してきたのは二本の銀色の
「恨みはありません。ただ、その愛らしい生命を停止させるだけ」
カラス面の老紳士は両の人差し指を軽く時計回りに回すと仮面に取り付けられた四つの歯車がガチギチと回転し嘴が開き蒸気が呼吸をするように噴き、カラスに似た奇怪で耳障りな異音を発した。
空中でけたたましい音が響く。
奇怪な異音を合図とするようにひび割れたステンドグラスをぶち破り四メートルの機械仕掛け巨人が二体、老紳士の両脇に降り立った。顔面部には同じくカラスの仮面が装着され、灰色の装甲は薄く遠い異国の暗殺者を思わせる。
「相変わらず悪趣味な〈
悲しくまゆじりを下げながらルイス・ローズは両手の棍棒をクルクルと指先で弄り回す。
「見た目どおりの可憐ではない、油断などはいたしません」
紳士の左手が素早く動くと、左側の〈蒸機兵〉が片腕を前に突きだす。歯車駆動が発動し手の甲が変形する。
「その言葉そっくりとお返ししますわジェントルメン。しかし、そんなケチな用心棒を引き連れても」
青い双眸を細めたルイス・ローズは弄んでいた棍棒でいきなりトランクを前方へと殴り飛ばす。
「ワタクシには素敵なお兄サマがいるっ!」
ルイス・ローズが叫ぶと同時に〈蒸気兵〉の変形した手の甲から飛び出した
「……」
老紳士は砕け散るトランクを油断無く見つめその変化を見逃さない。
砕けてゆくはずの真っ赤なトランクから突然に熱い蒸気が噴き上がる。砕け散った破片、蒸気弾丸、近くにある全てをのみ込み蒸気の膜が拡がる。攻撃を仕掛け続ける〈
「確認しました」
老紳士が短く呟くと〈蒸機兵〉は変形した巨腕をそのままに突きだし蒸気を噴き挙げながら迎えうつ。二つの巨腕の衝撃は蒸気を吹き飛ばし、真っ赤な拳は〈蒸気兵〉の拳を砕き、その勇壮なる巨体を現にする。
「お兄サマッ!」
熱を持った歓喜の声を挙げルイス・ローズが白と赤のゴティックドレスを翻し巨体の側へと駆け跳ぶ。
現れたのは奇怪仕掛けの巨人。
兜のような漆黒の頭部に鈍く光る二つの青い双眼。鎧のような肩と胸部装甲は赤く。同じく真っ赤な巨大な腕と脚にはそれぞれ太い三本の白い噴射機構が主張する。間接部には無数の小さな緑色の配管が血管のように張り巡らされている。
「あれが、噂の〈
老人とは思えぬ
「あなたっ」
巨人の足元に立つ少女の、ルイス・ローズの眉が吊り上がり〈魔蒸機兵〉と呼んだカラス面を憎々しげに睨みつける。
「お兄サマをそんなふざけた名で呼ばないでくださいまし。お兄サマは、「ウィリアム・ローズ」は機械兵器ではないっ」
甘い声音に静かな怒りを滲ませ、老紳士はビリと伝わる圧力に一瞬だけ気圧されるがやがて肩をクツクツと震わせた。
「自身の所有兵器を兄と呼ぶとは、噂どおりに珍妙ですね。まるで人間じゃないか」
「取り消しなさいなその言葉を、ワタクシ達は人間です」
「否、断じて取り消しません。あなた達は、我々は物言わぬ兵器と命令を遂行する道具である」
両者の言葉は相容れぬ。もはや言葉は通じまい。ルイス・ローズは薄い唇を強く噛むと兄と呼ぶ巨人〈ウィリアム・ローズ〉が怒るように唸りを挙げ全身から蒸気を噴き出す。老紳士は両の手を高々に上げ、二体の〈蒸機兵〉も嘴から蒸気を噴き臨戦態勢を取る。
「やっちゃいませお兄サマッ!!」
「執行っ!」
両の蒸気が噴きあれ巨体同士が再びぶつかる。
先に仕掛けたのは二体の
だが、真っ赤な巨人〈ウィリアム・ローズ〉は怯まず両の拳を合わせ巨大な盾とし二つの異なる攻撃を全て受け止めた。鈍く唸る重低音がまるで声のように響きわたる。
腕の厚い装甲に満足なダメージは与えられない。二体の〈
だが、攻撃を仕掛ける瞬間ーー〈ウィリアム・ローズ〉の肥大した肩装甲が競り上がる。緑の配管が軋み震え、蒸気の塊がまるで獣の咆哮が如く勢いよく噴射される。意表をつく反撃に空中で態勢を崩す二体。瞬時に〈ウィリアム・ローズ〉の右腕の噴射機構が蒸気を噴き上げ片腕の〈蒸機兵〉に目掛けて左腕が飛んだ。巨腕に顔面から首にかけて捕まれた〈蒸機兵〉が壁に叩きつけられ、蒸気の尾を引く巨腕のギリギリと締め付ける圧力に耐えられず奇怪な異音を響かせて一機の〈蒸機兵〉はその機能を停止させた。
「ぐうっ!」
〈蒸機兵〉を操る左腕がねじ曲がり老紳士は苦悶の声を上げ、一機が破壊された事を理解する。目の前の驚異に直ぐさま反応する。
迅速に距離を詰めるルイス・ローズは身体を縦回避させ両手に握りしめる
「
「こちらに背徳な少女趣味はありませんっ」
老紳士は穏やかな声で可憐なるルイス・ローズの腹部にもはや機能しない左腕を鞭のようにしならせ叩き込む。弾き飛ばされたルイス・ローズはスカートを翻し空中をきりもみに回転する。その手にした二対の棍棒の柄を強くぶつけると蒸気をあげながらガシャリと伸びる。華麗に着地を決めたルイス・ローズのその手には結合された棍棒。
「どの口が背徳を叫びましたの?」
余裕めいた表情で
「ハハ、耳の痛い事で」
動かす指を止めずに老紳士は乾いた声を漏らす。
「できればダンスのお相手は一曲を終えたあとで」
「お気になさらず、ワタクシと最後のダンスを踊りませっ」
クスリと少女らしい笑みを造り、ルイス・ローズは再び駆ける。狙う獲物を逃さぬ猛禽類の如く迅速の一撃を。
ルイス・ローズが駆けると同時に心の臓を狙い放たれた突きを老紳士は後方へと強く跳び回避する。右指を細やかに動かし、視界に映る〈蒸機兵〉へと指示を送り続ける。〈蒸機兵〉も後方へと回避しながら片腕となり防御面が狭まった〈ウィリアム・ローズ〉へと
「お兄サマに下手な小細工をっ」
だが、それを素直に許すルイス・ローズではない。突き出した結合棍棒を片腕を伸ばし右腕を狙う。
「そちらこそ」
老紳士はその攻撃を読み左腕をしならせ右腕を庇う。熱せられた渦巻く蒸気が左腕を焼き焦がし引きちぎられるが打点をずらすことに成功する。空を切る結合棍棒はルイス・ローズの手を離れ宙を飛び致命的な一瞬の隙が生まれる。このチャンス、逃すわけがない。キリキリと金の歯車が回転し、蒸気噴き赤く熱を持った嘴をコルセットで引き結ばれた腹部へと突き立てた。
「ッーーッッッ!?」
ルイス・ローズは挙げる悲鳴を唇を強く噛み殺す。だが、その身体に与えられた
(ここが勝機っ)
〈
「こ、の、破廉恥なあぁっ!!」
甲高い叫びと共に突然の横からの衝撃に金の歯車が砕け老紳士は弾き跳ばされる。
ルイス・ローズの拳が彼の横っ面を力の限りに殴り付けたのだ。溶解を始め見えにくくなりつつある視界に捉えた彼女は陶器のような頬を
「ううぅぅっ」
ルイス・ローズは唸り声を挙げて全身を燃え上がらせたままに駆ける。空中から舞い落ちる
ルイス・ローズの怒りに呼応するように〈ウィリアム・ローズ〉の動きにも変化が起きる。突撃を敢行する〈蒸機兵〉に対し脚部の噴射機構を発動させ〈蒸機兵〉が攻撃を始める間も与えず蒸気と咆哮を上げた体当たりにその貧弱な巨躯を鉄屑へと変えた。
〈ウィリアム・ローズ〉の体当たりと同時にルイス・ローズは腰に構えた棍棒の結合を解除した。
「あぁっっ!!」
叫びと共に振り抜かれた刃なき一閃が蒸気の尾を引き老紳士の身体を真っ二つに切り裂いた。上半身が宙を舞い無惨に床に叩きつけられた。
「……最後にあなたの名を聞かせなさいな。屈辱をこの身に刻むために」
ルイス・ローズは肩に棍棒を担ぎ、老紳士を冷たく見下ろす。
『ハハハーーハハ』
その問いに老紳士はおかしげな笑いを漏らす。半身と泣き別れとなった身体におびただしい鮮血も生々しい臓器も存在しない。あるのは火花散る機械と煙のみ、もはや口の存在しない顔から漏れるのは壊れたラジオのような笑い声だ。
『ドウグにナなどありませんーーワレワレ「サイボーグスチーム」はーーアルジのメイレイをシッコウするドウグーーですーーニンゲンでーーナい』
「ニンゲンでない」という言葉にルイス・ローズは冷めた眼を細めギリと奥歯を噛む。
「お兄サマもワタクシも人間です。あなただって、ワタクシと同じ「
『〈デモンスチーム〉をニンゲンとーーヨぶーーワカらないーーそのスガタでーーニンゲンとイいハるーーアナタがワカーーない』
映りの悪い自身の
なぜ、ニンゲンだと言いはれるのか、彼にはわからない。ましてや「カンジョウ」など……。
『カンジョウなどーーナい。ジブンのーーイシだとカンチガいしてーーウツクしいとオモうーーアルジのプログラムーージョウキドウリョクロのウみダすーーワイヤーのビサイなシンーードーーウ』
「思う」という言葉が矛盾しているとルイス・ローズは思う。思う心は、兄を愛するこの心は、プログラムではない。有機の身体が無くとも人間である証拠だ。だが、目の前のもはや壊れた言葉も発声られなくなりつつある存在に理解などできないだろう。
「……さようなら」
ルイス・ローズは無感情に
「お兄サマ……少しお兄サマの中で休んでも良いでしょうか?」
事を済ませたルイス・ローズは恥じらいの表情を見せながら上目遣いに愛する兄を見上げる。
その言葉に反応するかのように〈ウィリアム・ローズ〉の胸部が左右に開く。
「ありがとうございます愛してますわお兄サマッ」
彼女は溢れんばかりの笑顔で〈ウィリアム・ローズ〉の大きな腕を抱きしめ熱い口づけをした。
いそいそと兄の中へと座り込むと身体が固定され、ゆっくりと胸部が閉まっていく。
(お兄サマ、必ず見つけますわ。ワタクシ達が静かに生きてゆける
胸部が重い音を発てて閉まると同時にルイス・ローズの意識はブツリと落ちた。
蒸機兄妹 もりくぼの小隊 @rasu-toru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます