第35話 さまよう亡霊
それから数日のうちに、城下には新たな噂がいくつか広まり始めた。ひとつは単なる噂として。後の二つは恐怖を伴って。いわく、
「……グライア・エボディアとの結婚に同意しないフォルナリーナ姫はドラク城の地下で酷い拷問を受けている。一向に民の前に姿を見せないのはそのためである……」
「……ビムロス・アーネアス王の亡霊が、二十年の時を経て、彼を裏切った者どもを呪い殺しに現れ始めた。彼が夢枕にたった者は、数ヶ月の内に間違いなく命を落とすであろう……」
さらにもう一つ。
「……無念のうちに殺された大魔道士、ダイソック・タトゥーラが地獄から蘇り、城下を毎夜のようにさまよい歩いている。たまたまその姿を見かけた衛士の話では、醜い刀傷のある顔で不気味にニヤリと笑い、かき消すように闇の中に消えたそうだ……」
噂を裏付けるように、ダイソックの亡霊の目撃談は続々と増えていく。
噂はさらなる憶測を呼び、次第に街中が恐怖の渦に巻き込まれはじめた。
いつの間にか、昼間でも民は声を潜めてフォルナリーナの安否を気遣うようになり、日が暮れてからは跳梁跋扈する亡霊を恐れて誰も街を歩かなくなった。
そんな人気のない寂しい街角を、一人の男が馬車で自宅に急いでいた。
「ちくしょう、いったいどうなっちまったんだ!」
男は毒づいた。
ほんの数日前まで、夜の街は賑やかで、彼が歩く所にはいつもきらびやかな若い女性が現れ、山手にある彼の館にも連日人の姿が絶える事はなかった。
しかし、今、人気のない通りには砂混じりの風が吹き抜けるばかりで、彼の館を訪れる者もぱったりと絶えてしまった。
郊外の白亜の豪邸は、今では闇に沈み込み、まるで妖気さえ漂っているかのようだった。
「戻ったぞ!」
男は玄関を押し開け、薄暗いホールに呼びかけた。いつもならすぐに現れる従者達が、今日は一人も現れない。
「おい、誰かいないのか?」
静まり返った邸内に彼の声だけがむなしく響く。
「グライア様」
「わあっ!」
突然後ろから呼びかけられ、悲鳴を上げるグライア。
「私です。アドクでございます」
彼の忠実な年老いた執事が悲しげな表情を浮かべてそこに立っていた。
「なんだ、お前か、脅かすな。家臣どもはどこだ?」
「それでございますが……」
アドクは言いにくそうに顔をゆがめた。
「ほとんどの者が暇をいただきたいとの申し出でございまして……」
「は?」
「先のビムロス・アーネアス王の亡霊がドラク様に与するもの全てを呪い殺すという噂が広まりましたため、皆逃げる様に……」
グライアの顔色がさっと青くなった。
彼自身、今朝、ビムロスの悪夢を見ていたのだ。顔ははっきりしないが、黒くて大きな影が彼を押しつぶすかのように迫り、恐ろしげな声で宣言したのだ。
『我を裏切りし者、全てに死の制裁を!』
影はそう言った。彼はその情景を思い出して思わず身震いをすると、亡霊を追い出そうと激しくかぶりをふった。
「構わん。食事は城で済ませて来た。もう寝る」
それだけ言うと彼は寝室に閉じこもった。しかし、満足に眠れないであろう事は判っていた。
豪華な寝台に横たわり、暗闇の中まんじりともせずに彼は考えた。ビムロスの亡霊と、フォルナリーナの態度の急変は何か関係があるのだろうか。
数日前までは確実に彼女のガードは下がって来ていた。もう少し押せば墜ちたはずだった。ところが翌朝、彼女の態度は急変していた。
前日までの弱気な素振りはみじんも見せず、それどころか、これまでにない威厳というか、自信を全身にみなぎらせていた。
彼は口先だけでけちょんけちょんにあしらわれ、いつの間に手に入れたのかペットの鳥にまで笑われる始末だった。思い出しただけで屈辱に口がゆがむ。
「なぜ、僕がこんな思いをしなくちゃいけないんだ」
女性に本気で拒絶された経験の無い彼には、フォルの急変と強気な態度は理解できなかった。
なぜ、僕までが呪われなくちゃいけないんだ。僕は何も悪くない。悪いのは全部親父だ。そう、親父がすべていけないんだ。
まるで子供の理屈である。彼のいらだちはいつしか父親への反抗心に姿を変え、次第に大きく燃えさかり始めた。
同じ頃、ドラク城内ではドラク王とその懐刀ケルンツム将軍、そしてギルドの長、大商人のバーコンが深刻な顔でテーブルを囲んでいた。
「間違いではございません。これまでに都合三度、ビムロスが私の夢枕に現れたのでございます。台詞はその度に違っておりましたが、間違いなくビムロス・アーネアスその人でございました。私を、裏切り者を呪い殺すと。私はもう生きた心地が……」
「もうよい!」
ヒステリックに訴えるバーコンをドラクは一喝した。
「ケルンツム、どう思う?」
「噂の真偽はともかくとして……」
ケルンツムは禿げ上がったバーコンの頭をちらりとめねつけた。
彼はこの商人が嫌いだった。いつもわざとらしい薄笑いを浮かべた口元、ごてごてと派手な指輪で飾り立てた指。これでは剣を持つ事すら出来まい。そのくせにドラク王に口先だけで取り入って政策にすら口を出す。まるで寄生虫だ。
「このまま、このような噂を放置しておく訳にはまいりません。すでに兵士たちの士気にも少なからぬ影響が出ております」
「そういえば、城下のアーネアス派を一掃するというおまえの計画はどうなったのだ」
「そ、それが、思いがけず難航しております。なぜか数日ほど前より民の協力が全く得られなくなりまして。まるで街の者すべてが彼らをかくまっているかのようにぴたりと動きがつかめなくなり」
「それどころか、兵士の中にさえ寝返った者が居ると聞いてるぞ」
バーコンが仕返しとばかりに言い放つ。彼もまたケルンツム将軍を目の仇にしていた。
商売事の精緻な駆け引きを理解せず、強引に力で押え込む野蛮人。彼は将軍をそう評していた。
「馬鹿な! くだらん流言だ。我らの中にそのような軟弱者はおらぬ。わが軍の規律は一枚岩のごとくに強固だ。つまらぬ言いがかりはやめてもらいたい!」
「やめんか!」
ドラクは額に血管を浮き上がらせて怒鳴りつけた。二人はひくっと縮こまる。しばらくして、冷や汗を浮かべたケルンツム将軍がおそるおそる口を開く。
「とにかく、根も葉もない噂だとはっきり証明しなくてはいけません。プリンセスの姿を民に見せつけて、皆を安心させる事から始めてはいかがでしょう。もちろん、警備はこれまで以上に強固なものに致しますゆえ……」
「そうだな。他には?」
「国民の抱く漠然とした恐怖心を、ほかの何かで和らげ、消し去ってしまう必要がありましょう。例えば、豪華な婚礼式典を計画して、祝賀ムードを盛り上げ…」
「それならもうとうにやっておるわ!」
バーコンが不満そうに鼻を鳴らした。
「いや、もっとはっきり目に見える形にしなくてはならん。街中を美しく飾りつけ、式場になる教会もさらに豪華に改装すると言うのはどうでしょう。思いきり派手にして、皆の意識をそれに集めれば、根も葉もない噂などあっけなく消え去りましょうぞ」
「しかし、式までもう三週間を切っておる。間に合うのか?」
「それならばこのわたくしめにお任せ下さいませ」
ここぞとばかりにバーコンがしゃしゃり出る。
「わがギルドの力をすべて結集して、国中はおろか、大陸中に鳴り響くすばらしい式典を準備致しましょう」
「ふむ。では任せる。明日より早速実行に移せ。よいな」
「御意に」
いがみ合う二人の声がそこではじめて揃った。
マテリアル・グリーン 〜ポンコツ魔道士、ハッタリで囚われの姫を救え!〜 凍龍(とうりゅう) @freezing-dragon
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