第34話 それぞれの心理戦(2)

 フォルナリーナは疲れ果てていた。

 待遇は確かに最高だった。

 塔の最上階にある一室に閉じ込められ、そこから出られない事さえ除けば、食事は文句なしにすばらしく、衣類も、その他の小物類も、言えばすぐに差し入れてくれた。

 部屋には専用の浴室までも備えられていて、何人もの女官にかしずかれて入浴するのは気恥ずかしいがきわめて快適ではあった。

 誰からも文句のつけようも無いプリンセスとしての待遇だろう。これまでの人生のなかで最もぜいたくで、快適な暮らしだった。

 しかし、彼女はそんな生活にうんざりだった。父と暮らしていた頃の慎ましいながら自由な暮らしと、ぜいたく品に取り囲まれた不自由な虜囚としての生活のあまりの落差に、絶え間ない搾取と拝金主義の成果を見せつけられるような気がして仕方なかった。


「どうしたんだい? フォルナリーナ」


 もうひとつの頭痛の種がこれだ。

 このうっとおしい色男、グライア・エボディアは、フォルが監禁された翌日から、熱心にも一日も欠かさず部屋に押しかけて来ていた。

 それだけならまだしも、何時間も粘ってぐだぐだと馴れ馴れしく喋り続け、あげくに肩と言わず腰と言わずべたべたと触れようとする。うっかりすればキスさえ迫ってくる始末。

 フォルも、最初は厳しく追い返していたのだが、あまりのしつこさにだんだん追っ払うのも億劫になっていた。


「ごめんなさい。私疲れてるんです。今日は一人にして頂けませんか」


 フォルは今日これで何度目かのセリフを口にした。追い返す口実だけではなく、もはや本当に疲れ果てていた。

 さすがに鈍感な色男もこれが演技でない事にようやく気付いたのか、しぶしぶと重い腰を上げた。


「それはいけない。今日は早くお休み。僕のかわいいフォルナリーナ。また明日来るからね」


(もう二度と来んな!)


 口に出したいのをどうにかこらえ、心の中でそう叫ぶとグライアを送り出す。

 再び閉じられた扉を背に大きくため息をつき、のろのろと窓際の安楽椅子に腰かけた。

 太い鉄格子のはまった窓の外では、カモメやウミネコが気持ちよさそうに風に乗って舞っている。


「あなたたちは自由でいいわね」


 そんな鳥達を眺め、時には餌を与えながら話しかけるのが、幽閉生活の中で唯一心の休まる時間だった。


「それにしても……」


 今日は海鳥達が騒がしい。

 不思議に思ってしばらく眺めて見ると、どうも一羽の小振りのカモメが他の鳥達に寄ってたかって攻撃されているようだった。縄張りを侵して入り込んだはぐれ鳥らしい。


「危ないよ。早く逃げなさい!」


 だが、小さな白い鳥は、自分の倍近い大きさのカモメ達の集中攻撃にも一向にひるむ様子を見せず、一瞬の隙をついてフォルの部屋に一直線に突っ込んで来た。


「ひっ!」


 驚いた彼女が飛びのく間もなく、窓にはめられた鉄格子の細い隙間を無理やりくぐり抜け、部屋に飛び込む。だが、さすがにそこで気力が尽きたらしい。床に墜落し、傷ついた羽をだらりと広げたまま、弱々しく鳴き声を上げてうずくまっている。追って来た他の鳥達は図体の大きさが災いして部屋の中までは追ってくることはできず、しばらく不満そうにギャアギャア騒ぎながら辺りを舞っていたが、そのうちにあきらめて飛び去っていった。

 フォルはしばらく遠くから眺めていたが、怪我をしている小鳥を放っては置けなかった。ゆっくりと近づいて、思いきって手を伸ばしてもそれはおとなしかった。


「大丈夫。つっつかないでよ。怖くないからね」


 背中を人差し指でちょこんとさわってみる。

 だが、小鳥はくるくるした黒い瞳で彼女を見つめるだけで、逃げようとはしない。

 フォルはやっと安心して、怪我を避けてゆっくりと小鳥を持ち上げると、テーブルに運ぼうとして気付く。右の脚にリボン状の何かが絡まっている。

 フォルは脚を痛めないように慎重にそれを解いてテーブルに置くと、隣の部屋に控えている女官を呼んだ。


「ははあ、これはカモメではありませんよ。たぶんシロワタリアジサシのオスですね。まだ大人になりきってはいないようです」


 すぐに入ってきた若い女官が、傷ついた小鳥を見てそう教えてくれた。


「詳しいのね」

「えへへ」


 女官はくすぐったそうに笑うと、


「私の実家が漁師です。海のそばで育ったんですよ。それにしても珍しいですね、ワタリアジサシはこの時期もっと北の地方に渡っているはずなんですが」


 そう言いながらフォルに薬箱を手渡す。


「そうなの?」

「ええ。それに、野鳥の割にはずいぶん人なつっこいですね。普通はもっと暴れるものです」

「やっぱりそう思う? 怪我をしてるしその気力もないのかしら」

「いえ、むしろ姫様を信頼しきっているように見えます」


 その時、次の間から若い女官を呼ぶ声が聞こえた。


「あ、もう行かなくては。薬箱は後で取りに参りますが、何かありましたら遠慮なくお呼びください」


 女官はそれだけ言い残すとぱたぱたと部屋を出て行った。

 再び独りになったフォルは、慎重に小鳥の治療に取りかかる。

 彼はおとなしかった。傷口の消毒には声を上げて抗議したが、後は身動きもせずになすがままにされていた。

 幸いにも深い傷はひとつもなく、治療が終わってしばらくするとフォルの手から直接餌をついばむまでになった。


「本当に人に慣れた鳥ね」


 つぶやいたフォルは、さっきのリボンを思い出した。


「あれ、どこに行っちゃったかな」


 置いたはずの場所には見当たらなかった。風に飛ばされたかと思い、四つん這いになって近くの床を這うように捜したが見つからない。

 半分あきらめて顔を起こしたフォルは、安楽椅子の上にそれを発見した。


「なんだ、こんなところにあるじゃない」


 そのまま指でつまんでみる。ひものように見えたそれは、実際は薄くなめされた革紙の切れ端だった。広げて見ると、そこにはたった一行だけ。日本語で。


<元気でやってますか?>


「あ…」


 彼女の目から見る間に大粒の涙があふれ出た。後は言葉にならなかった。

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