カメレオンの干物

第1話

美優は悩んでいた。

美優には「確固たる自分」は無かったが、「好きな自分」があった。

ベリーショートの髪。大きなピアス。何処か東洋の国のハンドメイドの服。

だるだるとしたロングのパーカーやら、ボタンが無意味に其処彼処につけられたサルエルパンツ。

特に拘りがあってそのようにしていた訳では無かったが、「いいな」と感じた様々な瞬間のごった煮のような自分が好きだった。


美優はライターをつけ、その灯火全てを吸い込むかのようにタバコに火をつけた。

美優の厚ぼったい唇から、ゆっくりと煙が立ち上る。

寂れたビルの屋上から眺める夕暮れは、美優の心を癒してくれるが、同時に感傷的な心も起こした。



美優には付き合っている人がいる。世間一般には恋人というのだろうが、恋人というよりは付き合っている人、といった方が正確な気がしていた。

その人とはインターネットで出会った。

好きな本や映画などの中でも少しマニアックなものがお互い好きだった。

二人はメールだけの関係だったが、ある時、少しの好奇心から彼に電話をしてみた。


「もしもし?」


「……君、案外舌ったらずだね。」


開口一番に彼は言った。


「そうかもしれないね。でも、初っ端からそんな指摘する?」


変な人、それが美優の彼に対する第一印象だった。

それはお互い様だったようで、その不思議さが気に入ったのか、彼の方からも幾度となく着信が入るようになった。

それからは色々な話をした。

お互い仕事で朝も早いのに飽きもせず、毎日のように朝方まで話していた。


ある時、彼は不意に通話の中で。


「俺と付き合おう。」


一言、本当になんの前触れもなく言った。


「会ったことも無いのに、無理だよ。」


美優は面食らいながらも、悟られまいと努めてそう言った。


「会ったら、やめておけば良かったって思うかもよ?」


彼は妙な自信を持っていた。


「俺はそうは思わないよ。これだけ話が合う人はそうそういない。外見で判断する訳じゃない。」


それからは箍が外れたように、事あるごとに「付き合おう」と繰り返していた。

あまりに繰り返し言うので、美優は「付き合おう」という単語は彼の中では「おはよう」と同じ意味を持つのではないかと疑い始めていた。


毎日毎日、何度も何度も同じことを言われ、美優はついに根負けした。


「分かった、付き合います。でも、会って失望しても知らないからね!」


美優は電話口で投げやりに言い放った。


「え、本当に?……よろしくね。」


彼の返事はなんとも拍子抜けのするものだった。

しかし、その拍子抜けとは裏腹に、美優の悩みの種はこの日に心に深く埋め込まれたのだった。



初めて彼と会った日、彼は少し遅れてやってきた。

駅前の雑踏の中、一人異彩の雰囲気を放っていた。

春だというのに、毛皮の帽子。鎖骨まで伸びた長い髪。

黒いシャツとパンツを身に纏っていた。

長身に対して圧倒的に「肉」がない。

浮き上がる頬骨は、彼の中の骨を感じさせる。


(どうしよ……。外国のモデルみたいな人来てるけど、まさか本当にあの人が?)


違っていてくれという願いも虚しく、彼その人だった。

会った瞬間、美優は自分の服装を後悔した。

ある程度、どんな人にも合わせられるようにと、持っている服の中で限りなく「無難」な服を選んだ。

黒いジャケットにロングのシャツ。深い緑のチェックのパンツに茶色いブーツと、学生風の組み合わせだ。

元々高い品々ではないが、彼の隣に立つとどうしても全て貧相に見えた。


それから桜を見に行った。

茣蓙などを敷いて花見をするのではなく、ただ街道に咲いている桜を歩きながら見る。

二人でひらひらと舞う桜の中を歩いた。

美優は彼の横顔を見上げた。

毎晩のようにくだらない話をしていた相手とは到底思えなかった。

彼が何を考えているのかは分からないが、散っていく桜が妙に似合っていた。


実際に会ってみると、彼はとても神経質だった。美優の髪に触れると、眉間に皺を寄せた。


「美優、髪が傷んでる。女の子なんだからちゃんとしなくちゃ。」


「え、あ、うん。気をつけるね……。」


「それに、服装、ちょっと芋くさい。」


「い、いも?!」


初対面で何故ここまで言われなくてはならないのか。抗議したい気持ちでいっぱいだったが、完成された彼の姿を見るとその気持ちはみるみる萎んでいった。



美優は人に合わせる癖があった。

我は人一倍強い癖に、嫌われるのを極端に恐れている性格のせいだった。

どんな人にも嫌われたくない。どんな人にも好かれていたい。

人からどう思われても構わないと思いながらも相反する強い感情を常に抱いていた。

その結果、人としての品性にかかわるような事柄でもない限り、自分の趣味趣向やプライドは心の隅に追いやってきた。

だから、彼に言われたことはしなくてはならない事柄なのだと、当たり前のように思い込んだ。

自分の心よりも、何かを与えられればそちらを優先させてしまう。

それは半ば強迫観念のようなものだ。


彼と付き合い始めてから美優の見た目は明らかに変わっていった。

いつも手に持っていたタバコは良い香りのするヘアオイルに変わった。

服装は流行りを取り入れた可愛らしいものになった。


(こんなの私じゃない!)


心の奥ではそう叫んでいたが、それを声に出す勇気は無かった。

「確固たる自分」というものを持たないゆえのことだった。

形が決まっていないから、言葉に出来ない。

初めて彼と会った時には肩まであった髪を、せめてもの反抗心でバッサリと落とした。

友人からの評判は良かったし、美優自身も気に入っていた。

しかし彼には「タイプじゃない、次はこの髪型にしろ。」と切り捨てられた。



美優には自負があった。

どんな人間にも歩調を合わせることが出来る自負が。

それは恋人も例外でなく、「美優自身が合わせてやっている」に過ぎなかった。

「八方美人」ではなく、あくまで自己を残した上で周りに溶け込む。

カメレオンのように、色は変えても形は変えない。

そんな自分が好きだった。


なのに、今は全て上手くいかない。

彼は美優の「かたち」を。カメレオンの「かたち」を変容させようとするからだ。



ぼんやりと溶けていく夕焼けを見ていたら、いつの間にか咥えていたタバコの火はフィルターに届かんばかりになっていた。

タバコをコンクリートの地面に吐き出して踏み潰す。

潰れたはずのタバコからはぶすぶすと往生際が悪く煙が立ち上る。

いつまでも上る煙は美優自身のようで、美優は苦々しく思いながらもう一度それを踏み潰した。


全て投げ出して、緑色のカメレオンに戻るのか。

このまま言いなりになって、カメレオン以外の「なにか」になるのか。


美優は選べない。

どちらが正しいとは言えないからだ。


美優の生き方は蔑まれることはあれど、褒められるような生き方ではない。

彼の提示する生き方をすれば羨望と「真っ当な人間」という名札がもらえるのだ。

けして好きになれそうもないが。


美優はまたタバコを取り出して、ライターの灯火を吸い込んだ。

美優の足元には夥しい量のフィルターが転がっている。

答えが出ないまま、何度目かの夕焼けは溶けた。

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カメレオンの干物 @pinot

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