Ep.2 リトルウィッチ
どきどき。
どきどき。
心臓がこれでもかというくらいにうるさい。皿洗いを済まして急いできたお父さんの部屋の前。閉ざされた扉からなぜだか妙な威圧感を感じて、なかなかドアをノックすることができない。そわそわと部屋の前を行ったり来たり。
「葉」
「!」
その時、扉が小さく軋んだ音を鳴らして、中から苦笑いをしているお父さんが顔を出す。「緊張しなくていいよ」と頭を撫でられ、おいでと部屋へ招かれた。
『にゃあ』
「え、ね、猫?」
部屋へ足を踏み入れればすぐさま目が行ったのは、お父さんのベッドの上で鎮座するふわふわもこもこの黒猫の存在だった。だって猫がこの部屋に居た事なんて知らない。ましてや気配すら感じたことがない。そもそもこのマンションはペット可だったっけ――嗚呼、分譲って言ってたから飼っても問題はないのかと自己解決。
「座りなさい」
「っ、ひゃい!」
「あはは、だから緊張しなくて平気だよ。お父さんがさっき変な切り出し方をしてしまったから、肩に力が入ってしまったんだね。ごめんね、葉」
思わずうわずった返事にカアーッと顔に熱が走る。まるで怒られる前の子供のようだ。わたし自身、親の言う事は絶対(だと勝手に思い込んでいた)だった為に、諭されることはあっても二回目を繰り返して怒られるに至った試しがない。約束なんて言われたら尚更だった。だからかこういう空気は苦手中の苦手。とりあえず呑気にあくびをした猫をみつつ、それに少し和んだはずと自分に言い聞かせ三人掛け程のソファーに身を委ねる。お父さんもまた一冊の本を片手に持ち、わたしの隣に腰を下ろした。
「――まず、どこから話そうか」
「え……」
「葉は、なんでお父さんとお母さんが離婚して、且つお父さんのところに葉が居るのか、ちゃんとわかってるかい?」
「それは、わたしがみえないはずのものが視えちゃうから。でもお父さんも視えるから、お母さんを傷付けないために、わたしとお母さんの仲を拗らせすぎないために、じゃないの?」
「満点な回答だ。でも、そうか、僕はそこまで葉に諭させてしまっていたんだね」
悲しそうに眉をしかめ、お父さんはまたわたしの頭を撫でる。お父さん、本当に頭を撫でるの好きだなと考えつつ、わたしは今ここに居ないお母さんの事を思う。
今でも月に一度か二度、お母さんの仕事の都合によりけりで面会をしている。いつも行き慣れたレストランで食事をすることが多く、稀にお泊りもできたりする。その場合はお母さんがわたしとお父さんの住むこの家に泊まりに来るのだ。わたしは家にいる限りはみえないはずの何かに怯える必要がない。だからこの仕様にはとても助かっている。
助かっている、けど、そうだ。
ずっと違和感を感じていた。
「お父さん、なんで家にいると視えない何かがいないの? お母さんとお泊りする時、なんでお母さんの家じゃなくてわたし達の家なの?」
「それはお父さんが直々にまじないを施してるからね」
「まじない??」
なにそれ初耳なんですけど。というかまじないとは。
驚きで頭の中がはてなマークで埋もれそうな時、また『にゃあん』と猫の鳴き声が近くで響く。そう、近くで。
「この子、ただの猫じゃ……ない?」
『んにゃあ』
お父さんのベッドから降りると、軽快な足取りと身のこなしでわたしの膝へと乗ってくる。ふわふわ、もふもふ。不思議と温かみだけは感じられず、それ以外は普通の猫も同じ。尾も二つにわかれてもいない。恐る恐るその身に手を伸ばしたら、ふわっとその毛並みに触れることができた。
「彼はケットシー。今夜から葉の使い魔にと、お父さんが呼んだんだ」
「けっとしー? つかいま? お父さんが呼んだ?」
「葉はね、今夜から魔女として魔界に名が馳せるんだよ」
「……え?」
"魔女"
その単語に心臓が跳ねる。そういえば、みえないはずの何か達が一様に口にしていたっけ。
「お父さんの先祖が悪魔か精霊か、昔過ぎて証拠も残ってなかったから断定はできないけど、でも間違いなく人ならざる者と結ばれたんだ。そしてその二人の子は人間として育ち子孫を残していった。そして時を経て今、葉がお父さんの人ならざる者の先祖の血を、色濃く受け継いで生まれてきたんだよ」
「……?」
「急に言われても分からないよね、ごめんね」
お父さんはわたしを抱き寄せると、何度も「ごめんね」と繰り返した。どうやらわたしは人間じゃなかったらしい。どちらかと言えば人間寄りなだけで、わたしもまた人ならざる者の一人、ということなんだろう。
「お父さんと葉の眼は、
「魔族?」
「細かく区分すると違う部分もあるんだ。例えば葉の使い魔となる彼はケットシー。彼は猫又とは異なり、精霊扱いになる。魔族というよりも
「……しんぞく?」
「まあ、追々分かってくるだろうから、今は無理に覚える必要はないよ」
背中をさすられ、つい膝上の視線に目を落とす。するとまるで透き通った海のような青い瞳を持った彼、ケットシーと視線が交わった。再び『にゃー』と一鳴きしたケットシーをどうしたらいいか分からず、真似ではないと言いたいけどお父さんがわたしにしてくれるように、その頭をそっと撫でてみた。ただふわふわしていて、こちらとしては気持ちよかった。
「お父さんはなんで、魔守の眼を持ってるの?」
「お父さんも葉と一緒だったんだよ。けど葉に比べたら、遥かに弱い血しか継がなかっただけでね」
「……そう、なんだ。お父さんは魔女……魔法使い? じゃないの?」
「残念なことに、魔守の眼だけじゃ違うらしい。そもそも魔守の眼だけを受け継ぐ人間なら、そこそこの数がいるそうだよ」
「ふぅん」
ケットシーを撫でたまま、頭が思考停止する。まじない、ケットシー、使い魔、魔女、魔族、魔守の眼、神族。聞き慣れない単語のオンパレードで頭が追い付かない。現実味のない話過ぎてというのもあるが、嗚呼だからかと辻褄が合い納得してしまう部分もままあって、要するに受け止め切れない。もう一度言う、受け止めきれない。
なんだか熱っぽくクラクラしてきた頭をお父さんに委ね、お父さんもそれに気が付いたのか、頭をその大きな手のひらで抱き寄せてくれた。
「頭、熱い」
「今日が葉が十六歳を迎えて、はじめて迎える満月の晩だから。その体に魔力が流れ始めているんだ」
「……まりょく?」
「無理に言葉を発しなくていい。この熱は新月の晩になるまで続く。これは、魔女となるための通過儀礼なんだ」
「そ、っか?」
拒否権はないのかと言葉にする体力は、体全体に広がる熱によって既に奪われていた。曖昧になる視界、重く怠くなる頭と瞼。抗おうとすればするほど、熱は早く体の奥底を燃やしていくようだ。
――意識が、遠くなる。
「……、……な、まえ」
「ん?」
「この子の、なま、え」
「っ――! ――――!」
四肢から力が抜けていくのを感じながら、膝の上に居るケットシーを落とさないことに頭が固執する。同時にケットシーじゃ呼びにくいから、名前はないのかと聞きたかった。
聞きたかったのに、わたしの意識は闇の中へと堕ちていく。一瞬にして深い
満月の夜は、魔族の宴の宵。
十五日間の眠りから、小さな魔女の目覚めを待つ。
next.
ミルフイユの記オ録 風属性 @kaze_zokusei
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