ミルフイユの記オ録

風属性

Ep.1 わたしにみえるもの

よう。アレ達はね、おまえとお父さんにはみえるけど、他のみんなにはみえないんだ。だから例えみえても、誰にもそのことを言ったらいけないよ」

「……お母さんにも?」

「そう。お母さんにも言ってはダメ。お父さんとの約束だよ」


いつまでも記憶に根付いている、幼きある日のお父さんとの約束。あの時はわたしが子供過ぎて、なんでみえたものを言ったらいけないのか、正直言って分からなかった。ただ約束と言われたらおとなしく言う事を聞いていたわたしは、疑問に思いつつもお父さんとの約束を守り続けた。そのうちに時が過ぎてわたしは成長していき、お父さんの言葉を徐々に理解する。俗にいう幽霊やオバケと言ったものが、わたしには視えているんだと。


(また黒板に黒いヤモリが這ってる……。黒板の字が見えない)


大きさはコッペパンくらいだろうか。静かに音もなく黒板中を這いずり回り、たまに先生がチョークで綴った文字の上で居座り授業妨害をしてくる。他にも視線をずらせば、教室の隅で何かをブツブツと呟いている体育座りをした子供、あるクラスメイトの机の上を陣取る二又の猫、そして窓の外には『ねぇ、あの人の子が今の最年少の魔女?』『魔女って呼ぶにはまだ幼過ぎるな』と丸聞こえで会話する有翼且つ人型のなにか。他にも居るけども言い出したらきりがない。わたしは全てを見ざる聞かざる言わざるを貫き通し、ただ黒板を這うヤモリにだけ「どいてくれええ」と念を(届いてはいないだろうけど)送り続けるのだった。



放課後。クラスメイトが各々に部活だの委員会だので教室から立ち去ってく最中、少し離れた席にいまだ残る、ひときわ際立つ艶やかなカナリア色のロングヘア―が印象的な女子生徒へ声をかけた。


「あんじゅ、ノート見せて」

「え。また黒板の文字見えなかったの? そんな頻繁に目が霞んで見えなくなるなら、病院に行ったほうがいいんじゃない? お父さん心配するよ?」

「病院は大嫌いだから行きたくない」

「またそう言う~」


彼女の名前は加護かごあんじゅ。

保育園からの幼馴染で、互いに高等部一年生のクラスメイト。あんじゅには悪いけどもはや腐れ縁にも近いのか、小等部から中等部までクラスが違ったことがない。さすがに高等部に上がったら違うでしょ――なんて少し期待したのに、結果「ですよね」と口に出そうになった現実。周りから視えないものよりも更に視えない縁なのか運なのか、こっちの方が怖いんじゃないとか思わざるおえなかった。


「葉、何限目のが見えなかったの?」

「えっと確か……」


不満そうに少し口をとんがらせつつ鞄を漁ってノートを取り出してくれるあんじゅ。さっきは腐れ縁なんて思ったけど、持つべきものは幼馴染ともだちなんだと心の中で噛み締める。

もともと人と接するのが苦手で、来るものは拒まず去る者は追わず主義。決め手に自分からは決して他人に近づかないので、きっとあんじゅが居なかったらわたしはぼっち人間だったに違いない。それでもきっと差支えなかっただろうけど、啜れる蜜があるなら啜るのみ。親友とも呼べるかもしれない友達を前に我ながら根性腐ってるなと思いつつ、わたしはあんじゅからノートを見せてもらい、黒板ヤモリのせいで見えなかった部分を自分のノートへ書き写した。



「……書き写し終わった?」

「ん。今終わった。ありがとう」

「今更いいよ、慣れたし。それじゃ私は生徒会があるから」

「生徒会があったの? なんかごめん」

「急ぎで呼ばれてないからいいの。ちょっと顔を出して、少し会長の雑務を手伝ってくるだけだから~。返って生徒会の仕事サボれて助かったわ」


写させてもらったノートを手渡して、そのノートはあるべき場所へしまわれて、そのノートの持ち主たるあんじゅは二カッと歯を見せて笑顔を向けてくれた。それじゃあ、という言葉で切り出され「また明日ね」と手を振ったあんじゅに同じ言葉と動作で返し、わたしは一人教室に取り残される。途端、ざわりと空気が淀む。


『小さき魔女、早くお家へお帰り』

『黄昏時が近い。一緒に帰ろう』

『コレからがワタシたちのジカン。あそぼう』

『甘イ、血ノ香リ……』


見ざる聞かざる言わざる。

耳元で囁かれているような、もしくは脳に直接語り掛けられているような、妙に近いの声。誘われたらいけない、返したらいけない。「お父さんがいいよと言うまで、見えても聞こえても、目を合わしてはいけないし言葉も返してはいけないよ」という、お父さんとの約束という見えない糸が、わたしを守ってくれている気がした。わたしは顔が少し引きつってでも能面を意識して、素早く鞄を持つと教室を後にする。そんなわたしはもちろん、寄り道厳禁の帰宅部一択だ。



「ただいま」


我が家は二十三階建てのタワーマンションの最上階。玄関を開いて中に入った瞬間から、日が落ちていくとともに淀んでいく外の空気から切り離される。思わず深呼吸をして胸を撫でおろせば、奥のキッチンの方から「おかえりー」と声が聞こえてきた。


「お父さん、今日は早かったんだ」

「ああ。葉、今日も学校お疲れさま」

「お父さんこそ、お仕事お疲れさま」


夕飯できてるけど先にする? それともお風呂? 他愛もない家族の会話に安堵を覚え、急に鳴った腹の虫に「お夕飯!」と手を挙げた。なら制服にしわが付くから着替えてきなさいというお父さんの言葉に従って、自室に駆け込むと即行に制服を脱いでハンガーに掛け部屋着に身を包む。そして弾かれたように部屋から出れば、足早にキッチンへ向かえば大きなお父さんの横に並んだ。


「お料理、テーブルまで運ぶの手伝うよ」

「ありがとう、任せたよ」


テーブルに二人分の食事を並べ終えたら椅子に向かい合って座り、互いに目で合図をして「いただきます」と手を合わせた。今日のお夕飯のメインはハンバーグ。お父さんの作るハンバーグは絶品で、ついつい箸が進んでしまう。

お父さんは過保護なのか、中等部二年生まで料理をさせてくれなかった。「包丁を握るのはまだ早い」といって、仕事が忙しいはずなのに朝食も夕飯も欠かさず用意してくれた。稀に仕事の都合で用意ができない時があるものの、朝食の場合はお金がテーブルに置かれ「好きなものを買って食べなさい。用意できなくてごめんね」という手紙があり、夕飯に限っては必ず「絶対に外には出ないこと。冷蔵庫に作り置きしてあります」とテーブルに手紙が残されていた。中等部三年になってからはやっと少しずつ料理を教えてくれるようになったものの、夕飯に至っては食材だけ冷蔵庫に買い置きされ「今晩のメニュー」と書かれたレシピの手紙が残されるように。意地でも夕方から夜にかけて外出を許してはくれないようだ。


(でも放課後、あんじゅと遊んだり、あんじゅとお夕飯を済ませるのは許してくれる。連絡は絶対事項だけど)


あんじゅ以外と放課後に外をうろついたことはないので、他の子だった場合は知り得ない。なぜか知りたいとも思えなかった。理由はきっと、今のわたしにとって一人で夜が迫る夕方を歩く勇気がないからだ。太陽が沈むごとにあのの声や姿が色濃く感じて臆してしまう。あんじゅとは昔馴染みなおかげか「葉は夜が苦手だよね」と、気付いたら遊んだ後は家の前まで送ってくれるようになっていた。こんなの、今更あんじゅ以外の友達と呼べる人間関係を作ったとして、あんじゅのように家まで送ってなんてお願いできるわけがない。これもまた、わたしを(あんじゅを除き)ぼっちに至らしめている原因とも言えるかもしれない。


「……ねぇ、お父さん」

「うん? なんだい?」

「明日のお夕飯、わたしの当番だよね。冷蔵庫になに買い置きしてくれた?」

「ん? あ、ああ、そうだ。そうだったな。いや、そのことなんだが……」

「うん?」


あれこれと考えていたものの無事に夕飯を食べ終わり、お父さんも食事を終えているのを確認したら箸を置いて話を切り出した。

食事中は基本話さないのが暗黙のルール。けれどお父さんはわたしが切り出した話題に肩を揺らすと、珍しく歯切れの悪い言葉が返ってきた。お父さんは少しの間視線を彷徨わせて、気を正すためかゴホンと咳払いをひとつ。次に「食器を洗い終えたら、お父さんの部屋に来なさい。待ってるから」と言って、自分の食べた食器をシンクへ置くといそいそと部屋へ戻ってしまった。

いつもと違うお父さんの様子に、変に肩へと力が入る。食後の食器を洗うのは幼い頃からのわたしの務め。だからもう慣れきったはずの事なのに、なぜかすごく洗いづらく感じて、理由は嫌な予感とわくわくとが心の中で交差しているせいだと明白で。


いったい、お父さんは何を考えているんだろう。


何かが変わろうとしている気がする。それがとても怖いと感じつつ、本来ならみえないものが視える現実から救われるかもしれない、そんな根拠のない期待がわたしの心臓をドキドキとうるさくさせた。



もう知らなかった時には戻れない。

しがらみの多かった現実が、今少しずつ紐解かれていく。




next.

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