第2話目 覚めの紺碧


目を瞑っていても感じる日差しの強さに夜明けを迎えたことを夢乃はうつらうつらとした意識の中で感じた。

今、何時だ?

いつの間にか時間ばかりを気にする習慣がしっかりと刻まれている。社畜根性極まれり、とは悲しからずや本人の自覚するところである。

鬱陶しい日差しを避けるように夢乃はゴロリと体を反転させた。

そして、背中にふと感じる違和感に夢乃は険のある皺を眉間に刻む。



ーーーー背中が、痛い。



いや、だが、それはいつもの事だ。

セットしたアラームがまだ夢乃の耳には届いてないのだから出来る限り惰眠を貪りたいのは山々なのだが。

ふと、感じた違和に朧気だった意識が少しずつ鮮明になっていく。

浅い意識の中で感じたひっかかりは、違和感というには多少大袈裟なようだが、しかし一度気になったらどうしようもないのが夢乃の性分だ。



まだ、あまりはっきりしない意識の中で、夢乃は再度考える。


背中が痛い。それはいつものことで日常で、ならば何がそんなに引っかかるのだろうか?


そこまで考えた所で、額にひんやりと何やら冷たいものが触れた。


「白昼堂々やってくれるじゃないか」


ーーーー??


その感覚と共に投げ掛けられた言葉に夢乃の頭を?が埋め尽くす。

聞き覚えのない低く掠れた男の声。何やら不穏な響を持つその声に、向けられている感情が決して良いものじゃないことを察せる程度には夢乃の意識もしっかりしてきた。


そして、同時に感じていた違和の正体に気がついた。

「いつもより背中が硬いんだ」

そう。いつも夢乃が愛用していたソファよりも寝心地が悪い。

ふかふかとは言い難いソファではたしかにあるが、今夢乃の背中に感じているそれの感触は硬い。まるで、

「板の床に寝てるみたいだ」


ーーーーーーー?



「ほぅ、こりぁ大物かとんだ抜け作か。どちらにしろ銃口突きつけられてその物言いは大した度胸だと誉めてやりたいねぇ」



ーーーーーーーじゅ、こう?



じゅうこうってなんだっけ?銃口?え?


「大したおもてなしは出来ねぇがそろそろ話を聞かてせもらいたいねぇ」



開けたくない。決してつむられた瞳を開けたくない。しかし、同時に一度気になったら確かめずにはいられないのが夢乃の性分だ。

夢乃はこの時ほど自分の性分を呪ったことはない。

ドクドクと早鐘を打つ心臓は、異常事態を知らせる警報のように夢乃の鼓膜を震わせる。


いつからそんなに代謝が良くなったんだよ、と普段冷え性に悩む体は穴という穴から汗が吹き出している。


以前、冷たい感触は夢乃の額から離れる素振りはまるでなく、重たく固い瞼が普段からは想像出来ないほど痙攣しながらゆっくりと開いていった。

そんな夢乃をまるで慰めるように、暖かな潮風が夢乃の頬をなぞった。



「目覚めはいかがかな?お嬢さん」


見上げる角度から、不適に口角を上げた男が、夢乃の額にピタリ銃口を突きつけたまま問いかける。

その問いかけには対して答えを求められていないことは、初対面の夢乃でも表情から読み取れる。

人生で初めて突きつけられた銃は見るのも触れるのも初めての出来事だ。

これは、一体なんだろうか?まるで映画のワンシーンのような光景が眼目に映る。

ただ、いつもと違うのは夢乃自身が映写機で夢乃本人の視点から繰り広げられたワンシーンだ。



引き金が引かれれば、失うのはどこぞの主人公ではなく、夢乃自身である。


「お早うございます?本日はお日柄もよく……っ」


第一声が大切だ。選ぶ言葉の一言一言が大切だ。何が最期の言葉になるのか分からない。そんなことは夢乃だって重々承知している。だが、肝心の言葉が思い浮かばない。


ーーーーこんな、こんな時に私は何をっ!?いや、もっとあるだろ?第一声、開口一番に言うに事欠いて、お日柄もよくって!!


終わった。終わったかもしれない。ドバドバと垂れ流れる汗に半ば夢乃は意識が遠退きそうになる。そこをグッとこらえて夢乃は拳を握りしめた。

こんな時こそ、冷静にならなければならないのだから。

だがしかし、自分の発した言葉にもう終わりかもしれないと脱力感すら抱く。


男は、その鋭い瞳を夢乃からすっと話した。

ほんの少しだけ銃口はカタカタと揺れ、

ーーーうん?銃が揺れてる?



「だっはははっ!!!!」


辺り一体に響く笑い声が、夢乃の鼓膜を震わせる。

一体なんだ?なにが起こってる?こんな時に冷静でいられるほど、夢乃の度胸は立派なもんじゃない。

しかし、全身を固くする夢乃をおいてけぼりにしたまま男は、腹を抱え体を折り曲げ笑い声を響かせる。



「ひぃーーっ!嬢ちゃん……あんたっ……、くくっ!俺を殺したいのか?」


殺したいのはあんただろ!なんて全力で心の中で盛大に突っ込むものの、もちろん声には出せなかった。

なにがそんなに男のお気に召したのやら、夢乃には皆目見当もつかない。



そこでやっと夢乃は辺りを見回す冷静さを取り戻せた。

グラグラと揺れる板の上、辺りを凪ぐ風には潮の香り。空は、なんだかやたらと青く、否、蒼く高く。

夢乃との距離を一定に保ちながら、ぐるりと囲むように粗野で逞しい男たち。その誰もの目が鋭いながらも、中には夢乃の前に立つ男のように笑うものも数名。



ーーーーーーーっ?なんだよ、何がなんなんだ?

冷静さは直ぐに吹き飛ぶ。

夢乃は確かに昨晩、会社のソファに寝ころんだ。いつものように終電を逃して、いつものように安くて寝慣れたソファで惰眠を貪っていた。

そして、いつものようにやたら頭に響くスマホのアラームで目を覚まし、満喫のシャワーを浴びてすぐにでも会社に戻り、また山のように積み上げられた書類をひぃひぃ言いながら捌いていく。当たり前の、繰り返しのような毎日が今日もまた始まるはずだった。


なのに、ここはどこだ?

蒼い空、潮風、海の気配。見知らぬ男に突きつけられた銃口。グラグラと揺れるここはどうやら船の上らしい。

そして夢乃を囲む無数の視線。

その視線から向けられているものの正体は生まれて初めて感じるこれが敵意なのか。確かな事を感じとれるほど向けられた感情の正体が夢乃には分からない。


「で、目的はなんだい嬢ちゃん?白昼堂々潜り込んだんだ。その度胸に敬意を払いこのオレが話を聞いてやる」


混乱した夢乃に目の前の男が、ニヤリと怪しげに口角をつり上げた。



「ま、待って!何か誤解してる!!私も、何が何だか分からないんだよ!!本当にっ、あんたが誰かも分からないっ!それにっ………!それにっここは何処だよ!?!?」

「とぼけんのか?」

「違うっ!!本当にっ」

なんだこれ?なんとか誤解を解きたい。ちゃんと話さなきゃならない。だが、夢乃は必死に言葉を探しながらも必死になればなるほど焦るばかりで冷静な判断力を持てない。


頭の中はごちゃごちゃとして、涙腺が訳もわからず決壊しそうになるがそれを堪える。ここでさめざめと泣いて見せたら、この男は話を聞いてはくれなくなる。夢乃にはそんな風に思えたからだ。

だから決して涙をこぼしたらいけない。


「ちょっと待ちなさいな、ベン」


艶やかで凛とした声だった。

落ち着き払ったその声に目の前の男が反応を示した。その反応で、夢乃は彼の名前がベンであるということを知った。


ベンと呼ばれた男の後ろから、ゆっくりと女がこちらに向かって歩いてくる。

その女と視線が合わさると、女はまるで「大丈夫」と言うかのように微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この素晴らしき海賊たちに祝福の鐘を! 秋永夜 @yakijakeonigiri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ