いつの間にかオタクが世界に蔓延っている
二〇〇七年の正月が明けて職場に行くと、俺はものすごく
俺は上司に呼び出され、何か知っているんじゃないのか、お前にも責任があるはずだ、様子をみてこいと言われた。もちろん彼女の家へは行かなかった。ひどい話だが、俺は彼女を心配するどころか自分の心配をしていた。突然いなくなった彼女は、俺をストーキングしたり刺しにきたりするんじゃないかと思ったのだ。でもそれも現実的な感じがなくて、ぼんやりとそんな可能性もあるよなあと思った程度のことで、俺は彼女に後ろから刺される自分を想像してみた。ドラマみたいに夜の道端で。彼女はベタなドラマみたいな人だったから。
その頃から俺はぼんやりとまた死が近いと感じるようになっていて、ああ、刺されるのも悪くないな、でもあの子は嫌だな、どうせならパクノダさんかナナがいいな、いや刺した方も不幸になるわけだし、パクノダさんやナナにはちゃんと幸せになってほしいからやっぱりあの女の子でいいか、でもアイツに刺されるのは、なんかなあ。
毎日そんなことを考えていた。そんなことを考えながら輸入古着のネットショップで、商品を整理し、写真を撮り、それを加工してアップロードし、メルマガを書く仕事をしていた。メルマガでは俺は若い二十歳くらいの主婦のフリをして書いた。
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こんにちは~(^^) ネットショップ【Nemo’s】のLisaです☆
明けましておめでとうございます!
今年も【Nemo’s】をよろしくお願いします☆★☆★
年末年始は、のんびりコタツでテレビをみながらだらだらしちゃいますよね~。
で、食べ過ぎちゃうという・・・(-_-;)
もー、ここだけのハナシなんですけど、
ワタシ
●kg!!!!!
も太っちゃったんですよね・・・
タイトなジーンズに、むりやりボディをねじこんでますっ (>_<)
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来る日も来る日もこんな感じの文章を書いていた。まだTwitterがそれほど普及してない頃で良かった。あと数年遅かったらTwitterにFacebookにインスタ、ブログまで【Nemo’s】のLisaになってやらなきゃいけないところだった。
なんで本屋と土産物屋を辞めてネットショップで働いたかというと、俺が馬鹿だったからだ。俺はもう二十代後半になっていて、いつまでもバイトってわけにいかないし、ちゃんと正社員登用があるところで働かなきゃ、でも今さら普通の会社とか行くのもなんか悔しいし、販売は経験あるけど社員になると大変そうだし、ネットショップで働いてウェブデザインとかなんかかっこよさそう、うん、俺デザインとかカルチャーみたいなの好きだし、コピーライターとかもいいかもな。
どうだ、馬鹿だろう。
そんな理由で始めた仕事だからもちろん大して楽しくもない。しかもバイトだから稼ぎも今までと変わらないし、辞めてしまった事務の女の子のことがあってから肩身も狭い。仕事はどんどんやっつけるだけになり、女に関してはセックスはしたいけど懲り懲りだと思ってしばらく探す気にもなれず、バンドはまだやっていたけどそれも客なんて知り合いが三人とかずっとそんなんだし、なんなんだ? 俺ってもっとすごい奴じゃなかったっけ? いやどうすごいかは分かんないんだけどさ!
そうやってどんどん現実がつまらなくなっていく一方で、ちょうどこの頃から画面の向こう側がどんどん面白くなってくる。YouTubeが普及し、それに続いて日本ではニコニコ動画もスタートする。ミクシィで同じ趣味の人を簡単に探せるようになる。2ちゃんねるまとめサイトを巡るだけで一日楽しめるようになる。仕事がつまんなくてセックスも面倒臭くてバンドに飽きていても、家に帰ってパソコンを付ければ深夜三時までノンストップで時間を潰せた。
二〇〇七年から二〇〇九年くらいの間に、深夜を中心にアニメ番組が増えて『涼宮ハルヒの憂鬱』とか『コードギアス 反逆のルルーシュ』とかやりだすし、本屋に行くと西尾維新のラノベとかが目立つ所に積まれてるし、だんだん普通のミステリや文芸書の装丁もラノベっぽいイラストになってくるしで、いつの間にかオタクが世界に
アニメキャラたちは俺たちのささやかな性生活にも入り込んできて、ネットで同人誌とかエロマンガを違法に見るのが一般的なオナニー作法にも入ってくる。おいおい、同人誌ってそんな気軽に読んでいいもんだったっけ? もっと背徳的な気持ちで手に取るもんじゃなかったっけ?
俺は陸上少年だった中学生の頃にクラスメイトから同人誌の存在を教えてもらって、年齢を十八歳と偽って『天地無用! 魎皇記』のエロ同人誌を通販で買っていた思い出がある。当時はネットもないAmazonもない、携帯すらガキは持っていない麗しきナインティーズで、親に「おーい××、なんか小包み来てるぞ」と言われたのを心臓バクバクでひったくって、自室にこもって梱包を破いてそれを読んだ。届いただけでちんこはビンビン、1ページ開いただけで先っぽはぬるぬるだ。
抜きまくったし、キャラクターを汚しているような気持ちにもなった。でも教えてくれた友達以外には同人誌で抜いていることなんて言えなかった。同人誌ってのは、そういう気持ちで手に取るもんじゃかったのかね?
俺は小さい頃から漫画が好きで、中学生の頃にできた友人のおかげでオタク方面への造詣が深まっていったのだけど、大学生になってからこれじゃダメだモテないって気が付いて、オタク趣味を押し入れに封印して服とか買って髪とか染めて楽器を始めて、その結果大学デビューに成功してパクノダさんと性交してずぶずぶとセックスに溺れてでも浮気してナナと付き合って別れてストーカー騒ぎの女の子に疲れて二〇〇七年に漂着した。だから、この時期にオタク文化が急速に市民権を得つつあったのは本当に救いで、俺のオタク回帰は必然だったとも言える。
仕事つまんねえ女つまんねえバンドつまんねえとか思いながら毎日インターネットと深夜アニメ。YouTube。ニコニコ動画。まとめサイト。エロ同人サイト。東方。ボカロ。Perfume。もってけセーラー服。ゲーム実況。ミクシィ。
プリーズ・ドント・セイ・ユー・アー・レイジー(どうしようもない奴だって指ささないで)! だって本当はクレイジー!
生活はどんどん乱れ、宇宙の法則が乱れる。
そして俺は鬱病と診断される。
昼夜逆転の生活から不眠気味になって、何にもやる気が出ず仕事も休みがちになる。で、医者に行くと鬱だと言われる。睡眠薬を処方され、あまり仕事のストレスをためないようにと初老の男性精神科医に言われる。病院を出ると俺は近くの喫茶店に入って、連絡するの嫌だな嫌だな嫌だな嫌だなと繰り返し思った後にやっと決心して、携帯で職場に「数日休むよう言われました」と伝え一週間の休みをもらう。それからミックスジュースを飲んで家に帰った。休み明けにはちゃんと出勤したが、俺は病気を理由に休みを繰り返すようになり、それから一ヶ月ほどでネットショップのバイトを辞めた。
俺はしばらく働かずにネットとアニメと不眠と睡眠薬の中でぼんやりと生きる。それを生きると呼んで差支えないのであれば、という括弧付きの生活を送る。しかし当然すぐに金が尽きてそんな暮らしはできなくなるので、俺は渋々働き始める。どんな仕事をしたっけ? 本当に思い出せないんだよ、派遣のバイトで工場に行ったり、あとイベントの会場設営とか? 単発のバイトを入れて食いつないで、毎日毎日、ああ月末まであといくらでやっていかなきゃならないって考えてイラついた。ネットは固定料金しかかからないので、ますます外に出ずネットを見るだけになった。病院は睡眠薬をもらうのと五分程度のカウンセリング。それをカウンセリングと呼んで差し支えないのであれば、という括弧付き。睡眠薬を飲んでも眠れなかったから酒と一緒に飲むようになった。夜中に人に電話するようになった。パクノダさんにもナナにも電話した。もちろん出てくれなかった。ああ、死が近いなーと毎日思っていた。別に死にたいわけじゃないけど、本当生きてても意味ねーな、まともに働くでもなし、したいことがあるわけでもなし、大事な人もいないし、金もない。金がない。金がない。金がない。どうしよう。
あれ? どうして俺こんな風になってんだっけ? 何がきっかけだった? あのストーカー騒ぎの女? 違う、別にあの子のせいじゃない。じゃあ何だ? 仕事が合わなかったとか? ちゃんと就職できなかったから? バンドがうまくいかなかった? パクノダさんやナナをひきずってる? 理由を探しても探しても、即座に頭の中で俺が俺に「違う」と告げる。
違う。そんなことが理由じゃない。そもそも理由なんてあると思っているのか? お前はずっと昔からそうだっただろう。何でもそれなりにできると鼻にかけて何に対しても真剣にならず、ずっと自分はもっと出来ると思い込んで、仕事もやりたいことも、ひとつのことに対して努力をしたり訓練したりするという習慣を鍛えずにここまで来たんだ。我慢強く物事を続けるということを一度もしなかったんだ。甘い方にばかり流れて、すぐにやらせてくれる女に流れて、その相手と向き合うこともせず、相手の気持ちなど想像もせず傷付けるばかり。なのにすぐ自分が傷付いた傷付けられたとおおげさに吹聴する。そうでなければ格好付けて、傷付けてしまったなんて嘯いて自分に酔う。嘯いて【うそぶ - いて】を漢字で書く時点で本当自分に酔ってるよな! 自分が大好きなんだな! お前はクズだ! 自分には何かしらの才能があると思い込んでいる、中学生の全能感を捨てられないまま年の数だけが大きくなってしまった糞だ! 体だけが二十七歳! お前のこれまでの人生はただのオナニーなんだよ。オナニーしかしてこなかった猿だ。猿以下だ。お前はそんなことも分からないのか? まだ自分がそうではないと思い込んでいるのか? まだ自分が何者かになれるとでも思っているのか!
死ね。
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね!
お前なんか死んでしまえ!
「そんな話、今さら聞かされて私はどうすればいいの」
たまらなくなった俺は、泣きながらパクノダさんに電話していた。
深夜だった。ストーカーみたいに何十回もコールしてやっと出てくれて、すぐさま不安を全部吐き出した。ワインのボトルと空になった睡眠薬と吸い殻が転がってる汚い部屋で、元カノに電話した。
「助けてほしい……助けてほしいんだよ、詩織ちゃん」
「…………」
「詩織ちゃん」
「…………」
「聞こえてる? 詩織ちゃん、しおり、しおりしか、やっぱりいなくて」
「……はぁ。浮気して別れた女に数年ぶりにかける電話がそれか」
「ごめん」
「…………」
「ごめん、でも助けて」
「無理」
「詩織ちゃんと付き合ってた時が、俺、一番マトモだったし楽しかったし」
「…………あのさ。良い思い出もあったし、浮気するようなクズでも、君には良いところもあったと思ってたけど」
「うん」
「今日で、マジ記憶から抹消したくなった。二度とかけてこないでね」
電話は切れた。
俺がその瞬間最初に思ったのは、俺にも昔は良いところがあったんだ、ということだった。
救いようの無い馬鹿というのはいる。
Music, Sex and Prayer after Millennium 野々花子 @nonohana
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