嵐の前の




 「その除霊師ってほんとにちゃんとした人なの?」

 「評判はいいらしいわよ? 実際に幽霊をどうにかできてるのかは、幽霊本人に聞いてみないと分からないけど」 

 「ふーん…… なんかお金の無駄になりそうな気もするけど」



 天咲はぼそっと呟いた。

 あんまり乗り気じゃなさそうだ。

 正直、俺が生きててこの話を聞いたとしても、同じような反応をしたと思う。

 お母さんはこういうのを信じるタイプの人じゃない。

 幽霊とか、鼻で笑うような人だ。

 だからこそ、天咲も強く否定は出来ないんだろう。

 あのお母さんが幽霊を信じて、除霊してもらおうとしてるっていうのが、お母さんの中での問題の大きさを物語ってる。

 とは言っても、天咲にとっては、霊媒師とか除霊師とか、そういうのってなんか自分とは違う世界の話だって認識なのも間違いない。

 言い方を悪くすれば、『霊媒師とかインチキでしょ?』って認識が大半のはずだし。

 実際に心霊現象を体験して、幽霊は居るのかもしれない、っていう認識を持っていたとしても、実際に除霊の様子を見たわけじゃないし、簡単に信じられるものじゃない。

 とは言っても、俺の幽霊がいるのは天咲が一番実感してるから、ほんとに意味があるなら頼りたいとも思ってるみたいで、どう反応すればいいか困ってる。

 霊媒師とか、除霊師の存在を信じられない思いと、信じたい思いが交錯している。



 「何十万もかかるわけではないし、お祓い出来たらいいなって感じでやってみようかなって。 もうお父さんには言ってあるんだけど、天咲もいい?」

 「まぁ私は別にいいけど…… それって私もいた方がいいの?」

 「いた方がいいんじゃない?」

 「えーめんどくさいんだけど…… まぁいいや。 分かった」

 「じゃあ話してみるから、予約とかできたら日付教えるわね」

 「はーい」



 という会話がついさっき。

 そして今、俺は当然ハルさんと作戦会議だ。



 「除霊師来るらしいんですけど」

 「だね」

 「除霊って実際どうなんですかね」

 「どうって?」

 「ああいうのってガチなんですか?」

 「うーん…… 私は嘘だと思ってるけど」

 「けど?」

 「今まで除霊してるとこなんて見たことないから分かんない」

 「まぁそりゃそうか……」 



 正直、俺は霊能力者とか、霊媒師とか、そういうのは全然信じてなかった。

 幽霊を信じてなかったんだから当たり前だ。

 でも、幽霊は実際にいるってことが分かった今、そうも言ってられない。



 「でも多分意味ないと思うんだよね」


 そう言ったハルさんは、何か根拠があるような言い方だった。

 慰めとか、希望的観測とか、そういう雰囲気ではない。


 「なんで?」

 「だって、殺された人の幽霊とかも除霊するんでしょ? ああいう人たちって。 怨霊とか」

 「あー、なるほど」



 幽霊になる条件に、自殺をする、というのがある。

 これが間違いないのなら、確かに霊媒師とかが言ってることはおかしい。

 そもそも“殺された人の幽霊”は存在しないはずなのだから。

 ……でも、そうなると今度は当然、


 「でも、幽霊になる条件は自殺すること、ってのはほんとに正しいんですか?」


 という疑問が湧いてくる。

 俺は俺以外の幽霊なんてハルさんしか知らないから、自殺しないと幽霊にはならないって言う情報が正しいのかもよく分からないからだ。



 「それは間違いないと思う」

 「……その感じだと根拠あるんですか?」

 「私、幽霊になってから、自殺の名所に行ったことがあるんだけど、そこは本当に幽霊が多かった。 五分てきとーに歩けば幽霊に会う、って感じ」

 「よくそんなとこ行きましたね……」

 「あんなに幽霊に会ったことなんてないし、実際、その時に会った人とか、それ以外にも会ったことがある幽霊は全員自殺した人だった。 それに、みんな『会ったことがある幽霊は自殺した人だけ』って言ってたから、多分間違ってはないと思う。 私幽霊になってからけっこういろんなとこ行ったし、自殺が条件じゃないなら、一人くらいは自殺してない幽霊に会ってもおかしくないでしょ?」

 「なるほど、まあそれなら……」

 「だから、多分霊媒師とかはだいたい嘘だと思ってる」



 確かにそれならほとんど間違いない気がする。

 もちろん、幽霊は自殺者だけです、って言う霊媒師がいたりすればそれは本物なのかもしれない。

 でも、少なくともさっき見た案内の紙にはそれっぽいことは書いてなかった。

 霊媒師が幽霊の死因を知らないまま除霊してて、誇張して宣伝してる可能性もあるけど、こればっかりはこっちからは分かりようがない。 



 「まあ、もし本物だとしても、俺成仏できるならそれはそれでいいし」



 幽霊としての生活を満喫するって意気込んだ矢先だけど、絶対に幽霊としての人生を終えたくないわけではない。

 もし痛みとかを感じずに除霊してもらえるならそれでもいいかもしれない。



 「その時は私も一緒に除霊してもらおうかな」



 ハルさんが冗談交じりに言いながら、笑いかけてくる。

 きっと、俺が不安がってると思って気を使ってくれたんだ。

 “存在が消える”ってのは、どんな形でも恐怖を感じるものだから。

 消えることを望んでたとしても、いざそれが現実的になったら、やっぱり躊躇しちゃったりする。

 自殺をする直前だって、そうだった。

 するって決めて、首に縄をかけて後は足を離すだけ、ってとこまでいっても、なかなか足を離すことなんてできなかった。

 あれは、痛みに対する恐怖じゃなかった。

 “死ぬ”ってのは、この世から“消える”ってのは、痛みへの恐怖とは違う、何か別の感情を呼び覚ます。

 本能がそれを拒絶する。

 生にしがみつこうとする。

 克服できる感情ではないと思う。

 怖い、とは思わなかった。

 嫌だ、って思った。

 それを望んだはずなのに。

 覚悟を決めたはずなのに。

 いや、覚悟を決めたからこそ。

 そんなものは消し飛んで、頭の中は『嫌だ、死にたくない』って感情に支配された。

 どんな感情とも違う、あの時だけの感情だった。

 きっと、死を間近に体感した人だけが知っている感情。

 とりわけ俺たちは、その感情を越えて、死んでしまった自殺者だから。

 ハルさんだからこそ、俺があの感情に支配されているんじゃないかって、心配することができる。

 俺を想うことができて、当たり前のようにそうしてくれる。



 「大丈夫です、ハルさん」

 「……そう? なら、いいけど」



 ハルさんは、少し覗き込むようにしながら、俺の様子を伺ってきた。

 強がってると思ったのかもしれない。

 でも、本当に大丈夫なんだ。



 「俺、別にもう怖くないんです」



 いや、怖くないってのは少し嘘だけど。

 正直ちょっとだけ、あの感情を思い出しているけど。

 でも、大丈夫。



 「ハルさんが、多分除霊できないって言ってたの、信じてるし。 それに、ハルさんのおかげで、けっこう吹っ切れてるんで」

 「……吹っ切れてる?」


 ハルさんが首を少しだけ傾げる。


 「俺たち、幽霊じゃないですか」

 「うん」

 「生きてないじゃないですか」

 「そうだね」

 「俺、もう幽霊としての人生に、別に未練とかないんですよね」

 「……」

 「だから、まあ幽霊の人生は十分楽しめたし、消えたくないとか思ってないんですよね。 俺」


 ハルさんに会ったからだ。

 ハルさんとただ喋っていただけの日々が、俺にとってはもうかけがえのない日々で。

 生きていた頃に羨んでいた日々は、もうこの手の中にある。

 だから、これで終わりだとしても、受け入れられる。


 「……なんで?」

 「え?」

 「だって、憶人くん、まだ幽霊になってなんにもしてないじゃん」

 「……」

 「外だって出れないし」

 「まあ、そうですね」 

 「これから、いろんなとこ行くんでしょ?」

 「行けたらですけどね」

 「やりたいこととかないの?」

 「どうしてもやりたいことは……別にないかなぁ」


 もしできるなら、明日葉ちゃんに感謝を伝えたい。

 まあ、出来そうにないけど。


 「私は、やだ」

 「……なにが?」

 「……憶人くんが、いなくなっちゃうの」

 「いや、いなくなりたいわけじゃないですけどね?」

 「憶人くんは、私といろんなとこ行くんだからね!」

 「分かってますよ」

 「よし、じゃあ作戦考えよ!」

 「また作戦ですか」


 霊媒師に除霊されないための作戦ってことだよな。

 でもそんなの意味ない気がするんだけどなぁ。

 出来ることなんて邪魔するとかくらいだし……。


 「なにかあったら言ってね!」

 「いや、そもそもこれ考える意味あるんですかね? そもそも霊媒師が本当に俺たちのこと見えるかも分かんないし」

 「インチキだったらラッキーってことで良いじゃん」

 「本物の霊媒師だったら邪魔とかしても意味ない気がするんですけど……」


 向こうがプロだったら、俺なんかよりもっとヤバい幽霊の相手してることだってあるだろうし、どうしようもない感あるんだけど……。


 「まあいいじゃん! どうせ暇なんだし!」

 「それはそうですけど……」


 暇なのは確かに間違いない。

 時間ならいくらでもある。 





 いくらでもあるけど、無限ではない。

 簡単に霊媒師をどうにかする方法なんて思いつくわけはなく、有用な作戦が思いつくまで待ってくれるわけでもなく。

 グダグダしているうちにあっという間に二週間が経ち、その日がやってきた。



 ―――――ピーンポーン、と家のチャイムが鳴る。

 お父さんが玄関を開け挨拶をして、家の中に戻ってくる。

 後に続いてきたのは、坊主頭の、いかにもそれっぽい感じの霊媒師だった。

 年齢は多分六十代くらい。

 霊媒師としての歴史とか、経験とか、そんな“説得力”を感じる。

 纏っている雰囲気がその辺の人とは違う……気がする。

 お父さんたちも同じ印象を抱いたのか、少し緊張しながら霊媒師を家に上げた。



 その霊媒師は玄関をくぐると、靴も脱がずに、まず、


 「―――――――なるほど、確かにこの家には霊が憑いている」


 と、一言呟いた。


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