未来について
「まぁ、こんな感じかな?」
ハルさんは話を締めると、俺に向き直った。
記憶の底から手繰り寄せるように、生きていた頃の話をしていたハルさんは「思い出したの久々だなー」と呟いている。
その顔には、自殺を悔いている様子はない。
トラウマを思い出したとか、そんな様子もない。
ただ純粋に、昔を懐かしんでいる。
そんなこともあったな、そんな風に思っているんだろう。
もう既に消化は済んでいるみたいだ。
ストーカー、か。
正直納得というか、しっくり来たというか、そういう感情が初めに来た。
話を聞くまでは、ハルさんが自殺をしたと言われてもいまいちピンときていなかった。
実際幽霊なのだから自殺したことは間違いないとは思いつつ、ハルさんが自殺する理由というか、経緯というか、そう言った背景がいまいち想像できなかった。
だから、ストーカーと言われて、『なるほどそれなら納得だな』という感想を抱いたのかもしれない。
何かが足りないのではなく、要らないものを手放せないが故の自殺というのは、俺には縁がなかったけど、もし同じ立場に立って、何かを手放さない限りもうどこにも逃げられないのだとしたら、やっぱり俺も自殺という選択肢を選んでいたかもしれない。
その選択肢が、一番手っ取り早くて、一番確実な方法で、誰にでも選べてしまうが故に、魅力的に見えてしまうことを俺は知っている。
だから、こんなにすんなりと受け入れることができたのかもしれない。
「なるほど…… で、けっきょくそのストーカーは誰だったんですか?」
「いやー、それが分かんないんだよねー」
「……え?」
「私が死んでから手紙こなくなったらしいんだよねー。 だからその後ストーカーがどうなったのかは全然分かんない」
「マジか」
「まぁでももう会うこともないだろうし知ったところでって感じなんだけどね」
「それはそうですけど、気になったりしないんですか?」
「うーん…… 幽霊になったばっかの頃は気になってたけど、いろんなとこブラブラしてたらどうでもよくなったかなぁ。 どうせもう会ったりはしないだろうし」
確かにもう恐らくハルさんがそのストーカーに会うことはないだろう。
特にハルさんは最初からその身一つでどこへでも行けるし、今ストーカーに会ってないなら、これから会う可能性はかなり低い。
低いというか、ほぼゼロだ。
「それなら、よかった? んですかね」
「うん。 よかった」
ハルさんは苦笑いをしながら、そう噛み締めるように言った。
少しだけ、生きていた頃を思い出したのかもしれない。
生きていた頃の恐怖とか、絶望とか、不安とかを。
いくら消化していても、その頃の不安とか苦い感情を、なんの感傷もなく思い出せるわけがない。
さっきはその頃の出来事を思い出すことに集中していたけど、今になってその頃の感情が少し顔を出したみたいだ。
それを思えば、幽霊になってからのハルさんは生き生きとしている。
俺は生きていた頃のハルさんを知らないけど、それでも分かる。
ハルさんは生きていた頃、ストーカーをされていた頃はこんなに喋ったり、笑ったり、瞳を輝かせてなかったはずだ。
だから、自殺しちゃったんだろし。
そう考えると、ハルさんは、自殺して良かった、ってことなのかな。
死んでからの方が生き生きとしてる、ってのも、おかしな話だけど。
「私は、死んで幽霊になってから、我慢しなくてよくなった。 あの頃みたいに縮こまってるだけじゃなくなった。 やりたいことが何でもできるわけじゃないけど、行きたいところに行けて、見たいものを見れてる。 ……だからさ」
ハルさんは、俺の目をじっと見据えながら、一つ息を吐いて。
「私は憶人くんにも、そんな風に生きてほしいんだよね」
「……そんな風に?」
「そう。 行きたいところに行って、見たいものを見て、生きてた頃の分まで、楽しんでほしいの。 幽霊の人生を」
……ハルさんは、このために自分の話をしたのだろうか。
俺に、この言葉を伝えるために。
「って、思ってるんだけど……」
「……だから、自由に移動できるように……ってことですか?」
「……うん、そう」
正直、俺にやたらと心霊現象を起こさせようとしてくるのは、自分が楽しみたいからだろうと思ってた。
でも、そうじゃなかった。
思えば、俺が心理現象を起こしている間、いつもハルさんは見ているだけだった。
急かしてはきたけど、行動はしなかった。
生きている人からの想いに、誰が心理現象を起こしたのか、という事実は関係ないのに。
“誰が心理現象を起こしたか”、ではなく、“生きている人は、誰が心理現象を起こしたと認識したのか”、が重要なだけだから、俺が起こしても、ハルさんが起こしても、そこに違いはないはずなのに。
でも、ハルさんの中では明確に違っていた、ってことなんだろう。
ハルさんは、“俺が幽霊として行動する”ことが大事だと思っていたから。
俺は幽霊で、生きていなくて、苦い思い出も、辛い日々も、絶望に塗れた時間も、もう全部過去のものだと、そう教えたかったから。
生きていた頃にできなかったこと、行けなかった場所、見たかったもの。
それはきっと言葉通りの、目に見える景色だけじゃない。
心の中に広がる景色。
楽しい景色、嬉しい景色、穏やかな景色。
そんな景色を、俺に見せたいと、そう言っている。
「……分かりました」
そこまで言ってもらえた俺には、選択肢なんてなかった。
そんなに想ってもらえてたのに、ないがしろにはしたくなかった。
だから、俺は。
「俺、幽霊として自分が楽しむことを、もっと優先してみます」
“死ぬ”という選択にも、意味はあった。
そう思えるように。
「うん」
「俺が、幸せだと、そう思えるように」
幽霊としてまだこの世界に残ったことを、喜べるように。
「うん」
「だからまず、この家から出られるようになろうと思います」
絶望の淵で選んだあの選択が、起死回生の瞬間だったと、そう思えるように。
「そうだね」
「なので、もうしばらく、一緒にいて下さい」
「……ん? まぁ、それはいいけど」
そのために、絶対欠かせない人がいる。
「俺、ハルさんがいれば、幸せになれそうなんで」
「うん……んぇっ!?」
「あ、あと、やっぱ家族に害を及ぼしそうなのは嫌です。 後味が悪かったら、幸せの純度が下がりそうだし」
「……あ、え? あぁ……そっか。 いや、それは分かったんだけど……」
「なので、また考えましょう。 作戦」
「……うん。 それはいいんだけどね? さっきのって……」
「さっきの?」
「……私がいれば、どうのこうのって……」
「えっと……何言ってるか全然聞こえないんですけど?」
ハルさんが俯きながら、小さな声で呟いている。
顔は見えないけど、耳が真っ赤だ。
最後の方なんか声が小さすぎてほとんど聞こえなかった。
でも、ほんとに聞こえないわけではない。
言葉は、ちゃんと意味をもって伝わってくる。
でも、聞こえないふりをしてごまかした。
言葉にしておかないと、と思って口に出したけど……思ったより恥ずかしい。
恥ずかしいけど、どう捉えられても間違ってはないから、別に訂正する必要もない。
でもやっぱりこれ以上は恥ずかしいから、話題は変えた方がいい。
「で、次の作戦考えないとですよ。 けっきょくハルさんの話じゃヒントなんかなんにもなかったし」
「だ、だから言ったでしょ? 私は最初からどこでも行けたんだから、こんなこと考えなかったの!」
「はいはい。 友達多くてすごいですね」
「……なんか嫌味っぽい」
「まぁ嫌味だし」
「ひどい! 私だって考えてあげてるのに!」
「それは感謝してます。 是非これからもよろしくお願いします」
「う、うん。 よろしく…… え、なにこれ……てかどっちに対してのよろしく……?」
「天咲ー? ちょっと降りてきてくれるー? 話あるからぁ」
ハルさんが一人でブツブツ言いだした直後、お母さんが天咲を呼ぶ声が聞こえた。
お母さんが大声で人を呼ぶことはあまりないから、ちょっとびっくりだ。
何か大事な話なのかもしれない。
天咲は今部屋にいるはずだ。
「はーい」と返事しながらすぐに部屋から出てきた。
天咲も珍しいと思っているのだろう。
ドアをすり抜けて天咲の様子を伺うと、「なんだろ?」と首を傾げながら一階に降りていった。
「ちょっと下行ってみます?」
「うん。 行ってみよ」
別にお母さんの話は聞いても聞かなくてもどっちでもよかったんだけど、単純に内容が気になった。
大事な話なら一応聞いておいた方が後々役に立つかな、という考えもあったけど、ほぼ興味本位だ。
天咲を追いかけるように、ハルさんと一階のリビングに降りていくと、お母さんがテーブルに何か紙を置きながら椅子に座っていた。
お父さんはいない。
まだ仕事だ。
天咲はお母さんの正面に座りながら紙を覗き込む。
「なにこの紙」
「最近、憶人の幽霊? か何かが起こした心霊現象みたいなのが、よく起こるでしょ?」
「うん」
「だからね」
お母さんは、紙に視線を移しながら、天咲にある提案をする。
その紙には、除霊がどうとか、成仏がどうとか、そんなことが書いてある。
「除霊、してもらおうかなって」
思わず、ハルさんと目を見合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます