現実的奇行者たち





 これは日本人に限るのか。 

 そんなこともないのか。

 基本的に一人の時、道路では車が通ってなくても道の端を通る人が多い。

 車が通っていない車道でも、広い歩道でも、基本的にみんな道の端を通る。

 


 でも、あの女の人は違う。

 歳は多分25くらい。

 金髪のショートヘアだ。

 胸が大きい。

 顔も整っている。

 超完璧美少女神野天咲かみのあいを普段から見慣れていなかったら、まず間違いなく見惚れていた。

 家の前の道路を堂々と歩いている。

 ただの堂々じゃない。

 とんでもない堂々っぷりだ。

 道の端には寄らない。

 道路の中心を歩いている。

 偶然道の真ん中を歩いてるんじゃない。

 まず間違いなく、わざと道の真ん中を歩いている。

 こんな人なかなかいない。



 でも、それが一番の違和感ではない。

 あの女の人は、全く注目されていない。

 人通りがないわけじゃない。

 そこそこ人は通ってる。

 あんな美人がいたら何人かは目で追ったりしてても良さそうなものだ。

 しかも、あの女の人はただの美人じゃない。

 道の真ん中を堂々と、さらにちょっとニヤけながら歩いている美人だ。

 別に顔が好みじゃなくても、目に入ったら普通に気になるはずだ。

 むしろ奇異の目で見られていてもおかしくない。

 注目されていてもおかしくない。

 そんな注目必至の美人だ。

 でも、通行人は誰一人見向きもしない。

 気づいてすらいないかのように、通り過ぎていく。

 


 そして、あの女の人のすごいところは、今までの全てを合わせたのよりも、もっとおかしい点があることだ。

 そう、今までの違和感なんて、些末なものだ。 

 全然問題でもなんでもない。



 『ちょっ、あれ車ぶつかっちゃわない……?』

 


 もう夕方だ。

 世の運転者たちは車のライトをつけている時間帯だ。

 この道は車の通りが多いわけではないけど、それでも住宅街だ。

 社会人、高校生、主婦。

 歩いて家に帰る人もいれば、当然車で家に帰る人もいる。

 確かに、この通りの車の交通量は多くはない。

 でも、来るときは来る。

 ほら、来た。

 女の人がライトに照らされる。

 車のライトだ。

 車が来ている。

 でもあの女の人は道の真ん中を歩いている。

 堂々と歩いている。

 端に寄る気配はない。

 あのままじゃ轢かれる。

 車に轢かれる。

 何なんだあの人。

 危ないって。

 それにあの人だけじゃない。

 車だっておかしい。

 全然減速しない。

 住宅街だから速度が速いわけじゃないけど、それでもあのままじゃ危ない。

 このままだと女の人を轢くことになる。

 多分轢いても死にはしないだろう。

 でも死ぬか死なないかじゃない。

 そーゆー問題じゃない。

 もしかして運転手寝てるのか? 

 よそ見でもしてるのか?

 通行人も通行人だ。

 なんで止めないんだよ。

 今すれ違ったあのおじさんも。

 もうすぐすれ違うだろうあのおばさんも。

 車のライトに気が付いて振り返った女子高生も。

 誰も女の人に見向きもしない。

 道の真ん中を歩いている女の人を無視して、自らの帰路をただ邁進している。

 誰も女の人を心配してない。

 ほんとに見えてるのか?

 見えてるよな?

 危ないの分かってるよな?

 分かってないのか?

 

  

 やばい。

 ほんとに轢かれそうだ。

 もうよく分からない。

 俺が想像してた脳内景色では、こんなのちょっとしたパニックになってるのに。

 女の人を必死で呼ぶ人とか、

 助けに走る人がいてもおかしくないくらいだ。

 でも、現実の景色はどうだ。

 平和だ。

 今まさに事故が起ころうとしているのに。

 日常の一コマでしかないかのような、のどかな時間が流れている。

 視界に映る登場人物の中に、焦ったりしている人なんて一人もいない。

 ここに本来すべき行動をしている奴なんて一人もいない。

 全員奇行者だ。

 頭がおかしい。

 俺だけだ。

 俺だけがこんなに焦っている。

 もしかして、俺がおかしいのか?

 そう、思ってしまうほどに、ここには奇行者しかいない。



 ……いや、俺の頭がおかしいのかもしれない。

 もうそれでいいかも。 

 考えるのをやめたい。

 もう俺を驚かせて、困惑させて、動揺させるのはやめてくれ……。



 女の人は突然、街灯の辺りで足を止めた。

 車を避けようとしているのかと思ったけど、全然違った。

 女の人は、何故か車を見つめながら腕を広げた。

 まるで車に轢かれるのを待つかのように。

 何してんだあの人。

 めちゃくちゃ笑ってるし。

 笑顔だし。

 轢かれそうなのに。

 頭おかしいのか?

 いやもう確定していい。

 あの人は頭がおかしい。

 絶対おかしい。

 まぁ確かにあの速度なら死にはしないだろうけど。

 それでも危ない。

 “あの車に轢かれるか、轢かれないか”。

 もしそんな選択肢を提示されたら、俺は間違いなく後者を選ぶ。

 当たり前だ。

 自殺志願者でもない限り前者は選ばない。

 いやまぁ俺は自殺志願者どころか自殺成功者だけど。

 でも向かってくる車の前で腕を広げて待ち構えるなんて絶対にしない。

 するわけがない。

 しかも笑いながらとか、絶対頭おかしい。

 絶対頭おかしいけど、やっぱりこのまま見てるだけなんてできない。

 思わず『危ないって!』と叫んだ。

 聞こえるわけないんだけど。

 そんなの分かってるんだけど。

 でも思わず叫んだ。

 もし俺が生きていたらどうにかできたのか。

 出来ないかもしれない。

 多分生きていても、同じように叫ぶくらいしかできなかっただろう。



 もちろん、俺が叫んだだけじゃ結果は変わらない。

 あの女の人は自分が危ないのなんて分かってるし、もし万が一、あの人が盲目で、今日たまたま杖をなくしてしまったとかそーゆー奇跡的な偶然を引き当てて、あの女の人が車に気付いていないのだとしても、俺の叫びには意味なんてないだろう。

 もしあの女の人が自分の筋肉に自信があって、時速30キロの車くらい受け止められると思ってるなら、もう俺にはあの女の人の細い身体が時速30キロの車に打ち勝つことを願うことしかできない。

 もしあの女の人が幻覚を見ていて、あの車を恋人か何かだと勘違いしていて、今から彼氏を抱きとめようとしているなら、やっぱり俺ではどうすることも出来ない。

 車を彼氏だと勘違いしたまま大怪我を負ってもらう以外に選択肢はない。

 所詮幽霊の俺の叫びは届かないし、もし俺が生きていて、この叫びが届いたとしても、もうあの女の人が車を避ける時間なんてない。



 そして、こんなことしか頭に浮かばない俺は、発想力が乏しくて、頭も悪くて、どうしようもないバカだと、そう改めて気づかされることになった。

 


 ――――――――――――――――ヒントはたくさん散りばめられているのに、全く気付くことなんてできなかった。

 


 やっぱり俺は頭が悪い。

 どうしようもなく。



 ―――――――――――女の人には、俺の叫びが届いた。

 一瞬ビクッと肩を跳ねさせて、驚いたようにこっちを見た。

 かなり驚いてるのは間違いない。



 でも絶対俺の方が驚いてる。

 信じられない。

 だって、俺の声は人間には聞こえないはずだ。

 幽霊の俺の声は、誰にも届かない。

 届いたことなんてない。

 でも、あの女の人は間違いなく俺の声に反応した。

 間違いなく、俺のことを見ている。

 目が合っている。

 間違いなく、目が合っている。

 俺のことが、“見えている”。 

 あの女の人だけだ。

 道の端を歩いているおじさんも、女子高生も、ネギが飛び出していて、食材やらなんやらがパンパンに入っている重そうなスーパーのレジ袋を持って歩くおばちゃんも、当然誰一人として俺の叫びには反応しない。

 でも、あの女の人には俺の声が聞こえて、俺が見えている。


 

 車は変わらず減速しない。

 女の人は、驚愕の表情を俺に向けたまま固まっている。

 車はどんどん近づいていく。

 もう避けるのは無理だ。

 目を逸らすことは出来なかった。

 その瞬間を、俺は目を瞠りながらはっきりと網膜に焼き付けた。



 減速せずに走る車は、容赦なく質量の暴力を女の人の全身に押し付ける。

 女の人は、それを全身に受け止めて、でも当然受け止めきることはできず、鈍い音を立てながら吹っ飛んでいく――――――。

 


 俺の脳裏によぎった将来起こるだろうそんな景色は、あっさりと裏切られた。

 女の人は、迫りくる質量の暴力を受け止めはしなかった。

 ひらりと舞うように避けたわけじゃない。

 もちろん、車を押し返したりもしない。





 女の人は、迫りくる車を、ただ――――――――――すり抜けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る