救世主





 ―――――――――なんなんだよこれ。

 締め付けられる。

 喉が。

 痛い。

 苦しい。

 なんだこれ。

 息ができない。

 てか俺息してたんだな。

 いやそんなのどうでもいいだろ。

 やばい。

 死ぬ。

 死んでるけど。

 助けて。

 誰か。

 死ぬって。

 まじで。

 やばいって。

 首が。 

 首。

 首絞められてるんだって。

 やばいんだって。

 おい。

 誰だよ。 

 俺の首絞めてる奴は。

 誰だよ。

 

 

 何が起こってるのか分からない。

 俺幽霊だぞ?

 なんでだよ。

 どうやって首絞めるんだよ。

 もがいても、何の変化もない。

 暴れても、首への締め付けは緩まない。

 首を絞めているはずの手を思いっきり腕で叩こうとしても、全くの無意味でしかない。

 おかしい。

 なんでだ。

 首絞めてるはずの手がない。

 俺の首に巻き付いてるはずの手が。

 俺の首は誰にも絞められてなんかいない。

 首には何もない。

 じゃあどうなってんだよ。

 どうやって首絞めてんだよ。



 『……お、ぁ……く……はな……』



 意識が朦朧としてきた。

 もう視界もぼやけてる。

 暗い。

 苦しい。

 痛い。

 自分が薄くなったことが分かる。

 どんどん薄くなっていく。

 でも完全に消えるまでにはまだ余裕がある。

 これが良いことなのかは微妙だ。

 消えるまでずっとこうなら、早く消えてしまいたい。

 ほんとにやばい。

 もし俺が生きてたら漏らしてたかもしれない。

 多分顔も真っ赤になってるはずだ。

 でも、痛みはいつまでも止まない。

 まだ痛い。

 苦しい。

 もしかしてずっとこのままなのか?

 いつまで苦しめばいいんだよ。

 意識は朦朧としてるのに。

 呼吸が出来ないのに。

 でも意識を手放すことができない。

 すっと苦しい。

 喉が潰されそうだ。

 いつまでも苦しみが終わらない。

 終わる気配がない。

 こんなのおかしい。

 どう考えてもおかしい。

 だって前はこんなに長くなかったのに………。



 『―――――――――――――かはッ!?』


 

 …………なんだ?

 なに?

 なんで?

 いきなり首が解放された。

 もう全然痛くない。

 さっきまでが夢だったみたいだ。

 いや、絶対に夢じゃない。

 間違いなく現実だ。

 息はまだ整わないし、視界も判然としない。

 心臓が酸素を取り入れようとしている。

 ……それもおかしな話だ。

 俺は幽霊になってから汗もかかなくなったし、汚れたりもしない。

 だから、入浴の必要もない。

 幽霊生活はかなり楽だけど、さっきは息が出来なくて苦しかった。

 汗はかかないくせに、酸素は必要なのか?

 ……やっぱり分からないことだらけだ。

 まぁ、酸素が必要なのかは分からないけど、幽霊になった俺は“霊体を手に入れただけの、手がない一般人”って感じだから多分呼吸は必要なんだろう。

 ……いや、どうなんだろ?

 案外、やろうと思えば呼吸も必要なくなったりしないのかな?

 すり抜けるみたいにさ。



 試しに息を止めてみた。

 これで苦しくならなかったら……。

 …………あれ?

 意外に苦しくない……ような?

 “息を止めてる感”はある。

 生きていた時に水の中で感じていた、“息を止めてる感覚”はあるけど、苦しくはなってこない。

 もしかして、俺息しなくても大丈夫なんじゃないの?

 でも、じゃあさっきのはなに?

 めちゃめちゃ苦しかったんだけど?

 うーん……。

 まぁいいや。

 時間はいくらでもあるんだし、こーゆーことは後で考えればいい。

 何でもすぐに分かるとは思わない方がいい。

 俺は幽霊なんだ。

 生きてた時の常識が染みついてるこの脳じゃ、絶対理解できないことがたくさん起こってるはずだ。

 そんなことより……。

 


 『とりあえず……助かった、んだよね……?』


 

 咳込みながら周囲を警戒してみても、特に誰かがいるという感じはしない。

 首も、違和感があるとはいえ、もうほぼなんともない。

 大丈夫、だと思っても良さそうだ。



 『何だったんだよマジで……』



 誰かに首を絞められるようなことをした覚えなんてない。

 というかそもそも俺は幽霊だ。

 俺に触ることなんてできるはずがない。

 いや、それよりも―――――。



 「俺はほんとに首を絞められたのか……?」



 首を絞められていた時、俺は必死だった。

 苦しくて苦しくて死にそうだったけど、俺はちゃんと抵抗した。

 首を絞めているはずの手を消えかけた腕で殴って、どうにか外そうともした。

 でも、それは成功しなかった。

 いや、スタートラインにすら立てなかった。

 だって、俺の首には何もなかった。

 絞めているはずの手も。

 腕も。 

 指も。

 そんなものはなかった。

 俺の首は何にも絞められていない、どころか、何も変化なんかなかったはずなのに、俺は首を絞められたような痛みにもがき苦しみ、危うく死にかけた。

 どういうことだ?

 さっぱり理解ができない。

 遠隔操作とか?

 もしかして、俺が知らないだけで、この世界には超能力的なものもあったりするのか?

 でも、それならなんで俺を狙うんだろう?

 幽霊だから?

 てことは、幽霊を認識できるような奴がいるってこと?

 いや待て。

 そもそも俺が犯人に攻撃できなかったのは当たり前じゃないか。

 だって、俺は生き物には触ることができないんだから。

 だから、相手が俺の首を絞めてきて、俺がそれに反撃しようとしても、俺の攻撃は全部相手をすり抜けちゃうから、反撃にならない。

 なら、直接首を絞められていた可能性は否定できないってことになる。

 


 『……もしかして、俺、ピンチなんじゃない?』



 …………いや。

 それもおかしい。

 だって、俺が反撃できないように、向こうだってそもそも俺に触ることなんてできないはずなんだ。

 俺が反撃できないってことは、向こうだって俺には触れないはずで、それならやっぱり直接首を絞められた可能性はない……はず?

 なのか?

 ほんとに?

 じゃあ、やっぱり超能力ってこと?

 …………やばい、頭こんがらがってきた。

 全然分からん。

 まぁでも、もし狙われてるなら、どうにかしないといけない。



 そんな答えなんか永久に出ないだろうことを考えていたら、お母さんと一緒に天咲が帰ってきた。

 多分家の前で会ったのだろう。

 お母さんが「ご飯食べてきたの?」と天咲に話しかけながら家に入ってくる。

 天咲は「食べてなーい。 あ、そういや明日友達が兄ちゃんに線香あげに来るってさー」とか言いながら俺の仏壇へと向かっていく。

 お母さんは料理の準備をしながら「あんたの友達で憶人のこと知ってる人なんていたっけ?」と返事をした。

 そういえばもうほとんど陽が沈んでいる。

 そのうちお父さんも帰ってくるだろう。

 そう考えるとずいぶん長い間苦しんでいたらしい。

 ちょうどお母さんが家を出てから帰ってくるくらいだから、多分二時間くらい?

 二時間も首を絞められ続けたのか……。

 意識を失わなかったのが奇跡だ。

 奇跡だけど、意識を失わなかったのはむしろ不幸でしかなかった。

 死にかけるほどの苦痛を、一片の漏れなく、余すことなく全て味わうことになったのだから。

 天咲は小声で「いやーかんっぺき忘れてた……」と呟きながら線香をあげ、リビングでテレビをつける。

 テレビではよく知らない芸人が漫才をしている。

 天咲はニュース、アニメ、動物番組、バラエティと適当にチャンネルを切り替えていき、一周させると興味をなくしたようにスマホをいじり始め、さっきの続きを話し始めた。

 


 「生徒会の明日葉あすはちゃん。 時々家来てたけど、分かる?」

 「あー、あのおとなしそうな子?」

 「そうそう、多分それ。 今日生徒会のみんなで遊んでたんだけど、さっきそこでなんか兄ちゃんについて聞かれてさー。 兄ちゃん死んじゃったよって言ったら明日学校終わってから来たいって言われたんだよね。 私学校で兄ちゃんのこと言ってなかったから知らなかったっぽくて」

 「ふーん。 まぁありがたいけど何か買っておいた方がいい? 長居してくの?」

 「いやぁ多分すぐ帰ると思う。 別にそんな仲いいわけじゃないし」

 「そう。 じゃお茶だけでも出してあげなさい」

 「はーい」



 明日葉ちゃんが誰だか知らないけど、明日その人が俺に線香をあげに来るらしい。

 ありがたいけど、顔が分からないから少し怖くもある。

 兎にも角にも、明日はその子を見るのがメインイベントになりそうだ。

 


 翌日の夕方。

 明日葉ちゃんは本当に来た。

 何度か見たことがある顔だった。

 眼鏡をかけていて、背筋はピンと張っているけど、どこか暗い雰囲気というか、明朗快活って感じではない女の子だ。

 一言で言えば、地味系の女の子。

 髪が若干茶色がかっている。

 水を飲みに一階に降りた時に、時々見かけたことがある子だ。

 内容は覚えてないけど、何回か話したこともある気がする。

 天咲が明日葉ちゃんの髪を見ながら「いいなー、私も茶髪にしたいけど校則厳しいしなぁ。 フォトショで子供の頃の写真加工して遺伝ってことにできないかな?」とか言っていたのを聞いて、我が妹ながら恐ろしいことを思いつくな、と思ったのを覚えている。

 恐らくその時期の生徒会長だっただろう女子の先輩には「生徒会入っといてよくそんなこと言えるわね…… そもそも黒髪のまま入学しちゃった時点でもう遅いでしょ」とか言われてた気がする。 



 でも、俺と明日葉ちゃんの関係なんて、それくらいのはずだ。

 多分2、3回くらいしか話したこともなかったはずだし。 

 名前も知らなかった。

 天咲の学校の友達で茶髪は珍しいから印象には残ってたけど、それだけだ。

 明日葉ちゃんは家に入ると早々に仏壇の前に正座した。

 線香を立てて、手を合わせる。

 俺はその後ろ姿をぼーっと見ていた。

 わざわざ線香あげに来るなんていい子だなー、とか思いながら。

 ほとんど俺のことなんて知らないはずなのにさ。

 天咲とも特別仲いいわけでもなさそうなのに。

 なんでわざわざこのためだけに来てくれたんだろ、とか。

 そんなことを思いながら、ぼーっと後ろ姿を眺めていた。

 なんでかと聞かれたら、まぁ、暇だったからだ。

 昨日のあれ以来、ずっと犯人を捜す、というか、犯人について考えてみたけど、流石に分かるわけがない。

 どうせ考えても分からないし、なんならもう考えるの飽きたし、飽きてしまえば、一瞬で暇すぎる毎日に逆戻りだ。

 だから、暇潰しに、わざわざ来てくれた子に礼でも言っとくか、みたいな。

 まぁ声は届かないんだけど。

 ってことは、お礼でも念じとくか、の方が正しいか。

 そんな感じだ。

 そう、思ってたんだけど……。

 


 「…………………」



 ……彼女はじっくり時間をかけて、手を合わせる。

 俺はお葬式とか、仏壇の前とか、神社とかで、しっかり手を合わせる人が好きだった。

 丁寧に、ゆっくり想いを込めるような、そんな手の合わせ方をする人が。

 だから、この子のそんな仕草がちょっと嬉しかった。

 でも、彼女はそれどころじゃなかった。



 「……………………」



 …………まだ、終わらない。

 彼女はじっと、手を合わせ続ける。

 


 「………………………………」



 ……………………まだ、彼女は手を合わせる。

 時が止まったかのように。



 「……………………………………………」




 …………………いやいやいやいや。

 長すぎない?

 いつまで手合わせてんの?

 もう一分は手合わせてるよね?

 天咲も「あれ? 明日葉ちゃーん? どこー?」 とか言ってるし。

 

 

 でも、その後ろ姿に何故か胸が熱くなった。

 鼻がツンとして、ちょっと泣きそうになった。

 まぁ、多分俺涙なんて出ないけど。



 ――――――でも、だからこそ、勝手に身体が動いたのかもしれない。

 意味がないことは分かっていた。

 分かっていたけど、思わず彼女の肩に手を置こうとしてしまった。

 なんでそうしたのかもよく分からなかった。

 当然、手が肩に触れることはないんだけど。

 そのまま、手は肩をすり抜けていく。

 それで、やっと気が付いた。



 『え……泣いて…………?』



 ぼーっと見てただけだから気付かなかった。

 よく見ると、肩が震えている。

 鼻をすするような音も聞こえる。

 でも、そんなはずがない。

 だって、俺とこの子に大した接点なんてない。

 話したことだってほとんどなくて、向こうが俺の顔を覚えているのかすら怪しい。

 実際、俺はついさっきまで、この子の名前すら知らなかった。

 そんな関係のはずだ。

 泣く理由がない。

 ないはずだ。

 でも、この子はまだ動かない。

 手を合わせたまま、時折鼻をすすっている。

 この子は多分、きっと、十中八九、泣いている。

 でも、それが信じられなくて。

 泣いている理由が分からなくて。

 俺は思わず顔を覗き込んだ。



 やっぱり、彼女は泣いていた。

 きつく閉じた目からは涙が零れていて。

 合わせた手は震えていて。 

 鼻をすする度に肩が上下して。 



 彼女は泣いていた。

 俺には理由なんて分からない。

 


 『なんで、泣いてるの……?』


 

 声が届かないことは分かっている。



 『ねぇ、何かあったの? 俺、君に何かしてあげたことなんて、なかったと思うんだけど……』



 でも、どうしても話しかけずにはいられなかった。

 俺が生きていたら、この声を届けられるのに。

 そう思ったのは、死んでから初めてだった。

 声を届かせたいと思ったのも。

 生きていれば、と思ったのも。



 彼女はまだ泣いている。

 泣き止むまで、まだもう少しかかりそうだ。

 俺は、そんな彼女から目が離せなくて。

 何故か俺まで悲しくなってきて。

 彼女が次第に落ち着いて、涙を拭いながら仏壇の前を離れるまで、俺は隣で見守り続けた。



 もし生きてたら、俺も貰い泣きしていたかもしれない。

 でも、俺はもう生きていない。

 幽霊だ。

 人間ではない。 

 涙は最後まで、零れなかった。


 



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