終章

終章

羽幌からやってきた「運搬社」は、読んで字のごとく人を運搬するのに適したワゴン車と、一人の運転手で構成されていた。羽幌にこんなシステムがあったのか、と、たか子は、おどろいてしまった。

「さあどうぞ、乗ってください。楽な姿勢でいいですよ。座っているほうが良ければそれでよいですし、横になっているほうが良ければ、寝台車もありますから。」

運搬社の運転手は、出来る限り明るく言って、水穂をよいしょと持ち上げた。水穂は姿勢について何も言及しなかったが、運転手は、自信の判断で水穂を寝台車に乗せ、其れを、ワゴン車の中にそっと乗せる。

「本当に、助かりました。ありがとう。今日は、何だか迷惑をかけるような振る舞いをしてしまってごめんね。ほんと、失礼しました。」

杉三が、軽く敬礼して、「運搬社」の運転手さんに、ワゴン車の中に乗せてもらう。じゃあいいですかね、と、運転手がにこやかに言って、運転席に乗った。

「じゃあ、またね!また会おう!」

杉三がそういうのと同時に、ワゴン車は走り出していった。運搬車と運搬社との名をひっかけた、弱い人たちをそうやって搬送していく会社。社長さんは誰なんだろうか、どんな感じの企業なんだろうか。慶介君はちょっと興味を持ったようだ。

杉三たちの乗ったワゴン車が見えなくなると、高橋さんも、橘さんもその場に残った。たか子もその場に残った。何だか、三人とも、まだ帰るという気にはならない様であった。

「丁度、夕方の電車が行ってしまった時間だな。次の電車はあと二時間しないと来ない。」

不意に橘さんがそういうことをいった。留萌の町と違って、ここは、とにかく限界集落に近いところだから、飲食店も図書館のような時間をつぶせる建物はなにもない。

「橘さんも高橋さんも、一寸うちへ入って、軽いものを召し上がって下さい。」

たか子はそういった。二人も、ぜひそうしたかったらしく、たか子の家に入った。慶介も後からついて来る。三人は、食堂に入って、ちゃぶ台を囲って座った。いつもなら、すぐに自分の部屋に逃げ込んでしまう慶介が、なぜかその日は、一緒にちゃぶ台に座っていた。

「今日はいい日だったなあ。久しぶりに誰かと一緒に、買い物に行って、ラーメンを食べるなんて、予想していなかったよ。本当に楽しかった。」

橘さんが、禿げ頭をかじりながら、そんなことをいい始めた。

「若い人が来てくれると、なんだかやる気が出るね。わしは、なんだか、久しぶりに子供が戻ってきてくれた様な感覚になって、ついにラーメンをおごってしまった。もう、子供らにしてみたら、わしは邪魔者だもの。生きがいなんて、持てないよ。ついさっきも、孫に心配で電話をかけたら、さっさと死んでくれなんて言われちゃったよ。」

そんなひどいこと平気で言うのかと思ったが、それで当たり前になっているようである。橘さんはさらに続けた。

「そんなわけだからさ。わしは、一人で毎日本数の少ない電車で買い物に行って、一人で買い物をして、二時間以上待つために、店の中をぶらぶらしてっていう生活だったけどさあ。今日は、あの杉ちゃんという人が、ラーメンを食べてくれて本当にうれしかったなあ!」

「そうか、わしも、そういうところがあったぞ。あんなきれいな人、初めてみたよ。そのうえ昔はやっていた病気にかかっている様に見えて。あの水穂さんって人、まるで明治くらいの人かと思った。不思議なご縁もあるもんだ。」

橘さんが話し出すと、高橋さんもそうつづけた。

「まあ、それでも、なんとか助かってくれて、羽幌から来た車で無事にホテルまでかえってくれたようで、結果としてはよかったのかな。でも、あの人は、本当に、俳優にしたいほど、きれいなやつだったよ。いいなあ。わしもああいう風にきれいだったら、道路で倒れていても、すぐに手出しできちゃう。」

高橋さんはにこやかに、でもある意味羨ましそうに言った。

「そうなると、わしらは、かねてからの望みをかなえてもらえたもので、もうお迎えも近いかな?」

橘さんがそうちょっといたずらっぽく言った。それを聞いて慶介君は、え、そんなこと?と思ったが、

ははは、今のは冗談だよ、と、高橋さんがにこやかに言う。

「慶介、体調悪かったら、部屋へ戻っていいわよ。」

母のたか子が、母らしくそういったが、慶介は戻る気にはならなかった。杉ちゃんたちがやってきてから、一度も倒れたり、息苦しくなったりしていない。水穂さんが公園で倒れたときは、もうどうしようかとパニック状態になったことは確かだが、なぜか、息苦しくはならなかった。きっと何とかして水穂さんを何とかしなきゃと思っていたので、自分の事は考えている暇はなかったのだと思われる。

代わりに、にこやかに笑顔で答えた。口はちょっと動かすが、まだ、声は出ない。

「何?」

たか子が、そう聞くと、慶介は紙に何か書いた。それを見てたか子はまた驚く。

「あの会社を手伝いたいって、まあ、、、。あの会社って何なのよ。」

たか子がそう確認すると、

「羽幌の。」

と、慶介は紙に書いた。でもそれを実現するのはちょっとハードルが高かった。運搬業となれば必須的に車の運転免許が必要になるだろう。それに失声症の人間が車の運転免許は取ることができないので、まず、声を取り戻すことが必要になってくる。それをクリアしなければ、たぶん羽幌の運搬社では働かせてはもらえないだろう。そうなるためには、まだまだ時間がかかりそうだ。でも、彼の、気持ちを消し去るような真似はしてはだめだ、と、たか子は思った。

「そうだね。あの会社で働けるように、まずは声を取り戻すことから始めようね。」

やっと慶介が前向きな話をしてくれた。これで、私にかかっていた、母親としての監督不行き届きという変な称号も、解除してもらえるかなと、たか子はちょっと期待を寄せていた。

その間に、二人の年よりは、子どもの事や政治のことなどを楽しそうに語っている。

「あーあ、たのしかった。なんだか、遠く離れちゃうのが、なんだか名残惜しい気持ちがするなあ。」

「ほんとだ。なんだか電車が少ないから、長居をさせてもらっているような気がするよ。都会の分刻みでの時刻表では、こんなに遅くまでしゃべることなんてできないんじゃないの?」

高橋さんと、橘さんは、そういって笑いあった。

「都会にはないものってこういう事かなあ。」

不意に橘さんが言う。

「わしらは、何だか一度楽しいことをすると、もう一回おんなじことしたい気持ちになってくるな。今日これだけで、終わってしまうのは、寂しい気がするよ。」

「そうだねえ。橘さん。なあ、何回かこうして集まるようにしないか?わしらは、ただの詰まらない人間だけどさ。つまらない生活を送っているだけだけど、その中でもこうして集まれる時間を作っておけば、何だかもうちょっと明るく生きていかれるような気がするんだ。」

高橋さんはそう提案した。

「どうせ、電車は二時間に一本とか、そういうくらいしかないんだからさ、少なくとも電車を待っている二時間の間には、しゃべっていられる様になるぜ。」

「そうだな。電車のおかげだなあ。それでは、役に立たない電車であっても、少し役に立つかなあ。」

橘さんもにこやかにそう答えた。

「おう、又来よう。どうせなら、女性を一人入れて、話を盛り上げよう。久保さんどうです。定期的ってわけじゃなくても、暇な時に集まりませんか?」

不意に、たか子は高橋さんにそういわれた。え?とたか子は思わず声を上げる。やっと、地元の人たちにこうやって誘ってもらうことができたのだ。どうしても、過疎地域特有の傾向なのだが、嫁に来たものは、ちょっと距離を置くというか、地元の人たちと接するきっかけが掴みにくいというか、そういうところがあるのだ。たか子も夫から言われた通りに、一生懸命努力してきたが、其れがどうしてもできなくて、焦っていたことも少なからずあるし、地元の人たちの前で、派手な失敗をしたこともある。まあ、さすがにそれを非難するほど性格の悪い人はいなかったが、なにかひどいことをされるのではないかと、怖い思いをしたことはあった。

これで私も、少し、この地域に溶け込むことができたかなと、たか子も思った。秀明さんは、いい人を二人、こっちへ、よこしてくれたのだなと、何となくほっとする。お礼に手紙を書いて置かなくてはなと、思う。メールでは、そういう事を表現するのは、向いていない。素直な感情を書くにはやっぱり手紙のほうが適していると思う。

一方、運搬社に搬送して貰って、留萌市内のホテルかむいわに、戻ってきた杉三と水穂は、フロントにすぐに布団を敷いてもらうように頼んだ。その通りにしてもらって、水穂は、薬を飲んで布団に横になり、小一時間ほど転寝をした。

その間に、杉三は、これまで買ってきた土産を、これは誰、あれは誰と割り当てをつけて整理していた。

そのうち、夕日が沈んでまもなく夜になった。

「やれれ、明日帰るのか。」

杉三がぼそっとつぶやく。

「そうだね。」

目が覚めた水穂は、しずかに言った。

「なんだかすぐに終わってしまったような旅行だったけど、結果としてはよかったのかな。」

「すごい田舎だったけど、いつまでも続いてほしい電車でもあるよな。」

同時に、増毛駅では、老人一人を乗せた最終電車が、また疲れた顔をして走って行くのであった。

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ゆくらゆくら 増田朋美 @masubuchi4996

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