花霞

湊歌淚夜

第1話

春の実感は、多くの人が桜の咲く時期という印象が大きいだろう。私もそのご多分にもれず、書斎の窓から見える桜を見ると春の到来を感じ、胸がざわつくのだった。


お茶を啜ると、その時間だけは何だか自分を忘れていられる気がして執筆の休みには欠かせない。自分で言ってしまうのも烏滸がましいけど、私は第1線を走る女流作家なのだ。主に高校時代の青春に起こる出来事を描くことが多く、多くの人から共感を得ているらしい。その証拠に映画化やドラマ化など多数メディアに私の作品が塗り直されることも少なからずある。


実際、本を書くことを生業にするのは精神を磨耗することで、まるで陶芸家のようなものなのだろう。私は窓の外に目をやった。

春に雪が降っているかのように桜は咲いている。まるで水彩画のようであって、だけど、どこか鮮明さを帯びていた。とは言え家の庭に咲いている訳では無く、所謂「花霞」と言うやつなのだろう。

「由麻さん?お邪魔しますね」

声をかけられた私は体が反射的に跳ねたことに意識が瞬間で反応し、現実に対して思考が割かれる。家政夫の深彩(みさ)は恭順に礼をしてみせた。その様はまるで名家に仕える執事のようで、私は彼との距離の遠さにやきもきしている。というのも深彩とはかれこれ10数年の関わりで、親のような関係だと思っていたけど、何だか最近親子関係で片付かない気がしてきている。私は深呼吸をして、高鳴る心音を抑え込むことにした。


「……お見合い?」

唐突に突きつけられたその言葉をどう飲み込むか分からないまま、私は座っていた。それまで恋も愛も創作上にある綺麗なものしか知らないでいる。私は冷や汗が頬をつたう感覚が鮮明にわかるほど、神経を鋭利にしていたらしい。深彩は静かに頷き、神妙な面持ちで話し始める。


「我が家のしきたりなので、と由麻様として容易に受け止められないのは承知の上です。私も初めて聞いた時は驚きを隠せずにいましたから。実際お見合いというのは何だか時代遅れな気もしますが富裕層などでは少なからずあるようです。血統によって定められる運命ほど厄介で苦しいものなどないのかもしれませんが、私にはそれを取り除くことしか出来ないのです。」


深々と頭の下げた深彩はいつにも増して、まるで数年間こき使われたサラリーマンのように哀愁と疲弊の色彩を強く感じた。私はただただ呆然として、巡る思考の掴みどころのなさを俯瞰している。流れる川を見つめていても何の意味も成さないことは百も承知だけど、それしか自分を守り鮮明さを保つ唯一無二の手段に思えていた。私はふらふらとした足取りで台所へ歩く。話はさして長くなかったものの、何せ話の衝撃で脳を銃弾が暴れ狂ったかのようにかき回されて夢心地―とは言え、いい気分とは到底言い難い―になっている。


台所へ来て体の内に蠢いた不快感が込み上げてきた。不快感に従順になって思わず吐き出してしまう。口の中には苦味と酸味の入り交じる、「吐瀉物」というまじまじとした感覚が空嘔(からえずき)を誘う。ぼんやりとした思考の檻のなかでは何故だか深彩の事がちらついていた。

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花霞 湊歌淚夜 @2ioHx

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