リクレットが泣いている
snowdrop
天使があなたへ降りるといいね
住宅とマンションが立ち並ぶ街の向こう。
西空は明るいものの、頭上を黒い雲が覆っている。
午後から降り出した雨は激しさを増し、打ち付ける雨音が室内にまで響いている。
わたしと彼は、教室で雨が止むのを待っていた。
「限界しりとりでもする?」
彼の手には、ロッカーの中から取り出したトランプと四角い対局時計があった。
小雨になるまでの暇つぶしにはちょうどいい。
机を間に挟んで、向かい合うように座った。
トランプを渡されて受け取ると、カードから「1」と「12」と「13」、「ジョーカー」を除外し、シャッフルしはじめる。
彼は対局時計の準備をしながら話し出す。
「ルール確認をするけど、持ち時間は各自、十五分。しりとりの『り』からはじめる。トランプをめくり、出た数と同じ文字数の単語を答えないといけない。ジャックは十一文字以上で答えても良い。パスは一人一回までできる」
「オーケー。基本ルールそのままね」
「勝ったらどうする?」
彼の言葉にわたしは首を傾げてみせる。
「どうするって、なにか賭けるの?」
「暇つぶしでやるだけじゃ、緊張感が足らないだろ」
そんなものは求めてないけど、と言いかけて考えを改める。
「そうね。勝った方が負けた方に一つだけ、命令できるっていうのはどう?」
「いいね。それでいこう」
彼がニヤッと笑った。
勝つ気でいるらしい。
自分が負けたときのことを考慮に入れていないのが、彼のいいところであり悪いところでもある。
かく言うわたしも、勝ったら何をおごってもらおうかな、なんて考えながらトランプをよく切り、机の上に置いた。
順番を決めるために最初はグー、と拳を出しあい、じゃんけんぽんで手を変えた。
「先攻は、わたしからね」
彼が対局時計のボタンを押す。
わたしは同時にトランプの山札からカードを一枚引いた。
「ふむ、『リの3』だから、林檎」
言い終えて、わたしは対局時計のボタンをパチッと押す。
彼はカードを一枚めくる。
「俺は『ゴの2』。胡麻」
すぐに対局時計のボタンを押す。
わたしはカードをめくる。
「まただ。『マの3』ね、毬藻」
すぐ答えて対局ボタンを押した。
彼はカードを一枚引いた。
「おっ、『モの8』か……えっと、モン・サン・ミッシェル」
答えるや、速攻で対局ボタンを押し返す。
わたしはすばやくカードを一枚取る。
「えっと『ルの9』。あ、ルービックキューブ」
すぐに思いついて対局ボタンを押す。
驚いた顔をしながら彼はカードを一枚手にした。
「んー、『ブの10』がくるとは。濁点はつけ外しができないんだったよね……パス」
考えるのを放棄して、彼は対局時計のボタンを押した。
わたしはカードを一枚引く。
「よしっ、『ブの3』。葡萄」
すぐさま対局ボタンを押す。
「早すぎっ」
彼は口元を歪ませつつカードを一枚めくる。
「やった。『ウの2』。馬」
対局ボタンを押して、すぐにわたしの番。
カードを一枚取る。
「ほお、『マの5』ね。マテリアル」
余裕を持って対局ボタンを押す。
彼は眉間にシワを寄せてカードをめくる。
「また『ル』なんだ。『ルの6』ね、ちょっとまって」
指折り数える彼の目が一瞬、大きく見開く。
「ルーズボール」
嬉しそうに笑って対局ボタンを押した。
わたしはカードをめくる。
「る返しをしてきたな。『ルの6』ね……ルミウォール」
思いついた嬉しさから、勢いよく対局ボタンを押す。
首をひねって彼はカードを引く。
「ルミウォールってなんだよ。『ルの4』えっと、ルッコラ」
聞きながら答えた彼は対局ボタンを押した。
「シャープ製の光る太陽電池だよ。る返しのる攻めは定番だよ」
答えながらカードを引く。
「げっ、『ラの9』ですか。残り何分なの?」
わたしは対局時計を見た。
まだ十分位残っている。
じっくり考えるだけの時間は残っていた。
ついでに窓の外へ目を向ける。
相変わらず、激しく降り続いている。
しばらく考えたが、出てこない。
「パス」
潔く諦めて対局時計のボタンを押した。
彼はカードを一枚引く。
「おっ、『ラの2』。なににしようかな、騾馬」
答えるや、彼はすぐさま対局時計のボタンを押す。
カードの引きがいいね、と、わたしはカードをめくる。
「んー、『バの8』か。バスケットボール」
指折り数えながら答えて、急いで対局時計のボタンを押した。
苦笑いをうかべて彼がカードを引く。
「る攻めかよ。しかも『ルのジャック』とは。えっと……」
指折り数えて考える彼の姿をみながら、思わず快哉を叫びそうになる。
『自分が手を下すことなく他者が不幸や失敗に見舞われたと見聞きしたときに生じる、喜びや嬉しさといった快い感情を、ドイツ語でなんというか』というクイズがあったことを思い出す。
答えは、シャーデンフロイデ。
前半のシャーデンは、被害や痛みという意味。
後半のフロイデは、楽しみや喜びという意味。
直訳すれば、被害の喜び。
似たことわざなら、『隣の文房は鴨の味がする』や『隣の貧乏は雁の味』があげられる。
クイズをやるようになってから、どんどん知識が増えていく。
「ルクセンブルク大公国」
ふう、とため息を付きつつ、彼は対局時計のボタンを押した。
お疲れ様と言ってあげながら、わたしはカードをめくる。
「お、『クの3』だ。クイズ」
軽い手付きで対局ボタンを押す。
引きが良すぎる、と文句を言いつつ彼がカードを一枚引いた。
「おいおい、『ズの9』。なんで長いのばっかりなんだよ。しかもズから始まる長い言葉なんてあるのかよ」
頭をかかこんでしまう彼を前に、わたしはいしししーと歯をみせつつ笑った。
困った彼を見るのは実に楽しい。
いじめがいがある。
チラッと対局時計を見る。
残り時間はあと五分ぐらい。
ここからは、引きの良し悪しに左右されてくる。
「ずいずいずっころばし……は十文字だし、ズンドコパラダイス」
うなだれながら彼は対局ボタンを押した。
カードをめくりながら、「なにそれ?」と聞いてみる。
「ジャニーズWESTの歌」
「そんな歌があるんだ。『スの4』。スタンス」
パチン、と対局ボタンを押す。
机に伏せたままトランプの山に手を伸ばした彼は、一枚引いた。
「今度はマシだ。『スの4』だから、ストール」
ようやく顔を上げた彼は、対局ボタンを押した。
彼の残り時間は三分を切っている。
彼も「る攻め」できた、か。
当然だね。
わたしはカードをめくった。
「あ……しまった。『ルのジャック』。三枚目のジャックがきた」
ここにきて、ルではじまる十一文字以上の言葉を探すことになるとは思ってもみなかった。
幸い、残り時間は三分以上ある。
じっくり考えれば答えられるはず。
「ルパン三世愛のテーマ」
一分かけて出した言葉のあと、わたしは息を吐いた。
対局ボタンを押すと、彼がカードを引いた。
「俺のターン、ってマジかよ。『マのジャック』か……魔法戦隊マジレンジャー」
考えるまでなく、すんなり答えて対局時計のボタンを押した。
わたしの長考の間にすっかり元気を取り戻してしまったようだ。
このままではわたしが負けてしまう。
急いでカードを一枚引く。
「よし。『ヤの2』だから、槍」
あわてて対局ボタンを押した。
彼がカードを引く。
「うぉーっ、『リの10』とは。十文字が一番難しいんだよね。リヒテンシュタインは九文字だし、陸前高田市は八文字だし」
彼は再び、頭を抱えて机に臥せってしまう。
対局時計を見ると、彼の残り時間があと一分に迫る。
「あと一分だよ。早くしないと」
わたしはこれみよがしに対局時計を指差す。
頭を抱えてちら見するも、彼は答えられない。
秒針が静かに回っていく。
「……あ、リスクマネジメント!」
彼は叫び、対局ボタンを押した。
わたしはすばやくカードを一枚引く。
「んー、『トの9』か。えっと、これが四枚目ね」
わたしは対局時計を見た。
残り二分を切った。
ここからが正念場だ。
「トラディショナル」
やっとの思いで出した言葉とともに対局ボタンを押した。
彼はカードを一枚めくる。
「んー、『ルの7』か、ルってさっき……そうだ、ルパン三世」
答えるとすぐに対局ボタンを押す彼をみて、わたしはカードを一枚引く。
「わたしがさっき答えたのをヒントにするなんて。しかも『イの10』がきちゃった」
わたしは机に並ぶ、これまで引いたカードを眺める。
「2」と「3」と「9」はすでに四枚出ている。
「10」と「ジャック」のカードは三枚目。
残り時間が少なくなって長い文字を考えるのはきつい。
「えっと、インスタントコーヒー』
指折り数えて答えたわたしは、対局時計のボタンを押す。
残り時間が一分になってしまった。
「俺のターン、『ヒの4』。えっと、氷河」
すぐに答えて対局ボタンを押してきた。
わたしはカードを引く。
「少ない数字来いっ、『ガの8』……ガからはじまる言葉って」
指折って数えながら、対局時計を横目に考える。
彼の残り時間は四十秒くらい。
る攻めをしたいけれど、そんな余裕はなかった。
「あった、学童保育」
対局時計のボタンを押す。
残り時間は三十秒ほど。
彼がカードを引く。
「よっし! 『クの5』だから、クリスタル」
勢いよく対局時計のボタンを押してきた。
カードを一枚引く。
「る攻めだ。『ルの5』だから、ルミノール」
負けじと対局時計のボタンを押した。
あと十五秒だ。
彼も慌ててカードを引く。
「る返しかっ。えっと『ルの8』だとっ」
「残り時間、三十秒だよ」
指折り数えている彼にわたしは、プレッシャーを掛けていく。
わかっている、と反論したそうな顔をされる。
「ルードビッヒ一世」
パチン、と彼は対局時計ボタンを押した。
わたしは急いでカードを引く。
「うわっ、『イの10』最悪っ」
四枚目の「10」がこのタイミングでわたしに来るなんて。
引きが悪すぎ。
残り十五秒を切った。
「えっと……一等航海士」
いい切り、息を吐きながら対局時計のボタンを押した。
残り三秒。
彼がカードを一枚引く。
「うっ、『シの5』は、白刃取り」
速攻で返される。
彼が対局時計のボタンを押した瞬間、わたしはカードをめくった。
できた数字はまた「ジャック」だった。
考えるまでもなく、時間切れ。
わたしは背もたれに持たれて天井を見上げた。
「まさか続けて出るなんて……『リのジャック』なんて出てこないよ。ほんと最悪だよ……あ」
今更ながら単語が浮かぶ。
気づいたときに手遅れ、なんて。
人生ではよくあることなのかもしれない。
「俺の勝ちっ。最初の約束覚えてる?」
「約束?」
そういえば、勝った人は負けた人に命令できるというものだ。
自分で言っておいて、途中から忘れていた。
「だからって、できることしかしないから。それと、犯罪めいたこととか嫌なことは勘弁してよね」
「善処する」
どういう意味なんだか。
わたしは思わず息を吐く。
彼はスクールバック持ち出し、手を入れて弄り始める。
取り出したのは、折りたたみの傘だった。
「一緒に帰らない?」
「傘、もってたんだ」
わたしは窓の外へ視線を向ける。
止む気配を見せず、長雨が続いていた。
言葉で表現するのが苦手だからといって、アプローチが遠回しすぎる。
「約束だし、じゃあ帰ろ」
使った道具をロッカーへ片付けて、わたしと彼は廊下へ向かう。
「負けたらどうするつもりだったの?」
「勝つまでやるつもりだった」
それを聞いて、思わず笑ってしまった。
リクレットが泣いている snowdrop @kasumin
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