スリと軍人

幸次郎と源太が再開を果たした二週間後二人は浅草の寄席の一つにいた。

この日は三遊亭圓朝師が主任(とり)を取ることから満員御礼であった。

江戸生まれの「落語界中興の祖」と呼ばれたこの人物は維新の功労者の一人井上馨や三井の大番頭益田孝からも愛された人物である。

「落語とはなんとも古風な所につれてきてくれるんだね」幸次郎はこの日明石源太からこの寄席に誘われた。

「そらお前さんはいままでブリテンにいたんだ。しかし待ちなよ。圓朝は面白い。この一両をかけてもいい」と源太は家から引っ張り出した一両を懐から出してみせた。

「そんなもんもらってもうれしかないね。」

「さすがお大尽」といって源太は小判をしまい杯から酒を飲んだ。

昔は寄席はろうそくの火だけを照明として使っていた。

そして昔の寄席で最後の演者がろうそくの芯を打ってこれを消した。

そこから真打の言葉が生まれたと聞く。

その真打が舞台から登場する。

「よっ待ってました。」という言葉と拍手に会場は包まれた。

これには幸次郎もおどろいた。

俗に出囃子というものがなるがこれは大正時代に上方落語から江戸落語に伝えられたとされる。

したがって明治には噺家が登場するときは鳴り物は鳴らない。

拍手に包まれ紋付を着た人物が座布団の上にちょこんとすわり頭を下げる。

頭をゆっくりと上げると拍手がぴたっと止まる。

「えー本日も多くのお客様にお寄せいただき誠にありがとうございます。

明治になりましてだいぶ経ちますが今までは夜道はあんどんをつけませんと外には出られませんでしたが今ではガス灯もできたおかげで夜でも大勢のお客様がこうして寄席に見えられる。そうすると我々噺家が一日中働かなきゃいけない。ほんとにありがたいのか迷惑なのかわからないありさまでして。。」

くすくすと笑い声が聞こえる。

「しかし変わらないものもありますな。例えば神様。こんちお話いたしますのはあまりお付き合いしたくない神様、つまり死神というお噂でございます。」

三遊亭圓朝は名人だが二代目三遊亭圓生が意地悪をして圓朝のやろうとする演目を先に演じる事から圓朝は他人がやることができないものをと考えて落語の創作を考え福地桜痴からグリム童話の死神を教えてもらい落語の「死神」が演じられた。

もちろんこれ以外にも圓朝作の話は多く残っている。

「きえるよ~。早くしないと消えるよ~」とか細い声で死神を演じる圓朝を見た存命の人間は今はいない。

「ほら、消えた」というと拍手が鳴り響いた。

圓朝は頭を下げると脇に下がった。それでも拍手は鳴りやまない。

「おい。ありゃなんだい?」幸次郎は源太に聞いた

「お前さんが島流しになってる間に上手くなったんだよ」そういって杯を干す。

「さて幸さんかえろうか。人力車を探してくるよ」

そういって源太が入口に向かう時

「おっとすいません」と源太にぶつかった男がいた。

その男が幸次郎とすれ違った。

男は寄席を出て脇道を抜けると源太の懐からすったものを確認しようと懐を見たが財布が入っていない。それどころか自分の財布も無い。

懐をまさぐっていると肩をつかまれた。

「よくも帝国軍人の懐から財布をすってくれたな」源太の声だ。

「ひぇー」としりもちをついた。

この男のすった源太の財布と男の財布をすったのは幸次郎だ。

若いころ孫六じいさんの知り合いにスリの親分がいて幸次郎はこの親分に「見込みがある」と言われたほどだ。


源太の財布がすられた事を確認した幸次郎はすれちがいざまに二つの財布をすったのだ。

「それにしても財閥の御曹司がスリの真似事なんてあきれたねぇ」と源太は笑った。



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華麗なるS 若狭屋 真夏(九代目) @wakasaya

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