その戦いの終止符は
おそらく最初から最後まで、ルルはこの男の手の中で戦わされていたのだろう。
そのままの体勢で動けなくなったルル。指一つとして動かないようだが、その表情はよくわかる。
ルルは今、必死に考えている。一体何が起きたのかと――。
だが、たぶんルルにはわからないだろう。実際この俺でさえ、見えていてもそこに気付くことはできなかった。
張り巡らされていた不可視の糸の陣。それを解除した聖剣バルコイニクスの所持者は、自分から離れた場所の糸も解除していた。それは、解除用の糸がめぐらされていたからに違いない。だが、天井がぶち抜かれたために、その解除を伝えるための物が失われてしまっていた。
だから『一部残っている』と言ったのだろう。その時に、彼が見ていたのはエルマールがいる方向だった。
傭兵風の男はそこに気が付いていた。だから、明かりを消すためにはなった短剣の中に、それを確かめるための物を混ぜていたに違いない。
しかも、この仕掛けを整えるために、微調整と心理的な誘導もしている。投げる角度とその重さ。それらを紛れ込ましてその位置を特定する。しかも、ルルを直接狙わないことが、おかしいことだと思わせないように照明を割ったりしていた。
もともと、聖剣バルコイニクスの所有者がその位置を教えてはいたのだろう。だが、不可視の陣として張り巡らされたものを男が認識できていたとは思えない。
だが、それを行動で予測していた。投げた短剣や推測によって。
穴が開いた天井より先、エルマールを包み込んでいた囲いの背にあたる部分。そこにはしっかりと陣が残っていた。弾かれて、戻っていた短剣は全て床の上に刺さっている。
ルルには見えないように、そうしてその場所を割り出していた。おそらく、エルマールの死体を目印にでもしていたに違いない。
そう、今ルルがいる場所は、ほぼ最初にいた所。正確には、ルルの影が伸びている場所がそこにあたる。
だが、短剣で照明を壊すことは、男にとってカモフラージュとしての意味だけではなかった。そもそも、明かりが複数ある室内では、濃い影は生まれにくい。しかも、穴のあいた天井から来る星明りは、せっかくの影を薄めてしまう可能性もある。
だからより強い光源を用意する。一瞬、ルルの意識をそこに向ける意味でも。
全てはこの瞬間の為の布石。男が張った罠に、ルルは見事に誘い込まれていた。
「さて、嬢ちゃんは何が起きているのかわからないだろうな。いいか、戦いってのは、戦う前から始まっているんだぜ。戦いってのはよ、その思考と行動の全てに、互いの嘘と真実がぶつかり合ってるんだぜ。だから、常に正しいものを選んだ方が勝つ。そして、一瞬でも余分な事を考えたら負けなのさ」
床に刺さっている長剣を腰に戻し、男はゆっくりとルルに近づく。
「まあ、そこのエルマールの事は真実だ。嬢ちゃんの事を助けたいって思ったのも事実だぜ。だが、何が何でもってわけじゃない。俺は英雄や勇者じゃない。単なる名もない傭兵だ。戦いが俺の全てだからな。聖剣パンタナ・ティーグナートが甦れば、戦乱の世に戻る。腐った世の中は、いっぺんぶち壊すのが早いのさ。まあ、本来は逆なんだろうけどよ。依頼されたからだけじゃねえ。そう俺が考えたからこそ、嬢ちゃんを王都まで護衛した」
――おい。よせ。本当にそうするのか?
「別に、嬢ちゃんを殺さなくても宰相は戦いを起こすぜ。新しい聖剣の持ち主の候補は既に決まっているって話だ。ただ、平和慣れした者達の中に、非戦を唱える者が出てくる事もある。そういう奴らが、わかないためにはどうすればいい?」
――やめろ! アスティ! リラ! お前ら! 誰か!
俺の目の前で、ルルがなす術もなく殺される。
その状況で、俺は何もできずにただ宙に浮いている。だが、俺に言われるまでもなく、アスティはこの状況をしっかりと把握している。しかし、思ったよりも聖剣バルコイニクスの力は大きいようだった。
今も必死に起きようとするアスティ。だが、傷も精神も限界に近いのだろう。這いずるように動いているようだが、ほとんど動けていなかった。
ゆっくりと確実に、男は大剣を構えはじめる。まるで、俺にそれを見せつけるかのように。
――ダメだ。アスティはもう限界だ。リラ! リラ! もうお前に頼るしかない!
「人柱が必要なんだ。これでもかという悲劇と一緒にな。『聖剣の中でも最強の聖剣。聖剣パンタナ・ティーグナートに選ばれた王女ルル。その出生の秘密故に、悪しき
そのままルルに切りかかるのかと思いきや、男は再び語りだす。
「その呪いを、その身を犠牲にして解除したのが、司祭エルマールという人物の役割だろう。『だが、呪いの解除に成功したものの、王女ルルも瀕死の重傷を負っていた。その最後の力を振り絞って、聖剣パンタナ・ティーグナートを手に取るルル王女。その命を燃やした聖剣の力で、悪しき
軽々と大剣を振りながら、男は何故かルルに語りかけている。その意図はよくわからないが、この奇跡的な時間を無駄にはできない。
――リラ! 起きろ! 今お前が起きないでどうする! そっちの黒いのでもいいから! ルルを守ってくれ!
だが、そう呼びかけてみても、リラは床に寝そべったままだ。俺が知っている者達が、傷つき倒れている。
いつもそうだ。こんな時、俺は何もできない。
――そう、俺はいつも傍観者だった。
戦い、傷つくのはいつも所有者のほう。中には、俺に耐えられず、精神を崩壊していく者もいた。
でも、いずれも
――だが、ルルは違う。
俺は正式に認めたわけじゃない。不完全に目覚めたから、その時が来るまで生き残る力を貸すためだけに、俺がルルに手を貸していたに過ぎない。
もし、
そう考えて、ニコラスの奴はこの男をルルの元に送っていた。ただ、宮廷魔導師長マルティニコラスにとって誤算だったのは、この男が宰相と繋がりがあったことだ。いや、宰相の方により強いつながりがあったことだ。
だが、俺がそれを台無しにした。
そして、今。俺は何もできずにただ見守っている。この俺の過ちのせいで、またあの時のような事が起きようとしている。
――やはり俺は、何も守れないのか……、ティーナ……。「ウホ?」
俺の声に、応える声を感じた瞬間。傭兵風の男が大剣を上段に構えてルルを見下ろす。
「じゃあな、嬢ちゃん。聖剣パンタナ・ティーグナートがなかなか飛び立たないのが不思議だったが、どうやら嬢ちゃんの最後を見届けないと無理みたいだな。あきらめの悪い聖剣だな。だが、もうこれで終わる。そして、嬢ちゃんの仇討ちは終わった。まあ、正確に言えば、この国自体が嬢ちゃんの仇みたいなもんだから、終わってないのかもしれないけどな。それでも、そこの死体が嬢ちゃんの仇討ちでいいと思うぜ。世の中、嬢ちゃんの考えているよりも、色々と複雑だからな」
そう言って、大剣を振り下ろした男に伝わる確かな手ごたえ。降り注ぐ鮮血と共に上がる悲鳴と絶叫。
満足の笑みを浮かべながら、振り下ろしたその大剣。
返り血を浴びながらも、男はその光景から目を離せなかった。
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