攻防の末に

 その男の殺気を受けても、ルルの瞳に揺らぎはない。ただ、色々な事は考えているのだろう。そのままルルは黙っていた。


 ――思い出せ、ルル。お前が出来ることを。お前がいる場所はどこにある!


 そう念じてみたものの、俺の声がルルに届くはずはない。ただこの場にいるだけで、俺は何の力にもなれずにいる。


 ――そう、いつだって俺は傍観者でしかない。力を貸すことはできても、自分の意志では戦えない。俺自身は、誰も守れない。あの時も、そして今も……。


「おじさんには感謝しているよ。でも、おじさんを倒さないと、アスティもリラも、きっと殺されちゃうんだよ。そのくらいの事はわかるよ」

「まあ、それは否定しないな。俺の力でどうにかなるのは嬢ちゃんだけだ。もっとも、それもそこにいる哀れな男が協力してくれないと無理な話だ」


 態度を全く崩すことなく、傭兵風の男はルルに答える。その答えを予想していたのだろう。この時初めてルルの口元が緩んでいた。


「だったら、答えは決まってるよ! おじさんを倒すまでかな」


 エルマールの喉をかき切るルル。そのまま突き放すように押し出すと、そこに来るであろう攻撃に備えて飛び退いていた。だが、予想された攻撃は来ず、ただエルマールが前のめりに倒れていく。噴き出す血をそのままに、あげる事の出来ない断末魔の叫びをくぐもらせて。


 再び大剣を床に突き刺し、傭兵風の男は聖剣バルコイニクスの黒剣を腰に帯びていた。自由になった彼の両手。その指の間には、いつの間にかたくさんの細長い短剣を挟んでいる。


「愚かな選択だな、嬢ちゃん。仲間を助けるために、敵わない戦いに挑む。物語としては小気味よい選択だが、現実には選ばないものだぜ。それが、大人ってもんだ。まあ、嬢ちゃんもこれで終わりだ。いや、その前に質問してやろうか。どうだ? 見事親父と姉の仇をとった感想は? あっけなかっただろ? ん? その顔は、知っていたか? もっとも、あの時に話した『仇討ちからは何も生まれない』というのは嘘だ。仇討ちは、『新しい憎しみ』を生み出すんだぜ。まあ、なんだ。さっきも言ったが、仇討ちには仇討ちで返そうか。事後報告って奴になるがな」


 その短剣を次々と投げつけながら、傭兵風の男はルルにそう告げる。だが、それは一つとしてルルにあたることは無かった。避けようともしないルルに対して、男はそれでも投げ続けている。


 明後日の方向にも……。


「投げるのは下手なのかな!」


 だが、そのうちの何本かは、ルルに向かって投げられていた。しかし、それはルルを狙ったわけではないのだろう。ルルが避けるまでもなく、ただ通り抜けた短剣。その後、それはあらぬ方向に飛んでいく。だが、それだけでは終わらなかった。


 傭兵風の男は、それでも短剣を様々な場所に投げつけていく。


 ――なるほど、光源を消すのが目的だったか。だが、それは無駄な事だろう。


 アスティと違い、ルルがもつ夜目の良さは訓練で培ったもの。だと言っても、ルルは常人よりはるかによく見えているのだから。


 男の手を離れていく短剣たち。それらは、確実にこの部屋の照明を破壊していた。ルルもそれに気づいた頃、およそ部屋の半分の明かりが男の攻撃で消えていた。


 アスティの倒れている方はまだ明るいとはいえ、全体的に暗くなったその部屋。その中でも、エルマールの倒れているあたりはかなり暗くなっていた。


 近くにある穴の開いた天井からは、ほのかな星の明かりが降り注ぐのみ。


 すなわち、ルルは逆光の中に男を見ることになっていた。元々傭兵風の男は黒っぽい装備に身を固めていた。しかも、数々の武器を持っているのは明らかだ。そして、今はそれが判断できないようになっている。大剣は目の前にあるものの、短剣を投げたあとに、どの武器を持っているのかは皆目見当つかない。


 大剣をもっていないという事は、まだ短剣を隠し持っているという事かもしれない。


 そう、武器が変わるという事は、間合いを予測しづらい事を意味する。その事は、ルルにほんのわずかなためらいを生じさせていた。


 そして、傭兵風の男はそこを逃さない。当然のように、男の剣はその隙をついてきた。目の前の大剣を両手に持って。


 唸りをあげた大剣が、ルルの頭上から降り降ろされる。そのすさまじい勢いに、空気が痛みの叫びをあげる。


 だが、ルルは冷静にそれを見ていた。


 ルルが今持っているのは小剣。それは、子供のルルでも扱える小さな剣だ。魔法で強化されているものの、傭兵風の男が持っているものと比べるとその差は歴然。明らかに、男の大剣は魔法が付与されている一品。あれをまともに受けては、ルルの小剣がへし折られる可能性もあるだろう。


 ただ、ルルはその勢いをきれいに流していた。それどころか、器用にその体を回転させ、大剣の腹を蹴って素早く側面に回り込む。そして、男が大剣を引き戻す前にその懐に入り込んでいた。小さいながらも鋭い突きが男の脇腹めがけて突き進む。


 間一髪、その攻撃をかわす傭兵風の男。しかも互いに体勢を入れ替え、攻撃に転じる二人。だが、ルルはそれにも競り勝っていた。


 再び男の突き出した大剣の軌道をわずかにずらし、小剣ですべらせたまま懐に飛込む。その一瞬の間に、いくつかの油壺を男に投げつけていた。


 至近から投げられたそれらは簡単に割れ、男の体にべったりと油を塗りつけていた。


「うひゃぁ、何てことしてくれんだ。一張羅が台無しだぜ」

「きれいにしてあげるんだよ」


 おどけたように、油にまみれた体を見つめる男。それを完全に無視して、ルルの声と共に炎の塊が飛んでいく。だが、その事を予期してたかのように、男はそれを軽くかわす。


 しかし、その隙をついて、ルルは男の背中に回り込んでいた。


「あの時はありがとね、おじさん」


 最後には感謝と思ったのだろう。その言葉と共に、ルルの小剣が男の首筋を切り裂いて――。


 ルルがそう思った瞬間、その帰ってきた感覚を訝しむルル。小剣を持つルルの手に伝わってきたのは、ルルの思いとは別の物。


 それは、金属がこすれ合う感覚だった。


「嬢ちゃん、少しの間でも、生きている内に覚えておくんだ。傭兵ってのは、いろんな戦いを経験している。大剣使いに対して、嬢ちゃんたちのような小剣使いが何を狙うかなんて知ってるんだぜ」


 小剣と男の首の間には、いつの間にか聖剣バルコイニクスの黒い剣が差し込まれていた。すかさず、距離を取るルル。だが、予想に反して、傭兵風の男の追撃は無かった。


 ルルの頭上には穴の開いた天井があり、そこからほのかな明かりが降り注ぐ。


 片手で自分の体にかかった油をふきながら、聖剣バルコイニクスでルルを牽制する男。さっきとは違う景色に、ルルは少し躊躇する。


 男のすぐ横には大剣が床に刺さっている。そして、その脇には男が腰につけていた長剣がいつの間にか刺さっていた。


「さすが、おじさん。素早いね。その体にどれだけの武器が隠されているのかな? まるで歩く武器庫みたいだよ」

「まあ、早さは嬢ちゃん程じゃないけどな。だが、嬢ちゃんの素直すぎる狙いがわかる分、経験の差ってものが俺にとって有利に働く。そして、傭兵はその戦場にあわせた武器を選択する。見えるもの、見えないもの。その戦場にあるもの全てを武器に戦う。それが敵の武器だとしても、死体だとしてもだ。まあ、言ってみれば、戦場そのものを利用するのが、傭兵ってもんだぜ」


 男の体を拭いていた布が、急に炎を吹き上げる。しかも、間髪入れずにそれを天井に投げつけていた。


 途端にルルの真上で燃える布。


 短剣と共に突き刺さった布が、勢いよく燃え上がる。その巨大な光源に、ルルは一瞬目を奪われていた。


 その瞬間に、男は両手に持っていた物を投げつけていた。瞬時に反応し身構えるルル。だが、それは又もルルの方に向かっていなかった。


 ただ、一つはルルの周囲にまかれた棘の生えた小石状の物。いわゆるマキビシという物に近いものだろう。男の左手から投げたそれは、ルルの右一面に広がっていた。


 そして、もう一つは、ルルのはるか左に飛んでいく黒い剣。


 ルルがその軌道を見ようと一瞬隙を見せた瞬間、傭兵風の男は大剣を横薙ぎに払ってきた。

 驚くことに、左手一本で。


 だが、それではルルを追い込むことにはならない。せっかく撒いたそのマキビシも、ルルの右側から攻撃したのでは何の意味もない。


 易々と、素早く左に飛んで躱すルル。


 ただ、男の攻撃はそれだけだった。おそらく、片手一本では振り回すのがやっとなのだろう。大剣の重みのせいで、制動がかからない。その結果。男の体もまわっていた。


 当然その隙を見逃すルルではない。男の無防備な背中が見える前に、再び男の首をめがけて飛びかかる――。


 はずだった。

 

「――!?」


 その時、初めてルルは自分の体の異変に気づく。何が起きたのかわからないまま、ルルはその場で固まっていた。


「どうだ? 動けないだろう? それが聖剣バルコイニクスの黒い剣の力だぜ」


 まるでそれまでの事が芝居だったかのように、男は易々と片手で大剣を振り回していた。

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