逆転
ルルがエルマールを拘束する。それはあっけない出来事でもあった。
エルマールの目の前で、怒涛のごとくなぐり合っていたリラと黒いギガーゴリラ。その猛烈な殴り合いは、互いに傷つけあっていても、どこか清々しいものを感じさせるものだった。
まるで荒波のように、互いに、血をまき散らして殴り続けているゴリラたち。それでも、嬉々とした表情は、どこか狂気を纏っているようにも感じる。
いや、当人たちはおそらく強い者と戦っている充実感に浸っているに違いない。ギガーゴリラの本能が、それを『良し』としているのだろう。
当然、すでに指輪の支配は解けていた。
何しろ、リラに殴られる度に支配は解けるのだから支配される余地がない。それでも必死に命令を繰り返すエルマール。黒いギガーゴリラには迷惑な話だが、エルマールの頭の中は、その事でいっぱいだったに違いない。
だから、その背後をルルがとるのは簡単な事だった。
しかも呪文を唱えられないように、口には布を詰め込まれている。
本来、大人の男であるエルマールを、子供のルルが拘束するのは困難なこと。何しろ、大人の男と少女では体格差があり過ぎる。普通に考えれば、それは困難というよりも、無理といった方が正しいだろう。だが、ルルはそれを可能にする。
瞬時に、膝裏を小剣の腹で叩きつけて。
いきなりの事で、たまらず膝を折り、跪くエルマール。前のめりになるその瞬間、二人の体格差はほとんどないくらいになっていた。
しかも、前のめりになったエルマールの口に、勢いよく布を詰め込む早業。当然、エルマールの頭はのけぞり揺さぶられる。一瞬呆けたようになった隙に、両手に拘束具をはめられていた。
仕上げとばかりに、跪かせた状態で足の腱を切るルル。ここに至って、ついにエルマールは動けなくされていた。
叫び声すらあげることもできず、エルマールの身に様々な事が起きている。だが、最初の混乱から覚めることもできず、エルマールは今なお混乱のさなかにある。
そんな状態で、ルルはエルマールの喉元に小剣を突きつけていた。激しくなぐり合っているゴリラたちの近くで。
「うーん。これは参った。そこまで悪人がやる事をやってくれるとは思ってなかったぜ。参ったから、提案だ。今ならおそらくそいつも俺の言う事を聞くだろう。どうだ? 最後まで話を聞いてくれないか?」
大剣を背に戻し、ルルを凝視する傭兵風の男。その視線は、ルルというよりもエルマールを含めて、その場所そのものを観察しているようにも感じる。
「まず、アスティから離れてもらうのが先かな。ゆっくりとそのままこっちに来て、部屋の中央で止まって欲しいかな」
ルルに言われたように、傭兵風の男は部屋の中央まで歩いて止まる。だが、何を思ったのか、背負っていた大剣を目の前の床に突き刺し、聖剣バルコイニクスの黒剣を持ちながら、両手をそれに添えていた。
「嬢ちゃん、これなら話を聞いてくれるか? 正々堂々話をしようじゃないか」
あくまでも堂々と、傭兵風の男はルルに話しかけている。それに対して、ルルはエルマールを人質に取っているようなものだった。
これではまるで、ルルが小悪党のように見える。でも、ルルはその事を全く気にしてはいなかった。
ひょっとすると、男の狙いはそこにあったのかもしれない。そんなルルの瞳に、軽く肩をすくめた男が映っている。
ただ、男の目論見はそれだけでもなさそうだった。
おそらくそれは、『ついでにルルの思考によぎればいい』とだけ思っていたのだろう。
すなわち、ルルが要求した以上の事を示して、その話を聞かせようというのが目的。
こういう場合、この男の言動には何か裏があると見るべきだ。
だが、ルルはこの男にはまだ恩義を感じている。その表情は明らかに、男の話を聞く気になっていた。
「何かな? 何かしようと思って無駄かも。さっき見せたおじさんの動きなら、この距離だと一瞬だよね。でも、あたしはその前にこの首をかき切って離脱できるよ。これは脅しじゃないからね」
「まあ、それをやられると困るから、こうしてまず話をしようと思ったわけだ。まず、これだけは言っておく。俺は嬢ちゃんを助けたいと思っている。聖剣パンタナ・ティーグナートが嬢ちゃんの手元から離れて、すぐこの場から離脱しないのは不思議だが、とりあえず嬢ちゃんはその資格を失った。とにかくこれで、新たな所有者を探せるわけだ」
得意満面の顔でそう語る傭兵風の男。この男の言う通り、ルルが資格を失った時点で、
「宰相も、これで満足なはずだ。聖剣を取り戻した方法として、『魔女となった嬢ちゃんを殺して奪い返した』という教会の目論見も、別に嬢ちゃんの死体が必要なわけじゃない。そいつも自分の命が惜しいだろうから、嬢ちゃんが死んだことにするのには、協力するだろうぜ。洩らせば、俺がそいつを殺すだけだ。もっとも、最初はそいつも、嬢ちゃんを教会の
話しながらも、傭兵風の男は油断なく周囲を警戒している。
――それにしても、何をそんなに気にしている? いや、警戒というより探っているのか?
リラたちの殴り合いが、ほとんどなでるような力のない拳に変わっている以外、この場を含めてこの付近に変化はない。有るとすれば、さっきリラがぶち破ってきた天井だけだ。たまに崩れ残っていたモノが崩れ落ちている。ただ、ところどころ何かに引っ張られるように、不思議な動きを見せていた。そう言えば、あの陣がまだ残っている所があるといってたな……。
――というか、リラたちは何でそこまでなぐり合っている? ひょっとして、先に倒れた方が負けみたいな感じになっているのか? 青春か何かなのか?
「でも、さすがにその男を殺されたら、俺も嬢ちゃんを見逃せないぜ。そいつの死体は隠せないからな。それに、そんな奴でも恩義ある男の息子だ。俺の中にある、優先度が違うってことだ。個人的にはそいつの事は嫌いで、嬢ちゃんは気に入っている。だが、さっきも言ったが宰相には恩義がある。嬢ちゃんにはそれは無い。そいつが殺されれば、宰相は仇討ちを望むだろうぜ。それこそ、正義の仇討ちっていう格好の宣伝になるんだろうな。案外、それを狙ってここに連れてきたのかもしれないな。共に行動してたことは、聖騎士団も知っているしな……。くそ! そうなると、俺の行動も詰んでるじゃねーかよ。あの腹黒い宰相の事だ、それを見越して俺には何も言わなかったに違いない。まあ、いい。こうなれば……。いいか、嬢ちゃん。察してるかもしれないが、よく聞くんだ。嬢ちゃんの村を焼き打ちにする計画。それを
激しい打ち合いの音が響く中、真剣な表情をみせる傭兵風の男。大剣を床に刺したまま、ゆっくりと聖剣バルコイニクスの黒剣をルルの方に向けていた。
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