老人の提案

 少年の目の前にいる男は、ずっと全裸の姿をさらしている。それは仕方がない事だろう。


 その体は、テーブルにしっかりと縛り付けられているのだから。ただ、縛られていなくても男はおとなしくしていたのだろう。


 抗う事を諦めたようなその瞳。体中にある傷は、男がいくつもの修羅場を潜り抜けてきたことを物語る。だが、今はそれを偲ぶ影すら見あたらない。そこにいる全裸の男は、ただ成り行きに身を任せている。暴れることなく、おとなしく。


 そんな男の前にいきなり立たされ、しかも少年を全ての瞳が見つめている。


 よく聞こえなかったと思ったのだろう。少年と全裸の男の脇に立つリラ。何をするかと思えば、一生懸命にその事を伝えようとしている。身振り手振りで……。


 分かってる。わかっているんだよ、リラ。


 だが、今の状態では、リラに俺の言葉は通じない。しかも、突然用意された仇討の対象。案の定、少年は事態をよく飲み込めていないようだった。一応ルルに借りている護身用の短剣をもっているから、その気になればいつでも全裸の男を殺せるだろう。だが、少年の手はそこにない。理解が追い付いていないから、体は動いていなかった。


 でも、それは少年だけの事ではない。その言葉に最も衝撃を受けたルルがそこにいた。


「あたしが? それはどういう事なのかな?」

「どういう事も何も、そういう事ですわ。お兄さまはあなたの洞察力を買っていましたわ。まさか、ルル姫様? あなたのそれは、聖剣パンタナ・ティーグナートの力の一端なのですか? 本当は、ただの肉体改造したお姫様だった――。そんなお話は通じませんわよ。お兄さまの見立ては絶対ですから! 冷静になってくださいまし! そこにいる男のように、お兄さまを失望させないで頂きたいですわ」


 ルルの話を金髪の美少女が一刀両断に切り捨てる。でも、これではっきりしたことがある。さっきまでの会話でおおよその見当はついていたが、つまりこれはそういう事なのか。


「あなたが、あの暗殺ギルドマスターの妹であることは理解しました。そして、実力はかなりある事も分かります。しかも、ここにいるメンバー全てが、あなたの直属の部下であることも推察します。そして、暗殺ギルドは意思統一を果たしたと理解します。ただ、そこに座っている二人は別ですね。まあ、一人は分かりましたが――」

 それまで黙っていたアスティも、ルルを馬鹿にしたような言い方に腹を立てたのだろう。しかも、明らかにいつものアスティではない。ルルの質問を脇に置き、自らの答えを求めている。


 いつものアスティなら、自分が理解してもルルの理解を待つだろう。


「ええ、そうですわ。さすが黒エルフダークエルフのアスティさんですわね。今まで正体を隠せていたわけがわかりました。ただ、あなたが何の目的でルル姫様に近づいているのかはわかりませんが、今の状況はあなた方・・・・にとって良い事なのでしょうか? それとも、悪い事なのでしょうか? よくわかりませんが、これからのあなたの行動でそれを見届け――」


 あっさりとアスティの正体を見破る金髪の美少女。だが、その言葉を隣の老人の言葉が遮っていた。


「それ以上は、言わぬ方がよろしいかの。それよりも、こちらを優先してもらうかの。どれ、ルル姫。聖剣をこちらにお渡しくだされ。それで、この爺の用は済みます。なに、あとでちゃんとお返ししますでの。それと、このあとの事も心配いりませんぞ。この――。いや、今はギルドマスターの妹と言っておこうかの。この子が悪いようにはしないじゃろう。それと、アスティ・カイン。それほど警戒しなくてもよい。少なくとも今、儂は敵対しておらぬ。お主とも、お主の族長ともな」


 やんわりと、だが有無を言わさぬ迫力で、老人はルルとアスティにそう告げる。


「もう、年寄りはこれだからいやですわ。せっかちすぎて――。でも、確かに悠長にもできないでしょうね。さあ、ルル姫様。聖剣を一度この年寄りに渡してくださいませ。お話のあったように、しっかりお返ししますわ。『今はまだ、ルル姫様の元にある方がいい』と、お兄さまはお考えですから」

 金髪の美少女の言葉で、老執事の一人が恭しく大きな銀の食盆を差し出していた。


 だが、聖剣この俺をあの爺に差し出すことに、一体何の意味があるというのか?


 しかし、これは絶好の機会だ。あのような強大な魔力を誇る老人が、ただの人間であるはずがない。こんな魔力の流れを持つ者はそう多くいるはずがない。似たものを含めても、そう多くない。


 魔王との戦いで、力ある者達はそのほとんどが死んでしまった。しかも、あれから百年の時が過ぎている。普通で考えるなら、俺の知っている者はいないだろう。だが、何事にも例外はある。この俺が知っている中でも、例外が二人いる。そう、百年前に共に戦った男たちの中いた二人は、魔力の性質が『とてもよく似ている』と言えるだろう。


 それは、エルフの血に連なるものが持つ性質。そして、エルフなら百年という時を普通に過ごすことが出来るのだから。


 だが、一人はモンテカルト魔法王国の国王になったから違うだろう。もし、一国の国王が、このような場所に一人でいる方が驚きだろう。


 となると、最初からあの男前の聖剣の所持者と共にいた、半エルフハーフエルフの魔導師しかいない。でも、冷静に考えると、魔力の波長や大きさが全く違う。


 ただ、やはりどこか知っている雰囲気があるとも言える。


 そんな中途半端な情報を見極める好機が、わざわざ向こうからやってきた。俺のそんな考えを知る由もないルルだったが、自分の聞きたかったことは脇に置き、意外と話を合わせてきていた。


 ただ、素直に聖剣この俺を預けたルルは、それでも老人の顔を睨んでいたが――。


 老執事が聖剣この俺を老人の前に運ぶ間ずっと……。それでも文句があるのだろう。老人の目の前に聖剣この俺が置かれると、ルルが話しだしていた。


「まだ、あたしのパンティだからね」

「ほほっ、盗ったりせんて。ただ、この爺がお前さんのそれに触れるのは大目に見てくれないかの」

「本当は嫌だけど、仕方がないよね。少し触れるくらいなら許すけど、それ以上はお断りかな。それに、さっきの話の続きを早く聞かせてくれないかな?」

「ほほっ、長生きはするもんじゃわい。これで思い残すことは無いのう。それとその話は、そっちでやっておいてくれんかの。これから忙しいのでな」


 微妙な会話で聖剣この俺の心をもてあそびやがって……。ていうか、爺さん。お前の心残りが、なんだかしょぼく聞こえてくるぞ? しかも、何気に全員がルルの話を避けている。


 だが、目の前に置かれた聖剣この俺に、この爺の手が触れた瞬間、爺の魔法の効果が吹き飛び、その姿が明らかになっていた。


 軽い驚きが爺から流れてくる。そして、同時に俺は理解する。


 今は宮廷魔導師長マルティニコラス老師と呼ばれているこの爺が、あの時旅を共にしていた『半エルフハーフエルフの魔導師ニコラスだった』という事を。


 それと共に理解する。


 この国が今、何をしているのかという事を――。

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