復讐を決意した少年の叫び

 当事者たちを置き去りにして、物事は劇的に進んでいく時がある。今まさに、この状況がそうなのだろう。


 ルルが泊まっているこの場所に、例の少年を運び込むことになっていた。しかも、しばらくしてから、エルマールがやってくるという事態にもなっている。


 しかも、偶然というのは恐ろしく、この場にアスティはいなかった。


 なにが、どうで、こうなった?


 それを考えるにはまず一つ一つ、物事を整理していく必要がある。


 朝、ルル達は連れだって冒険者ギルドに向かっていた。そこまではごく普通の平凡な暮らしの一つ。最近の日常生活だと言っていいだろう。


 もっとも、今回は少年を探すという目的はあったが――。しかも、そこに行くまでに目当ての少年を見つけていた。


 だが、それは予想していたものではない。なぜなら、それはならず者の集団が少年をいたぶるっている現場だったのだから――。


 ルルの指示で飛び出すアスティ。ついでに走ってくるリラを見て、ならず者の集団は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。そのあまりに見事な逃げっぷりは、何かの作戦かと思ってしまう。だが、あの表情と逃げ方を見る限り、それは思い過ごしというものだろう。


 あの瞬間、『つけてきます』とだけ言って、アスティはそれを追いかけていた。それから結構時間はたつが、まだアスティは帰ってこない。


 残されたルルは近くの教会に少年を運びこむ。だが、あいにく高位の治癒魔法を使える司祭が不在だった。しかも、何故か教会の偉い人が来るとかで、教会で預かることも拒まれていた。


 仕方なく、ルルは少年を小屋に連れ帰ることにした。ある程度の傷の手当てなら、ルルの持ち物で出来るという判断。ただ、それはあくまで応急措置にすぎない。だから、ルルはお願いしていた。あとで治療できる司祭が来たら、自分の所に来ることを――。


 そして、その治療の為にやってきたのがエルマールだった。


 驚くルルとは対照的に、エルマールはにこやかな笑みを浮かべている。そして、少年の治療を終えて立ち去るかと思えば、何故か意識が戻るのを待っていた。


 あまりこの場にはいさせたくない。多分、ルルはそう思っていただろう。だが、そのルルの思いも、リラには全く通じなかった。


 久しぶりにエルマールに会ったリラ。やはり飛びつき、抱きしめている。もうそろそろ忘れると思っていたはずなのに、まだエルマール大好き期間に入ったままのようだった。


 こうなると、無下に追い返すわけにもいかないルルは、そのまま事の成り行きを見守ることを決めていた。しかも、リラに抱きしめられているエルマールも、何故かそれを受け入れている。


 治療後も、少年のそばにいるエルマール。そのエルマールを後ろから抱きしめているギガーゴリラ。当然その顔は、少年を上から見下ろす形になっている。


 そんな不思議な光景の中、ついに少年が目を覚ます。


 普通なら、目を覚ました少年が見るのは、この小屋の天井のはずだった。しかし、今回ばかりは違っている。


 少年がうっすらと開けて得た情報。それは視界いっぱいに広がっていたリラの顔。しかも、喜んでいたから不気味な笑顔。そして、その息遣いは興奮したものだった。


 食べられる――。


 おそらく、少年はそう思ったに違いない。だから、当然のように少年は逃げようと試みる。


 だが、それは徒労に終わる。


 すかさずリラにつかまる少年。その事で少年は見ることになる。片手を伸ばした隙間から覗いている、半ば全てを受け入れているエルマールの顔と、それを抱きしめて嬉しそうにしているリラの顔を――。


 ただ、そんな事情は少年にはわからない。少年に見えているのは、ゴリラにつかまって諦めている男がいることだ。


 たぶん、少年は考えたに違いない。エルマールを今にも食べそうにしているリラの姿を――。


 より一層、暴れようとする少年。でも、リラに片腕を掴まれては、逃げることも叶わない。そんな状況を見かねたルルは、少年の頬を軽くたたいて正気に戻す。


 ようやくルルの存在に気が付く少年。リラから解放され、赤くはれ上がった頬をさすりながら、ルルの説明を聴き入る少年。


 まさに、その時。運命の歯車は、しっかりとその音を鳴らして回り始めた。


「聖剣の姫、父ちゃんと姉ちゃんの仇を討ちたいんだ。力を貸してくれよ」


 ルルにしがみつくように、少年の嘆願はエルマールの目の前で告げられる。少年にとってはいつもの事。だが、それをここで言うのは早計だった。


 司祭である、エルマールのいる前で――。


「復讐か? 少年? そんな事をして何になる?」

 相変わらずリラに体を掴まれて身動きが取れないまでも、エルマールの瞳は真剣に少年を見つめている。傍から見たら滑稽な姿での説教だったが、その顔と声は真剣そのものだった。


「何になる? 何になるかなんて知らないよ!」


 だが、その言葉は少年には届かない。無くしたもの大きすぎる。ぽっかり空いたその心の隙間を埋めるため、憎しみという感情が一番早くやってくる。しかもそれは、激しく心を揺さぶるものだった。


 憎しみや怒りといった感情を、別の何かで置き換える。俺はそう思ってルルといる。だが、三年近くかかっても、ルルの心からそれを追い出すことが出来ずにいる……。


 だが、意外な事も起きていた。


 少年の全身から吹きだすような魂の叫びを聞いたエルマール。気圧されてもおかしくない程の勢いにおされるかと思ったが、それをしっかりと聞いていた。


「知らないなら、考えてみろ! 思考を止めることは自分を捨ててしまう事だ。父と姉の顔を思い浮かべてみろ! 二人の顔はどうなのだ? お前が仇討をする姿を望んでいるか? もう一度よく、考えろ!」


 少年を離したリラの腕は、未だにエルマールを包むように抱きしめている。すっかりリラの腕に抱かれたエルマール。

 

 最初のように、その姿は見えていない。


 だが、エルマールの話したその言葉だけは、しっかりと少年の耳に届いていた。

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