陰謀の果てに
青の間にある一番奥の部屋。そこが宰相の執務を行う部屋になっている。広く大きなその部屋は、やはり白を基調としたものとなっており、その壁にはその名の通り青い装飾が施されていた。
しかも、そこには豪華な調度品が適度に配置されている。その中でも一際目につくのは大きな執務机。それは、その部屋の一番奥に壁を背にしておかれてあった。そしてその壁には、青い布地でウィンタリア聖王国の紋章が掲げられている。
部屋に入ったものを威圧するかのような存在感がそこにある。
その大きな執務机に座っている背の高い紳士が、来客を告げる声にそれまで目にしていた書類の束を机の引き出しの中にしまっていた。
「これは、これは。パエス伯爵。魔獣襲来の件を聞きましたよ。伯爵が王都にいた時でよかったですな。でも、屋敷の方は少し被害が出たとか? それに、ご自慢の家臣団が討ち取ったと聞きましたが、さすがは勇猛果敢で知られるパエス伯爵の家臣たちですな」
自ら席を立ち、伯爵を部屋の脇にある来客用のテーブルに誘いながら、宰相ブラウニー・トリスティエはそう言葉をかけていた。
「宰相閣下におかれましては、ご機嫌麗しく――」
「パエス伯爵。伯爵と私の仲ではありませんか。そのような堅苦しい挨拶はなしでいきましょう。ご用件はおおよそ推察しておりますが、まずは私の方から伯爵にお伝えすることがあります。ですが、その前に――」
深々と頭を下げようとするパエス伯爵の行動を止め、ブラウニー宰相は扉の方に目を向ける。それと同時に扉を叩く音がしていた。許可する伯爵の言葉を聞き、扉はゆっくりと開かれる。その後に部屋に静かに入ってくるメイドたち。彼女らが紅茶を用意している間に、ブラウニー宰相は静かに目を瞑っていた。
やがてそれらが終わり、メイドたちは部屋を後にする。
「少し新しい情報が入りましたのでね。伯爵の領内で暴れた魔獣。あれはモンテカルト魔法王国の工作ということにしました。お隣のカルロス子爵領での事はご存知ですね? あそこの魔獣の一匹が、何故か伯爵の所に向かったようです。何故かわかりませんけどね。不思議な何かが働いたのでしょうな」
紅茶を飲みながら、ブラウニー宰相はちらりと伯爵を見ていた。だが、それは一瞬のこと。あくまで紅茶を楽しんでいる。そんな雰囲気を宰相は見せつけていた。
「それは、原因がわかってよかったです。これで領内を探索する必要がありませんな。屋敷の修繕費用も無駄な出費でしたし、これ以上探索に金をだすのは正直気が進みませんでした。それにしても、モンテカルト魔法王国とは……。あの国がよもやそのような暴挙を仕掛けてくるとは……。しかも、魔術師が他人に知られるようなものを残すとは……」
必死に動揺を隠している。そんな感じの伯爵を、宰相は見て見ぬふりをし続けている。だが、思うところがあったのだろう。宰相はその言葉を伯爵の眼を見て放っていた。
「いかに魔術師といえども、神ではないということです」
自らの紅茶をテーブルに置き、視線を落とす。ただ、つぎに宰相が顔をあげた時には、親しい友人に語りかけるような微笑を浮かべていた。
「さて、パエス伯爵。伯爵がこれまで反対貴族を説得して下さったことには感謝しております。ですが、いけませんな。裏で色々画策するのは……。まあ、貴族というのは色々おありかと思います。だから、貴族間で生じる問題は必要だったこととして認めましたよ。貴族という人種の習性みたいなものだと納得しました。ですが、マルティニコス老師と結託して、モンテカルト魔法王国と和平の道を求めるはやりすぎです。せっかく甦った聖剣の使い道が、無くなってしまうではありませんか」
さらに鋭く見つめる宰相ブラウニー・トリスティエ。その視線をもはや受けきれずにパエス伯爵は額の汗をぬぐっていた。
「これは、一体何の事をおっしゃられているのか……。宰相閣下もお人が悪い。私に二心無きことは、すでに申し上げている通りです……」
ただそれだけを告げただけで、パエス伯爵の視線はテーブルの上を彷徨っている。それをみていたブラウニー宰相は、口元をわずかに広げていた。
「そうですか。まあ、そうですね。ですが、領民の娘を餌にすることはやめておいた方がいいでしょう。今回の魔獣騒動。伯爵にとっては予想外であったかもしれないが、伯爵の行動の結果であると言えましょう。タリア神さまは、全てお見通しですよ」
それはあらかじめそこに置いてあったのだろう。自分の座っている隣の椅子から、一冊の本を伯爵の方に差し出す宰相。中身を断片的に見せるように、パラパラとゆっくりとめくっていき、最後にそのページを見せていた。
その内容を読む伯爵。読み進めるうちに、顔色が青く染まっていく。
「こっ、このようなものを……。あの女……」
「カルロス子爵の領内で起こった魔獣騒動。それは聖剣の姫が退治しましたよ。それは、棺の中に収められていた魔女の手記です。ああ、伯爵は彼女の事はご存知でしたね。彼女は実によく働いてくれました。ある子爵とある伯爵の繋がりとか、ある伯爵が企てた、私の娘が産んだ王子に対する件とか、色々とですね。宮廷魔術師の書簡の件もありましたね。口封じは、なかなか大変だったでしょう――」
にこやかに、ただにこやかに。宰相は項垂れていく伯爵を見つめていた。
「まさか、最初から二重間諜だったとは……」
肩を落とし小さくなる伯爵。それを満足そうに見つめる宰相は、その手記を自分の方に戻していた。
「さあ、それはどうでしょう? 伯爵はご存じかどうか知りませんが、彼女には仲間がいましてね。恋仲というか、夫婦というか……。私も詳しくは知りません。とにかく、その相手の魔術師は私の息子の知人だそうです。一番下のその息子は、友人に恵まれていましてね。彼はとても優秀な魔術師だそうです。しかも、魔獣を制御する魔道具の作成に成功したらしいのです。試作品の方は行方がわかりませんが、完成品は素晴らしい効果だと聞いています」
そこでふたたび紅茶を飲む宰相。だが、伯爵は相変わらず視線を下に落としている。
「ああ、それはそうと、カルロス子爵が亡くなったことは、伯爵には関係のない事です。先ほども言いましたが、モンテカルト魔法王国の仕業ですよ。そういう事でいいでしょう? せっかくこの手記ではない、その彼の日記にもそう書いてあるのですからね。それは剣聖の姫も見ているから、必要なら彼女も証言してくれますよ。まあ、あの娘がどう出るかはわかりませんけどね。今まで散々思うように動いてくれませんでしたが、少し方針を変えようと思っています。ああ、そうそう。彼の日記の話でした。時期が来ればそれを魔法王国につきつけます。ですので、子爵の件に対しては、伯爵が責を感じる必要はありませんよ。ただ、他はまた別ですけれども――」
もう一冊を取り出して、宰相はにこやかな笑顔をつくる。
だが、当の伯爵は椅子に深く腰掛けたまま、身動き一つできなかった。
「宰相閣下、あなたはどこまで……」
「ん? それはどういう意味か分かりませんが、私の希望はタリア神様のご加護が、あまねく世界を照らすことです。そのためには、多少の犠牲は厭いませんよ。この国は疲弊しております。私が宰相になってから色々改革をしてきましたが、どれも小手先でした。そこで私は考えました。タリア神様は、きっと私に試練をお与えなのです。豊かな魔法王国にタリア神様のご威光を示せば、きっとこの国はよくなります。そのためには、内部で争っている場合ではないのですよ。それに、せっかく聖剣が甦っているのです。使えるものを使わなくては――」
有無を言わさぬ強い瞳が、伯爵の眼を捉えて離さない。だが、項垂れたままの伯爵の頭を見た宰相は、にこやかな笑みを作っていた。
「パエス伯爵。この度の伯爵位のご子息への継承の件は私の胸の内にとどめておきます。今後伯爵の身に何が起きても……」
ほんの一拍置いた後、宰相は話を続けていた。
「そうですね。由緒あるパエス家が、ウィンタリア聖王国の歴史から消えないことが当主の務め。それをこの私からご子息には伝えましょう。パエス家の事、ご心配には及びません。ですので、伯爵は心置きなく――」
そう言って、急に黙る宰相。伯爵はもう、話す力を失っていた。
無言の時間が流れていく。優雅に紅茶を飲む宰相は、黙ってそれを見続けていた。
「――今日はこれで失礼します」
そう言って席を立ち、一礼したのちに退出する伯爵。その背中を、にこやかな笑顔で見送る宰相。
ただ一言、言葉を添えて――。
「ええ、ダフトリア・パエス。あなたは実にいい仕事をしてくれました。これまで事は感謝しますよ。さあ、あなたが売ったお仲間が待っています。あなたとはもう会わないでしょうから、さようならとだけ言っておきましょうか」
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