茶番からでた結末

 いきなりの剣呑な雰囲気に、エルマールの驚きは頂点に達する。だが、彼はその驚きを、驚きのままにはしなかった。とっさの動きに偶然が重なる。おそらくエルマールの生存本能が、彼にその行動を選ばせていた。


 いや、おそらく運は、彼に味方していたのだろう。


 魔術師たちの遺体が安置されていた部屋は壁の向こう側に隠されていた。つまり、最初は少年がいた召喚の部屋とは隔絶されていたことになる。そして、結果的にエルマールは遺体が安置されている部屋にいて、アスティは召喚の魔法陣が描かれている最初の部屋で抜刀した。


 それには、様々な動きが混在している。でも、そうなるようになっていたのかもしれない。


 遺体の部屋と最初の部屋を分ける壁。その壁をリラが壊したところから始まる。


 その後、アスティにつられて、エルマールはその棺の部屋に入っていた。

 少年が目を覚ましたのは、その後のこと。

 しかも、そのときすでにアスティはルルの傍に移動している。


 ルルが少年の遺体に手を合わせていた時、アスティの言葉よりも早くリラは動いていた。


 すなわち、少年の遺体を優しく持ち上げ、棺の部屋に丁寧に運んでいる最中だった。


 だから、アスティがエルマールを睨み、ちょうど抜刀した瞬間に、リラがその線上に立っていた。


 エルマールにとっては、九死に一生を得た気分だっただろう。アスティの凍てつくような瞳も、今はリラで隠れている。


「どきなさい! リラ!」

「ウホ?」


 多分、リラは何を言われているのかわかっていない。ただ、アスティの雰囲気から、即座に戦いの表情になっていた。


「ウッホ?」


「『やれるものなら、やってみろ? 両手はふさがっているが、お前の剣筋はすでに見切っている。あと百年修行をしたら、マシになるかもしれないが、今のままではこの俺に傷どころか、かゆみを与えることもできない』ですって? ずいぶん生意気な口をききますね!」


 ――いや、今『ウッホ?』としか言ってないぞ? ずいぶん長いセリフだな!


 本気に見えるアスティ。だが、リラの態度を見ればそれが虚偽であるというのがすぐわかる。だが、そのことをエルマールがわかるわけがない。


 とんだ茶番だが、これは重要なことだった。


 もし、エルマールがここで死んだ場合、その死因で犯人がすぐにわかってしまう。今なおエルマールに恩義を感じているリラでは、それを実行することは不可能だろう。もっとも、もう少ししたらその熱も冷めるが……。でも、それは今すぐには無理な事。仮にルルがそう命じても、おそらくリラは首を縦には振らないだろう。


 もしアスティがその剣で刺し殺してしまえば、容疑は一瞬で固まる。


 本当は殺したくても、今は殺せない。それがアスティの本音に間違いない。


 ただ、偽装しているとはいえアスティの雰囲気は真に迫る。一瞬でもその眼を向けられているエルマールは、心臓を鷲掴みにされた想いだったと思う。ただ、今はリラが間に入っているから何も起きていない。


 おそらく、エルマールは思考を総動員して現状を見つめている事だろう。あれからアスティは動きを見せていない。リラがアスティを牽制していることが、現状を生み出している。


 エルマールはきっとそう思っているだろう。さらに、エルマールは思考を加速している。


 ただ、アスティがこの場で何もしないわけにもいかない。もし、アスティがエルマール殺さなければどうなるか。


 それをエルマールは考えている。


 ルルがそう仇をとると言ってしまったことは、この場所に居たエルマール自身が知っている。もし、パエス伯爵が死んだと知った時に、エルマールはどう思うのか。


 おそらくエルマールは考えるだろう。きっと、『ルルが殺した』に違いないと――。


 エルマールが司祭である以上、その罪をルルに償うように迫らなければならない。しかも、貴族殺しはこの国では大罪。特に伯爵ともなれば、その捜査は徹底して行われる。何より、暗殺ギルドが絡んでくる。


 そうなればエルマールも黙っていられない。その事を言う可能性もでてくる。


 実際どう行動するかはわからないが、ルル達にとっては、そのほとんどが都合の悪い行動となるだろう。


 だから、ここで亡き者にするという発想は、エルマールも十分理解できることだ。でも、エルマールもただ殺されるほど諦めがいいわけではない。


 だから、エルマールは慎重に行動することを選択していた。すべて、アスティの掌で踊っているとも知らずに……。


「ままっ、まっ、待って! 待ってください! いったい何事です?」

「とぼけなくてもいい。さあ、リラ。そこをどくのです」

「ウホ?」


 よくわからないが、移動するリラ。だが、その姿に隠れるようにエルマールも移動する。


「リラ! 邪魔です! エルマール! 往生際が悪いですよ! 聞こえてたでしょう!」

「いえ、一体何の事ですか! さっきの爆音で、耳がおかしいのです! 大声しか、聞こえません! いきなり襲うのは、何度目ですか! いい加減、冗談でもやめてください!」


 必死の形相でそう告げるエルマール。その表情を見ると、あながち嘘をついているようにも思えない。

 だが、この男は食わせ物だ。その事を聞いていなかったことにしている。しかも、いつものおふざけの一環としてこの場を収めようとしていた。


 ――本当に、とんだ茶番だな。そろそろ幕を下ろしてもいいんじゃないか?

「ウホ」


 エルマールは、自分が生き残ることを選択している。一度でも、それを選んでいたのなら、その後も同じことを選ぶだろう。それがわからないアスティではない。そういう結末が最も好ましい事は、アスティ自身がよくわかっている事だった。


「まあ、これに懲りてルルに近づくことを諦める事ですね。今後一切私たちにかかわらない事。依頼も全てですよ? いいですね? 私達には関わらない事です。私はルルの近くにあなたがいる事自体が罪だという、どこかしらない神から天啓を得ました。今」


 ――そんな天啓あるわけないだろ!

「ウホ!」


 だが、警告としては十分伝わる。全く腹の探り合いのような会話だが、この二人にとっては、意外と有効なものなのかもしれない。


「ええ。わかりました。では、この村を出れば別行動という事で――。私の方から、冒険者ギルドに報告しておきます。もちろん、依頼達成という報告ですよ。ただ、私は一旦王都に戻り、教会本部に報告しなければなりません。ですが、皆さんはこの辺りでのんびりとしてはいかがですか? まだ、王都の魔獣進入禁止令は継続されていると思いますので……」


 リラの背後から一切出ず、エルマールはそう告げる。冒険者ギルドの報告をする。ここからは別行動。王都に戻る。この意味を、アスティなら簡単に理解するだろう。


 意外なほど用心深く、エルマールは自分の安全に保障を重ねている。


「そうですね……。では、それでお願いします。リラ、早くその少年を棺の隣に。そこに司祭がいるのですから、あとはお任せしましょう。さっ、ルル。いきますよ」


 アスティが笑顔でルルに手を差し出す。それを見上げるルルは、いつものルルに戻っていた。


「そうだね、エルマール。あとはお願いするよ」

「ハイ!」

「ウホ!」


 リラが丁寧に少年の遺体を横たえるのをしり目に、ルルは地下室の階段をゆっくりと昇っていく。その後ろをアスティが続き、リラがそれを追っていた。


 だが、エルマールはそれを見た。そして、背筋が凍りついた事だろう。


 最後にリラを迎えるように振り向くアスティ。


 その時に見せた、その瞳。


 そう、エルマールをじっと見つめる、凍える様な氷の瞳を――。

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