嵐の夜に

 日記に記されたその出来事。それは嵐の夜の事だった。


 遅くに誰か訪ねてきた。


 そのことを知った魔術師は、『通常であれば、対応しなかった』とか、『対応しなければならない気がしてならなかった』とか、何度もそう書き残している。それを書いているという事は、自分の中で運命的な何かが働いたと信じたかったに違いない。そしてなぜか、そう思った理由も書かれていた。


 ひょっとして、あとでこれを見る人間がいるとでも思っていたのだろうか?


 だが、そんな俺を置き去りにして、アスティの読み上げる声は進んでいく。


 その時はやはり、屋敷の明かりは全て消してしまっていたようだった。魔法の常夜灯は玄関につけているものの、それ以外の部屋の明かりは消している。こうしていると邪魔が入らないとまで書かれていた。

 これまでも彼はそうしていたのだろう。そうすれば、『たとえ村人が用事で訪ねて来ても、応対する無駄な時間を費やすことなく追い返すことが出来る』とまで書かれている。


 そう、村人たちは彼が寝ていると考えて、いつも次の日にやってくるのが日常だった。もっとも、それは日常というほど頻繁にではない。そもそも夜という暗闇の時間に、わざわざこの屋敷まで来る村人はまれなのだから――。


 ただ、この日も同じだと思っていた男は、いつも通り居留守を決め込む。だが、その全く終わりの見えない行為の前に、ついに白旗を上げていた。


 観念して地下室から出て行く男の魔術師。明かりをつけ、玄関の扉を開けた男は、その眼も大きく開けることになったと記している。


 彼はそこで目にしていた。少女の亡骸を抱えた少年の姿を。


 少女の亡骸はまだ日がたっていないのだろう。ひょっとすると、さっきまでは生きていたのかもしれない。それほど大事に少年は少女の体を抱きかかえていた。


『助けてほしい。助けてくれるなら、僕は何だってします』


 それが、少年が最初に言った言葉だった。必死な表情で助けを求める少年。その少女の姿と少年の姿を見た時の印象を、男の魔術師は『他人事ではない』と書いていた。その姿をわが身に置き換えたのだろう。『言いようのない恐怖に襲われた』とも書いている。


 しかし、同時に彼は『天啓を得た』とも書いていた。


 急速に回る魔術師の思考――。


 そして、ついにある結論に至った彼は、その手を少年に向けて伸ばしていた。


『何があったのかは知らない。だが、死んだ少女の魂を甦らせる手助けはできない。でも、少女の魂が安らかにできる手助けは、この僕にもできるかもしれない。それには危険が付きまとう。君の命が危険になるかもしれない。でも、ひょっとすると、その少女の無念も晴らせるかもしれないね』

 それが彼が言った言葉。自分でそう書いているからそうなのだろう。でも、同時に彼はこう書いている。


 あくまでそれは自分の目的の為に差し出した手だ。――と。


 わざわざ、あとで付け足したかのように、彼の日記にはそう記されていた。しかも自嘲気味に、『くさい芝居だった』とまで書いている。


 ただ、それでも少年は、彼の手を取ったようだった。しばらく迷った後に――。


 その時の言葉も記されている。


 少年は魔術師の眼を見てしっかりと自分の気持ちを伝えたという。その言葉は、低く唸るような声だった。


『妹も助けられない僕は、もう何も持っていないんだと思ってた。でも、それは間違いだった。僕は、ちゃんと持っていたよ。アイツらに対するこの気持ちを!』とそう言った少年の暗い瞳には、確かな憎悪の炎が燃えていたと記されている。


 それが、今ルルの目の前にいる少年。まだ目が覚めていないからわからないが、きっとそういう事なのだろう。


 しかも、その日の日記の最後には、あとで聞いたという話も書かれてもいた。



 少年の生まれ育った場所は、パエス伯爵領の村だった。パエス伯爵領は、今いるカルロス子爵領とは山を挟んで接している。ただ、その山には通常人は入らない。街道がしっかりと整備されている事と、迷いの森の近くだという地理条件が人を寄せ付けずにいた。


 そう、この子爵領にある村人が逃げ込んだのも、パエス伯爵の領地の中にある街だ。

 だが、その街が一番この村に近いわけではない。確かに街道を進むとそうなるが、この村の近くにある山を越えると、そこが彼の村になる。すなわち、山越えを含めると、少年の生まれた村が、今いる場所から一番近い村と言えるだろう。


 だが、山越えは通常は選ばない。ここの村人もまずその街に逃げ込んでいる。

 それでも、彼は重傷の妹を連れてその道を選んでいた。


 自分の危険を顧みず。自分が守ることを誓った妹の為に。


 村では、家族と共に暮らしていた彼。その彼の両親はすでになく、幼い彼を育てたのは少し上の姉だった。そして少年が連れていた妹の三人暮らし。貧しくつつましいながらも、少年にとっては幸せな日々が続いていた。だが、それがある日突如終わりを告げる。


 姉が伯爵の目に留まって、連れ去られたために――。


 悲しみに暮れている暇もなく、少年は姉に変わって妹を守る決心をする。だが、それも終わりを告げていた。


 伯爵の家臣が、『持ち物はこれっぽっちだったぜ』といって持ってきた、姉が着ていた唯一の服を少年に渡したときに……。


 冷笑に耐える少年。ここで刃向かっても何も変わらない事を、少し成長していた彼は知っていた。姉がたびたびそう言うのを聞いていたのだろう。その服を力いっぱい抱きしめながら、少年は必死に耐えていた。


 だが、妹はまだ幼かった。『お姉ちゃんを返せ』と泣きながら、家臣にしがみついていた。


 姉の死を受け入れられない心が、妹を動かしていたのだろう。すかさず動く少年の体を、兵士が素早く組み伏せる。少年のすぐ目の前で、泣きながら必死に家臣の足にしがみつく妹。それを子供の悪ふざけとしてとらえたのだろう。蔑んだ目のまま家臣は掴まれたままの足を動かし、妹の体を振り剥がしていた。


 地面に投げ出される妹。いつも転んでも泣いて起きない妹が、この時はすぐに起き上がり、泣きながらも再び家臣の足にしがみついていく。


 それが何度も繰り返される。だが、何度足蹴にされても、妹はそれをやめなかった。傷つきながらも、泣きながら力なくしがみつく妹。組み伏せられて、動くことのできない少年。妹が傷だらけになる姿を見せつけられ、少年は必死に訴えかけていた。


 だが、そんな事もすぐに終わりを見せていた。しかもそれは、ほんの一瞬の出来事だった。


 それまで、しがみつかれていた足をただ動かして払っていただけの家臣。でも、いいかげんにそれが煩わしくなっていったのだろう。ついに妹に対して、その手を妹に向けていた。


 ひょっとすると、それは家臣も意図していなかったことに違いない。ただ、幼女に手をあげた時点でそうなることは考えるべきだろう。


 頭を強く揺さぶられ、激しく飛ばされた妹の体。うち伏せられたその体は、地面で細かく痙攣していた。


 虚ろな瞳を宙に向けて――。


 叫びだし、暴れる少年。だが、数人に組み伏せられたその体は、まったく自由にならなかった。ただ、いつまでもそうしているわけにもいかない。だから兵士達は、少年の体に縄をつけ、あとは放置するという行動をとっていた。


 兵士たちが去った後に、村人が少年を解放した時には、妹はもう虫の息だったという事だった。


 少年は村人に助命を頼む。だが、一連の騒動で誰も少年を助けようとはしなかった。


 伯爵の家臣が、『ここでの出来事は、無かったことにしてやろう。この意味が分からなければ、また来ることになる。また、娘をもらいにやってくるだけだ』と言って去った事が原因だった。


 村人たちは、『事を荒立てるな、そうすれば見逃してやる』という風にそれを理解していた。


 おそらく、伯爵の家臣たちもそう言いたかったのだろう。そして、村人たちもそれを良しとしたようだった。


 自分たちの家族を守るために。


 村からも見捨てられた少年は、こうしてこの屋敷にたどり着いたようだった。嵐の中、魔法の明かりに引き寄せられて。


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