まわり始めた新たな運命
「ヴホ?」
まるで何か用かと言いたげな表情で、リラの顔がアスティに向く。その顔を忌々しそうに眺めるアスティ。だが、何を言っても手遅れな事は、アスティ自身がわかっていた。
「なんでもありません!」
「ヴホ!? ヴホホホ……」
肩をすくめるギガーゴリラ。その姿は、まるで『やれやれ、用が無いのに呼ぶなよ……』と言っているように思えてくる。
そのとぼけた顔を見ていると、『聖印を刻んでやろうか?』という気分になってしまう。
たぶんアスティも同じ気持ちには違いない。だが、黙ってその拳を握りしめていた。
すでに、ルルもギガーゴリラを戦闘不能な状態まで切り刻んで移動している。残るギガーゴリラは最初に入ってきた一匹のみ。いや、最初に気絶している一匹を合わせると二匹になる。だが、そんな状況でリラがとった行動は、指輪を飲み込むという行動だった。
――いや、まて。その口。お前、本当に飲み込んだのか? リラ? お前、その口に入れただけじゃないのか?
「ヴホ? ヴホ、ヴホ。ヴホホ? ヴッホー!」
――いや、全然わからん。っていうか、元々わからん。
「ヴホ!?」
かなりショックを受けた様子で、リラは自らの口から指輪を取り出す。その様子を視界の端に捕らえたのだろう。アスティの顔が喜色に塗り替えられていた。
だが、次の瞬間。リラはそれを再び飲み込む。
しかも、今度は口にないことを示すように、大きくその口の中を見せている。
「リラ!? あなた何を考えているのです?」
――本当に何考えているんだ!?
「ウホ?」
――いや……。すまない。俺が間違っていた……。
「いえ、私が間違っていました。リラ……、何も考えないにも程があります」
「ウホゥ!?」
――いや、そこはお前が驚く方がおかしい。俺もアスティに同意見だ。
「ウホゥ!?」
よりにもよって、腹の中で指輪を持つことになったリラ。早々に腹を壊して出してくれればいいのだが……。
――これで装備していることになったなら、お前は魔獣にして魔獣を統べるものになるだろうよ。さながら、魔獣の王様。キングギガーゴリラと言ったところか?
「ウホゥ!?」
再び驚くリラの様子を、アスティの眼が憎々しげにとらえている。
「ああ、もう! これからリラの尻を追いかける羽目になるなんて! あれに手を突っ込んでまで、探らないといけないのですか?」
「――ウホ!?」
――なんだ? その一瞬の間は? いったい何を想像した? 別にそのままの意味に受け取るなよ? 用を足した後に探るだけだからな。
「ウホゥ、ウホウホウホ! ホウホウ、ウホ!」
一瞬ほっとした様子を見せるも、やはりあからさまに嫌そうにするリラ。だが、アスティは怒った様子を隠そうともせず、リラの方に歩いていく。
その場に立ち尽くすギガーゴリラを素通りして――。
怒りの気配を全身からみなぎらせるアスティ。それに怯えているわけではないが、その接近を嫌がるリラ。きっと尻に手を突っ込まれるとでも思っているのだろう。
でも、傍から見ると、アスティがリラを威圧しているようにも見える。
それは、そこにいるギガーゴリラも例外じゃなかった。
そうして自らの不利を悟ったのだろう。残ったギガーゴリラは、その眼をルルに向けていた。
確かに、この中でルルは一番小さな体だと言えるだろう。
確かに、今のルルは戦う気を見せていない。
しかも、戦った事すら感じさせない、ほんの小さな少女だった。
もし仮に、ルルが戦う気を見せていたら、きっとこのギガーゴリラもそうすることを選ばなかったに違いない。
だが、きっとそれを後悔する暇もなかった。
戦いの中で生きるギガーゴリラは、本来であれば強者に従う。だが、そこに自分よりも弱いものがいると、序列の為に戦いを選ぶ習性がある。
そんな事を、旅の途中で誰かが言っていた気がする。しかし、それを詳しく思い出すには十分な時間はなかった。
振り上げた拳。しかも、その眼は完全にルルを見下している。振り下ろしたその拳が、ルルの姿をつぶしている。
それがルルの残した残像だと気が付かずに。
ルルの素早い動きを追えなかったギガーゴリラは、自らの眼の中にいるルルを叩き潰して満足しながら死んでいた。
静かに首の後ろを、ルルに突き刺されて。
膝をつき、そのまま倒れたギガーゴリラ。その上に、軽やかに舞い降りたルル。ちょうどその時、最初に気絶させられていたギガーゴリラが目を覚ます。
何故かその手に潰れた伯爵を握って。
おそらくそれは偶然手にしただけなのだろう。その姿は見るも無残なものだったが、その衣装と特徴ある装飾が伯爵であったことを物語る。
そして、運命は新しい歯車を回し始める。荒々しく開け放たれた扉によって。
「――!? お父様!? いやー!」
立派な衣装を着た少女のあげた絶叫は、屋敷全体に響き渡るかのようだった。
そして、少女は崩れ落ちる。
それと同時に、複数の人間がこの部屋に駆けつけていた。
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