襲撃者するもの達

 あまりと言えば、あまりなほど、この事態の変化は急激過ぎた。ガラスがあげる悲鳴がすぐに掻き消えて、荒れ狂う風雨が部屋の中をかき乱す。


 何の前触れも予兆も無しに。


 気配を感じる事の出来ない伯爵にとっては、まさにそう感じたことだろう。


 しかも、その瞬間まで自分がどうなるのかさえ分かっていなかったに違いない。何故なら、振り返った彼の視界は一瞬にしてふさがれていたのだから。


 振り下ろされた、その巨大な拳で。


 あっけなく潰れる伯爵の体。おそらく、死の恐怖を感じる暇もなかったことだろう。しかも、その衝撃はすさまじく。ほぼ同時に落ちた雷と共に、屋敷全体を震わせていた。


 だが、何故伸ばしていたのかわからないが、伯爵の伸びきった腕は潰れてはいなかった。むしろその力の証明をするかのように、体から引きちぎられたその腕は、自らの帰る場所を彷徨い宙を舞う。


 くるくると舞う腕。


 やがてそこから、怪しく光る指輪が飛び出していく。誰もがその軌跡に目を奪われる。しかもそれは、綺麗な放物線を描いていた。


 そこにいる者たちの視線を集め、静寂の帳がこの部屋を包み込む。


 指輪と床の出会う音を、皆に聞かせるかのように――。


 それを目で追うギガーゴリラ。憎しみをたたえた双眸が、それを破壊することを望んでいるように感じられる。


 その瞬間、全ての視線を集めた指輪は、ころころと転がり始める。


 床に散らばる残骸の間をすり抜けて、転がりまわるその指輪。それはまるで、ギガーゴリラ達から逃れているように思われた。


 そう、一刻も早く。


 だが、それもついに終わる。その動きが止まったのを見計ったように、もう一匹のギガーゴリラが拳を振るう。だが、それが指輪に届くか届かないかの瀬戸際で、黒い影からでる鋼の一突きが、指輪を掬いすくい取っていた。


「させませんよ!」

 だが、アスティの気合のこもった声は、次の瞬間には短い舌打ちへと変わっていく。


 もう一匹のギガーゴリラの拳によって。


 なまじ体勢の整わない形で出した突きの為に、今のアスティの体は回避している余裕はない。だが、ギガーゴリラの拳はアスティの事情を考慮しない。


 しかたなく、刺突用片手剣レイピアで拳の軌道を逸らすアスティ。


 だが、その事により絡めた指輪が戒めを解かれ、投げ出される。しかも、コロコロと再び床の上に転がっていた。


「リラ! それを!」

 アスティの鋭い声がリラに飛ぶ。


 転がった先にいたリラは、無造作にそれを摘み上げていた。その間に、自らを攻撃してきたギガーゴリラに刺突用片手剣レイピアを何度も埋め込むアスティ。


 絶叫をあげるギガーゴリラは、苦し紛れの拳を振り回す。だが、それはアスティにとっては心地よい風にしかならない。


 自然に距離が離れたアスティ。だが、憎しみにあふれる眼を前にして、簡単に行動できずにいた。


 その隙に、別のギガーゴリラが指輪を追ってリラの方に向かっていた。


 指輪をしげしげと見つめていたリラは、その接近に全く対応していない。残りの一匹はルルに向かい、リラを援護する者はその近くにはいなかった。


 完全に不意を突いたと思ったのだろう。


 襲いくるギガーゴリラは愉悦の笑みを浮かべている。おそらく四頭の成体ギガーゴリラにとっては、リラは子供のようなものに見えているに違いない。頭の形や毛からも子供だと思っているのだろう。


 完全にリラをなめきっている。


 たしかに、体は向こうの方が大きい。正確には分からないが、おそらく倍はあるだろう。


 大人と子供では話にならない。そんな感情がギガーゴリラ達の姿に現れている。


 ――まあ、普通ならそうだろう。


 でも、そこにいるリラは普通のギガーゴリラじゃない。ルルと違い、聖剣この俺の加護なしで最初から最後まであのギガ連峰で二年間過ごしてきた奴だ。


 案の定、飛び掛かってきたギガーゴリラ。その拳の勢いはすさまじく、そこにある空間をえぐり取るのではないかと思う程だった。だが、その拳の勢いは、虚空の中に消えていた。


 難なく拳を躱したリラ。指輪を色々な角度で興味深く眺めることに熱心なあまり、完全にギガーゴリラを無視していた。


 ――まさかつけようとしてないよな? 明らかに大きさが違うことくらいわかるよな?

「ウホ?」


 そのとぼけた顔が気にくわなかったのだろう。ただ、その気持ちだけはよくわかる。


 ましてや自分の拳が空を切ったことが耐えられなかったに違いない。間髪入れずに叩き込んできたその拳。体ごと飛び込んできたその拳は、驚くべき速さと重さを持っていた。


「ウホッ!」

 その言葉だけを残して後退し、難なくその拳をかわしたリラ。しかもその瞬間に、単純な攻撃を繰り出していた。

 

 そのまま指輪をもっていない片手を、ただ上から下に振り下ろすだけの単調な攻撃。


 しかも、指輪を見たままで――。


 それだけ見ると、その腕の動きの間に『運悪く飛び込んできたギガーゴリラだった』と言えるのかもしれない。


 だが、それは紛れもないリラの強さ。そして、それは速さだけの事ではない。おそらくリラは、自分を中心とした世界を肌で感じている。


 言ってみれば、それはこの俺の視界に近いと言えるのだろう。俺の複製体を埋め込んでいるからかもしれないが、時折リラはこういう特殊な動きを見せる時がある。


 ――まあ、偶然なのかもしれないが……。

「ウホホホ!」


 ただ、やられた相手はたまったものじゃない。


 背骨を強烈に殴られた上に、そのまま床にたたきつけられたギガーゴリラ。耐久性のある床とギガーゴリラの悲鳴が重なり、屋敷が震えたほどの一撃。それを成したリラは、相変わらずとぼけた顔でアスティを見ている。


「ウホホ?」

「もってなさいです」

 指輪を差し出すリラに対し、アスティが短くそう答える。刺突用片手剣レイピアを倒れたギガーゴリラから引き抜き、油断なく周囲の状況を探るアスティ。


 だが、アスティはその姿を視界の端に捕らえていた。そもそも、アスティは夢にも思わなかったに違いない。


 リラがその行動をとることを――。


「――リラ!? やめなさ――」

 その不可解な行動を止めようと、アスティが叫んだその瞬間。


 リラの喉が、ごくりと音を鳴らしていた。

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