伯爵の真実

 アスティの冷たく放った言葉に、伯爵はわずかに怯んでいた。だが、ここが交渉どころだと感じたのだろう。相当な痛みがある中でも、すでに伯爵は気持ちを持ち直している。


 ここに来たルルの目的は、伯爵の命を取る事。

 それを返り討ちにして、聖剣この俺を合法的に手に入れる事が伯爵の企み。


 自らの行為を正義と主張する伯爵。己の悪趣味を餌にして、ルルをおびき寄せていたことはすでに明白。だが、この状況ではその目的は絶望的と言えるだろう。


 だから、伯爵は探し続けていたのだろう。自分の生き残る方法を――。

 

 激痛の中でも、この状況をひっくり返す事をずっと考えていたのかもしれない。だが、それは勝手に転がり込んできた。おそらく、伯爵にとっては青天の霹靂。


 相手の知らない情報をもつ。それだけで、交渉は優位に進めることが出来る。その事を知らない伯爵ではない。


 痛みで引きつりつつも、その顔に少し笑みが生まれていた。


「それを言えば、おとなしくこの場を去ると誓えるか? 私にも、娘にも危害を加えない。そう約束をする事が出来るのであれば、知っている事を全て話してやろう。パトリック村……。最初言われても分からなかった……。しかし、何故その報告書がそこにあるのか。それを先に答えよう。そこは私の甥の領地にある村だからだ。甥は私に対して色々と報告してくれていた。中央に取り入ろうとしていたのだから、必死だったのだ。だから、定期的に謎の訪問していた宮廷魔術師長マルティニコラス老師の事も、甥は調べていたようだ。まあ、それは頼んでもいない事だが……。だから、そこで起きた事件について報告してきた」

 

 そこで伯爵は一呼吸置いていた。その眼には、すでにアスティを牽制する色が浮かんでいる。


「ああ、一つ言い忘れていたが、甥は今年死んでしまった。だから、甥が調べていたことは私しか知らない。そもそも私とは無関係な事が多いのだが、だからこそわかった事もある。いくつかの断片が合わされば、その全体を見ることも可能だという事だ。しかも、それは当事者でないものの方がよく見えることがある。歴史学という学問があるのは、まさにこのことを示しているのだろう。さあ、ここから先を聞きたければ、まず約束してもらおう」


 肝心な事は何一つ言っていない。だが、いままでルルが探していた手がかりが近くにある。そんな予感と共に、新しい事実が浮かび上がっていた。しかも、それは伯爵しか知らないという……。


 交渉するうえで、まず期待感を募らせる。伯爵は自分の有利さをさらに上乗せする効果を狙ってきた。

 しかもすべては知らないと前置きしつつも、『見えている事がある』と結論をほのめかしている。その事が、アスティの端正な顔をかなり歪ませているだろう。


 フードに隠れてよく見えないが……。


 だが、その様子がこれまでと違う事は明らかだった。アスティは苦々しく思っているだろうが、同時に聞く態度を見せていた。刺突用片手剣レイピアを腰に戻したことから、それは明らかだろう。


 それにも関わらず。ルルはまだ、半ば放心状態になっている。


 ――親父さんが、元聖騎士団長ということ以上に、その娘が姉だけだった・・・・・・・・・・という事実に。

「ウホ!?」


 これは、ルルの知らない情報。だが、あの時いろいろな貴族が聖剣この俺に触れたことで、俺も色々知ることが出来た。その中仕入れた情報にも、それを裏付けるものがあった。


 アスティの態度とルルの様子。

 

 二人の様子を見て、おそらく伯爵は考えている。

 この交渉が、ますます自分に有利に働いていると――。


 ほくそ笑むような顔が、伯爵に戻りかけていた。


「調子に乗るなよ、伯爵――」

 だが、アスティの態度は一変する。いきなりいつも使っている物とは違う短剣を抜いて、伯爵の顔に一筋の傷をつけていた。


 赤く流れる血が、頬を伝い落ちる――。あのいやらしい笑みも、同時に消え失せていた。


 氷の微笑が、伯爵の目の前に立っている。


「――ですが、いいでしょう。あなたと娘がこの屋敷を無事に出るまで、私たちは何もしません。だから、早く――」

「いや、王都に無事につくまでにしてもらおう。森で待ち伏せされても困る」


 用心深く、真剣に。伯爵はその提案に修正をかけてくる。それはアスティも考えていたのだろう。小さく舌打ちをしたところを、あからさまに見せつけていた。


 ――いや、それは交渉としておかしいだろう? 真実を話さないかもしれないじゃないか……。

「ウホゥ!?」


「さすがのお前たちでも、王都で貴族に手出しはできまい? ここと違って、王都にある貴族の屋敷には、様々な監視の目がある。窮屈だが、それが今回のような時には役に立つ。この先、人の世界で暮らすのであれば、貴族殺しの大罪を背負うわけにもいかない。――そうだろう? 聖剣の姫とその従者」

「ウホ!」


 ――いや、今のはアスティの事だろ? お前はたぶん数えられていない。

「ウホゥ!?」


「わかりました。それは私が約束をしましょう。私たち・・・は手を出しません。重要なので、もう一度言いましょう。私たち・・・は手を出しません。一応私たち・・・の中には、リラも入れておきます。あくまで、今回だけです。「ウホゥ!?」 いえ、やはりやめておきます。ゴリラは人数に数えないのでした。ただ、私たち・・・には入れませんが、私たち・・・がリラに手出しはさせません。それでいいですね? それでは答えなさい。あなたが知っている事。いいですね、全てですよ、伯爵。全て、残さずに――」


 再び刺突用片手剣レイピアを眼前に突き出し語るアスティ。言っている事と態度がまるで逆。だが、その切っ先を見つめる伯爵の顔つきが変わっていく。


 「よろしい。では、話をしてやろう――」


 自分もいると盛んに訴え続けるリラを無視し、話は急速にまとまり始める。


「あの日、村を襲った人物はすでに全員殺されている。生き残りがいたとわかった時点で、全てな。しかも、その生き残りに聖剣を抜かれてしまったのだ。不始末というには、これ以上ない不始末だろうな」


「ウホ!?」

 失意の中で床に何かをかいていたリラが、その気配を感じて急に立ち上がっている。さっきまで、床に指で描いていた時の顔と違い、その警戒心をむき出しにして窓の外を眺めていた。


「ふむ、何故そのゴリラが威嚇するのかわからないが……、話を進めていいかな?」


 伯爵の目の前で、窓の外を見ながら警戒の牙を出すリラ。だが、アスティとルルに背を向けている以上、その牙は彼女たちには見えなかった。


「リラ、ちょっと静かにしなさい! 伯爵。それはどういう意味ですか? ルル。いい加減にしっかりしてください」


 依然としてルルは放心状態のままの姿をさらしている。だが、アスティはそれをたしなめつつも、話を進めようとしていた。リラの態度が変化しているにもかかわらず。


 そんなルルの様子を見て、伯爵はまたあの笑みを浮かべている。いや、さっきまでとは目の色が違う。


 どうしたというのだ?


 なぜ、アスティはそこまで話を進める必要がある? それになぜ、ルルの状態を今更伯爵に印象付けるように話した? お前なら、リラが気付いた時には、その存在を気付いているだろうに……。


 いや、それより前に気づいている節がある。わざわざ伯爵にあんないい方をして約束していたのだから……。


 いや、考え過ぎか……?


 ルルがずっと追い求めていた答えがすぐ目の前にある。その気持ちが、アスティに警戒心を抱かせずにいたのかもしれなかった。いや、警戒していたからこそ、伯爵の尋問を優先していたのかもしれない。


 ただ、俺は少し妙な気分に襲われている。いや、かなりおかしいと言ってもいいだろう。


 状況が確定したためなのだろうか?


 これまでとは違い、探るような感じは見られない。それどころか、だんだん興奮しているようにも感じられる。だが、その様子からは、自らの言葉に酔いしれているという風にも思えない。魔法が働いている気配もない。


 だが、これはまるで……、何かで無理やり高揚されているような――。


「パトリック村は、魔族の国とモンテカルト魔導王国の両方の国境に面した村だ。その村で魔族が大暴れしたらどうなると思う?」


 半ば狂信的な瞳を、ルルに向けて話す伯爵。だが、その答えを聞くまでもなく、伯爵は自分で答えを語り始める。


「これまでの協定は、いずれかの勢力により破たんしたという事になる。特に、魔族の侵攻が人々に与える影響はどれほどの事か……。それは今さら言うまでもあるまい。不安に思った人々の心は、当然のように聖剣を求めた。その結果は今更言うまでもないだろう」


 それは伯爵の推論に過ぎない。


 だが、事実の組み合わせと隠れた情報は、それが間違いなく真実であると伝えていた。

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