自らを井蛙と知るとき、蛙は大海の王に勝る

謎の動力源で動き続ける点P、なぜか時間差で出かける兄弟。とかく算数/数学の設問では物理法則も常識も当然のように無視する存在が子供たちの前に立ちはだかる。
この点Pが動きさえしなければ、この兄弟が二人で揃って出かけていれば、おれはこんなめんどくさい計算をしなくてすんだのに。なぜ塩分濃度がちがう塩水を別々の量で混ぜ合わせるんだ、おまえはその塩水でなにをするつもりだ。中学で円周率をπで表せるなら小学校のときもそうしてくれよ、いっしょうけんめい3.14を掛けて計算していたのがバカみたいじゃないか……。
大人になれば、そういうめんどくさい計算こそが学力の基礎になるとわかるのだが、いかんせん子供には大人が悪意から理不尽を押しつけてきているようにしか思えないものである。少なくとも、わたしはそうだった。
だが、理不尽を押しつけられているのは問題を解かされている子供たちだけではなかった。
もし、点Pに自我があったら?
原理不明の動力で延々と長方形の辺上を等速で動き続ける点P。彼はただ生きているだけだった。だが点Pにとって生きるとはつねに動き続けることだったのだ。結果として、彼は子供たちに憎悪される存在となる。――動くな。
これは、そんな理不尽な日常を飛びだした彼の、長方形の外の世界への美しき逃避行だ。