用意周到な亜人のハナシ

 次の日。ようやっと辿り着いた演奏会当日である。

 昨日リンを救出した後も慌ただしかったが、それを上回る忙しさで、時間は飛ぶように過ぎていた。もう始まる半ジュン前なのか、マジか。

 今回は意外性で客引きを行う方針だ。その為に演奏会再開は未定と告知されていた。なのでまず、客に対しては演奏会が今日から再開することを盛大に発表するところから始まる。

 十鈿女とうずめが実行した策は、こうだった。

 カヴラノウファの町をほんの一瞬、停電にする。状況を把握しようとして外に出た住人は、あの一際デカい多目的施設の一部――ホールの電気だけ煌々と輝く様を目撃する。何事だと誰かが当然の疑問を口にした時、浮島含めた魔法行使部隊が町中に星の雨を降らせるのだ。

 火花が散る音と共に流れるは、住人が一度は聞いた事のある、美しく澄み渡った歌声で。ワンフレーズ歌い終えると、彼女は建物の上から、見えないだろうに精一杯の笑顔を振りまいて宣言した。

「リァステルン、今日の夜から演奏会を再開致します!」

 直後、亜人達の歓声や拍手が町を埋め尽くしたのだった。

 そんな効果抜群だった宣伝を終えた後は更にてんてこ舞いだ。演奏会はチケット制だから当然買いに来る亜人が続出する。客整理、質問返答、興奮状態の鎮静化、等など俺達に任された仕事は沢山あって、更に金に釣られた自分を恨んでしまう程度だった。

 体力のない浮島は派手な魔法を使った所為か一瞬でバテて戦力外になったし、教えてもらったルールを直ぐに忘れ適当な客応対をする乾は仕事をあまり回されなくなった。俺は地獄を見た。

 十鈿女は其処まで完璧に見越していたのか、チケットは数日間分完売し、手に渡らず憤慨する客は居なかったという。経営者としての才能を持ちすぎた男だな。

 客席は当然満員御礼、ということで、俺は外へ出ることにした。その途中、賑わう来場者の中に、二日前話した牛型亜人の支援者「先生」を見かける。酷く楽しそうに施設内へ入っていたので、声を掛けるもの野暮な気がした。

 外に出ると、ホール内のざわめきが曇った状態で耳に入る。音声元は、外に設置されているマジックアイテムだった。今日の演奏会は再開記念として、この道具が中の様子を中継してくれると言う。多少見づらいが、多分狙ってやっているのだろう。

 ホールの入口近くはまだ人が多く、マジックアイテムを通じて演奏会を楽しむ輩も一定数居るだろう。そう考え、人気のないところを探していく。出来れば音質が悪くても曲くらいは聞きたい。昨日今日と散々往復した多目的施設周辺で、落ち着ける場所が無いだろうか。

 建物を半周したところで、程よい空間を見付けた。先客は一名だけ。演奏会が開始したら流れる音に惹かれて誰かやって来るかもしれないが、数もそう増えないだろう。そう判断して何気なく先客を見ると、なんと十鈿女だった。驚いてつい声を掛けてしまう。

「おめぇさん、何してるんだ?」

「おや、見て行かれないのですか?」

「昨日のリハーサル? で聞かせてもらったしなァ」

 質問に質問で返されたが、きちんと回答してやると、成程と頷かれる。平時よりも静かな声、だと思った。まあ準備時間で十鈿女も多少張り切って指揮していた可能性もある。

「私、いつも本番は別所で待機しているんです」

「気にならねえの?」

「なりませんね。最終確認までに指導する事はしました。アレは自分好みに既に完成していますから、もう、見る必要はありません」

「へェ」

 理論が何となく分からず、呆けた声を上げてしまった。それを追及する事なく、十鈿女は黙り込む。シルクハットの鍔を撫でた音が、俺の耳に届いた。まだ始まる前だから、マジックアイテムから聞こえる喧騒はやや遠くなっているのだ。

 やはりここ数日で出来上がった十鈿女至像から、今のヤツとは少し離れていると思う。具体的な差は分からないし、だからどうと言う事もないが。ただ、前々から抱いていた疑問を尋ねる気になった。

「去間さーん! と、おーずめさん!?」

 言葉が出かかったのを遮られる。本番前独特の雰囲気をぶち壊すような捏ねまわして変形させるような、からっと晴れ渡った声。ソイツは俺が顔を向けるより早く視界に飛び込んできた。乾よりくすんだ灰色の小っさいマウス、初日からずっと顔を合わせてきた、ケイである。

 ヤツは、俺の話相手が十鈿女だった事に気付いてなかったらしく、盛大に驚いていた。十鈿女も毒気を抜かれるかと思いきや、揺らしていた杖でケイの足を小突く。ぺしんと良い音。

「頼んだ仕事は終わらせたんですか?」

 ケイに冷ややかな声が向けられる。

「そうだ、荷物! これを控え室まで運ぶところです」

「進捗具合をいちいち説明しなくてよろしい」

「うはい……」

 勢い込んだケイをばっさり切り捨てて、ホールまで向かわせようとする。そんな十鈿女に気が付いて、ちょっと待ったと声を掛ける。

「二日前の拗らせ鳥型亜人……脅迫者の特定・捕縛で銀二十枚だったよな?」

 突然依頼内容の話になり、十鈿女は不思議に思ったようだ。怪訝な表情、ではないが声色が濁ったものになった。

「どちらも達成した場合の銀貨二十枚でしたが……演奏会の手伝いもお願いしましたし、銀貨十枚お渡ししましょう」

「それなんだけどよ。追加報酬はいらんから、ケイに演奏会見せてくれねぇか?」

 何となく、俺の言葉を想像出来ていたのだろうか。く、と小さく喉を鳴らして十鈿女は黙ってしまった。理解が一拍遅れたケイは、ここで漸く驚いて声を上げる。一人で勝手に考えて今初めて出した話題だから、当然かもしれない。事情を呑み込めないケイに笑って見せてやる。安心しろ、の意だったが、伝わったかは知らん。

 この数日よく行動を共にしたが、俺達よりケイは忙しく働いていたし、何となく十鈿女が意図的にホールから離しているように感じた。両者の反応を見る限り予想は外れてないのではなかろうか。

「どうせ俺達の分の関係者席空いてるだろ? な、楽団長さん」

「腹立ちますね。構いませんが」

 十鈿女の珍しい直球な言葉に固まったが、続けられたのは了承の意だった。嬉しくて無意識にニヤけてしまう。握られている杖が小さく揺れ、俺に向けられそうなのを確認して、話題をケイにぶん投げた。

「だってよ。急げば始まる前に間に合うんじゃねえの?」

「い、い、良いんですか?」

 一つ頷くと、ケイの表情がわっと明るくなる。荷物を落としかけて、慌てて持ち直す。

「それを日塔に渡して、そのまま見学の旨を伝えてください。案内されます。演奏中はくれぐれも私語は慎むように」

 雑用マウスは、荷物を指差し指示を出す十鈿女に向き直り、今度は落とさないようにしっかり抱えて、すべて準備が終わったと言わんばかりに満面の笑みを浮かべる。

「有難うございます!」

 誰よりも純粋に丁寧に、心の籠った一言だった。


 再び場には俺と十鈿女が残される。ケイが走り去った後を眺めていた楽団長は、先程のズレた態度など無かったように、別の話題を持ち出した。

「去間さん達は今日出立ですか?」

「そだな。後片付けは怠いから、演奏会終わって報酬貰ったら、適当にどっかで泊まるかそのまま出るわ。次までそんな遠くないし」

「ですよね。散々こき使っておいて良かったです」

 あの仕事量は狙ってやがったのか。苦い顔になった俺に、一笑を返す。

 やがてホール入り口付近から聞こえていた声が静かになっていく。十鈿女も察したようで、そちらに注意を向けた。照明が瞬く音、次いで、道具越しでも分かる統率の取れた演奏が、豪勢な楽器から流れ始める。何度か練習風景を見学したが、感動が薄れる事はない。無趣味のヤツなんか一度で引き込まれてしまうだろう、素人でもそんな風に感じる。

 あっという間に一曲が終わる。観客席から割れんばかりの拍手が響き渡った。まだ始まったばかりだというのに、雰囲気は最高潮なのだろう。なんせ数日間の開催中止を経た、再開記念なのだ。

 続けて第二第三の曲が演奏されるかと思いきや、拍手が止み客席が静まってから暫くその状態が続く。疑問を顔に出して十鈿女に視線を送ると、小さく頷かれる。いや何を意味してるかまったく分からん。声に出した方がいいかと悩んだ時に、向こうからリンの声が流れてきた。

「皆様、本日はリァステルンの演奏会にお越しいただき有難うございます。開催出来ない日々が続き、ご心配やご迷惑をお掛けしました」

 そこで一旦言葉が途切れる。演奏会用の衣装を身に纏ったリンの姿が思い出される。黒髪に似合った、雰囲気を壊さない簡素で淑やかな洋服だった。十鈿女仕立てだとか。センスが良い。

「この期間、リァステルンで話し合いが成されました。最初にお伝えしたいので、お時間頂戴しますことをご了承ください」

 そうだったのか。俺の知らない楽団の事情だ。演奏が始まってから、十鈿女は壁に重心を預け静かに耳を傾けている(ように見える)。

 暫く時間が経ったが、俺達が佇んでいる場所に人が来る気配は無い。

「今までで毎日開催しておりましたが、実は、出演者――はっきり申し上げますと、主に私の体力が限界で、無理を押しての開催となっておりました。ですので、仕様変更という形で大変心苦しくありますが、今後は開催日の日程を調節させていただきます」

 客席がどよめきに満ちた。事情は知らないが、随分の意外性のある発表だったらしい。毎日なんて飽きそうだ、と乾が言いそうな感想を抱く。

 直接映像が見られる場所ではないから、リンがどんな表情をしているか分からない。他種族だし、音が多少悪いので声色を聞き取るのも難しい。ただ、「弱くて強い歌姫様」という他者の見解を混ぜた総評を思い出すと、顔は分からんが胸の前で両手を握っているのではないかなァ。

「これからも皆様に最高の演奏と、歌をお届けするための措置です。ご理解ください。……よろしくお願いします」

 その言葉を最後に、ホールは静まり返ったようだった。ファンとしては毎日開催されていた方が嬉しいだろう、そのエゴを優先するのか否か。傾倒具合に依るか。

 よく考えなくても隣に楽団長が居る。この決断をどう感じているのか、視線を向けて様子を伺ってみる。しかし大層緊張しているような素振りはなく(してても驚きだが)、普段通りに見える。平静ってことはないだろう、そう思い軽い気持ちで質問をぶつけることにした。

「大丈夫かねえ?」

「大丈夫ですよ。何事も。リンを歌姫にすると決めてから考えていましたから。根回しは万全ですとも」

 その言葉と共に、客席から拍手が聞こえ出す。曲が終わった時のような盛り上がりは無いものの、リンの言葉を受け入れる、同意・肯定の温かさを感じる。アイテム越しから、彼女の息を飲む音が微かに漏れた。

「ステージ中心に立っているのは、ただの女マウスじゃない。歌姫です」「有難うございます……!」

 十鈿女の言葉とリンの言葉が、綺麗に重なって。少し聞き取る事が難しかった。


「ナァ、折角だから、出発前に聞いておきたいんだけどよ。おめぇさん、なんでリンを歌姫にしたんだ?」

 演奏が再開し、それに耳を傾ける最中、ケイに遮られ尋ねられなかったことを再度口にした。いつか忘れてしまう事柄だろうが、今の俺にとっては結構気になるコトが、ひとつふたつと色々残っている。町で生まれたものなので、出る前に消化しておきたい。

 質問に、十鈿女は鼻で笑って返した。

「魔法でも使っていると? ご冗談を。あれは何も施していない。ええ、天性の才能ですよ。『口だけしか動かせない』マウスが私達亜人を魅了するなんて! 何やら皮肉ですね」

 勿論その状態に仕上げるまで、指導はしましたが。そう付け加えて、十鈿女はくつと喉を鳴らす。口数が増えたが、ツッコむのは後回し。別の疑問を投げかける。

「最初っから見抜いててリンを飼ったのか?」

「いいえ、まったくの偶然です。前のマウスが死んだので、代わりの奴隷として連れてきました。選ばれた理由は、リァステルンの名に因んだような名前だった。それだけ」

「あァ」

 成程確かに、リァステルンの最初と最後の文字を取ると、リンの二文字になる。十鈿女にしては単純過ぎる理由だと思うが、それ程関心が薄かったのだろう。候補のマウスなんて大勢居るから、適当に、一匹選べるだけで良かったのだ。

 十鈿女は少しの沈黙を経て、演奏に掻き消されそうな程小さく、再びくつくつと笑った。

「……それだけ、で、こんなに愛しくなるとは」

 立てていた予想が確定した瞬間だった。まァ考えてみれば当然かもしれないが、楽団の広告塔であるマウスなんて特別扱いせざるを得ないかもしれない。愛しい、なんて表現は亜人同士でも滅多に聞かない生活をしているので、耳慣れず多少戸惑った。

 それを悟られないよう、仮定が間違ってなかった場合として生まれていた理由を尋ねる。聞きたいことはあとひとつ。

「そーかい。んじゃもう一個。わざわざ脅迫状云々でリンをビビらせてた理由は? 拷問云々とか、そこまで必要なかったろ」

 正直気のせいだと言われたらそれまでの話だったのだが。ああ、と十鈿女は頷いた。カヴラノウファの町に来てから、勘が冴えわたっている気がする。

「それは単純な話です。リンの怯える顔は可愛いですから」

「……ひゅぅ~。そお」

 一瞬言葉の意味が理解出来ず、反応が遅れてしまった。そうかコイツ性格悪いと思ってたけどそういう方向性もあるんだな、と。保護魔法を掛けて直接危害を加えない方針なのはまだ救いだろうか。当事者じゃないから知らん。

 演奏会の曲が途切れ、喝采が響く。休憩に入るようだが、まだ終わりそうにない熱気だ。体をずらして、建物から視界を外し何気なく町の様子を眺めてみる。赤青黄色、他にも数え切れない街頭が町を照らしている。派手な光景と、耳に入る完成された美しい音楽。違和感に似た満足感が体を包む錯覚を覚える。カヴラノウファ、やっぱり変な町だ。

「去間さん、別の場所での宣伝お願いしますね」

 後ろから声を掛けられて、つい笑みが零れてしまう。任された、と言ってしまうこのタイミングで、頼むのが上手いヤツだ。いや本当、敵じゃなくて良かった。


 次の日、早朝にも関わらず出発の時にケイとリンが見送りに来てくれた。リンはケイにひっ付いてたいだけだろうが。

 最初に関係者席のチケットを譲った事に盛大な感謝をしつつ、ケイはそういえば聞いてなかった、と口を開いた。

「次は何処へ向かうんですか?」

「何処だったっけ?」

 間髪入れずに返した癖に、適当な内容の発言をしたのは当然乾である。慣れてしまったのか対応が面倒なのか、まったく相手にせず、浮島が返答する。

「フィブラッカです。然程遠くないと認識しているんですけど、道整備ってされてましたっけ?」

 俺が気になった事を予め尋ねてくれる浮島君は大変有能だ。俺には劣るけど。それは気になる、と会話に混ざると、ケイはリンに視線を送った。救援の印である。

「僕、ここから出た事無くて。リンちゃんは分かる?」

「前に一度宣伝で向かったような気がする。特に思い出せないって事は、大丈夫ってコト……なんじゃない?」

 やや不安げで苦笑していたが、それより雰囲気が柔らかい事に多少驚いた。亜人は許さないと敵意の目で見られた場面が印象的なのだ。今は、それを感じない。亜人のように気紛れな面があったのか、単に機嫌がいいのか。まあ、判断は出来んな。

 一先ずカヴラノウファに来る時のような苦行が続かなくて安心だ。良かった良かったと笑っていると、リンは俺達を見回して、小さく呟いた。

「この数日、色々と有難う。良い感情も悪い感情もある、けど、感謝の気持ちは伝えておくべきだから」

 うん、と一人納得するリンの心境はよく分からんが、お礼を言われたので受け取っておく。ケイは同じマウス同士、察したらしい。何度も見た心底嬉しそうな笑顔で、リンを見つめた。当然彼女が気付かない事は無く、屈辱だったようで親しみの籠った怒りをぶつけ始める。表情を変えず謝り続けるケイ。それが火に油を注いでしまう。

 そんなじゃれ合いを眺めていると、軽やかな音が俺達の間を走り抜けた。聞き覚えのある、杖の音。視線を送ると十鈿女が立っていた。

 見送りに来てくれたのかと思いきや、リンを探していたらしい。

「リン、貴方にそこまでの自由時間を与えた記憶はありませんよ。出発時間も遅れるでしょう。早く、此方へ」

「! はい!」

 十鈿女の言葉にリンは素早く反応し、慌ててヤツの近くまで走り寄る。十鈿女は一度俺達に頭を下げると、さっさと練習場の方へ歩いてしまった。リンも此方を気にしながら、その後に着いて行く。ケイがその様子を確認して追い付こうと決めたらしい、最後に改めて挨拶してくれた。

「それじゃあ、皆さんお元気で! 良ければまたカヴラノウファに来てくださいね!」

 一礼。背を向けるケイ達に、乾がオゥと軽く手を振って別れを告げる。

 その場に留まっても時間が過ぎていくだけなので、今度こそ門を出て次なる目的地へと歩き出す。

 そうして気付いてしまう。ふと、足を進めながら、最後と昨日の会話を思い出し。次いで浮かんだ仮説に、合点がいってしまった。

 十鈿女至の、歌姫リンへと向けられた感情。

「……ああ。本気かあれ。正気か」

「ん?」「なんですって?」

「なんでもねえよ」

 つい漏らした言葉に二人が反応して、首を傾げる。適当に流して、一度振り返ってカヴラノウファの町を見た。

 一番関わった彼ら。リァステルンの楽団長を務める透明人間の変容型亜人と、奴隷に近い雑用係であるマウスの男と、楽団の誇る歌姫というマウスの女。なんつーややこしい三人だろうか。どいつもこいつも色んな意味で拗らせている。特に十鈿女至。

 まあ、それでも、悪くないんだろうなあと思わせる何かがあった。上手く言語化出来ないのがもどかしかったが、やがて別の事を考え始めたので、一旦忘れてしまった。

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