小さい心がわりのハナシ

 十鈿女とうずめへの報告を浮島に任せて、俺はケイの帰り道に同行を決めた。乾は知らんが恐らくリンの側に付いているだろう。歌姫の側に居れば、楽しい仕事が始まった時、真っ先に参加出来るだろうから。うっかりあいつが嫌がりそうな手間で地味で退屈な雑用でも任されないだろうか。

 ほんの少しの悪戯心でそう考えていると、後ろを歩いていたケイが小走りで俺の隣へやって来た。うっかり普段の速度で歩いていたらしい。

「すまねぇな、考え事してたわ」

「いえ、大丈夫です」

 ケイの反応は幾らか大人しい。今までの言動を思い返せば「考え事してる去間さん格好いい!」と言ってくれたのではないか。都合良すぎか?

 止めていた足を今度はゆっくり動かし始めると、ケイが後方……練習場を一瞥してから、俺に話しかけて来た。

「無事に演奏会が出来ると良いんですけど」

「おいおい、その為に俺達が居るんだろう?」

「はい。けどリンちゃん、結構弱気なところがあって。今日、眠れるといいなあ」

 ケイの発言に意外性を感じて、おおと声が漏れた。昨日今日の言動から、他より強いマウスだと感じていたが、そんな事もないのか。マウスはよく分からん。けど乾も浮島もそれなりに分からなかった。あいつらは生まれ育ちの違いもあるだろうが。

 俺の反応は予想していたのか、ケイは首に下げていた紐を手繰り寄せる。ああ、浮島にガン付けられていた時握っていたのはそれだったのかと合点がいった。

 紐の先には、綺麗に色の重ねられた小さな袋が結ばれていた。本体と蓋を重ねるボタンが、傾いて来た太陽に照らされて、きらりと光る。

 楽しげに、どこか柔らかく笑いながら、ケイは歌姫の正体を語った。

「リンちゃんは、歌うのが楽しくて大好きで、上手く出来ない日はもうこの世の終わりかってくらい落ち込んで、調子のいい日は嬉しいのに悟られたくなくて当然ねって笑うんです。俺、ミスが多いから気に掛けてくれて、彼女の仕事じゃないのに手伝ってくれて、優しい子なんです。あと、怖いのが苦手で、まだお化けが怖くて、一緒に寝て欲しいって泣き付かれた時もあったなぁ」

 ケイは、リンのことを可愛い女の子ですよ、と締め括る。まず最初に浮かんだのが「最後のソレは夜の誘いじゃねえの?」という下世話な感想だったのは内緒だ。俺は雰囲気を大切にする男だからな。

 先ほど見せてくれた小物入れも、リンからの贈り物だと言う。よく物を落とすから、大事なものはここに仕舞っておけ、と。地味に驚いたのが、リンの手作りだという話だった。手作業にしては余りにも整った作りだ。マウスは手先が小器用なのか、とも思ったが目の前の灰色を見るに個体差があるのだろう。

 もうすぐ見えてきそうな穏やかな夕日色の本体と、爽やかな青空色の蓋。留め具は銀色。何かしらの思いを込めて作られたそれを手に、ケイは穏やかに微笑を浮かべた。

「時々突拍子も無い事を仕出かすから、心配なんです。去間さん、リンちゃんをよろしくお願いします」

「オゥ」

 短く肯首すると、良かった! と見慣れた明るさでケイはお礼を言ってくれた。それに対し、形容し難い感慨が生まれる。そこそこ生きてきた俺が名前を付けられない感情。コイツと出会った時から感じていた疑問を、今度は尋ねたくなった。

 ケイと出会った多目的施設が近付いてくる。聞くなら今だな、と妙に軽い気持ちで、口を開いた。

「おめぇさんはどうしてカヴラノウファに来たんだ?」

 どうして、というのもおかしな話かもしれない。マウスに自由権は与えられない。労働者として飛ばされて買われたか、元から飼われているかのどちらかだ。分かっていてケイは特別だと感じたのか、もっと別の理由なのか。真相は分からない。多分あまり考えていない。俺はここに来て初めての葉巻を取り出して、加えた。火を点ける。この魔法ばかりは、いくら下手クソな俺でも慣れていた。

 しかしそれでも、ケイは真面目な顔して考え込んでくれた。ふうむ、とやけに落ち着いた声。

「昔のことなんて忘れちゃいました。覚えてないんですよねぇ。意味も無いので。気が付いたらここにいました」

 のんびりと話す内容は、静かに、ニェンというこの世の在り方を示していた。ケイを見る。遠くを見ているのか、ぼんやりしているのか。俺の視線に気が付いて、ヤツは穏やかに笑ってみせた。

「けど、よく怒られるけど、毎日楽しくて。幸せです」

 そうかあ、と頷きながら煙を吐いた。風が巻くように流れていくのを眺めると、隣から小さく咳き込む声。気遣いも何も忘れていた。

 短く謝ると、大丈夫ですと健気な言葉が返って来た。マウスの体も煙は毒だったな。焼け石に水だが、少しでも届かないように顔を逸らした。

 ケイは施設に引っ込むかと思いきや、そのまま俺の横に立っている。扉はすぐ近くで、歩けばすぐにでも入れる距離だ。行かないのかと目で尋ねてみれば、ヤツは折角なのでと短く答えた。こうして一対一で話す機会は、これが最後のような気がするのだろうか。そうだとしたら、俺と揃いである。二日後に演奏会をするってんなら、前日に当たる明日は忙しくなるだろう。

 最初は興味の湧いた乾に連れられ、内心期待していた浮島を窘めていた筈が、いつの間にか俺も楽しみになっているようだ。指折り数え。待ち遠しい。

「明日もですけど、今日もそろそろ忙しくなってくるので、ここで気合いを入れておきますっ。調子を確かめて、不審者がいないか見回って、リァステルンの皆さんの名簿を確認して。……そういう小さい作業が、リンちゃん達の公演に繋がってるんだと思うと、嬉しいなあって思うんですよ」

「成程。お前はお前の世界で楽しくやってんだなァ」

「はい! 去間さんは違うんですか?」

「いんや、俺だってそうだとも!」

 葉巻を手に笑うと、そうですよねえとケイも溶けたような笑顔で返して来た。


 ケイと別れ、練習場に戻ると十鈿女が出迎えてくれた。浮島から話を聞いたらしく、護衛お疲れ様でしたと形式的ではあるが労いの言葉を掛けてくれる。一応受け取ると、リンを襲った鳥型亜人に関して教えてくれた。どうやら予想に反し、心当たりがあるらしい。というか印象に残っていた、か。

「楽団員を募集した時ですね。音楽知識は備えていましたが、技術も才能も感じられず、不採用でした。自分の才能に酔い過ぎているようにも見えたので」

 認可証を手遊びの道具にしながら、ははあと頷く。十鈿女の事だから理由を暴力的なまでに直接的に伝えたのだろう。丁度そのすぐ後、リンを歌姫として演奏会に立たせたと言う。あの亜人にとっては踏んだり蹴ったりな話である。

 十鈿女は意外にも、襲われた状況の仔細な説明を求めてきた。理由を尋ねれば、中途半端に空いてしまった時間潰しだと返される。依頼主の機嫌取りはしておきたいし、特に断る理由もなかったので、思い出せる限りを話していく。魔法のように新しく世界を描き出すよりは、まだ楽な作業だった。

 が、それを言葉にしようとすると難しい。流れや光景は頭の中にあると言うのに、ガキの落書き染みた稚拙な語りになってしまう。

 時間を掛けて説明し終える頃には、十鈿女はどこから持ってきたのか優雅に椅子へ腰掛けていた。まったく悟る隙を俺に与えることもなく。この野郎……。恨みがましい視線を向けると、クツクツ喉を鳴らして笑われる。本音を隠す気もないらしい。

「貴方は説明が下手ですね。誰かに頭の教育を受けた方が良いのでは?」

 リンと似たような言葉で(しかも嫌味大盛)評価される。そりゃ有識者から手ほどきを受ければ頭だって多少はマシになるだろうし、魔法ももっと上手に扱えるだろうが、誰かに頭を下げて延々話を聞くのは堪えられない。乾なんて一秒も我慢出来ないだろう。

「ちなみに去間さん、文字は読めるんですか?」

「習ってねえな。けどちっとなら分かる。飯とか宿とか装備とか」

 でしょうねえ。素直に答えるとそんな言葉が返ってきた。嫌味でも侮蔑でもない、親しみが籠ったもの。だと、思いたい。ただ悪いモンじゃなかった気がする。

 文字、確か浮島は家の方針で学んだと言っていたか。亜人の中では珍しい方だろう。そして目の前の楽団長様もその珍しい部類に入るようだ。詩歌だっけ? も嗜んでそうだ。あれも芸術だし。

 雑談ついでに話を振ってみると、予想通り肯定された。詩歌・服飾・絵画・演劇・花、そして音楽と、芸術で気になる事柄は首を突っ込んでいるらしい。首透明だが。曰く、「自分程カヴラノウファの文化に詳しい亜人も少ないですよ」とのこと。「居ない」と口にしない辺り、この町はよっぽど変人揃いなのだろう。恐れ入る。

「なあ、ちなみにそんな文化に詳しいおめぇさんが勧める、カヴラノウファのポイントってどこだ?」

 純粋な好奇心で、軽い質問をする。

「それは勿論、我が『リァステルン』の演奏会が行われる点ですね」

 歪みねえ返答に、声を出して笑った。すかさず注意を受けた。やっぱり歪みない。


 その後、十鈿女と入れ替わる形で声を聞きつけた浮島がやって来た。リンは練習に向かい、一応乾が着いたと教えてもらう。まあ二階席だが、何かあっても乾なら対応出来るだろう。三人の中ではヤツが一番すばしこい。やる気を出せばという注釈は入るが。

 一度外に出て、爆破犯の痕跡を探すことになった。被害のあった休憩室の位置を思い出し、建物の外から回り込む。恐らくここの筈だが、如何せん魔法で元の状態に戻っているので、自信は無い。その旨を伝えると浮島に半笑いされた。なんとアイツはこの辺りだと確信出来るそうな。見栄張ってるんじゃなかろうか。

「……マェントレィキア」

 俺が魔法で直されなかった地面の被害を確認している間に、浮島が魔法行使していた。確か、過去使われた魔法の痕跡を辿る魔法だったか。俺は攻撃魔法ばかり練習しているので(辛うじて宝石抽出魔法は使える)、こんな時頼りになるのが浮島だ。しかし、そんな便利亜人浮島は魔法行使を終えて、変な面をしていた。つい最近見た顔だ。ああ、休憩室調査で見せた、怪訝な表情。

「ヒァカトしか確認出来ないですね」

 浮島は何故? という疑問の色を滲ませて呟いた。爆破されたその日には修繕されただろうから、別の魔法が確認出来ないのはおかしい。まあ気持ちは分かるが、その結果が出たということは、考えられる事実は一つだろう。

「魔法じゃなくて、別の何かで休憩室の一角を吹っ飛ばしたんだろなァ」

「どうやって? 攻撃魔法のマジックアイテム化は禁止されているでしょう」

「爆弾ってヤツじゃねえかな。知ってっか? ヒノォヅみたいに爆発する道具」

 あまり使わない記憶を手繰り寄せ、形状や使い方を説明すると、「そんなものが」と目を丸くされた。俺も見たのは大分前だし、遺跡のように以前から残されていた遺物の正体を暴けた稀有な例だったような気がする。そりゃ知らなくて当然だ。

 しかし爆発元は特定出来ても、疑問は残る。そこまでする必要は何か。魔法で景気よくふっ飛ばせば良いものを、わざわざ一角、貴重な遺物まで使用して、犯人は何がしたかったのか? 意図がまったく読めない。不気味で嫌な気分になり、俺の考えすぎ・浮島が変に勘違いしただけで、実際鳥型亜人が爆破した気になってくる。

「ただ練習場を壊すためだけに爆弾を使ったんですか……」

 浮島も似たようなことを考えていたらしい。自分の手で鎧を数回撫でている。考える時に出る癖だ。やっぱり鳥型亜人がやったのかなあ。ぼやくと、ヒァロより鋭い視線が飛んできた。

「馬鹿なこと言わないでください。コンツィエントは発動して、あの亜人が爆破跡を見付けたところは体験しましたから。そう、驚いていたんですよ。けど都合が良いと思い直したようで、目に付くところに脅迫状を置いて去っていました」

 その映像が脳内に流れ、追体験している浮島としては、もう別犯人説で確定しているようだ。しかし変人揃いと言うカヴラノウファの町の特有性から考えを纏められず、うんうん唸っている。ここで考えても仕方ないし、俺は地面の被害確認を再開した。

 景観の問題から、地面にも修繕の手が加わっていると思ったが――どうやら、案外適当だったらしい。建物からは少し離れた場所、蜜の実が茂っている木の幹が異様な形にひび割れていた。立ち並ぶ木を順番に見ていくと、段々とそれが薄くなっていく。恐らく爆破跡と言って問題ないだろう。

 完全に跡が消える場所まで歩き、建物との距離を確認すると、遠すぎず近すぎず、想定していた威力とは少し違っていた。俺が放ったヒノォヅより三回りくらい大きい爆発を起こしただろうか。と考えると、再び使われた際リンを守り通すのが非常に難しいだろう。確か起動から爆発までは短い時間だった筈。

 ただそれも俺のおぼろげな記憶だし、爆弾によって仕様が異なるのは十分考えられる。ああこれも犯人の正体と同じだ、まったく絞れない。全ての状況に応じた対抗を考えておくなんて面倒臭くてやってられない。

 建物内に居れば奇襲は避けられるから、暫く引きこもってもらうのが一番安全だろう。出来るだけ俺か乾か浮島を着けて、練習場内も必要なもの以外を持ち込んだ時反応する魔法を掛けるか、結構大がかりなものになりそうだが……。

 思考に没頭していると、後ろからぺんぺんと肩を叩かれた。しかめっ面の浮島だった。

「ここで考えても仕方ないと思いますよ」

 先程の自分を見ているようで苦い気持ちになったのだろう、はぁと溜息を吐いて浮島は練習場を眺め始めた。先程別れたばかりだが、十鈿女に相談したい事が沢山出来てしまった。この時間どこに居るのか、乾を探した方が手っ取り早いだろうか。

 考えたことを浮島に伝えると、乾を見付けることを提案された。

「イタンシ――」

 続けるように呟かれたのは、魔法だった。うん、一つ頷くと浮島は入り口を指し示す。乾もそこまでやって来ているらしい。すぐさま落ち合う為に戻ることにした。

 歩きながら、魔法の詳細を尋ねる。浮島の創作魔法だろうというのは分かる、が、亜人に魔法の類は一切効かないから、一体どうやって場所を把握したのか気になったのが。二度勿体ぶって見せたが、痺れを切らして武器を取り出そうとすると教えてくれた。交渉術の勝利だ。

 先程の魔法、イタンシは、乾の得物であるナイフが至近距離にあるか否か測定する魔法らしい。当然創作魔法。町一帯に探索を図ると難しいが、少しはぐれた時等に使うとすぐに見付けられるらしい。とんだ便利魔法である。

 因みに一応俺の眼鏡を検索する魔法も作っているとのこと。用意周到だし、今度浮島版も作ってやろうと思う。何なら肌身離さず持ち歩いているだろう。

 乾と合流する。やっぱり居たという浮島の魔法に驚いた発言をしても、ヤツは特に気にせず、ついさっきまで見学していた練習風景の感想を語り始めた。どうでもいいので、遮る形で十鈿女の居場所を尋ねる。お前なんか聞いてないか。唐突な質問を受けて、乾はンア? と気の抜けた声を上げた。

「トーズメさん、最近はホールか執務室だったかな、を右往左往してるっぽい」

「その使い方間違ってると思いますけど、意味は理解しました」

 ツッコミにげらげら笑いだす乾を無視して、浮島は練習場内の道へ向かう。執務室、と呟いていたので目的地は後者だろう。場所が危ういので素直に鎧鳥に着いていく。

 爆破跡の調査を乾に伝えると、薄い反応が返って来た。爆弾という存在を知っているのかと思いきや、そうではないらしい。

 攻撃手段のひとつに爆弾がある、という情報を与えられただけで印象は何も変わらない。情報が無さ過ぎて交戦興味も湧かないので、来るならとっとと出て来て欲しい。

 乾は、波に揺れる小舟のように顔を動かして、話す。歌うような気軽さだった。

 仕事を受けている意識が足りねえが、よく考えりゃ便利屋稼業は趣味でやってるのだ。クソ真面目でも気味が悪いってモンだろう。それに言い分も一理ある。考えても仕方ない、時間の無駄である。

 十鈿女の執務室は練習場の入口から少し離れたところにあったようだ。

 浮島の代わりに戸を二回叩く。ややあって出てきた十鈿女が俺達を部屋に通した。思ったより殺風景な執務室に興味を引かれたが、先に仕事の話をせねばなるまい。向き直る。

 …………浮島に頼むか。説明が下手くそだと立て続けに評価されたのを思い出した。視線を投げると、首を傾げて跳ね返された。クソ! そういやアイツ義理人情とか投げ捨ててやがった!

 仕方なく、爆破跡地に残されていたものや見解について訥々と伝える。

 相手は何故か魔法を使わずに休憩室を爆発させたこと、その手段である爆弾は下手をすれば即時爆発が可能なシロモノであること、今日のようにリンを外に出すのは危険であること。途中乾が盛大に欠伸していたのが許せん。話し終えてから軽く蹴りを入れてやった(「何すんだよ!」と怒鳴って来たが無視した)。

 十鈿女は顎(と思われる部位)を撫でた。思考時間。返答を待つ間に乾がふらっと扉へ歩き始める。後から方針を伝えても問題ないし、リンの側に誰か着いていたい。十鈿女の言葉によって連れ戻す必要も出てくるが、今は良いだろう。浮島も同じ判断を下したらしく、ヤツは止められる事がないまま部屋を出ていった。

 微妙な間が流れてしまったが、本題に戻る。視線を向けるとその意を理解したようで、透明な紳士は小さく頷いた。

「結論として、演奏会は開催します。それまでリンは練習場内で生活。襲撃の可能性は高いですが、あれに危害が及ぶことはないでしょう」

 俺と浮島のほうという声が重なった。黙って次の言葉を待つ。それだけでは明確に疑問が残ってしまうからだ。

「……リンには保護魔法を掛けていますからね。急激に肉体へ負荷が掛かった場合、自動的に私の元へ転送されます。命の保障はありますよ」

 少しの沈黙を経て、十鈿女が口にしたのはそんな補足だった。想像は付いていたが本人から言葉を聞きたかったので安心する。保護魔法かァ、とんでもなく難易度高そうだ。後で浮島に相場を尋ねてみようと思う。

 次いで浮かんだのは歌姫様を大切にしているという再評価だった。彼女への言動が冷たいと感じていたので、これは意外だった。まあ楽団の誇る歌姫様なのだから当然かもしれない。あるいは、はてさて。

「警戒すべきは誘拐です。貴方達のお考え通り、対抗手段として一人はリンに着いていただきたい。且つ、ええ、積極的に睨みを利かせた方が良いでしょう」

「どうやって?」

 浮島が簡潔に合いの手を入れる。出来る限り短時間で派手に護衛が付いている事実を知らしめたいが、最適な方法は何なのか。カヴラノウファの町の常識なんて知らない俺達は、まず十鈿女の言葉を待つことにした。

「そうですねえ……挨拶回りでもしますか、浮島さん」

「は?」

 先程の真面目な雰囲気とは一転、楽しげな声色の楽団長に捕捉された雇われウヴァンリャは、可哀想に呆気に取られた呟きが最期に残った。俺じゃなくて良かった。


「去間だ。なあ浮島は?」

「十鈿女と一緒にカヴラノウファ一周旅行中だ」

「マジか! 楽しそうじゃん!?」

「お前はそう言うと思ったよ。あと練習中だから騒ぐな」


 次の日。演奏会が再開される、前日の事だ。突然の爆発音で目が覚めた。

 寝ぼけた頭でまた浮島が魔法の練習を暴発させたのかと思いきや、俺と同時に跳ね起きている。待機当番の乾の姿は当然見えない。ヤツの、そしてリンの部屋に向かわなければ。

 早急に支度を済ませ部屋を出る。護衛対象であるリンの部屋は流石に記憶しているので、浮島と二人、そこへ向かおうと走り出したその時、聞き慣れた声が廊下を矢のように飛び抜けた。

「歌姫が亜人に連れ去られてるぞォーッ!」

 単純だからこそ覆しようがない報告に、苦笑を一つ溢して体の向きを変える。魔法より何より手っ取り早いわな、肉声。

 行く先は声の元。浮島を確認すると、ヤツも似たような笑みを浮かべていた。

 先導する浮島が剣を抜き戦闘準備を行う。俺も得物を確認し、すぐ飛ばせるように工夫しておいた。もし相手が昨日の鳥型亜人なら、余計な事をしでかされる前に戦闘不能に陥らせた方が良いからだ。話に出た新たな敵が早速お出まししたってんなら、その時はその時だ。

 しかし声の聞こえる場所へ走っても、乾やリンの姿は見当たらない。逃げて追っているのなら当然か。風圧で飛ばされそうになる帽子を掴んで、転がるように外へ出る。この建物じゃ登っても見付けられそうにない、焦って見回していると、浮島が「こっちです!」と声を上げた。断言する何かがあるのだろうとヤツを信じて後に続き、隣の建物へ飛んだ。屋根を伝ってショートカットを図る。ひとつ、ふたつ。

 朝靄のかかるカヴラノウファの町は、こんな時間でもそこかしこ電飾が光る。特有の光景ではあるが、それに気を割いている暇は無い。四つ目を飛んだ瞬間、浮島が滑り落ちた。ように見えたが、実際は飛び降りたらしい。けたたましい鎧の音。上から様子を伺ってみると、ヤツは乾の側に降り立っていた。アホ、囲めばいいものを。当然再び逃走劇が始まったので、屋根の上から追いかけながら、先回り出来る場所を探すことにした。

 道を物凄い勢いで駆け抜け、時には建物に飛び込み逃げ回り追い回し、屋根から見学してても派手な追いかけっこになっていた。浮島が疲労で減速しているのが分かる。頃合いもそろそろだった。ヤツらが走っている先は一本道だ。脳内で世界を描く。奴の進行を塞ぐよう、地面に火の矢が突き刺さる様。不安なので声に出しておこう。

「――ヒァロ!」

 魔法行使が成功したと確信した瞬間、手の先からヒァロが飛んでいた。追い付くように屋根から飛び降りると、一足先に到着した矢が路上で爆発し煙を起こしている。その中でどうやら敵の亜人は強引に走り抜けようとしているらしい。どう対処しようか思考・演算・妥当性の検定……なんて考えられたら格好いいものだが。生憎状況に応じた適切解は、体が勝手に覚えた動きをしてくれる。文字通り腰を屈めて蹴るように足を延ばす。すぐさま足に衝撃が走った。

「リン!」

 敵がすっ転んでリンに被害が及ぶと笑えない。そう叫んで手を伸ばすが、晴れてきた視界に見えた歌姫は驚いて固まっていた。一拍遅れて掴み返そうとするが、もう遅い。相手は走り出し、それは届かず再び遠くなる。足払いはバランスを崩す程度に収まったしまったのだ。

 しかし、今なら。よろけて速度を失った相手になら、俺や浮島は間に合わずとも、乾は間に合う。証拠に、灰色の風が真横を駆け抜けていく。ナイフが振り上がり、くるっと向きを変え、柄が相手の服に引っ掛かかる。しめた!

 捕縛は銀貨二十枚、いやあれは脅迫状限定か、それでも多少はふんだくれる。そんな皮算用が浮かんでいた俺の思考を、

「そろそろ疲れない、オタク? 賭けをしよう!」

 乾の思い付きであろう一言がぶち壊していった。ついでに雰囲気も。


 カヴラノウファの入口を示す門が物々しい音を立てて閉まっていく。外に出されたのは俺達三人と、リン、それからにやにや腹立つ笑みを浮かべている敵だ。狐のような顔をした犬型亜人。乾や本人が言うには豺(さい)と呼ばれる亜人らしい。五つの影が太陽に照らされ、揃ってやって来た。似たように楽しそうなのが乾。残りの俺や浮島やリンは、目の前で魔物に宝石を掻っ攫われたような表情だ。言うまでもないが。

 町の様子が確認出来るがすぐに中には戻れない程度の距離を作ったところで、敵の亜人が口を開いた。

「ここらで十分だろ」

「だなぁ。遠すぎても帰るの面倒だし」

「違いねえ」

 乾と敵は二人で仲良く笑い声を上げた。それが途轍もなく癇に障る。何故コイツとパーティを組んでしまったのかとさえ考えた。享楽的にも程がある!

 しかし敵が爆弾を保有していたら、例え数の利があっても戦闘力は一瞬で覆されてしまう。下手な手は打てない以上、「賭けをする」という提案を俺から却下するのも抵抗があった。

 数輪の花が咲いて揺れている。それを靴で抉り抜いて散らして、乾は敵に向き直った。

「始める前にさあ、聞いておきたいんだけど。リンを狙ったのって、なんで?」

「つーより、狙いがマウスの歌姫だったから、だな」

「ほほー。そんじゃも一つ。弓に優れて太い矢羽も扱えるような、女の猿型亜人がお仲間にいる? 目的のために、亜人殺しだって出来ちゃうさあ」

 乾の質問に反応したのは、俺達だけでは無かった。問いを投げかけられたその男が、一瞬目を見開き楽しそうに笑い始める。俺はリェヒィの村の外れで起きたあの出来事を思い出した。

 大量の魔物をリェヒィの村で暴れさせ、民家を放火させた狼型亜人。捕まえたものの、それを一度で射抜いて絶命させた相手が居た。確信は無いが、賊の一員として認識していた筈の女弓使いだったのではと睨んでいる。真の実力を悟らせない、恐ろしい存在。

 豺型亜人は、その、関係者であるようだ。

 俺は眼前の敵が油断ならない相手だと悟り、内心唾を飲んだ。戦闘力は、未知数だ。


 分かってるだろうが、と前置きをして、亜人は嗤う。

「予想通り、オレとアイツは同じ組織に属してるよ」

「――やっぱり! なあ、マウスをどうしたいんだ、アンタら?」

 正解したことで機嫌を良くした乾が、次の質問を投げかける。狼型亜人はこれを答えようとして殺された(と思われる)事を思い出し、肝を冷やしながら周囲を確認する。しかし気配は読み取れず、相手も当然のように、あっさりと返答した。

「マウスをどうこうする気はねえが、貴重な研究材料なんだよ。アレ。オレ達の目的を果たすためのな」

 にこやかに。晴れやかに。何の逡巡も無く、煩悶も無く。豺型亜人は言ってのける。その予想外の言葉に、それぞれ固まった。同族のマウスであるリンは恐怖と憤怒にたじろいで。俺達三人は、予想の範疇内の回答だったことに、驚いた。

 亜人にとってマウスの扱いは、奴隷であり道具であり餌であり、使役対象に過ぎない。リェヒィの村で行われる祭事に必要な光る花を盗み出し、村に魔物を放つ。これらの事件を狙って起こした組織が、まさかそんな、マウスの用途で一般的であろう、「研究素材」として付け狙っているとは逆に考えていなかったのだ。もっと意外性に富んだ理由だと思っていた。

「『この』歌姫サンは何やら評判が良いだろう? 他のマウスとどの部分が違うのか、比較してみよーって話になったんだよ」

 敵の傍に控えるよう置かれたリンは、突如指し示され顔を歪ませた。さり気なく泳がせていた目が、亜人に寄せられる。敵の見下ろす視線は、彼女に「勝手に逃げても意味ないぞ」と告げていた。弱者へ向けられる瞳。薄く笑う奴さんは、隣の乾を彷彿とさせた。やっぱ似てるなこいつら。

「じゃ、なんでリンを狙ったんだ?」

 物分かりの良い子どものようにふんふんと頷いた乾は、再び相対する亜人に問いかけた。しかし今までと違い、奴は軽薄に思案する様子を見せ、首を横に振る。拒絶の意を示され、乾はええ、と文句ありげな声を出した。

「教えない理由はみっつ。第一に、オレが一方的に教えてネエさんが判断するってのがなんとなーく気に入らないから。第二に、内実を話すより『賭け』がしたいから。第三に、ネエさんとは同じ組織で肩並べるより、こーして敵対してる方が楽しそうだから!」

 そういうワケだから、悪いな。爽やかにそう締め括った亜人に、乾は成る程確かにと笑ってみせた。気質が通じる同士、即時的な娯楽を求める回答に納得がいったのだろう。方向指針が似通うので寝返ります~とかほざかれなくて良かった。

 ここで自然と、皆が乾に視線を集めた。返事を貰った当人であり、何より誰もが賭けの内容が気になっていたのだ。それを察したのか否か。乾はらしからぬ微笑みを浮かべた。

「期待してくれるの嬉しい限りなんだが、アレだ。内容なんも考えてねえや! スマン! ルーレットでもする?」

 言い放たれた雑極まりない提案に、相手の亜人が小さく吹き出した。無計画女だが、それも許容範囲らしい。

 そしてここで乾が何も考えず賭けを誘った事実が発覚し、俺(と恐らく浮島)は再度嫌な汗をかく。策がある訳じゃなかったのか、アイツ! 叫び出したいのを堪えて、ここから有意性を保てるような賭博はないかと考える。しかし相手の得手不得手が分からない以上、変に思考し迷走するのも悪手な気はする。最悪任務失敗する他あるまい。十鈿女を怒らせるのは怖いが。

 結局のところ、何であれ、なるようになるしかないのだ。

 そう思い至った(決して思案するのが面倒になった訳ではない)ので、乾に任せるコトにした。うんうん唸っている灰色犬の姿を見守る。

「何か良いの思い付かねえ? 去間とか特に」

「こっちに来るのかよ!」

 直後話が飛んできて、ついツッコんでしまった。しかし今までの乾を考えれば当然かもしれない。

「俺の事なんだと思ってるんだ?」

「でもギャンブル好きな俺カッコい~とか考えてんじゃないの?」

「理解はしたが的外れな推論だな。俺のその手の男じゃねえんだ」

「その手って……」「おい聞こえてんぞ浮島ァ!」

 貴方如きが何を言っているんですか、という嘲笑を隠しもしない浮島は、賭けだのなんだのやる前に痛い目見せたい。それを許されねえ現状が許し難い。

 怒りを鎮める意味も込めて、良い賭けが何かを考える。この場合、良いというのは「悪手じゃない」という意味だ。

 フュラギュィや闘技といった戦闘能力依存の賭け事は何より避けるべきだろう。悲しい事に、俺達三人、一芸に秀でているとは言えないのだ。乾より足が速いヤツも、俺より体術と魔法の戦闘スタイルが優れてるヤツも、浮島より魔法が得意なヤツも、知っている。世の中広いもんだ。今回の相手は俺達より格上だろうと予想を立てているので、絶対にバレないイカサマやら必勝法やら扱えない以上は別のものにした方が良い。

 とすると乾の言った通りルーレットは適任なのではないか。運頼りではあるがまだ勝率が高いだろう。

 そう考え提案しようとしたが、先に浮島が口を開いていた。俺を馬鹿にしながら自分でも練っていたらしい。

「エィチハーはどうです? 分かり易くて、派手に出来ますが」

「聞いた事あんな、どんなやつだ?」「なんだそれ」

 豺型亜人は記憶を掘り起こそうと悩む素振りをしつつ解説を求め、俺と乾はまったく知らないので揃って首を傾げた。俺を見て浮島が小さく吹き出す。本当になんだと思ってるのか。賭博は当たらねえとキレて全部ぶっ壊しそうだから、あまりやらないのだ。仕方ないだろう。クソッ。

「学問所でやってた軽い遊びです。二種類の絵柄を持つ何かを用意して……僕は円盤にしてましたね、それを回したり投げたりして、どっちの絵柄が出るか予想するんです。当然、言い当てた方が勝ちです」

「ほう!」

 エィチハーとやらの遊びを想像すれば、ルーレットよりも大分勝率が高くなることに気が付いた。感心したのでつい声を上げてしまう。オッサン臭いという乾の発言は聞こえない事にしてやろう。どいつもこいつも……。

 俺より数拍置いて、敵さんも内容を思い出したらしい。それだそれだと笑っている。反応は悪くない。しかしシンプル過ぎて切られないかが心配だ。その後の反応を黙って見守っていると、奴は叩くように腰に手を当てて判定を出した。

「良いんじゃねえか。分が悪い賭けはつまんないしな! 三回勝負にしようぜ!」

「オタクとは気が合うな! 一番ヒヤヒヤ出来そうだ」

「ハッハー! 光栄だな、ネエさんよ!」

 気を抜けば二人でどこまでも楽し気に続きそうな会話を、浮島の咳払いが止める。その場の気分でルールがすべて決まってしまったが、んなもん最初から全部そうだ。今更止めてられない。あと一度きりは流石に心臓に悪い。俺もだが、リンが。自分の命運がこのいい加減な奴らに握られていると痛感しているであろう歌姫は、当然顔色が悪かった。

 浮島は荷物袋を開き、入っていた道具を次々宙に浮かばせ出していく。襲来の警報(声?)は突然だったが、備えは万全だったようだ。几帳面よりの性格が出ている。そして奥底に眠っていたらしい、手のひらに収まる程度の円形のケースが現れた。

 おっと。そんな呟きと共に、浮島は他のものを袋に仕舞い込む。そうしてエィチハー用のケースを俺達の中央まで飛ばす。それは目に留まらぬ速さで回転し始めた。途端、風が巻き起こり、慌てて帽子を押さえる。ちょっと早すぎるのではなかろうか。

「多めに回した方が楽しいでしょう。少し大きさが足りませんかね……ヒァカト」

 派手さがない、と俺達に背を向けた浮島は、地面の一部を使って大きな円盤を作り出した。ケースの中身は拝めなかったが、そのサイズを何回りも巨大にしたものだろう。ヒァロやヒノォヅと違って、一定時間その対象物を残しておきたい場合は、何か別のものを用意しなければならない。ゼロから何かを作り出せないのだ。変なとこ不便だと思う。

 今度は絵柄を見せる為か、巨大な円形のそれはゆっくりと回転を始める。描かれた二種類の絵が露わになった。一面には、白銀に煌めく剣が。他面には、堅牢な城塞の如き輝きを放つ盾が。誰がどう見ても浮島仕様である。結構上手いな、絵自体。

「回すのは物理攻撃で。僕がやりましょう、一番慣れてますから上手く回せると思います」

 周囲を見渡し、了承の意を確認する浮島。異論が出ないことを確認すると、鞘に入れたまま、剣を取り出した。高く跳ね上がり、空を切る音を立てながら落下、そして地面に突き刺さる。魔法の芸当が細かいヤツだ。

 乾と亜人が目を合わせ、フンと鼻を鳴らす。二人とも実に楽しそうな笑みだ。そこでどうやったのか、意思疎通が出来たらしい。豺型は腕を組み、乾は気に入りのナイフを取り出して勢いよく振り回した。

「それでは両者、選択を――」

「剣!」「剣だろ!」

 浮島の言葉に間髪入れず返す声が二つ、綺麗に重なった。格好付けた浮島が気を削がれて若干の脱力。魔法の切れた浮島の得物が支えを失い倒れそうになる。わ、と小さく可愛らしい声がリンから漏れたと同時、浮島が再度物を動かす魔法を使い、剣は元の位置に戻っていった。ドゥイノだったか、アイツが一番使ってるであろう物の移動魔法。

 さて、意見が被ったお気楽亜人共は再び視線を交わして、それぞれ言い分を述べ始める。

「私ほら、攻撃は最大の防御派だからなー! お強いニイさんどうせ怪我とか負わないでしょ?」

「いやいや。見たところネエさんの得物はナイフだろ? オレのが絵に近いな!」

 敵は景気良く告げると、頑丈そうな大剣を一振り、そして肩に担ぐ。風をたたっ切る大仰な武器は今までまったく目視出来ていなかった。一体何処に隠していたのか。魔法かマジックアイテムか? ついまじまじと眺めてしまっていたので、当然気付かれた。目を細められる。随分余裕があるようだ。……中々悔しい。

 賭けが終わったら謎のチーム中心に話し合いがしたいものだ。無事に終わればの話だ。最終的に戦闘勃発する可能性も残っている。唯一観戦していられる俺が観察しておくか。という読みも勘付かれていそうだが、仕方あるまい。この際恥は捨てよう。

 結局この場は「さっき散々追いかけ回したし」という乾の発言で決着が付いた。煽るような物言いだが、何も考えてない適当な発言だろう。近い性格だと分かっているからか、豺型も笑うだけで気にしなかったようだ。

 改めて賭ける先が決まったので、浮島が仕切り直しと剣を引き抜いた。どこかで闘技とは違い規定を設けた試合のように、両手で剣を持つように剣を浮かせる。さて、と静かな声が周囲に響く。カヴラノウファの町の音はここまで届かない。

 乾が盾。敵が剣。

「行きますよー――はッ!」

 振りかぶり。変に気の抜けた声、その後凛とした掛け声と共に剣を振るった。爽快な高い音が鳴り渡る。見えない中心の柱を軸とするように、円盤は勢いよく回り始めた。先程とは比べものにならない風が沸き走り、マントが揺れる。

 リンは吹き飛ばされやしないか、マウスの耐久度がどの程度か分からない。一応確認しておくと、耐えられはするものの、風の強さに顔を顰めていた。風避けの盾代わりに移動出来れば良いものの、乾の傍に立っている俺とアイツの距離は一番離れていたのであった。こりゃ無理だ。

 浮島が勢いよく(魔法で)振るった剣は中々強烈な一撃を生み出したが、更に回そうと意識しなければ当然勢いは衰えていく。ゆっくりと、ゆっくりと。段々と絵が視認出来るようになる。一回目の勝負が決まる。まだ誰しも余裕がある(当の本人であるリンは除いて)ので、眺める顔色は悪くない。

 やがて空気の流れも柔らかなものに変化していき、俺達に向ける正面になったのは――鋭く美しい切っ先が輝く絵。すなわち、剣であった。

「まずはオレの勝ち、だなァ!」

 愉快と言わんばかりに口角を吊り上げる奴さんとは対照的に、隣で立っているリンはどんどん顔を歪め震えていく。研究材料にされた時を想像しているのだろうか。連れ去られるだけでは、運の悪いコトに十鈿女が掛けた保護魔法の効果が発揮されない。もしかしたら魔法が掛けられているのを知らされていないのかもしれない。いや、どちらにしろこの結果には恐怖を覚えるだろう。言動から察するに、俺達への信用度も然程高くないだろうし。

「まだまだこれからってね! 浮島、頼むぜ~」

「イカサマを疑われそうな事言わないでくれます? ちゃんと回してるので」

 そんな気は無かったんだけどなあ、という乾の気だるげな返事を最後に会話が途切れる。浮島が乾と敵を見比べて、続行の意を示した。

 俺を含めてどの亜人も、様子が変わる気配はない。所詮他人事だろうし。しかし、俺は兎も角、町に来る前から歌姫の演奏会を楽しみにしていた二人が一向に動揺を見せないのは意外だ。

 乾はまあ、楽しみに優劣を付けないヤツだからどちらに転んでも良いのだろう。浮島は分からない、もしや負けた際の救出を考えているのだろうか。チームを組み始めて多少経過したものの、他人の考えるコトはちっとも分からん。一応乾のおちゃらけ言動全て演技説も捨ててはいない。まあ、無さそうだが。

 リンはと言うと、眉根を寄せてやや俯いて、胸の前で両手を握りしめている。あの表情は昨日マウスを大量に殺した時に見た。苦しい時のものだ。自分がその立場に置かれたら、と乾の言葉を思い出しながら、第二の賭けが始まる前に想定してみる。それにしても、怯え過ぎではなかろうか。魔法が使えるか否か、そんな差だろうか。何となく違う気がして、それ以上思い付かないので止めることにした。次は誰がどちらを選ぶのか、敵の動向に気を割こう。

「今度こそ剣が良いなァ」

「了解だネエさん。俺が盾だな」

 ぼやきに似た乾の発言に、亜人が余裕をもって返答する。一度勝ったからか、エィチハーに楽しみを見出したのか、どう転ぶか分からない期待があるのか、笑っている理由はどれも該当するのではと直感する。いや、勘だが。完全に乾の亜種として推測してしまう。

 二回目。浮島が剣を構える。リンの息を飲む音が聞こえた気がした。確認しようとして、眼前から強烈な音が響いたことで顔を逸らせなくなる。再び勢いよく回転していく円盤。風の所為か、瞬きしてしまった。癖で考えずにやっちまうよなあ。一瞬の隙で事態が急変することは無いが、いざという時の為に管理出来るようになりたいものだ。

 雑念を追い払わずぼんやりしていると、結果が出る瞬間が近付いてくる。剣盾剣盾剣盾剣盾剣、盾、剣……盾……。

「嫌あっ」

 か細い悲鳴が聞こえる。視線を送れば、見ていられないとリンは結果から顔を背けていた。景品の反応に、亜人が気を良くしたのを見逃さなかった。ニィ、という笑い。亜人が出会って数刻のマウスに対してそこまでの感情を抱くのは、多分珍しいことだ。異常性癖とまではいかないが。万が一連れていかれた場合、あまり良くない状態になりそうだと思った。

 くるり。円盤が回る。動きを止める。乾と浮島が見せた「おぉ」という声が届いたらしい、リンの体が大きく震えた。未だ結果を確認出来ない彼女に、助け船を出してやる。

「今度は乾の勝ちだなァ」

「一番燃える展開だ!」

 俺や小悪党染みた乾の言葉に、リンが弾かれたように円盤を見た。こちらを向いた面は、またしても剣。

「は、あぁぁあ……」

 自分で体を支えることが出来ず、彼女は盛大に溜息を吐いて座り込んだ。生きた心地がしない、というやつだろうか。行先を見失った視線が泳いで、俺に寄せられる。何をしてやるのが護衛として適任か、考えて、思い付かないうちに顔を逸らされた。うーんまだまだ口が回らない。自分が格好つけるのは得意なのだが。

 豺型亜人は先程発した乾の言葉に同調し、円盤を眺めていた。マウスを、今回は歌姫と呼ばれた特別なマウスを狙っていると話したが、強い拘りは無いのだろうか。敵のことは殆ど知らないが、この予想は強ち間違ってないような気がした。

「さぁてあっという間に最終戦の始まりだな。歌姫さん、何か言い残しておきたいことは?」

 突如会話を振られたリンは、敵を見上げながら口を開く。生殺与奪の権利を握られた相手を、震えながらも正面から、見上げた。

「こ、殺すの?」

「殺さんよ! ノリだノリ。けどホラ、俺が勝ったら今の生活とはお別れだろう? 考えておくといい」

「……嫌……」

「つってもなぁ、護衛達が同意してるんだぜ?」

 敵の余計な言葉を、歌姫は真正面から受けた。ぐ、と黙り込む。そして、ケイもやっていた、あの仕草を見せる。胸の前で両手を握り締め、静かに呼吸を繰り返す。彼らなりの、魔法なのかもしれない。効用は、そうだな、勇気を出す……だろうか。

「それでも。連れ去られるのが決まったら、暴れまわってから、舌噛み切って死んでやる」

 振り絞るように出てきた声は、低く、唸るような警戒と決意を示す色だった。それは敵だけでなく、俺達にも向けられている。マウス(じぶん)を駒にして遊ぶ亜人など許さない、とその目は告げているように思えた。俺にとっては救出する為の策なのだが、今伝えることは出来ないし、深まった溝を埋めるのは大変そうだ。仕方あるまい。

「泣いても笑っても次が最後か」

「結果が出てから五回勝負に引き延ばそうとしないでくれよニイさん?」

「んな事ぁしねーよ。純粋に楽しめなくなるだろ? 折角回し手の鳥さんも回転数変えてくれんのに」

 なぁ? 最後の問い掛けを向けられた浮島は、ややあって「当然です」と短く返事をした。同じ力で叩くなという牽制の、目に見えない圧力感! 俺が不安になり過ぎているだけだろうか。浮島がどんな方針なのか判断出来ない。実力が測れない相手の雰囲気にすっかり呑まれてしまう。

「三回目行きましょう。後悔しない選択を」

「……ニイさんどっちが良い?」

「ほう? んじゃ剣だ。絵が格好良いし」

 敵が剣、乾が盾を選択した。乾らしからぬ配慮の素振りを見せたことが意外で、策があるのかと眺めてしまう。目が合った。

「去間知らねえ? 『残り物には福がある』っていうの!」

「知らん……」

 元気よく説明された行動理由に脱力してしまう。略奪された跡なんかも残り物になるなら、災しかなさそうなモンだが。浮島はポツリと今更ですか、と呆れている。実際にある言い回しらしい。

 気を取り直して、と浮島が剣を振り上げる。乾も、敵も、リンも、円盤を睨み付ける。期待と不安が入り混じる、賭け事特有の感覚が走った。

 整った息を吐く音。次いで、カァンと響く円盤の声が心地いい。回転数を変えている――叩く力を調整しているというが、差はまったく分からない。何を以ってそう発言したのか。もしや回っているのを目測した? そんな予想が浮かんで、自分も円盤へ視線を戻す。うむ、まったく分からんな。

 くるくると、実際そんな穏やかではないが、円盤は回り続ける。じいっと眺めているとなんとなく描かれた絵が見えるようになった。盾が出れば良い。そしたら面倒なコトにならなくて済む、多分。浮島を何気なく観察すれば、多少笑みを作って叩いた先を見上げていた。何の笑みかって良く殴れたっていう満足感な気がする。多少は歌姫様を気にしてやればいいのに。

「絶対、負けない」

 ふと、決意に溢れた呟きが聞こえる。対象はどれだろう。賭けか、俺達亜人か、景品にされる運命か。そしてその言葉に呼応するように。円盤は速度を落としてゆき、そして、最後に静止する。やや斜めになったが、絵が隠れる程角度が付く事もなく。

 それは、盾の絵を見せていた。

「おっと、」

「勝った」「負けかぁ」

 勝敗が決した割に参加者は至極あっさりとした反応だった。言うまでもないが前者が乾で後者は敵の亜人。ちぇ、と男の癖に可愛らしい拗ねた声を上げた後、奴はすぐ軽快に笑った。

「って事は歌姫は返還、オレはカヴラノウファから撤退って形かね?」

「あら、そこまでしてくれんの?」

 乾が意外だと返答する。正直予想外ながらも有り難い話なので、追随するように口を挟む事にした。

「歌姫様の飼い主、すげぇ神経質で粘着質っぽかったから別のマウスにした方が良いと思うぞ。リンにも何か保険掛けてるって言ってたしな」

 肉体の損傷が条件であることは伏せて事実を伝えると、敵はおおと目を丸くさせた。マウス相手にそこまでやるのか、という気持ちは分かる。視界の端にいるリンも驚いていたから、知らされていなかったんだろう。

 雇われた便利屋に教えた事実。それを相手はしっかり理解していた。そう、まだ他にも対策がある可能性を考慮する。乾みてーに何も考えてないと思いきや、頭は回るらしい。後方を切り払うように大剣を後ろに隠すと、それはいつの間にか消えていた。本当に種も仕掛けも分からない。不思議な相手だ……所属先も含めて。

「そんじゃ今回はこれでおさらばだ。ネエさん、まだオレ達に興味あるってんなら、もうちょい情報集めな。それでも入る気ならリーダー達に口添えしてやるよ」

 奴は変わらぬ余裕っぷりで、久しぶりに友人と再会するような気楽さで、手を振りにこやかに話す。呼ばれた乾は任せろとからから笑った。まだ謎チームに対する興味は尽きないらしい。この先を憂いて、浮島が盛大に溜息を吐いた。

 奴さんが姿を消す前に、感じていた疑問を思い出す。慌てて声を掛けることにした。

「そうだ、最後に一ついいか? なんで練習場爆発させたんだよ」

「あああれ? 性能見たかっただけで、大した意味はないぞ。まあ本番前に忍び込む必要があったから丁度良かった」

 自分が爆破犯であることを肯定した後、そうだと手を叩き首元から閉まっていたものを取り出した。小さいシルクハットが何度か揺れる。間違いなくリァステルンの認可証だった。男はそれを取り出し、俺に投げる。手に取って自分のと比べたが、見た目はまったく同じものだ。侵入した際に入手したのだろうが、方法は分からない。先程の乾のように再び質問しようと視線を戻すが、それを答える気は無いらしい。

「それじゃ、またご縁があったら、その時に!」

 そう言い残して、亜人は踵を返し走り去ってしまった。木の陰に隠れてあっという間に見えなくなる。終始一貫して態度が変わらない奴だった。崩したらどんな言動になるのだろう。本当にまた会うのか。だから奇妙な縁があれば、という話か。

 溜め込んでいた気を出すように、乾が大きく息を吐いた。

「今の気分は? お姫様」

 散々な仕打ちを受けた歌姫様はしかめっ面だ。俺が見ても不機嫌だなと分かる程、分かり易く明らかで。裏を返せば、それ程はっきりとした意思表示である。

「アンタ達に心を許せそうで許せないわ」

 返事を聞いた途端、最低の騎士は吹き出し腹を抱えて笑い始めた。

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